SSブログ

つばめ号とこだま号1958年 [むかし噺(1)]

icon_mukashibanashi.gif
pen-pc.gif 今日は昔話です。1958年・昭和33年の10月と記されているセミ版のネガカバーに入っていたフィルム。カメラはミノルタセミPというブローニーフィルムの廉価版スプリングカメラです。距離合わせは目測で手で前玉を回転させて距離目盛を合わせる。目測の下手な私は接近して写すときなど、しょっちゅうピンボケを作っておりました。

■■■ つばめ号 と こだま号:1958年 ■■■

pencil-red.gif 頃は、1958年10月末、たぶん私は上りの特急つばめ号を撮りに東海道本線、六郷の鉄橋へやってきたようです。夕方でオマケに曇りのようで、多分、F4.5開放で25分の1秒だったと思われます。当時のフィルムはエッジにフィルムの規格など入っていませんでしたから・・・・ま、ネオパンSSか何かだったのでしょう。

(1) 見事な露出不足、普通に焼けば真っ黒け。私の好きだった三菱の月光V4で焼いたりしたのかなあ・・・。
01-5810_tsubame.jpg

(2) で、フォトショップでいじってみました。EF58~スハニ35~スハ44・・・・・・・前照灯も点灯されています。
02-5810_tsubame.jpg

(3) 列車の前の方を拡大してみました。03-5810_tsubame.jpg

(4) 更に拡大。最初はデッキ付きだったEF58の流線型タイプは、好き好き![揺れるハート]って機関車ではなかったのですが、いま、こうして見ていると、悪くないですね・・・・と、いうか実にいい味です。
04-5810_tsubame.jpg


pencil-red.gif さて、同じフィルムに、この写真も入っていました。ビジネス特急こだま号。 1958年11月1日が、こだま号の初日ですから、11月に入って何日も経っていなかったと思います

(5) 特急こだま号・・・・さあ、何処の駅でしょう?格好良いですね~、オデコのライトの両側はマーカーライトがあるだけで、警笛もありません。連結器も飛び出して居らず、じつにいい姿です。
05-5810_kodama.jpg

(6) ここは品川駅みたいです。東海道上りホーム。向こうのホームは京浜東北だと思われます。時計は13時44分を指しています。と云う事は、この「こだま号」は神戸駅を6時30分~大阪7時00分に出てきて、東京駅着13時50分と言う事になるはずです。この頃の途中停車駅は、京都・名古屋・横浜ですから、新幹線スタート時のひかり号みたいですね。
06-5810_kodama.jpg

(7) お母さんと子供が通過を見ています。この子、果たして鉄道ファンになったでしょうか・・・・・(そうあって欲しいですね)。
07-5810_kodama.jpg


pencil-red.gif オマケです。同じフィルムに入っていました。 

(8) 地下鉄丸の内線です。1954年に池袋~御茶ノ水間が開業し、淡路町、東京、西銀座と延びてきた丸の内線。この年、1958年10月には、霞ヶ関まで延長されまして、ここは霞ヶ関駅。電車は、400でしょうか?500でしょうか?ここ霞ヶ関駅、天井が高くって圧迫感が少ないですね。
08-5810_eidanmarunouchiline.jpg

coffee.gif ・・・・と言うところで今日のブログはお仕舞いです。今度は何を出そうかなあと考え中で、ちょっとネタ切れしています。ま、今まで何とかなって来たんだし、何とかなるでしょう。
 では、また次回にお目にかかりましょう!!!


nice!(2)  コメント(19)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 2

コメント 19

なにわ

関東は関西より日暮れが早いというのがよくわかりますね。曇天はなおさらですね。

ときに、品川の7番線なんでしょうか。それとも現在の5番線でしょうか。現在の7番線は臨時列車発着用(昔は軍用列車用)ですから。
横浜の7番線だと後追い写真ですし、ヘッドライトに赤いカバーをかけてますからねえ。
by なにわ (2009-09-02 01:06) 

TH

六郷の鉄橋も、現在と比べて橋脚が低いですね。
特急「こだま」のお写真は形式は違いますが鉄博で見た181系485系の展示の再現シーンを彷彿とさせます。
それにしても、フォトショップでここまで救済できるんですね!!
私、レタッチ用のソフトを持っていないので、普段の撮影はJPEG撮って出しなんですが、ROW現像にもチャレンジしてみたいと思いつつ手持ちのPCのスペックと懐具合との睨めっこです。(笑)

デジタルは銀塩と比べてイニシャルコストはかかるけど、ランニングコストはそれほどでもないと思っていましたがPCやソフト、プリンターなどまで考え始めると…あぁ、チョッと頭痛が…(笑)

話が変わって恐縮ですが、今日横浜線の205系でシングルアームパンタに換装された編成を見ました。
むーさん様はご存知でしたでしょうか?
当面、横浜線の205系は安泰ということなんでしょうね。
by TH (2009-09-02 01:22) 

京葉帝都

デビューした頃のこだま号はにシンプルで美しい姿だったのですね。サイドにJNRの銘板もあるようですし。時々北陸方面の往来に先頭がボンネットの列車に乗りますが、基本デザインが半世紀以上受け継がれているのには驚きました。この形式あたりから運転席の位置が高くなって視認性が向上したことでしょう。当時は特急電車も運転席には2名いたのでしょうか。
by 京葉帝都 (2009-09-02 01:56) 

mymeな大家

こんにちは。
今の六郷鉄橋に架けかえる前のものですね。京浜東北線との間が狭くて架線柱の梁が共通になっていますね。このつばめは、いわゆる青大将でしょうか。私は青大将は本物を見たことがないのですが、写真で見ても気品すら感じるほど美しさを感じます。本物を見てみたいです。どこかに保存されてますでしょうか。
こだま号もかっこういいです。実はつい最近まで、181系に151系、161系からの改造車があることを知らず、151系に乗ってみたかった思っていたのですが、母が実家に帰省するときに長岡まで「とき」を使っており、もしかしたら151系改の181系に乗れていたかもしれないと思うと何だかうれしくなりました。新幹線開業前に上野駅で撮った181系の写真を大事にしたいと思います。
丸の内線の行き先表示(水色及び橙色)が両方とも点灯していますね。終点だからでしょうか。「西銀座」という響きも好きです。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-09-02 10:09) 

鈴木光太郎

"こだま"の登場が当時一般の人にも話題になった例として、
女性向け芸能月刊雑誌の"平凡"か"明星"に4ページくらいをつぶして、"新型こだま解説"みたいなグラビア記事がありました。
「天井がとっても低いんですョー」みたいな女優さんの説明付きです。多分電車区で撮った写真でした。
本屋に鉄道雑誌など置いてなかった時代、床屋の芸能雑誌に"こだま"の、新聞よりぐっと鮮明な写真を見つけた時の興奮は忘れられません(当時小学生)。
by 鈴木光太郎 (2009-09-02 15:48) 

ズルツァー・マン50

こんばんは。つばめ号、こだま号とも良いですね~♪ そして、私は、オマケの方に食い付いてしまいました(^_^;
丸の内線の霞ヶ関駅、よく利用しますが、昔はこのように天井が高かったんですね。お写真を拝見してから改めて現在の状況を見ますと、ホーム部分の天井は、空調等の関係でしょうか非常に低くなってしまっております。線路部分の天井は未だ高いのですが、ホーム部分の天井が低く垂れ込めているので、ちょっと見ただけでは気付きません。横浜高速鉄道(未だ乗っていない(^_^;)や副都心線渋谷駅など再び天井が高い傾向となってきたようですので、霞ヶ関も復活してくれれば良いのですが。駅に限らず、天井が高いと言うのは開放的で贅沢ですね。

by ズルツァー・マン50 (2009-09-02 18:08) 

昭ちゃん

58年の霞ヶ関だと、今の新宿方面ホームだけだった1面2線の時代ですね。何となく記憶があります。その後乗降客が増えて池袋方面ホームを作って今のような1面1線×2になりました。そのほか丸ノ内線・銀座線に似たような改造した駅があったはずです。
by 昭ちゃん (2009-09-02 18:50) 

たーサン

 ほとんどまっ黒けの写真がここまでに復元出来るのですね。
驚きです。
 昭和30年の秋の夕暮れ、東海道線 「摂津富田」 で撮った、
下りつばめ、蒸機(C62)と展望車があるのですが、F4.5、200分の1でかなり黒いです。
 これを機に試しにプロに外注してみましょう。
 自分ではメカもテクもありませんので、、、、、、
どこまで表現できるか、楽しくなってきました。
むーさん様のおかげで刺激を受けました。感謝します。

by たーサン (2009-09-02 19:54) 

のり

颯爽と通り過ぎる「こだま」。それはそれはカッコよかったのでしょうね。人々の注目の的、見つめる姿が目に浮かぶようです。
わずか6年後に主役の座を新幹線に奪われるなんて、想像もできませんね。
by のり (2009-09-02 21:42) 

じろっち

列車時代のつばめを見てみたかったですねえ。

151系特急は乗ったそうですが、乳幼児だったので、記憶は全く有りません。

上越線のとき・東北本線のひばり・やまびこ・新星には乗ったことが有ります。
これらも、もう遠い昔ですね。

駅に青梅鉄道公園と上越線のD51復活運転のチラシがありました。
どうして、SL列車のチラシって、「D51に乗ろう」的なのが多いんでしょうね、自分が乗るのは客車なのに・・・
by じろっち (2009-09-02 21:46) 

昭ちゃん

この頃は土手から品鶴線鉄橋を通る貨物列車を眺めていました。でも当時の写真は全然ありません。だって、まだカメラ持たせてもらえない年頃でしたから。
話題からそれますが、亡父の写真に三菱重工引き込み線と、な目蒲線の鉄塔が写っているものが見つかりましたので、拙ブログにUPしてみました。時期は昭和28~31年の秋のようです。
サムネイルをクリックすると、左上に微かに鵜ノ木~下丸子間線路上の鉄塔があるのが判ります。
by 昭ちゃん (2009-09-03 21:33) 

じろっち

こだまという列車名は公募でしたっけ?

今思えば、ひかり・はやてなど、もっとふさわしい名前があった気がします。

きょう、渋谷~恵比寿で、NEXが事業車両と接触する事故がありました。
大丈夫ですかね?
来春には全てのNEXが新型に替わるそうです。
旧型車の前途は如何に?
仙台空港アクセスあたりでしょうか?
でもS-EXじゃまずいか・・・
by じろっち (2009-09-03 21:48) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 ホームの屋根、ホームの行き先方面表示、通過時刻、東海道の国電区間にして国電が上り列車の進行方向左側と言いますと、品川しか該当しないので、友人たちの意見も一致、『品川駅』としました。しかし、『7番線問題』が片付いていません。何方か1958年当時の品川駅に詳しい方にお教え頂きたいと思います。
■■ TH様:
 思えば六郷川の鉄橋も嵩上げ架けかえで、がらりと変わってしまいましたね。
 PhotoshopはElements2ですが、色関係の捜査が未だに難しく、イメージに合わせた仕上がりにするのに何時も苦労しています。特に、昔のカラーフィルムの色復元は私には不可能の時があります。
 ROWについては、私のコンパクトデジカメ、キャノンG9も対応しているわけですが、いろいろと面倒そうだし、1/1.7の小型撮像素子で画像の改善がどのくらい期待できるか分からないので、面倒なことに首を突っ込めないで居ます。なにしろ、脳みその使えるエリアが残り少ないものですから(笑)。
 横浜線の205、シングルアームパンタ改装、ありましたか・・・・・。気が付きませんでした。こんど、気をつけて見ています。有難う御座居ました。
■■ 京葉帝都様:
 デビュー時のこだま型は頭上の警笛カバーとか、連結器カバーの突出も無くすっきりしていますね。助士席に係員が居たかどうか判りませんが、途中(浜松辺りでしたか・・・・)で運転士の交代があったと聞いたことがあります。
■■ mymeな大家様:
 六郷川のJR橋梁は、先般、京浜急行の六郷土手駅のホームから眺めていたのですが、当時とは、まるっきり姿が変わってしまったので、ウラシマ状態な気持ちになりましたっけ・・・・。
 地下鉄丸の内線の行き先表示ランプは、乗客の皆様方には意外と浸透しなかったようで、いつの間にか点灯しなくなってしまいましたね。
■■ 鈴木光太郎様:
 今でもそうですが、普通の雑誌に鉄道ネタの写真が掲載されることは少なく、昭和33年、週刊読売に私がのめり込むきっかけになった『静岡鉄道駿遠線の大井川駅のグラフ記事』が出たのは奇跡でした。(下記)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link230-01.html
 特急こだまは平凡・明星に採り上げられるくらいエポックメーキングな電車だったのですね。
by む〜さん (2009-09-04 06:02) 

む〜さん

■■ スルツァー・マン50様:
 東京の第三軌条集電式地下鉄で天井の高い駅は少ないですね。まあ、天井を低く出来るのが建設費用的メリットなんですが。圧迫感は避けられません。天井の高い開放感は素晴らしく、昭和29年、初体験の大阪市営地下鉄の御堂筋下の駅々には驚愕感動したものです。
■■ 昭ちゃん様:
 島式ホームから上下分離式に変えたのは、銀座線の日本橋駅、新橋駅。丸の内線霞ヶ関。他にもあった気もしますが、嗚呼、思い出せませんし、他に無いと言う断定も出来ません。(コレも歳か・・・・笑!)
 品鶴線から三菱重工への引き込み線の写真、拝見しました。この学校は、少年時代に東実と呼び習わしておりましたが、東京高校なのですね。土手から、下丸子(光明寺)方面を見たものでしょうか・・・・ひょっとして、もっと品鶴線よりに小学校がありますので、それでしょうか・・・・。
 高校時代から大学在学中まで、この土手を、沼部辺りから、ガス橋、第二京浜の多摩川大橋あたりまで、よく自転車で走りましたっけ・・・・。懐かしい写真です。
■■ たーサン様:
 昔、撮影したブローニーのフィルムを見ていて、二重露出が多いのに気付きました。防止機能は付いておりませんが、35mmのオリンパス35にはシャッターはセルフコッキングでないのに、二重撮りは防止つきでしたので、ついつい、癖が出てしまいます。現像した後、涙したショットも多いのです。
 最近では手焼きでB/W写真を焼いてくれるお店も激減だそうですね。
 画像リタッチソフトは、初期はPCにオマケで付いてきたアドビのフォトデラックスを使っていましたが、後に、35mmスキャナのオマケのフォトショップLEに変えました。いまは、購入したフォトショップエレメンツ2です。結構、使いやすいです。直後にブローニー用に購入したフラットベッド形スキャナに同じソフトがオマケで付いてきて、ずっこけました。約10K円、損しちゃいました。(笑)
 使い方は意外と簡単ですが、奥が深すぎて、ほんの一部分の機能しか使っていません。一部分といえば、PCだって同じですが。
■■ のり様:
 こだまのデビューは実に衝撃的でした。東京~大阪と言えば、夜行日帰りが最短でしたから、数時間と言えども、日帰りビジネス可能と来れば、驚異でした。ほぼ同時期に20系、あさかぜもデビュー、鉄道新時代を感じたものです。以来、50年、社会も、鉄道と周辺交通機関も、驚天動地の変わりようです。見方を変えれば、鉄道ファンとして、いい時代を生きていると言う感を深くします。
■■ じろっち様:
 確かに、客車に乗って蒸気機関車に引かれていても、見えるわけではありませんが、窓から流れ込む、煙の匂いはありますね。目の中に飛び込んでくるシンダはあるのでしょう・・・・乗ったことが無いので分かりませんが。
 私は、蒸気機関車は、見る方が良いなと思うのです。あの、電化工事完成後に、電気機関車やディーゼル機関車に引かれた客車で、夏、窓全開、特にトンネルでの爽快感を忘れられません。
 D51は均整のとれた蒸気機関車として、幼い日からのお馴染みとして、好きなんですが、蒸気機関車=デゴイチの図式には少々・・・・・です。
 こだまのネーミングは、たしか、公募したものです。内田百閒先生の著書に、「こだま」の名前はお気に召さなかったような記述がありましたっけ・・・・。
by む〜さん (2009-09-04 08:26) 

鈴木光太郎

品川駅の上り"こだま"が7番線に居るのは不思議ですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85
上のウィキペディアに拠れば
「1950年頃、京浜東北線と山手線のホーム配置が現在と異なっており、合わせて3面5線」
とあるので、現在よりホームが一つ余分にあったのかも知れません。
"帝都地形図"という本に1/10000の品川駅地図が含まれてるはずなので、
中央区立中央図書館(東京地図が充実してる)に行けば、ホームと線路配置を確認できるかも知れません。
当時の航空写真を国土地理院のHPで探せばいいのですが、ここはしょっちゅうURLが変わったりメイテナンスがあったりで、
一般人の私には中々たどり着けないです。
by 鈴木光太郎 (2009-09-04 09:14) 

む〜さん

■■ 鈴木光太郎様:
 早速、Wikiを見てみました。品川駅に隣接して品川電車区がありました。そういえば、山手線だけ、ホーム位置がずれてた様な気もします。山手線は二面三線で、入庫線が2番線だと辻褄は合います。撮影時、1958年はどうだったかの記憶が、私には全く無いのです。電車区の車庫の姿はおぼろげな記憶はありますが。
by む〜さん (2009-09-04 11:15) 

OOJI HIROSHI

む~さま
こんにちは
古い写真でも今日の写真技術で六郷側を渡る特急特急つばめ
見事によみがえるものですね。
驚きました。
多摩川の橋梁がこんなに低かったのも驚きです。
この頃まだ大阪住まいでしたから特急こだまは東京の大学の関係でしょっちゅう利用した列車でした。
まだ新幹線もなく、東京ー大阪約6時間50分を偉く早く感じたものです。

母が96歳で特養施設に入りそれまでの月20万円6カ月で苦しい想いからやっと解放、これから鉄道見に行こうかと思った矢先肺炎で再度病院転院、軽い肺炎で一寸息抜き、

昨日久しぶりに京急品川駅、八つ山橋付近の電車撮影に出かけ
改めて京急・東京都営・京成・北総開発(旧都市整備公団も含む)の車輛のバラエティーの豊富さに驚きました。
この中で4年後の東京オリンピックをPRした車輛もあります
一挙20枚以上載せましたのでぜひご覧ください

京急・東急に比べてJR東海道線の車輛の特徴のなさ、以前は113・211に交じって二つドア165?(東海型急行の運用)中距離列車の顔が消滅、カメラのレンズもE231には向ける気もしません
ト最後は勝手な話になりました

so-netブログはIDNOをなくすと郵送書類とかで大変手続きが複雑で未だ復旧せずやきもきしたままです。
なんとかせねばと気ばかり焦ります。
パスワードを変えても受け付けられず、頻繁に変えたため照合困難を起こしているのでしょう。
by OOJI HIROSHI (2009-09-04 13:39) 

む〜さん

■■ OOJI_HIROSHI様:
 「つばめ」と「こだま」は昭和33年当時の花形列車ですね。そしてブルートレイン20系あさかぜ走るホテル。ただ、特急つばめも妙に艶の無いくすんだような草色となり、チョコレート色車体に、二等青帯、一等白帯の気品ある姿でなくなったのは残念でしたが・・・・。
 お母様の肺炎は如何でしょうか?少々、心配です。
 京浜急行の八つ山へ行かれた由、ブログ見に行きます。あそこは、都営、京成、ほか各社入り乱れて、見飽きる事がありません。少々スピード感はありませんが、いいアングルで撮れそうですね。
 So-netさんのブログの件。ここで、思い切ってリセットされたら如何でしょう。現状で、手間ひま掛けているのでしたら、一から出直された方がよろしいかと思いますが・・・・。
by む〜さん (2009-09-04 14:03) 

昭ちゃん

場所を書くのを忘れてしまいました。東京高校脇の土手から下丸子方向を見たところです。校舎が南側、校庭が北側です。
品鶴線の土手脇の小学校は、嶺小です。こちらも当時は木造校舎で校庭が南側、6年間通いました。いまは鉄筋に変わって昔の面影はありません。でも、プールも体育館も本館は通学当時と同じですが、角のお店は消えてしまいました。30年ほど前に目の前を通りましたが、校庭南角の向かいのお宅にSLの動輪がかざってありましたが、いまもあるのかなーー。
by 昭ちゃん (2009-09-04 19:00) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。