SSブログ

静岡鉄道駿遠線新藤枝駅1962年 [軽便鉄道]

icon-keiben.gif
pen-para.gif 今日は、軽便鉄道のお話です。軽便鉄道といいますと、いろいろ定義もある訳ですが、ここでは、軽便鉄道法とか、堅い話は抜きにして、まあ、軌間が日本の標準軌間、国鉄の1,067mm未満の鉄道と言う事にしてしまいます。少々、強引ですが・・・・。

 1970年の夏、廃止となった、日本最長の軽便鉄道、静岡鉄道駿遠線(軌間=762mm/2’-6”)に1962年・昭和37年10月、訪問致しましたが、その時に、パノラマ写真にしようと撮っておいた4駒の35mmフルサイズのネガから、パノラマ画像にしました。この画像は、以前、このブログでご覧頂いたこともありますので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。あの時は、ユーリードのクール360というソフトでパノラマ化したのですが、今回はキャノンのディジタルカメラにオマケで付いて来た、フォトスティッチというソフトを使いました。

 PANORAMA 静岡鉄道駿遠線新藤枝駅1962年 ■

(1) このブログ、画像の横幅に制限があって、約500pixelが上限。何時もは、480×360pixel。今回、幅=480pixelにしたら、こんな小さな画像になっちゃった。これでは、パノラマ化した意味がありません
01-6210shiz-panorama-480.jpg

pen-pc.gif ・・・・・・で、私のホームページの方に、横幅1,024pixelの画像を置きましたので、下のアイコンをクリックしてご覧頂きたく存じます
icon_click_new_001.gif

 ・・・・・如何でしょうか?
 以下、例によって、部分拡大でご覧頂きます。

(2) 新藤枝駅のホームです。行き止まりの「くし形ホーム二本・三線」自社製の湘南顔の気動車が居ります。
02-6210shizu.jpg

(3) ズームアップしてみましょう。ホームには列車に積み込むのでしょう、荷物が積み上げられています。
03-6210shizu.jpg

(4) 左へパンしますと、ホームの屋根の下には、自転車が並んでいます。
04-6210shizu.jpg

(5) もっと左へパンします。木造の客車、ハ20が居ます。
05-6210shizu.jpg

(6) その左には、トラック。こボンネットの丸いマークは「いすゞ」だったでしょうか。この頃には、すでに駿遠線の貨物輸送は廃止されていて、この貨物上屋は、国鉄藤枝駅のものです。貨物が、積み上げられて、まだ、国鉄による輸送が盛んだった事を示しています。
07-6210shizu.jpg

(7) トラックの左側の貨物です。右側、これは、米俵でしょうか・・・・この頃は未だ、俵詰めでの出荷が行われていたのでしょうか。左側、紙袋は肥料かしら?それとも、セメントかしら?ホームの向こうに居るのは、国鉄のワラ1形かな?
06-6210shizu.jpg

(8) パノラマ写真の左端に、客車(ハ25)が居ます。貨物上屋の屋根の向こうには藤枝特産:茶の大看板
08-6210shizu.jpg

(9) 貨物をクロースアップ。う~ん、如何考えても、これはお米だろうと思うのですが・・・・・。60kg/15貫目だったかと思いますが。
09-6210shizu.jpg

(10) こんどは、中心から右へ振ってみます。瓦屋根、赤煉瓦の塀、白壁・石積みの倉庫・・・・いいなあ!
10-6210shizu.jpg

(11) 下の方を拡大すると、小さな水路が見えました。こんなのに、『むむむ・・・!』と思ったりする、む~さんでありました。
11-6210shizu.jpg
 

coffee.gif 4駒のネガから無理やり膨らませた、47年前の新藤枝駅です。1970年に廃止され、2000年に行ったときには、バスセンターになっていましたが、現在はどうなっているのでしょう。見に行きたい気も致します。


nice!(3)  コメント(20)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 3

コメント 20

野良猫次郎

藤枝あたりでも米俵があれほど積めるほど収穫があったのですね。

1962年では国道と街中しか舗装道路は無かった頃ですね(大都会は勿論違うでしょうが)。

懐かしいお写真ありがとうございます。
by 野良猫次郎 (2009-03-22 00:48) 

TH

新藤枝駅は軽便鉄道のターミナルとしては大規模な構内だったのだなと改めて思います。
と言っても私が生まれた時点で尾小屋鉄道も既に無く非電化軽便鉄道の現役時代は知らないのですが、
機廻し線を使って動力車を付け替える入換シーンなど実際に見てみたかったです。
もしも遠州鉄道奥山線のように一部区間が電化されていたら静岡線の電車を小型にしたような湘南顔の軽便電車も登場していたのかななどと想像して楽しんでいます。
by TH (2009-03-22 01:02) 

たらこっち

藤枝駅の貨物ホームを見ていたら、小さいころ、よく1番線ホームにとまっていたEF18のこと思い出しました。
懐かしいです。
貨物ホームもなくなって、もう何年たっただろう・・・。
by たらこっち (2009-03-22 07:25) 

のり

おはようございます。
軽便鉄道が、地元の生活に密着していたのが、とてもよくわかる写真ですね。素晴らしいです。
トラックのボンネットに突き刺さっている小旗、トタン屋根、山積みの貨物、そして小さな列車たち・・・
現在の社会よりも、この頃の方が活気がみなぎっていた感じがします。生活の鼓動が聞こえてきそうな風景です。
by のり (2009-03-22 09:29) 

大番鉄道

お久しぶりです
気動車や貨車は勿論ですが、あのトラックの写真に萌えました。意外にこの種の写真は出回っていませんね。
ボンネットの丸いマークは、白地に赤の角ゴシック斜体でISUZUと書かれてあり、2番目のSは縦長に円の端まで伸びていました。当時のトヨタや日産より格好良く大好きなエンブレムでした。
by 大番鉄道 (2009-03-22 09:44) 

ズルツァー・マン50

こんにちは。ご無沙汰致しました。
またまた素晴らしいお写真を拝見させていただき、ありがとうございます。
ナロー大好きな私ですが、大変残念ながら、タッチの差で駿遠線は間に合いませんでした。
私が訪れたのは昭和50年夏、EF18を撮影しに行った時。その時、藤枝駅前のバス乗り場に長い屋根があり、駿遠線ホームの上屋ではないかと推測しておりましたが、今回の拡大されたお写真で、そのことが確認できました♪ 本当にありがとうございました。
by ズルツァー・マン50 (2009-03-22 09:44) 

む〜さん

■ 野良猫次郎様: 大体、米俵という包装方式が無くなってしまいましたね。米の製造途中の廃材・・・・藁を包装で使ってしまうなんて、じつに有意義な処理法ですよね。そして、こんなに無防備に山積みしていても、大丈夫だった、市民のモラルが高かった時代を感じますね。
■ TH様: 新藤枝駅の構内は、写真でご覧のような古い形の家々に囲まれ、外界から隔絶された、当時でも、不思議なくらいな空間でした。このホームで、何にもせずに立っているだけ、ベンチに腰掛けているだけで、幸せを感じていました。当時の記憶は、まだ、部分的にですが残っています。
■ たらこっち様: EF18・・・・いましたね~!静岡近辺のローカル貨物の牽引をしておりましたね。私も何度か見ています。最後のデッキつき電気機関車EF58の姿のままでした。戦時設計、資源節約設計、なんて言われますが、あの細長いデッキ、そして車体は、わたし的にはすばらしいデザインだったなあと思うのです。
 貨物の輸送システムは、根本的に変わってしまいました。何事も、ゆっくりして、全国民が歩く速度で生活しておりましたね。現代は、国民の皆様は、駆け足・全力疾走で、ほんとに異きり事を楽しんでおられるかと思ったり致します。
■ のり様: このころには、藤枝~相良~御前崎~横須賀~袋井の道路もだいぶ良くなり、ケイベン駿遠線の貨物輸送も廃止されて3年経っておりました。小さな貨車を連ねた、混合列車が可愛いディーゼル機関車に引かれて走っており、それこそ、沿線住民の足であり、物資輸送手段だったのです。このころには、まだ、国鉄の貨物輸送も健在でした。
上のコメントに書いたのですが、全国民、ゆっくりと生活を楽しみながら、今後への発展に向かって、地道に努力していたような気がします。米国渡来の経営方式生産方式どっぷりの時代が始まっており、会社の営業会議、教育もその線で、皆、走れ走れ、効率効率と尻をたたかれ、幹部も、私も含めた社員も本気でそう思っておりました。それで良かったのかなあと、いま、改めて思います。
by む〜さん (2009-03-22 09:47) 

manamana

ローカル線まで湘南スタイル、
影響力の大きさにびっくりします。
by manamana (2009-03-22 10:17) 

ファジー

うずたかく山積みにされた米俵には、なぜか、じ~んとしてしまいました。
最近は見ないばかりか、米穀店もほとんど絶滅職種となってしまいましたので、日本の原風景を垣間見た気持ちがしました。

またハ20の微妙なダブルルーフは、なんともいえない風情がありますね。内部の天井もわずかながら段差がついているのでしょうか?
by ファジー (2009-03-22 11:47) 

じろっち

今年の6月に新横須賀駅の近所で法事があるので、袋井駅に寄ってみようかと思っています。
ウィキペディアで紹介されている袋井駅を見た限りでは、静鉄の遺構は無いですけどね。
by じろっち (2009-03-22 19:42) 

む〜さん

■ 大番鉄道様: 矢張り『いすゞ』のトラックでしたか・・・・キャブオーバーになってしまった現代のトラックも良いのですが、たまに見るボンネット形は味がありますよね!
■ ズルツアー・マン50様: 1970年8月の駿遠線廃線から、今年で39年・・・・嗚呼、39年か。私も32歳、バリバリのサラリーマンでありました。最後の冬、田んぼの中の単線を富士をバックに走る姿を、愛機ミノルタSR-1(X-700だったかもしれません)+ロッコールF4/100mmで写した日の事を鮮明に覚えております。
その日の画像は、ホームページにあります。下記URL。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link2341.html
■ manamana様: 湘南形のお顔は、まさに全国を席巻しましたね。当鉄道の湘南形は、キハD14に始まりキハD20まで7両に及びました。全部、袋井駅と大手駅にあった自社工場で製造されたのです。同鉄道の静岡、長沼にある工場でも、電車を製造し、自社で廃車になった後も、全国の鉄道会社に再就職しておりました。
湘南形のケイベン気動車は、仙北鉄道、遠州鉄道、井笠鉄道にも居りました。
■ ファジー様: 山積の米俵・・・・昔話に出て来そうですね。『信貴山縁起』なんて中学で習ったのを思い出します。
ハ20は駿遠線のルーツの一つ藤相鉄道の客車ですが、なんとなく雨漏りの二重屋根を防水シートで覆ったみたいに見えます。車内の写真は、いま、画像データを眺めてみたのですが見当たりませんでした。すいませんっ!
■ じろっち様: 袋井はすっかり変わってしまったようですが、昔、駅構内に立っていた、中遠鉄道の石碑が、駅付近のワコー商事さんの本社ビル前に移設されているようです。現在もあるかどうかは確認しておりませんが、お時間があれば、探してみては如何でしょうか・・・・・。
私のホームページに、駿遠線研究者のNさんの記述もありますので、ご参考まで。URLは・・・。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-18.html
by む〜さん (2009-03-22 21:47) 

’80XE PA96E

今日は一昨日泊まった米子から車で帰ってきました。
早朝米子駅前の喫茶店で、朝定食を食べた後に駅の方を見てみると、ステンレスカラーと朱色のキハ系の車両とEDかDD辺りの機関車が停まっておりました。残念ながらラッピング列車は見れませんでしたが。
ローカル線の駅の風景は長閑で落ち着きますね。
by ’80XE PA96E (2009-03-22 22:47) 

quatre-l

軽便の軽便らしい姿。
何度観てもホレボレしますね。

ところで、今日は長野市に行っておりました。
長野電鉄の付属中学前駅から長野駅まで乗り鉄したのです。
東京へ帰るスタッフと分けれて、一人で乗車。
こちらもいいところでした。
by quatre-l (2009-03-23 00:07) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: 米子から遠路の運転大変でしたでしょう?山陰本線、境線、伯備線、何れかの気動車なのでしょうね。ラッピング列車と言いますと、鬼太郎の気動車かしら・・・・。
■ quatre-l様: こんなのどかな風景、何十年もご無沙汰しています。たまには、地方の盲腸線の終点あたりまで、行ってみたいような気持ちになりますが、中々、実行に踏み切れないものです。
長電の電車も、元地下鉄、元東急のステンレス車になりましたね。長電オリジナルの特急車2000は健在でしょうか?
国道406の千曲川に架かる村山橋は、新しく平行に架橋し、上下線を分離したようですね。長電は、単線で道路と平行して渡っているのですが、二度も通ったのに一枚の写真もありません。
by む〜さん (2009-03-23 17:17) 

'80XE  PA96E

結構疲れましたね。高速が一部1000円になったので、四国方面からの帰阪車両で神戸付近は渋滞しました。しかも雨足が時折強かったりしてましたし。
本格的に高速1000円になったらもっと混雑するでしょうね。レジャーが活性化するのは悪い事ではありませんが、ドライバーは渋滞中も運転しないといけないですから大変です。
列車でノンビリ出掛ける方が面白いと思いますがね。
by '80XE PA96E (2009-03-23 20:16) 

Redwing

はじめまして。藤枝出身のRedwingと申します。
一年ほど前、駿遠線の資料を探していたときに、このHPへたどり着きました。

ワタシが生まれた頃には既に駿遠線は廃止されていましたが、興味深く写真&資料を拝見させて頂いております。
趣味が自転車&デジカメなので、去年のゴールデンウィークに帰省した際、旧大手駅~地頭方までをサイクリングしながら写真を撮ってきたりもしました。

ちなみに現在の藤枝駅は、数年前に駅舎が建て替えられて、バスセンターもふくめて、すっかりキレイに様変わりしました。
地元を離れて久しいですが、慣れ親しんだ風景が変わっていくのは、少し寂しい気もします。
by Redwing (2009-03-23 21:33) 

じろっち

東京駅って、品川と尾久に車庫が無かった時代は、今の八重洲口あたりを車庫にしていたんですねえ。

当時は改札も無かったそうです。

今の八重洲口の繁栄は、車庫で働く人を相手にした商売から始まったのかもしれませんね。

駿遠線も、沿線の実力者をうまく取り込む能力が有ったら、改軌されて、現存していたかもしれませんね。
by じろっち (2009-03-23 22:54) 

む〜さん

■ '80XE_PA96E様: 雨の高速道路の運転は大変ですよね。交通量が多いとなおさらです。昔、大雨のとき、東北道でハイドロプレーニングになって怖かったことがあります。それ以後は、運転慎重になり、いまに至っています。
 最近では、200km以上は、鉄道が良いなと思っています。
■ Redwing様: ホームページ、ご覧頂き有難う御座います。
 藤枝駅は私が始めて訪問した1958年から二度目の建て替えになるわけですね。たしか、橋上駅になり、南側も大発展ですね。2000年が最後の訪問ですから、いま、行ったら、まさに浦島太郎だろうと思うのです。
■ じろっち様: 私の幼い頃、都庁前の高架橋のあたりから、八重洲側に線路が降り、いまの駅ビルあたりは、客車ヤードでした。腕木が短く背が極度に低い腕木式の入換信号機が沢山ありました。そんなことを覚えています。外堀もあって、それを橋で渡ると、数寄屋橋へ続く電車通りでした。その向こうにはビルが並び、高島屋、丸善などの並ぶ銀座通りがあったのです。
 駿遠線は、駿遠線ファンとしては、認めたくないのですが、おそらく、鉄道残存は無かったのではないかと思っています。・・・・とは、言うものの、残念だなあと思っています。新藤枝駅構内、大手の工場、広く静かな地頭方駅、袋井の国鉄在来線にならぶ新旧対比の妙!忘れられませんね。
by む〜さん (2009-03-24 13:38) 

うたに

なんと、トラックまで湘南顔だ!(^ ^ )
米俵がいっぱいですね。
今では見る機会がありませんが、昔は父の実家に行くと、倉庫にあったなぁ。。
by うたに (2009-03-25 12:36) 

む〜さん

■ うたに様: 戦前からのボンネット形を引き継ぎ、さらにスマートさを加えたデザインですね。このころは、バスは、リアエンジン、アンダーフロア、キャブオーバー等、直方体ボディが主流になっておりましたが、トラックの方は、まだ、ボンネット形が多かったようです。小型トラックが、そろそろ、キャブオーバー主流になっていた気が致します。まだまだ長閑な時代で、肩を怒らせた感じが無くステキですね。
 米俵の山、いまは、バラ積みか、紙袋ですか・・・・。輸入の場合は、バラでしょうか・・・・。何れにせよ時代は変わりましたね。米俵、米倉・・・・昔話のエリアに入りかかっています。いや、入ってしまったようですね。
 米俵を近所の米屋さんでもらってきて庭で燃やし、灰を『火鉢』で使った想い出があります。
by む〜さん (2009-03-25 14:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。