可愛い電動貨車:東急デト3010形 [昔写真関東]
■■■ 可愛い電動貨車:東急デト3010形 ■■■
私は幼い頃から東京急行電鉄池上線を見ながら育ちました。踏み切りで電車を待ち、そして見る・・・・だけでなく、お友達と、雪ケ谷大塚駅の傍にある車庫で遊んだものです。戦災で焼けた電車の残骸があったり、ぶっ壊れ寸前の有蓋車(電動貨車だったろうか・・・・)が倉庫に使われて居たりしました。昭和20年代前半のことですから、おおらかなもので、車庫から追い出されると言う事もありませんでした。そこの片隅に、「電動無蓋車のデト」が居たのです。素っ頓狂な形で、ボクたちはみんな、このデトが好きだったのです。「デト電」なんて言ったりしました。
長じて、高校生となり、カメラを持ち歩くようになって、雪ケ谷の車庫へ行きますと、そのデトが未だ居ました。
(1) 1954年・昭和29年5月、車庫の端の側線にデト3014は体を休めていました。車体はかなり草臥れて居りました。左に見える貨物用と思しきホームは、私が小学生時代に遊んでいた頃と、あまり変わっていないように思えました。
(2) ちょっと、クロースアップしてみましょう。小さく可愛くまとめられたデザインで、車体中央にパンタグラフを載せた鉄製の櫓があります。これが、またキュートで・・・・・。
(3) 真横から見てみましょう。全長7mほど、自重8.75屯、電動機は48kwのが二個とWikipediaで読みました。製造所は何処だったのでしょうか・・・・・・。
(4) やぐらとサイドの東急の社章。この東急の社章は結構好きでした。現在の東急グループ統一フォーマットの社章・・・・CIって言うんでしょうか・・・・よりもずっとずっと好きです。
(5) 運転室を覗いてみましょう。コントローラが見えます。右はブレーキ弁でしょうか?手ブレーキのハンドル状のものは見えません。この写真を見る限り、空気ブレーキのエアタンクとか、コンプレッサとか、良く分からないので、本当のブレーキ方式は何だったのでしょうか。
約一年の月日は流れて、1955年・昭和30年4月、またも、雪ケ谷の車庫へやって来ました。
(6) デト3014が居ました。定期検査も終わって、木造の部分も新しい感じで、ペンキの黒も鮮やかだったことを覚えています。きっと、動くようになったんだよなあ!と思ったものです。
(7) 形式 デト3010、荷重 7.0頓、自重 8.75頓とあります。
私は、とうとデト3014出動の雄姿を見ることは出来ませんでした。
話はデト3010から少々外れます・・・・・・・。
(8) 1954年・昭和29年4月に、大井町線二子玉川園の側線に留置されていた、ト3066とト3065。こんな無蓋車が東急には30両近くが居たのだそうで、多摩川の砂利輸送に使われたのかもしれません。新丸子から多摩川沿いにかなり上流のほうまで貨物線があり、終端辺りでは、水の溜まった砂利穴の中に消えていたのを見た事を覚えています。
そんな無蓋車ですが、このデト3010に、2両ほど牽かせてみたいと思いました。きっと、素敵な工事列車になったことでしょう。
(9) 画像を加工していたら、端っこにこんなものが写っていましたので拡大しました。終戦後、進駐軍によって踏切に取り付けられた標識です。白い木製で、バッテンには黒字で「RAILROAD CROSSING」、下の横位置の板には、「2 TRACK」とか書いてありました。この先踏切ありの、黄色に黒字の標識も覚えています。
更に三年の月日が流れました・・・・・・。
(10) 1958年・昭和33年5月、某大学の学生になっていた私は、鉄道研究会の見学会で、東急の元住吉工場に行ったのです。あの、デト3014は、同僚のデト3015と組み合わされて、構内入換車として、活躍中でした。動いている姿を見たような気もしますが、見なかったかもしれない・・・・記憶はぼやけています。デト3010形は、元々600V車でしたが、2両で4モーターの1,500V仕様になっていました。
たしか、1970年・昭和45年に廃車になったと雑誌で読みましたが、1926年・昭和元年の製造との事ですから、44年の生涯でした。
オマケです・・・・・・。
(11) これは、(10)の見学会のときに目撃した、同じ頃、作られた電動有蓋貨車デワ3000形のデワ3001が、集電装置を外され、放置みたいな格好で、置いてありました。向こうに見えるのは、電気機関車デキ3020形3021。
東急の貨物電車の思い出話で御座いました。
今回は、こんな辺りで終わりと致しましょう。
では、また次回に・・・・。
こんばんは。
どれも現役で見た記憶ない貴重な写真をありがとうございます。
この手の車両は、関東近郊の鉄道会社ではほとんどあるような気がしますね。そもそも、線路があるところは昔はほとんど何も無かったようですし・・・。
しかし、真冬の運転席は寒そうですね。多摩川を渡るときなんかさぞかし…。
今回ご紹介頂いた車両たち、立派に3000系なんですね。
とりとめも無くすみません。
失礼致します。
by mymeな大家 (2009-07-30 22:42)
いまではこんな変わった車両にお目にかかれませんね。
自分は箱根登山鉄道でかろうじて電動貨車が撮れたかな。
by しおつ (2009-07-30 22:45)
これは素晴らしい写真です。
なんともすごい電車ですね。櫓上のパンタグラフがなんともいえません。
こういった事業用車は、各社とも所謂ゲテモノっぽいものが多いですね。大好きです。
by のり (2009-07-30 22:59)
今晩は。
当時の電車は手動式ワイパーもかなりあったはずですが、
この荷物電車たちにはそれすら見えませんね。
最下段写真、(11)の荷物電車3001の前面窓の斜めの棒はワイパーの壊れたものなのか別の用途があるのか? 妙です。
by 鈴木光太郎 (2009-07-30 23:01)
かわいらしい電車ですね。
3014なんか、パンタグラフのために、
荷台があるようなものですね。
3015はその点、荷台が広いですが、
運転席の上が重そう。
いや、ユニークで愛おしい電車達です。
by manamana (2009-07-31 06:56)
東急の電動貨車を昭和20年代から33年にわたり、フォローしたのはすごいですね。こんな車が東急に居たとは信じられませんが秋田中央交通
http://6.fan-site.net/~haasan55/Akitachuou.htm
に東横電鉄、目蒲電鉄から譲られた電動有蓋貨車が電気機関車代わりに使われていましたので、その仲間で東急に残ったものですね。
最後に2両で4個モータ直列で、1500V化はびっくりしました。2両永久連結とは言え、単車の1500V車というのは唯一つのものではないでしょうか?
貴重な記録ですね。
by はーさん (2009-07-31 10:18)
■■mymeな大家様:昔は道路輸送が出来ない地域も多かったし、自動車も少なかったので、もっぱら鉄道輸送。各社に電気機関車や、貨物施設、電動貨車が見られました。今は、考えられませんが、東横線に貨物列車が走っていましたから・・・・。京浜急行に国鉄の貨車が三線で走っていたりして居りました。
戦時体制で、私鉄の統合で『大東急』にまとめられたとき、『東横・目蒲・池上・大井町』の電車は全て3000番台にまとめられました。形式の差異は、百の桁、十の桁でした。
小田急が1000番台(井の頭含む)、京王が2000番台、京浜急行が三桁(頭ゼロ)でしたっけ・・・・・。
国鉄の客車も雑形でくくられたり、東急も3000系でくくられたり、古いファンには寂しい思いです。だって、東急のデハ3100と、デハ3800では、まるっきり違う電車ですものね。
■■しおつ様:箱根登山の電動貨車には遭遇でき、良かったですね。私は、走行シーンを見ていないのです。強羅の側線で寝ている風景しか知りません。
■■のり様:可愛いでしょ?鉄道線で二軸の電動貨車というところが凄いですね。ゲテモノと言えば、阪神の凸型の電動無蓋貨車がすごいですね。ゲテモノの帝王じゃあないでしょうか。
たしか阪堺にボギーの可愛い電動無蓋車が居ましたね。
■■鈴木光太郎様:気が付きませんでした。たしかにワイパーありませんね。雨天のときは如何したんでしょう?
デワ3001の一見ワイパーは、たまたま、車体の部材が壊れてたれ下がったのではないでしょうか。
■■manamana様:ホントに可愛いですよね!HOで模型化したかったので、巻尺で計った記憶もあるみたいです。しかし、当時の電動機の大きさとか、私の製作技術の貧弱なことなどで、実現しませんでした。牽引させる貨車にモーターを仕込む、所謂ユーレイはちょっと・・・だし。
元住吉の入換機は、もともと600Vの直接制御だったのを、二両くっつけたものです。1500V用改造で、間接制御になったようで、床上の箱の中には、制御用の機器、抵抗器、空気関係の機器がカバーの中にあるのでしょう。入換機ですから、私の憶測ですけれど、ひょっとして死重も積んでるのかなあ?
3015の運転室上のパンタグラフ・・・・もしかすると、デト時代のものに見えますが、如何でしょうね?
■■はーさん様:デワ3000のうち二両が秋田中央交通に行きましたね。まさか、電気機関車になるとは思いませんでした。でも、縁の下の力持ちのデワが、客車列車を牽くと言う表舞台に立てたのは、デワ3000にとってはシアワセだったかもしれません。
秋田中央交通時代のリンク、有難う御座居ました。この晴れ姿!是非とも皆様にご覧いただきたいものです。
by む〜さん (2009-07-31 10:35)
まる写しいたしますが、
目蒲には3両の有蓋電車、5両の無蓋電車があり、改番で3001~03、3011~15になりました。
3002がまず売却され、長岡鉄道へ売られた3003も秋田へ移り、さらに休車中の3013も有蓋改造を施されて都合3両が集結しました。
改造前の3013は元住吉の空襲で半焼けになっていたので、やぐらパンタと運転台の柱しか残っていない、公園の路面電車状態でしたが、よくもまあ、改造したものです。
末期の3001はやはり部品取りで残っていたのではないでしょうか。それよりも3015の制御器は1台しかないのでしょうから、後ろ向きで入れ替えていたのでしょうか。押し込みすぎてぶつけたなんてことはなかったのでしょうか。
無蓋車は、控え車として入場車の後ろにつながっていた写真が残っています。冬以外の晴れた日ならトロッコ客車気分を味あわせてくれますね。
by なにわ (2009-07-31 12:43)
■■なにわ様:デト3010と、デワ3000についての情報、有難う御座います。デワ3000も終期に秋田で旅客列車を牽いたのですから、良い終わり方をしたと思って居ります。
デト3014・15も、入れ替え用に、合体・改造され、これはこれで、いい終わり方だったと思います。
入換は、地上係員の合図で運転しますので、まあ、支障は無かったものと思われます。
デト3014の晴れ姿を見られなかったのは、残念と言うしかありませんが、貨物運行の無かった池上線故、工事列車しか用途がなく、工事列車は真夜中な訳で・・・・・・。
by む〜さん (2009-08-02 09:25)