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小ネタ:京浜急行 デト31・32 [小ネタ集]

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 今日は、神田・秋葉原あたりまで行って来ようと思う。目的はパソコンとメンテナンスがらみで・・・・と、言う事は、あんまり良いことでは無い。
 ・・・・・・しかし、ここ何年かの私は、こんなヤな事も、パソコンの神様が、私に技術習得のための試練を与えて下さったと考える事にして居る。そうでも考えないと、パソコンって、何時もわけの判らない動きをしますんで、付いてゆけませんから・・・・・。

 ・・・・・主題の前に
icon_zatsudan_small.gif
 近所のスーパーに買い物に行ったとき、菓子の棚に「サクマ式ドロップス」の缶があったので、買ってしまいました。半月ほど前に、「サクマ ドロップス」の缶を買ったんで、ついつい、手が出ました。

(1) 並べてみました。
左: サクマ式ドロップス=東京都豊島区 佐久間製菓株式会社
右: サクマドロップス=東京都目黒区 サクマ製菓株式會社
 ・・・・缶の大きさも違う。
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(2) 缶を裏返して写す。
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 サクマドロップスとサクマ式ドロップスの、故事来歴、周辺情報は、ネットで検索を掛ければ山ほど出て来るので、ここでは、省略。

 それだけのお話なんですが・・・・・私は、結構こういうお話が大好きでして。

pen-para.gif ・・・・・で、本題。

 京浜急行デト31と32 1960年 

 1960年の3月、当時の愛機、オリンパスペン(F3.5付きの安いほう)を持って、川崎まで、今でも好きな電車のトップ3に入る、デハ230を写しに行ったのです。

(3) デハ230形デハ264・・・・これは、この時の撮影ではなく、1959年・昭和34年の1月でしたが・・・・。場所は、川崎
khk5901-264.jpg

 時間は、1960年の3月に戻って・・・・・・ 

(4) 京浜川崎駅の方から、こんな列車がやって来ました。慌ててシャッター釦を押す。
 これは、連写だ~っ!!
 先頭はデト32です。色は、たしか、グレーみたいだった気がする。
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(5) 向こうに写っているのが、当時、地平だった京浜川崎駅
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(6) 無蓋車を二両挟んで、バラスト満載。手前の踏切警報機の天辺の鐘が良い形。いまでは、なかなか見られなくなりました。鳴り終わりに、す~っと音が小さくなって行くのが面白かった。
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(7) バラスト列車は大師方面に去ってゆきました。京浜急行の伝統を押さえて、ちゃんとアンチクライマが付き、そしてウエスティングハウスの電気栓付きの密連カッコいい!
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coffee.gif ・・・・と、言うところで、又、次回にお目にかかりましょう!!!!


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コメント 13

no

こんにちは。
デハ230は、いまの復活塗装だった時期があったと考えればよろしいのでしょうか?
(と、いま「む~さんの鉄道風景」のページを拝見して確認しました)
川口の保存車を写してフォトショップで色を重ねてみようかしら。

京急がアンチクライマーを捨てたのも仕方ないのでしょうけれど、これ以上ポリシーを変更して欲しくないのですけどねえ。
といっても、ステンレスデコラフィルム貼付車も導入済ですから、無理ですかね。無理でしょうねえ…。
by no (2008-12-22 11:51) 

TH

デト30と湘南電鐵以来のデト20は私が小学校5、6年生の頃までいましたかね。現在の1000形の部品流用のデト、デチ、クトに置換えられたわけですが、デト20が救援車として神奈川新町の車庫に待機していたのを車窓越しに見ていたのを思い出します。

むーさん様がこの写真を撮られた頃は日中の貨物電車の走行も結構あったのでしょうね。ダイヤも余裕があったと思いますし。
でも、いつ走るかは現在と同じで外部の人にはわからなかったでしょうね。

残念ながらデト30の走行シーンを見た記憶は無いのですが、現在のデトは時折、見かけます。
月曜、木曜に神奈川新町-金沢文庫-久里浜工場間を1往復しています。午前10時過ぎに新町を出発して午後3時半過ぎくらいに新町に帰ってきます。
新町-文庫間は旅客列車の待避をしないでノンストップで走りす。(文庫-久里浜工場間は未確認ですが)

蛇足ですが、各駅停車じゃないのでちゃんと急行灯が点灯しますよ。
by TH (2008-12-22 15:52) 

じろっち

さいきんではあまり見なくなった作業車両ですね。

今はもう無い大船工場にも、こうゆう車両がありましたよ。

廃籍された電車の上部を「ぶった切って」作るレール輸送車なんてのも作るようですね。
by じろっち (2008-12-22 21:37) 

む〜さん

■ no様: 昭和27年、私が高校生になり気付いたときには既に、オレンジの赤と黄色の塗分け塗装でした。それが刷り込まれ、京浜急行といえば、このツートンカラーになっています。
御覧頂いたデハ230のページは・・・・・
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link104-khk230.html
・・・・・・ですね。
 川口の保存車は2006年だったかに見に行きました。9600形蒸気機関車もありました。川口の電車に色を付けたら、ブログで見せて欲しいです。
■ TH様: 現代のデト列車、見てみたいです。工場相互間の配給電車みたいなものなのでしょうか?
 昔、生麦に小さな車庫みたいなのがあって、デワのような電動貨車が、寝ていたのを思い出します。あれは、何だったのか判りませんが・・・・。
■ じろっち様: 国鉄の配給電車には、かなり古い電車を流用したのがありました。木造車もあって、時たま、駅を通過してゆくのに遭遇しましたっけ・・・・・。モルとか、クルって形式記号をつけておりましたね。
by む〜さん (2008-12-22 23:36) 

Cedar  

西テツ→京急とは心憎いつながりですね!
京急230は私が子供の頃初めて好きになった電車の一つです。
正月の品川⇔川崎大師直通急行にダルマの方向板つきで突っ走る姿が印象に残っています。中間にクハ140をはさんだ4連で最高速度100km超!運転台の反対側の車端まで伸びたシートに座ったり、クハ140のブリルMCBのふわふわした乗り心地も大好きでした。
230といい、写真のデトといい、昔の京急にはデザインにポリシーがあり、旧1000型くらいまではそのポリシーが脈々と生きてましたね。今は一寸??、2100は大好きですが・・・
by Cedar   (2008-12-23 00:04) 

TH

現在のデトはむーさん様の仰るとおり配給電車としての運行ですね。
バラスト散布はマルタイなどの作業車を使っていますから
(作業車も見たことがありますがスピードが遅いので踏切が鳴り始めてから通過するまでエライ時間がかかりました)

私が見たり、写真に撮ったりするときにはデトの荷台には何も積載されていないんですがクーラーのキセや台車なども運搬するようです。
デチはレール運搬などの長物車、クトは救援車で現在京急唯一のTcです。デト以外はまず日中の走行は見られないでしょうね。

因みにむーさん様が撮影された時のデト30はパンタグラフが浦賀側ですね。晩年はパンタグラフが品川側だったのですが、後年更新した際に変更されたんでしょうね。

生麦の車庫は私の父が子供の頃ありました。戦後はクハや貨車の修繕を専門に行っていたようです。
当時、生まれてもいなかった私が恐縮ですがむーさん様がご覧になったのは工場入場車か、入換用ではないでしょうか。
by TH (2008-12-23 01:32) 

manamana

予期しないでこういう電車がやってくると、
あわてて写真を撮りそこないそうですが、
うまく撮れてよかったですね。
いかにも私鉄の電動貨物という無骨な感じがいいですね。
by manamana (2008-12-23 09:43) 

SCENARIO BOY

僕も当時オリンパスペンを持っていました
当時としては革新的なカメラでハーフサイズの撮影、メモ代わりに撮りましたが、なぜか鉄道に目を向けていない

鉄道ファンを自認しながら今となっては国鉄モハ63、モハ80、キハ20東急3000などの僕の好きな車両も消えてしまっています。

デハ230この頃の主力電車でした。たしか会社の同期の友達F君が真っ先に美人秘書と結婚したからというのでやけを起こしてデハ230で三浦半島城ヶ崎海岸に行ったことがありました(笑)
京急は昔から俊足でしたね。
冷房装置がまだなく大きな窓を開けて思い切り初夏の海風を入れたことを覚えています。

京急のこの風変わりの電動貨物車デハ230、以前神奈川新町車庫で見たことがありました。、
by SCENARIO BOY (2008-12-23 10:01) 

デトニ2300

 230系は懐かしいですね。以前も申しましたが上京した頃はもうほとんどが赤に白帯になっていましたが、まだ数両はツートンが残っていました。当時は特急は600系か1000系、急行は400系か500系(車体更新前)で、230系は2連か3連の普通に使われていたと思います。大師線はなぜか縁がなく毎日通勤で本線を利用しているのに唯一未だに乗っていません。当時最新鋭だった旧1000系が急速に姿を消していく今日この頃私の通勤人生もあとわずかです。
by デトニ2300 (2008-12-23 11:58) 

モハメイドペーパー楠居

 デトは京王電鉄にもそっくりさんがいました。昭和50年頃でもこの写真と同じように、中間に2軸の無蓋車2両を挟んだ4連で、バラストを運んでいました。

 さすがに日中はスジの余裕がなく、深夜に走っていましたね。

by モハメイドペーパー楠居 (2008-12-23 12:16) 

む〜さん

■ Cedar様: デハ230は最高っ!って感じですが、クハ140も悪くない。昭和30年ごろは、本線でデハ230に挟まっていたり、蒲田や川崎で支線運用で先頭切っておりました。とある雑誌で27MCBの乗り心地は最高だと書いてあり、「ふ~ん、こういうのが良いんだ」と納得しながら乗りました。こう書いていると、そんな少年時代を思い出します。
■ TH様: 生麦の廃車体は車庫の山側で、如何したって動かないような姿で、寝て居りました。おそらく、歴史的京浜電車なのだろうなあと思いつつ、未確認のまま無くなってしまいました。
■ manamana様: そうなんですよ!私鉄国鉄を問わず、荷物電車、貨物電車、事業用電車には、新造・改造・・・・じつに面白い電車が居ました。私が、模型を作っていた時代、所謂『ゲテモノ』が好きでしたから、そんなのに遭遇すると、滅茶苦茶嬉しかったものです。・・・・勿論、今でもそうです。
■ SCENARIO Boy様: 昭和30年代は、通勤電車のエアコンなんて考えもしませんでしたから、『窓を全開して緑の風を入れ』ておりましたね。窓枠サイズ一杯に開いた窓!(下手すりゃあ落っこちますが)、爽快でした。それで、みんな納得しておりました。現代は、皆さん、贅沢になったものです。『これで、良いのか?!』と思いつつ『余程の社会的変化がなければ、もう、戻れないなあ!』とも思います。いまが、チャンスかもしれません。
■ デトニ2300様: ツートンカラーのデハ230をご存知なんですね。まだ、ウエスティングハウスの密連をつけていた頃だったでしょう?あの連結器は、実に良い!この連結器、都営浅草線、京成との相互乗り入れに際し、連結器を共通の密連(何式か判りませんが)とし、地上高をあわせたときに、消えてしまいました。惜しい事でした。下記にWH密連の写真を置いてあります。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link104-02-khk294.html
大師線には是非一度お出掛け下さい。産業道路駅だったか、東門前駅だったかの構内踏切から、地上の良いアングルで安全に写真が撮れます。
■ モハメイドペーパー楠居様: 京王のデトは、デト2910かしら・・・・雰囲気は似て居りますね。機芸社刊『私鉄電車プロファイル』に、京浜急行に、ほぼ同形の・・・という記事があります。
 私鉄各社のデトのなかで、私の選ぶベストワンは、東急のデト3010形です。単車で櫓に乗ったパンタ、じつに可愛い。第二位は、阪神の112、113ですね。各社各様、みな個性的で素敵です。
by む〜さん (2008-12-23 16:19) 

mymeな大家

こんにちは。
どこの鉄道会社を問わずに、最近、配給電車は走っているのでしょうか。昼間は会社に勤めていますから、子供学生時代に比べて見るチャンスも減っているとは思いますが・・・。
電気密連格好いいですね~。理論上、230とも連結走行できるわけで・・・急行とかでぶっ飛ばしていたらさぞ迫力があったことでしょう。
踏み切りの警報機も、とても懐かしいです。いつの間にか電子音化されていて遮断機があがった後の音が小さくなっていくのも思い出しました。警報機の上に写っている物干し台もこれまた懐かしいです。子供の頃はよく見たものです。
それにしても、230の顔の美しいこと。惚れ惚れしますねぇ。
では、失礼します。

by mymeな大家 (2008-12-23 21:48) 

む〜さん

■ mymeな大家様: 配給電車は工場が点在するところでしょうから、該当の各社では運行がある筈です。ただ、最近の交通事情だと、営業時間外なのでしょう。道路運送も考えられますね。
 昭和20年代前半の池上線なんか、他線との連絡が無く、電車車体の陸送もやってました。小学生の私には一大イベントで、住宅地の旧カーブなど、トラクタードライバーの名人芸に見とれておりました。・・・・脱線しました。話を戻します。
 ウエスティングハウスの密連は実にカッコよく大好きでした。お好みは、東の京浜急行WH形、西の阪神電車のバンドン形でした。近鉄との相互運行で、バンドン形も消えますね。
 物干し台には気が付きませんでした。中学時代、ある友人宅に遊びに行くと、二階に物干し台があり、羨ましかったなあ。高知の親戚宅にもあって、エアコンの無い頃でしたから、夏の夜なんか登って涼んでおりました。物干し台の夕涼み、昭和前半の風物詩ですね。
 デハ230・・・・良いでしょう?!良いんです!!実に美しい電車です。原型復原保存している京浜急行さんに、感謝しています。
by む〜さん (2008-12-24 09:05) 

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