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16日から一寸お休み &遠州鉄道 [中京・中部地方の鉄道風景]

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 今日と明日、更新いたしましたら、パソコン入院の為、2月16日月曜日から暫くの間・・・・一週間~二週間くらいでしょうか・・・・このブログ「お出かけ通信:blog版」は、更新をお休み致します
 明日明日で一日伸ばしにしてきたパソコンの不具合修理、なにしろハードウエア、ソフトウエアともに不調で、騙し騙しの日々でした。何時かは修理せねばならない訳で、思い切って入院させることになりました。

 入院後、数日で退院らしいのですが、帰ってきたPCちゃん、再インストールで生まれたての赤ちゃん状態。色々と教え込んだり、育てたり、厄介なことがあるわけで、それが一番時間を食いますね。出来るだけ早く、ネット界に戻れるように頑張りたいと思っています。

 そんな訳で、頑張れば意外と早く復旧できるかもしれません。RSSでチェックして居て下さると復活が判り易いと思われますが・・・・・。


pen-para.gif さて、今日のお題は・・・・・遠州鉄道。 

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 遠州鉄道・1954年&56年 

 何時も見ているのだけれど、乗ったことが無いって鉄道ありますよね?私は沢山有るのです。特に、東海道は学生時代には、かなりの回数利用しておりました・・・・が乗ってないってのは沢山ありました。もちろん今でも!!
 その中に、遠州鉄道があります。軌間762mmの奥山線は乗ったけれど、西鹿島へ行く、軌間1,067mmの路線、あれは何線っていうのか判りませんが、乗ったことがありません。
 東海道本線の列車で浜松に掛かる手前、馬込川という川を渡った辺りの右側に、私鉄の駅がありました。どうやら、浜松から来た電車はスイッチバックして、右に曲がって、赤レンガの建物の間に消えて行くらしい。
 それが、遠州鉄道の馬込駅でした。
 

(1) 1954年・昭和29年の8月、高校生のむ~さんは、兵庫県西宮の兄を訪ねて急行列車その窓から写した一枚。
 広い構内に、留置された単車。駅には屋根も有りません。左の写ってないところに屋根があった可能性はあるけれども。
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(2) (1)の左の車輌を拡大。1XXなる小型のちょっと味のある付随車が二両に、これまた優雅な小型の電動車・・・・ナンバーはと見える。スイッチバックするとき、推進してゆくのだろうか・・・・?ひと駅だし・・・・。はたまた、前後の付け替えがあるのでしょうか。
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(3) (1)の右側の電車たち。やっぱり同じトレーラーに、(2)とは違うタイプの電動車
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 ・・・・ま、のんびりした時代だったんですね。

(4) そして、これは大学に入って最初の年、1956年・昭和31年の夏、四国へ行ったんですが、その帰り道。浜松を出た東京行急行列車左側の眺めです。模型をやってたし、ゲテモノ趣味があったので、これを見て『おおおおおお!!』と思ったのでしょう。カメラを向けています。遠州鉄道モワ201
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(5) 早速(4)を拡大。まるで、模型。床下も機器一杯。台車を見るといかにも手作り風。いいねえ!
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(6) 床下部分を見やすくしてみました。普通の貨車なんかに使ってる方式で車輪を支持し、手ブレーキのプーリーとか、エアタンク風のものも見える
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coffee.gif では、今日のところはこれまでと致します。明日の更新で、暫くお休みということになります。

では、また明日・・・・!!!!。


タグ:遠州鉄道
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コメント 7

mymeな大家

こんにちは。
子供の頃、浜松の親戚の家に行くのに遠鉄に乗りました。生まれて初めてのスイッチ・バックで、大きな声で「電車が戻っちゃうよ~」と言って、どきどきしながら乗っていたことを思い出しました。「まごめ」という駅だったんですね。
モワ201、本当に模型ですね。かわいい。パンタグラフがやけに立派です。
子供の頃からのなぞが解けて嬉しいです。
では失礼します。


by mymeな大家 (2009-02-14 21:42) 

74式

近鉄沿線に住んでいる知人が浜松に引越した時、
「遠鉄の駅の近くに引っ越します」
と、いくら説明しても、生まれてこの方近鉄にしか乗ったことの無い隣近所のじいちゃんばあちゃんたちには
ふざけていると思われ、引っ越すこと自体を信用してもらえず、
餞別を貰えなかったと言うウソのような本当の話を思い出しました。実は私も当初は信用しませんでした…(笑)
省略しなけりゃ似ても似つかない鉄道会社名なのに…

末筆ですが、更新の再開を楽しみにしています!
by 74式 (2009-02-15 05:10) 

デトニ2300

 今でこそ近代化された車両の遠鉄もかつてはこんな時代があったのですね。とはいえ私が上京した頃は単車こそ見かけませんが、京王線も14m車が活躍していましたし、京急も230型が活躍していました。東武も3200系がまだまだ現役でしたから、大きさの差はあっても似たようなものでしたね。でもあの頃は各社ともそれぞれに個性があって、楽しい沿線見学でした。今は戦時急増の63系の時代に逆戻りでどこへ行ってもぺらぺらステンで安かろう悪かろうの暗黒の時代、鉄道ファンの楽しみがありません。いやな時代になりました。
by デトニ2300 (2009-02-15 09:20) 

のり

パソコンの早い退院と現場復帰をお祈りいたしております。

なんとも可愛い電動貨車です。こんなのが走っていたんですねぇ。塗装したところでしょうか、屋根とナンバーの白が矢鱈と美しいですね。
もう一度こんな時代に戻ってみたいものです。
by のり (2009-02-15 09:24) 

Cedar

電車に似合わない真新しいホームが目立ちますね。遠鉄浜松~遠州馬込間がおっしゃるように推進運転だったらめちゃくちゃ面白いですね。でも線路配置を見るとホームの両側に側線と渡り線があるので機廻し(電廻しか?)していたのではないでしょうか。ご苦労なことですねえ。
私が遠鉄に行った時には遠州馬込のスイッチバックは健在でしたが、ごく普通のMT編成ですから運転手と車掌が入れ替わるだけでさっさと発車しました。今は高架新線に付け替えられて、昔の面影は全くありません。
奥山線に乗ってらっしゃるとは羨ましい、高校時代の鉄研の先輩が<遠近のナローめぐり>というタイトルで両社のナロー線区の写真を文化祭で発表したのを思い出しました。
by Cedar (2009-02-15 09:56) 

manamana

おもわずかわいい!と声に出してしまいますね、モワ。
高架で駅前に乗り入れてから
スイッチバックは無くなりました。
いつのことだったか、静岡赴任時代が、
その前後だったと懐かしく思い出されます。
by manamana (2009-02-15 10:52) 

む〜さん

■ mymeな大家様: ご親戚が浜松にいらっしゃったのですね。スイッチバックをご体験になったとは・・・・・。
 私も浜松に親戚が居て昭和29年だったかに両親に連れられて遊びに行きました。そのときに、奥山線に初対面、そして乗って吃驚の軽便鉄道だったのです。そのとき以来、すっかりケイベンファンになってしまいました。(残念ですが、鉄道線=西鹿島線は未だ乗っていないのです)
■ 74式様: 『遠近』のお話・・・・大笑いなお話です。「遠江の遠鉄」ですが「近江の近鉄」もあると聞きますね。(笑)
■ デトニ2300様: 電車も段々、バスみたいな色だけ違う量産車の時代になってしまいました。しかも、情報は、雑誌書籍、ビデオ、ネットに溢れ、珍しいものを発見する喜びもなくなりました。
 京王の小型車は、特にデハ2150というダブルルーフの電車が好きでした。
■ のり様: このモワ201、普通の有蓋車に無理やりモーターをくっ付けたみたいな感じですが、ちっちゃくって可愛い。これで、充分好きなんですが、ポールか、Yゲル集電だったら、泣いちゃうくらい嬉しいですね。
■ Cedar様: 馬込から浜松までは1km近くあったようなので、まさか推進は無いでしょうね。
 遠近のナロー・・・・・三重交通=近鉄=三岐ですね。762mm、未だ健在。もう何年行ってないだろう。気が付いたら消えてた!なんて事にならないようにしたいものです。
■ manamana様: ホントに可愛い電動貨車ですね。当時、模型化したいと思っていたようです。模型と言えば、昭和35年以来、作る気持ちも消えてしまっています。ただ、ナローの模型は、8両、ちゃんととってあります。たまに眺めますが、若き日の作品を見ていると、気持ちが、あの日の戻りますね。
by む〜さん (2009-02-15 21:41) 

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