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名鉄に乗った:1954年8月 [中京・中部地方の鉄道風景]

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pencil-red.gif 中三日空いてしまいました・・・・・。本日は、お古いところで1954年・昭和29年の夏8月のお話をしましょう。

 兵庫県西宮市の会社に勤務していた兄の住まいに、寝泊りさせてもらって、京阪神電車探訪の日々を10日ほど。それも終わって、東京に帰らねばなりません。たしか、8月20日は過ぎていたと思われます。
 兄が、夏休みで、東京の家に帰るというので、一緒に、東京に戻って来ました。上本町から近鉄特急で、中川乗換で名古屋、そして、名鉄の特急で豊橋。そして、東海道本線に乗って、東京に戻って来ました。

 今回は、その名鉄新名古屋駅から、豊橋駅までの、写真を少々・・・・・。スケッチみたいな、三枚の写真を水増ししました。

 名鉄に乗った:1954年8月 

(1) 名鉄の新名古屋から豊橋行きの特急に乗りました。左上にお召し列車のウインドウヘッダーが写ってますので、たぶんモ3850のファミリーだったと思います。
 どの辺りだったか、まるっきり判りませんが豊橋方面から現れた流線型の電車。私は、名鉄には詳しくないので、モ3400なんだか、パンタはあってもク2400なんだかよく判らない。窓からカメラを突き出して撮影したんですが、少々、早すぎました。
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(2) 拡大してみましたら、特急運用です。ぶれていて行き先板の文字が読めませんが、岐阜ではないような気もします。
5408meitetsu001-02.jpg

(3) 各停の電車を抜きます。この写真、なんだか一寸変。この各停の豊橋行きク2810、豊橋行きの電車から撮って居るのに、影の具合からみると、名古屋向きのホームみたいに見えます。この駅と豊橋間を走るローカル運用なのかもしれません。向こう側に貨物ホームが見えます。どこの駅なんでしょう?
 この疑問、解いていただけたら嬉しいです
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(4) これは、兄が撮りました。右下の白いのは私の腕です。何を撮ったのか判りませんが、松並木なのでしょうか・・・・実は右端に、坊主頭でデブの私の顔が写っていますので、私を撮ったのかもしれません。これまた、どの辺りか判りません。
5408meitetsu003.jpg

(5) 豊橋も近くなり、飯田線の電車とすれ違います。上下線が離れて居るので現在の豊川放水路の辺りのようですが、昭和29年当時、豊川放水路が有ったかどうかわかりません。ま、それは、置いておいて、モハ32・・・・クモハ14+クハ47、こんな編成の横須賀線を見てみたかった私です。モハの三列のガーランド形ベンチレータが綺麗です。
 飯田線電車の背後に広がる広大な田圃、リズムミシンの看板、こんな何でもない風景でも感じてしまう私です。
5408meitetsu004-01.jpg

(6) 原版を拡大してみるとナンバーはクモハ14043(1かも・・・)と読めそうですが、行き先は二文字だと言うくらいしか、判りません。
5408meitetsu004-02.jpg

pen-para.gif 名鉄特急は豊橋に着き、その先の写真は有りませんので、東海道本線、何に乗ったのか判りませんが、急行列車に乗ったのは間違い有りません。

まあ、無事に東京の自宅に戻れたのでしょうが・・・・・coffee.gif

 


タグ:名鉄 飯田線
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デトニ2300

 飯田線の32系ガラベンが好いですね。しかも47系との2連など、しびれます。17m電動車と20m制御車の組み合わせなど、少し寸足らずですが、小田急2400系を思い出します。惜しむらくは扉がプレスに変更されてしまっていることでしょうか。残念ながら、スカ線時代の32系は知りません。身延線のペチャンコ屋根も最初見たときは「なんじゃこれは」と思ったものでした。
 改造前の芋虫も素敵です。改造後の正面連続窓はどうにもいただけません。
by デトニ2300 (2009-01-30 08:12) 

ナツパパ

1954年8月には、こういう電車が走っていたのですね。
70年代以降にも眼にしている電車ですが、どれもきれいで
活き活きしているように感じられます。
わたし、1954年8月の生まれなんです。
それで、とても興味深く拝見しました。
by ナツパパ (2009-01-30 10:31) 

じろっち

さいきんは鉄道沿線の農地も減ってしまいましたね。
その中にぽつんと立つ看板も少なくなりました。
大船~藤沢にあった田んぼは武田になりましたが、その建物も解体中です。

そうそう、同じ区間で闇の中を西下する、はやぶさ・富士を見ました。
はやぶさ・富士もなくなりますねえ。
はやぶさという名は、山陽九州新幹線各駅タイプで復活させるのも良いかと思います。
富士は、やっぱり富士山可視エリアの特急が良いかな。
東京~富士宮直行特急なんて、どうでしょう?
by じろっち (2009-01-30 22:47) 

たらこっち

まだ、急行伊那が走っていたころ、よく飯田線に乗って豊橋から伊那大島まで用事があって行きました。


もう30年ぐらい前の話なんですねえ。
まだ貨物列車も走っていましたし。
by たらこっち (2009-01-30 23:43) 

cedar

1954年というと私が2歳の時ですね。
小3の時に名古屋の親戚の家に行ったとき初めて名鉄に乗りました。ピンクとマルーンの特急色が綺麗だったのと、クロスシート車の多さにビックリしました。
お写真でもそうですが37kg軌条が殆どで、そのわりにスピードは関東の電車より速かった。3400の原型・旧色は記憶にありますが残念ながら乗ったことはありません。
(3)の場所ですが東岡崎ではないでしょうか?当初伊那駅か国府駅と思いましたが、(4)の松並木の前駒だとすると違います(ちなみに旧東海道の松並木と名鉄が接するのは御油・赤坂あたりで、伊那駅の手前になります)。そうすると豊橋方面への区間運転があるのは東岡崎かと推理したわけです。
人様のお写真で勝手に遊んでしまって誠に申し訳ありません。
60年~70年大の名鉄が大好きなもので、名鉄ネタだとついつい・・・
by cedar (2009-01-31 14:12) 

む〜さん

■ デトニ2300様: 実は私はモハ32の横須賀線時代を知らないのです。電車汽車が好きといっても、近所の東急とか、国鉄貨物線の品鶴線で育ったわけで、外の世界を知るようになったのは、昭和も27年、電車通学になってからでした。そんな訳で、スカ線は、モハ70と、モハ43のファミリーの世界でした。(17mのサロもいましたが・・・・)
そんなわけで、飯田線でのモハ32、前年、改番されてモハ14でしたがに出会えて嬉しかったのです。
プレスドアもよくよく見ると、三枚硝子で、戦後の立ち直りの時期だったんですね。
■ ナツパパ様: 1970年代になると、鉄道は輝きを失い、通勤輸送と、閑散なローカルの狭間、しかも貨物列車の衰退もありするわけで、この1950年代は、発展・発展・技術革新で、光り輝いていた時代でした。電車といえば吊り掛け駆動が主流で、カルダンはこれからという時期でした。
この名鉄3400、国鉄モハ14も、最後の輝きの時代だったわけですね。
■ じろっち様: 沿線の横長の大きな広告看板は、幼い私にも印象が大きかったのでしょう、小学校時代。汽車の絵を描くと、たいてい広告看板が一緒に描かれていました。『トウランプ』『マツダランプ』『頭痛にノーシン』『酒は源氏・力正宗』『45ウイスキー』など、いまだに覚えています。
九州特急も愈々最終のランが近づきました。九州といえば、座席急行が普通の時代に、あの『特急あさかぜ』が走るホテルと銘打って登場したとき、もう驚異の目で見たものです。幅55センチの三段ベッドでも、凄かったのです。九州は飛行機の縄張りになり、ついに、役目を終えるわけで、本当にご苦労様でありました。
■ たらこっち様: 飯田線は、いまだに憧れの線区なのです。じつは、一回も乗ったことがありません。元気で一人旅の出来るうちに、乗りに行かねばと思ってはいるのですが・・・・。71歳には、全線、各停で通すのは少々、きついですが、上から下がってきて、豊橋で一泊して疲れを癒し、豊橋鉄道の市内線に乗ってから、新幹線で帰ってくるなんてのを、夢見ています。
■ Cedar様: あのツートンカラーの特急色は素晴らしかったですね。パノラマカーのスカーレットも良かった。でも、濃緑色の似合った釣り掛車まで、赤くしちゃったのは、ファン的には行き過ぎだなあと思いました。
名鉄本線のレールは、37kgだったんですか・・・・知りませんでした。てっきり、50kgだと思っておりました。大阪へ行くときは、必ずと云って良いくらい、豊橋~新名古屋は、名鉄特急に乗ったものです。
(3)は東岡崎なんですね。成る程!駒の順序は撮影順になっています。(4)は旧・東海道なんでしょうか?それらしき雰囲気ですが・・・・・。
いろいろと、撮影場所の同定につき、アドバイス感謝です。一枚の古写真から、イメージを膨らませてゆくってのは大好きでして・・・・。
by む〜さん (2009-01-31 17:39) 

じろっち

九州夜行の消滅は、時代の流れだけでなく、国鉄・JRにも責任があると思います。

なぜ、24系25型以降、魅力的な寝台車をデビューさせなかったのか、と思います。

今の時代、客車の新車は出ないと思うので、サンライズ系でのハイグレード車登場を期待しています。

東京発ではなく、大宮や千葉を始発駅にするのも良いかもしれません。
by じろっち (2009-01-31 20:53) 

む〜さん

■ じろっち様: 夜行列車が消えたのは、日本人の旅の考え方が、移動を楽しむよりは、目的地を楽しむ形に変わったこともありそうだなあと思うのです。そのために、移動時間を極力短くしたい。休暇が取れない社会構造も関係しそうです。また、面倒なこともしたくない。当然、飛行機・バスが用いられるようになる。そんな風に思うのです。
汽車・電車の車内で思うのですが、車窓風景を楽しむ方が少ないようです。寝るか、週刊誌を読むか、仲間とお喋り・・・・。まあ、仕方ないのですが。
列車での旅は、貸切タイプに移行し、何だか詰まらないものになりそうです。
by む〜さん (2009-01-31 23:37) 

ちびぶる

懐かしい場面を拝見して喜んでいます
1の写真は、直線区間と周りの田園風景から、今村(現在 新安城)宇頭の間の宇頭観音の手前付近ではないかと思います。
4番は、松並木(旧東海道)が名鉄本線にこれだけ近い場所は本宿近辺だと思います。
私の思い込みかもしれませんが参考までに。
今後も懐かしい写真など拝見させて下さい。
by ちびぶる (2009-02-02 12:40) 

む〜さん

■ ちびぶる様: 名鉄の撮影場所について、有難う御座居ました。
 (1)の、『今村』と言いますと西尾線の分岐点辺りという事なんですね。
 そして、(4)の細い道は東海道なんですね。向こうの方に広い平らなところが見えています。これが、工事中の道路予定地と仮定しますと、『本宿』より、ひと駅、『名電山中』辺りかもしれませんね。撮影後50余年、松並木もどんなになっているのでしょうね。向こうの道路もあわせて、何が何だか判らなくなっているかもしれません。
by む〜さん (2009-02-02 21:51) 

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