So-net無料ブログ作成

新鶴見操車場1954年 [昔写真国鉄]

icon_mukashibanashi.gif
pencil-red.gif お早う御座います。毎度のむ~さんで御座います。朝から冷たい雨、寒いなあ。暖房は電気とガスなので、検針日が怖い・・・・(笑)・・・・っては居られませんけど。

 今日は、昔の国鉄、昭和29年の新鶴見操車場の写真を少々。
 1954年・昭和29年の3月ですから、私は高校の一年生で、これから二年になる頃です。成績が上がらないのに、鉄道趣味の方は度数がアップして来た頃です。土曜日などは、学校から帰ると、当時のことですから、重たい自転車・・・・実用車って言ってましたが・・・・に乗って、カメラを斜めがけ、大田区の自宅から、東急の目蒲線・下丸子駅、キャノンの前を通り多摩川に架かるガス橋という、主役はガス管で、歩行者・自転車専用の通路がオマケでくっついてる橋を、おっかなびっくりで渡って、国鉄南武線・平間駅を通り、関東では有数の大操車場、新鶴見に通ったという訳です。
 貨物列車や貨車の列、ハンプに蒸気機関車が押し上げられ、坂を下る貨車はそれぞれの線路に分けられてゆく。そんな作業を飽きもせずに眺めておりました。そして、時々、シャッターを切る。

 そんな写真を少々・・・・・・・。

 新鶴見操車場1954年 

(1) ゆっくりと貨車の列をハンプに押し上げてゆくD50。東海道本線箱根越えで客車列車も牽引とか、優等列車の後補機で活躍した強力機関車9900形・D50の余生は、地味なものでしたが、たくましい姿は、素敵なものでした。私の好きな機関車でありました。奥のほうには、D51や、EF12らしい電気機関車も写っていますが、拡大しても良く分かりません。
01-5403shintsuru05-d50hump1-01.jpg

(2) 右手奥の、屋根がかけてあるあたりが頂上で、そこから切り離された貨車は、照明灯のタワーの立つあたりの仕分け線に配分されてゆきます。ご覧の様に、ハンプは複線で、頂上付近にもう一本を押し上げる機関車の煙が見えます。
02-5403shintsuru06-d50hump2-01.jpg

(3) (2)の部分拡大。ハンプの頂上あたりです。右下の貨車列は、当時はいくらでも見ることの出来た、三軸のトキ900のようです。
03-5403shintsuru06-d50hump2-02.jpg

(4) カーリターダーの空気の音を思い出す、仕分け線。タンク車は、たしか、アルミナ専用のタキ20000(数字に自信なし)。当時のTMS、スタイルブックに出ていたので覚えております。左はワム23000、右はワム50000だったかなあ・・・・。
04-5403shintsuru02-hump.jpg

(5) リベットがずらりと並ぶ二軸のタンク車、タ718は、ドームがちょっとセンターをずれており、古典的風貌の可愛らしい姿。車輪が、左はディスク車輪、右がスポーク車輪です。
05-5403shintsuru01-ta718.jpg

(6) 木造の冷蔵車、レ2900は、米軍御用達だったのでしょう『WHEN EMPTY RETURN TO HIGASHI-YOKOHAMA 』、『FREEZER CAR』の文字が並ぶ。天井に氷室があり、記号には『レテ』と記されていました。これも、『時代』です。
06-5403shintsuru10-hump.jpg

coffee.gif こんなあたりで、今日はおしまいです。ご退屈様・・・・。


nice!(4)  コメント(22)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 4

コメント 22

服部光之 

時代を感じますね。
かって、鉄道輸送が主力の時期のハンプ突き放し作業。
私も、今はさいたま新都心となった大宮操駅で何時間も見入っていたものです。子供が出来てからもしばらくの間は大宮操駅もあったのですが、物流の変化から代わってゆきました。
北側からおしあげて、ハンプ台で南へ突き放していき、私達は南側の与野駅に近い跨線橋のうえから見ていました。まだ、SLの頃は機関車が下に来るとクルクルパーめがけて石を投げたり、煙に巻かれて喜んだりしました。
子供を連れて行く頃には、DLに代わってきてあまり面白くありませんでしたが、操車係りの飛び乗り、飛び降りはとてもかっこよく見えたものです。
とても懐かしい思い出をよみがえらせていただきました。ありがとうございます。
by 服部光之  (2009-02-27 14:58) 

なにわ

宅配便の仕分けとやっていることは同じなのですが、ものが貨車というだけに規模が違いますね。

物の本によると、日本の冷蔵車は生魚に氷を抱かせて輸送していたのですが、米軍接収冷蔵車は天井の氷槽に氷を入れてその性能を十分に使った稀有な例だそうです。



by なにわ (2009-02-27 15:44) 

hirorail2010

こんにちは
昭和29年ですか、昔日の感がありますね
僕が大学に入った年でした。
これは本当に鉄道の歴史としても意義ありますね。
この勾配のような坂がこのころはハンプ式と言って貨物をこの勾配を利用して仕分けしていたことを聞いたことがあります。
懐かしい光景ですがむ~さまと違って一度も行ったことがなかったです。
それだけにこの写真僕にとっては懐かしく貴重に感じました。

新鶴見操車場はよく総武・横須賀線、湘南新宿ラインで最近通りますが一部貨物用ELが置かれている以外線路は草ぼうぼうのままです。

by hirorail2010 (2009-02-27 15:55) 

む〜さん

■ 服部光之様: 大宮の操車場も大規模でしたね。東京周辺でハンプのある操車場は他は何処でしたっけ?上中里の京浜東北のホームの目前に、オモチャの様なハンプがあって撮ろう撮ろうと思っているうちに無くなってしまいました。
 制動の職員さんは、さっと貨車に飛び乗り、車側のブレーキを操作し、所定の位置に停めて、また歩いて戻ってゆくのです。大変なお仕事だなあと思いつつ眺めておりました。
■ なにわ様: 氷室が車端にあるものもあった気がします。一般的には、無氷室の『レナ(ナは小文字)』でしたね。思えば、下関からボギーの冷蔵車を連ねた魚列車が山陽~東海道を走り、東京の築地まで来ていた頃が、鉄道輸送の花の時代だったのかもしれません。
■ hirorail2010様: 新鶴見は、たまに横須賀線とか、湘南新宿で通りますが、まさに夢のあとですね。陸橋の上に、少年む~さんが居るような気がしたりします。
 嗚呼、55年か・・・・としんみりしてしまいました。
by む〜さん (2009-02-27 18:51) 

G20

日吉小学校に通っていたので、目の前が新鶴見操車場でした。こどもの国行き、臨時列車の件、東急のホームページに出てますよ。
by G20 (2009-02-27 20:10) 

ぽんた

(5)のタンクが渋くてかっこいいですね!
「シエル」・・・「エ」が大きいんですね~。
色は黒でしょうか。
私のブログで文中リンクさせていただきました。
2007年の「お出かけ通信#150」です。
事後報告になり申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。
by ぽんた (2009-02-27 21:48) 

じろっち

草ぼうぼうと言えば、旧大船工場も同様です。

でも、鎌倉市管理地は賃貸希望者を募集し始めたので、何かが建ちそうです。
大型プレハブ店舗かなあ。
by じろっち (2009-02-27 22:24) 

む〜さん

■ G20様: 早速、地図を開いてみました。日吉小学校、新鶴見間近ですね。操車場機能繁栄中にご在学だったのでしょうか・・・・。Googleの航空写真を見ると、ビルとか、建ち始め、半分ほど埋まっていました。建物で埋まってしまうのも、遠くは無さそうです。
 東急のホームページ、見ました。梶ヶ谷からノンストップで、こどもの国まで行くのですね。車中でイベントがあるようですね。
■ ぽんた様: いいタンク車でしょう?明治大正の匂いがしますね。実際の製造年は知りませんけれど、リベットだらけなのが、たまらない魅力ですね。
 リンク、有難う御座います。おいしいパンですよね。パンと黄な粉、求肥に黒蜜、じつに良くマッチします。製パン各社に、町の小さなパン屋さん、いろいろと、目先の変わったパンが出現するので目が離せません。そのなかで、アンパンみたいに、超ロングセラーになるものが出て着てほしいです。
■ じろっち様: 大船工場跡地も荒地状態ですか・・・・なんだか、夢のあと!って感じで寂しいですね。
by む〜さん (2009-02-27 22:44) 

Cedar

遅くなりましたがパソコン復活おめでとうございます。
新鶴見のハンプ、複線とはさすがに関東唯一の大規模操車場にふさわしい設備ですね。
コンテナ列車しか知らない今の若い人にはハンプ、突放、リターダーといっても判らないでしょう、僕の家の近くにも田端操車場の小規模なハンプ(坂埠って書くんでしたっけ?上手い当て字ですよね)
がありました。9600が押上げをやってるのを陸橋の上から飽きずに眺めていました。陸橋の下を機関車が通過するとき煙に巻かれるのを面白がっていました。


by Cedar (2009-02-28 00:39) 

む〜さん

■ Cedar様: 有難う御座います。やっとほぼ復旧しましたが、いろいろやっているうちに、だんだん不具合も出てきました。何だか頼りないエプソンちゃんですが、騙しだまし、これで付き合ってゆくつもりです。
 ハンプ=坂埠・・・・実にぴたりの当て字ですね。これと並ぶのは、昭和初期の広告でよく見かけた、カタログ=型録でしょうね。
 橋の上で煙に包まれるときの幸福感は今でも忘れません。同じ石炭の煙なのに、うちのお風呂の煙には無い匂いでした。子供心に、煙中に混じる水蒸気の所為だと仲間と話したりしました。
 当時の跨線橋は結構、欄干が低く、足元がスケスケの橋も多かったので、煙を十分に味わえたのです。
by む〜さん (2009-02-28 09:00) 

はーさん

D50は信越本線高崎ー横川間、軽井沢ー長野間などでは1962年ごろまで、D51に混じって、旅客、貨物列車両方の本務機として活躍していました。
給水暖め器が煙室の前にあり、D51の量産機に比べ、好ましい形をしておりました。
重連で貨物列車を牽く姿は素晴らしかったと思います。
by はーさん (2009-02-28 09:45) 

quatre-l

高崎在住キャトレールです。

昭和34年生まれなので、かろうじてD50が活躍しているのを見ていただろうと思います。とにかく、毎日、おじいちゃんに連れられて高崎機関区脇まで出かけておりましたから、、、。

初めて買ってもらったHOゲージの蒸気機関車はD50で、今でも棚に飾ってあります。
by quatre-l (2009-02-28 10:30) 

む〜さん

■ はーさん様: そうでした!信越本線はD50でしたね。
 昔の雑誌に9900竣工当時の写真があり、デフレクタの無い、バッファ螺旋連結器で、煙室つ前の下部に直方体の給水暖め器を載せた姿でした。あまりの美しさに、魅せられました。数字形式の終わりの頃、8620、9600、18900、そして9900は、私の好きな機関車です。
 あれは、昭和34年だったでしょうか・・・東映映画『裸の太陽』が公開され、確か期末試験直前だったのですが、封切り日に、見に行きました。青春映画で、鉄道映画、D50の軸重軽減タイプのD60が主役と言っていい映画でした。DVDが出ていないのが惜しいです。(ついでに、ディズニーの『機関車大追跡』もDVDがありません。何か、問題でもあるのでしょうか・・・・。)
■ quatre-l様: SNSでは、拝見しておりましたが、お久しぶりです。コメント有難う御座います。当方は、パソコンを修理に出したりしておりましたが、22日に、やっと回復しました。またも、調子悪くなってますけどね・・・・(苦笑)
 D50の頃の機関車は、実に美しく、棚に飾るにふさわしいと思いますが、何故か、『蒸気機関車は、あの形式』、『電気機関車は、あの形式』だけが、世間に『もてて』いる様で、まことに残念と思っています。
by む〜さん (2009-02-28 11:31) 

mymeな大家

こんにちは。
「カーリターダー」、懐かしい響きですね。私が初めて新鶴見操車場に近所のお兄さんに自転車で連れて行ってもらったとき、こんな鉄道天国があるんだと思いました。
凸凹編成の貨車たち、本当に懐かしいです。HOゲージで買ってもらった貨車にも同じ形式があり、とても嬉しいです。
ガス橋近辺、(今も実家がありますが)東京側は、北辰電機、日本酸素、日本精工と有数の会社がありましたね。今では廃業、合併、移転とすっかり住宅街(マンション街?)になってしまいました。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-02-28 15:23) 

む〜さん

■ mymeな大家様: あの頃の貨物列車は玉石混交、眺めていて実に楽しかったです。昭和の戦前戦後、大正、そしてたまには明治の貨車まで、混じっていたような気がいたします。明治は、無かったかな・・・・まあ、そのくらい色々あって面白かった。カーリターダの作動するエアーの音が響き、操車場が生き物の様でした。
 自転車で家から六郷用水に沿って、下丸子の光明寺の境内を抜け、下丸子の駅から商店街を抜け、工場の並ぶ通りに出ます。上に書いたように、ガス橋は、今みたいな立派な橋ではなく二本の太いガス管に挟まれた、自転車同士のすれ違いも危ないような、木貼りの橋、しかもところどころ、木が傷んでいてかわらが丸見え、慣れるまで、実におっかなかったのです。慣れちゃえば、へっちゃらでした。橋を渡り、右側に神社を見ながら平間の駅で、踏切を渡ると、跨線橋にいたる上り坂でした。矢鱈と詳しく思い出すものですね。
 下丸子の工場群は、いまやマンションですか・・・・浦島太郎だなあと思います。年代は下りますがキャノンの対岸の土手にレンズをチェックするのに使う、巨大な、テストパターンがあったのをご記憶でしょうか?
by む〜さん (2009-02-28 17:57) 

のり

その昔、小学校の遠足で、弁天町の交通科学博物館(当時は交通科学館と呼んでいました)に行った際に、貨物駅・操車場の役割を、映画で見せていただいたのを覚えています。ハンプから、行先別に仕分けられた貨車が、それぞれの線に振り分けられ、下り坂をゆっくり降りてゆき、リターダーによってブレーキをかけられて、連結されてゆく。「すごいなぁ」と感心して見とれておりました。いつのまにか、ハンプは姿を見かけなくなってしまいましたね。貨物のコンテナ化により、大規模な操車場の役目は終わったようです。むーさん様のお写真で、そんな懐かしい思い出がよみがえりました。
by のり (2009-03-01 00:46) 

mymeな大家

こんにちは。
よくご存知ですね。
光明寺はよく釣りに行きました。環八が出来る前で、お墓を移動して作ったので、何も起こらなければいいね。と皆で話をしました。むーさんが書かれたルートを私もまったく同じように辿れるのが嬉しいですね。中学2年になる春に下丸子から平間に引っ越したのですが、引っ越した先の近所の肉屋さんに昔のガス橋の写真が飾ってありました。確かに凄く狭かったようですね。
キャノンにそんなパターンがあったとは、知りませんでした。貴重な情報ありがとうございます。いとこが勤めていたので、聞いてみます。
では失礼します。
by mymeな大家 (2009-03-01 03:29) 

はーさん

D50の活躍している写真は幣HP
 「信越本線、松井田駅付近、D50、D51の奮闘」
http://6.fan-site.net/~haasan55/Matsuida.htm

載せております。
 軽井沢から上は長野区担当でD50は少なかったですが
 「信越本線 高崎ー横川間電化」
 http://6.fan-site.net/~haasan55/Yokokawadenka.htm
のページの巻末になぜか、田中駅で特急「白鳥」を退避する普通列車牽引のD50が入っています。
 よろしければ、ちょっと、ごらんください。
尚、信越本線も長野以北は直江津区担当が多く、D50はなかったようです。
九州の筑豊本線の貨物列車のD50だったと思います。D60に改造されりしたものがあり、SLの終焉近くまで生き残ったようです。
by はーさん (2009-03-01 12:07) 

manamana

貨物入れ替えを目撃した最後の方の世代だと思います。
大きな駅で電車を待っていると、
がっちゃん、がっちゃん、乱暴に連結する音とか、
発車するとき、がんがんがんと連結器の音がしたり、
貨物列車も2軸が中心でたまにボギーがまざり、
その通過音が面白かったり・・・
アッ、結構鉄音派だったんだな、自分は。
懐かしいです。
by manamana (2009-03-01 18:27) 

む〜さん

■ のり様: 関西では、吹田も広大な貨物操車場でしたね。あそこにもハンプがあったと思います。ハンプを下った貨車たちが、ゆっくりと仕分け線を移動してゆくさまを思いだします。
 貨物列車の運行様式の変化で、広大な操車場は不要になってしまったようですね。ファン的には寂しいですが・・・・。
■ mymeな大家様: 光明寺の池は子供時代、数回ですが、ザリガニ採りに行ったことがあります。下丸子駅前の田んぼ跡地でもザリガニを採りました。(あの、模型店のまん前です)
■ はーさん様: 信越本線のD50の写真が出ているページの紹介、有難う御座います。
 このホームページは、当ブログをご覧下さった方々に是非ともご覧頂きたいページで、貴重な写真満載です。
■ manamana様: 昭和30年代までは、貨物の鉄道輸送が普通で、各所で貨車が見られ、各所で入れ替えが見られました。
 蒸気機関車が、貨車を突放(トッポウ)し、係員が、サイドにぶら下がって、ブレーキ操作をするシーンは、日常でしたね。危険な作業ですが、こうした方々に日本の産業が支えられていたのですね。
by む〜さん (2009-03-01 21:14) 

風旅記

おはようございます。
貴重なお写真、楽しませて頂きました。
今の新鶴見の様子からは想像もつきませんね。貨物列車を捌く機能は今も変わっていないのでしょうが、拠点間を直行するコンテナばかりになり、貨車を1両ごとに仕分けする様子は見られなくなってしまいました。
今ではマンションなどが立ち並ぶ新川崎駅周辺ですが、蒸気機関車が働いていたことを知る人は少ないのではないでしょうか。私自身も、このような貨物設備は跡地を見るばかりで現役時代を知らないために、お写真で拝見するばかりの世界です。(一番印象に残っているのは、武蔵野操車場跡地でしょうか。武蔵野線の上下線が途方もなく離れる程の敷地でした)
今は品鶴線にもステンレスの綺麗な電車が主役になっています。
貨物が活躍した時代が遠のいた感じがしますね。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
by 風旅記 (2016-05-20 09:52) 

む〜さん

■■ 風旅記様:
 昭和30年代前半ころ新鶴見には蒸気機関車がいて入れ替え作業、ハンプの押上げなんかやっていました。何キロも離れた大田区の我が家でも、風向きによっては汽笛やドラフトの響きが聞こえてきたものです。夜に愛犬を連れて散歩に出て見晴らしのいい所へ行くと、操車場の照明塔の明かりで立ち上る煙も見えたのです。
 つたないブログやホームページをご覧くださってありがとうございました。
by む〜さん (2016-05-23 21:39) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0