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江ノ電昭和風景(4・一応終)藤沢駅 [むかし噺(1)]

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台風が来ておりますね。大荒れしそうです。被害の無き事を祈っていますが、今夜から明日・・・・どうなるのでしょう。
 今回は、江ノ電シリーズの、一応・
最終回、1959年・昭和34年と、1962年・昭和37年の、江ノ電・藤沢駅です。
 江ノ電は、当時は江ノ島鎌倉観光株式会社で、江ノ島電鉄株式会社になったのは1981年なんだそうです。

■■■ 江ノ電昭和風景(4・一応終)藤沢駅1954&1962 ■■■

pen-para.gif 1959年・昭和34年11月のある日、江ノ電撮影ツアー、持参のカメラはミノルタセミP。終着の藤沢駅にNo.116で到着

(1) ポールが替わり鎌倉行きになったNo.116です。この日に写した電車の全てに付いている円盤(庫内に居たのは除いて)。如何考えても「続行」と思えない円盤が、この電車にも付いています。ネガを大きく拡大しても、円盤の中心の文字みたいなのの正体がわかりません。ただ、白色円盤ではなく、周辺濃色リング、中心明色(黒白なので白とは言い切れない)の円盤のように見えます。何方か、この「丸の正体」をお教え下さる様、お願い致します。
 藤沢駅のホーム、当時の社名、江ノ島、鎌倉の観光客を見込んでかホームが矢鱈と広い。
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(1-2) 電車部分のクロースアップです。ポールをトロリーにあわせた直後らしく、車掌さんが紐を持ってなにやら・・・・。
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(1-3) お店の看板も、いかにも当時らしく懐かしい。
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(1-4) ホームの水飲み、そして背後には、如何見てもお便所が。
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(2) 改札を出て、ホームを眺めています。両足踏ん張った駅員さんの、こんな姿も今では見られなくなった気がします。
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pen-para.gif 時は流れて、三年。1962年・昭和37年9月、友人たちとの江ノ電撮影ツアーの仕上げは、このときも藤沢駅でした。このとき持って行ったカメラは、ミノルタAL(ロッコールF2、45mm)でした。 

(3-1) (1)の写真の丁度反対側から見ています。両方のホームの屋根の形が少々違う構造ですね。No.352が居ます。
 電車背後の三角屋根はなんでしょう?記憶が全くありません。江ノ電のものかしら?国鉄のものかしら?はたまた・・・・。
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(3-2) 3年経って、ホームも改札も変わっていないようです。水飲みもちゃんとありますね。
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(3-3) この、No352も、円盤付です。
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(3-4) 反対側のホーム、なにやら工事中。なにが出来上がりつつあるのでしょう?カウンターみたいなものも見えます。お心当たりの方はいらっしゃいませんでしょうか?
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coffee.gif 1959年と1962年の江ノ電藤沢駅ホームの画像をお届けいたしました。江ノ電の昔写真は、一応、今回でお終いとし、次回はまた別の画像を選んで見ましょう。

 ・では、また次回!!!!!


タグ:江ノ電
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サッシの父

小生は、ポール電車の美しさをむ~さんから教わりました。
江ノ電も、現在のパンタグラフよりこの方がしっくりきますね。
by サッシの父 (2009-10-08 00:11) 

TH

地上時代の藤沢駅はいかにもターミナルという趣です。
むーさん様が言われるように海水浴や、初詣客を見込んでの広さなんでしょうね。

私も10年チョッと前ですが大学生の時、アルバイトでラッチに入って改札をしていた時期がありました。切符に入れるのは改札鋏ではなくチケッター(スタンプ)でしたけどね。おかげで動体視力が鍛えられました。(笑)

 閑話休題

116号は鋼体化で不要になった旧玉電の木造車体と、京浜電鉄の中古ブリル台車を合わせたものだそうで、昭和35年に廃車。
江ノ電最後の木造車だったようで、ステップはホームの嵩上げで切られていますがWルーフ木造路面電車の雰囲気は十分ありますね。

352号の背後の屋根はやはり江ノ電の藤沢駅舎だと私は思うのですが。352号との位置関係で・・・

それと円板は続行運転のものではないかと思います。
円板は続行運転の際、タブレットを持った後続車に取り付けられ、これ以上列車が来ないという意味だそうですね。
逆に円板を付けていない電車が来ると、タブレットを持った後続車が続くと解釈できるわけで、
1個列車のみの場合も円板を取り付けて後続車がいないと示したのでは?
タブレットを持った列車に全て円板を付いていたのではないかと勝手に推測した次第であります。




by TH (2009-10-08 01:53) 

manamana

藤沢駅の広々したところに、
観光客を当て込んだ意気込みを感じます。
その広さをいかして、現在の高架駅とデパートが出来たのですね。
352号がまだ新しくてかっこよく見えますね。
by manamana (2009-10-08 06:52) 

む〜さん

■■ サッシの父様:
 私が電車を撮り始めた昭和28年以来、行く範囲も狭く、出合ったポール電車は少なかったです。江ノ電、叡電、嵐電、京阪京津、能勢電あたりでしょうか・・・・。車掌さんには大変で、集電効率も悪く、ビューゲル~パンタ化は時の流れでしょうが、ポール電車は癒されますね。
■■ TH様:
 改札係員さんのパンチ扱いの妙技は見てると結構愉快でした。パンチかすが散らばらないよう、フィルムのポリ容器を取り付けた手作りの工夫も見ました。
 先日は、合図灯もLED化されたのを見て、吃驚してしまいました。
 江ノ電と国鉄、両・藤沢駅の駅舎の記憶が全くないのです。国鉄駅の前に小さな食堂があって、50円のカレーライスを食べた記憶があります。50円ハウスって言ったような気もします。
 このときの円盤は、やはり続行なのでしょうね・・・・全てが閉塞区間最終便で、ひょっとしたら、ラッシュ時など、ホンモノの続行運転があったのかもしれませんね。私は、この辺の事情がサッパリ判らないのです。
■■ manamana様:
 この辺りまでの電車の形が好きですね。単車時代の車体の連接化のようで、クラシックで、良いですね。この後出てくる、おでこのつるんとしたタイプは、少々・・・・です。思い切った近代デザインの初代500は好きですが。

by む〜さん (2009-10-08 10:12) 

ズルツァー・マン50

こんにちは。江ノ電シリーズ、本当に素晴らしいですね。特に116の写真と言うのは、殆ど見たことがありませんでした。貴重なお写真を拝見させていただき、感謝申し上げます。
352の後方の三角屋根、確かに駅舎です。1972年、仮駅となり、その後ビルの中に入りますが、その解体直前まで、この駅舎はありました。
352のお写真で右側のホームに作られているものについて、我が写真を見ますと、この板壁は1972年まで残っており、妻面にドアがありましたが、何だったのか、残念ながら分かりません。
白い円板は、続行運転の表示だと思います。1972年自動信号化されると共に続行運転が廃止されましたが、それまでは、同じ位置(向かって左側の窓の下)にありました。1編成のみでも、最後と言うことでこの円板が掲げられたものと思われます。但し、1972年当時は、真っ白な円板です。全ての列車に付いていましたね。
以上、我が写真で確認致しました。
尚、続行運転、最後の頃は、朝に江ノ島~藤沢で行っていたらしいのですが、残念ながら私は見ておりません。

by ズルツァー・マン50 (2009-10-08 14:55) 

ひろきん

藤沢駅ありがとうございました。
現在の藤沢駅は、ビルの2階ですね。最初に訪れた時は、えっ!こんなとこに!とびっくりしました。
湘南海岸公園駅の写真も1000%に拡大して拝見させて頂きました。
感激です!m(__)m
今週末は晴れそうなので、ウォーキングを兼ねて出かけてみたいと思います。極楽寺~稲村ヶ崎の間が一番お気に入りのウォーキングスポットです。
by ひろきん (2009-10-08 21:40) 

じろっち

ホームの後ろの三角屋根は、江ノ電の駅舎です。
工事中にみえるスペースは、作業場だったようです。
「藤沢江ノ島ポータルサイト」というところで、藤沢エリアの過去写真を公開しています。
そこに、今回のお題と重なるものがありました。

今日は台風で首都圏のダイヤが混乱しました。
どうも、首都圏の交通は災害に弱いですね。
まあ責任は、交通事業者だけにあらずですがね。

学校が休校するのだから、職場でも災害が予見される日は、休業とできませんかね?
今日のような日に早く出勤してきた人の多くが、「仕事前に疲れちゃったなあ」と言うじゃないですか。
そう言われるなら、休みにすれば?と思うんですよ。
傷害が発生する可能性もありますしね。
by じろっち (2009-10-08 21:44) 

む〜さん

■■ ズルツァー・マン50様:
 今日の夕方、レスを書き込んだのですが、何故か消えちゃいましたので、もう一度。(操作のミスか何かわかりませんが)
 二重屋根の116は最後の力走だったようですね。私のホームページの下記アドレスから始まる3ページにわたって、1959年の江ノ電の記事を書きましたが、No.116の写真が、この写真を含めて5枚入っています。ご覧になってみてください。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link148a.html
 352の背後の三角屋根は江ノ電の藤沢駅本屋なのですね。なにしろ、このときの記憶は、ほんのちょっぴりしか残っていません。
 む~さん、老いたり!!って感じなのですが、ま、仕方がない。教えてくださって感謝です。
 続行の件、続行のない続行マーク、『 × 1 』なんですね。納得です。
■■ ひろきん様:
 湘南海岸公園駅の写真、線路を歩くお婆ちゃん、あの頃の様子がわかりますでしょう?なんたって、50年昔のことです、のどかな時代だったのです。
 江ノ電沿線に簡単に歩きに行ける辺りにお住まいの方が、羨ましく思います。カメラ持参で、いい記録を残してくださいね。『写真を撮らずに記憶に残す』って雑誌記事にのっかって、旅行中、あまり写真を撮らなかった時期がありました。『50年経ったら記憶の引き出しが何処だかわからなくなっています。写真あってこそ、それがキーになって記憶が、脳みその中の引き出し方出てきます』。
■■ じろっち様:
 『藤沢江ノ島ポータルサイト』、見ました。これだけはっきりした江ノ電藤沢駅の写真を見ても、当時とのことは思い出せませんでした。嗚呼!!
 台風のお陰で、我が小田急さんもダイヤが大幅に乱れ、特急も運休していました。
by む〜さん (2009-10-08 22:58) 

うたに

鎌倉ものがたり(漫画です)に出てきそうな感じの電車ですね(^ ^ )
こんどうちの子が友達と江ノ電に乗りに行くそうなので、一緒に行ってカエルを見てこようかしら。。
by うたに (2009-10-09 12:32) 

hitomien

む~さん様
江ノ電シリーズありがとうございます。
最終回と言わず、またお願いいたします。

三角屋根は、江ノ電藤沢駅ではなくて、当時の国鉄藤沢駅ではないでしょうか?
1枚目の奥に写っている神中デパートは、建物を変えて今は
横浜銀行になっているようです。
てっきり横浜銀行の左側が神中デパートだと思ってました。
by hitomien (2009-10-09 12:55) 

む〜さん

■■ うたに様:
 鎌倉ものがたり・・・・存じておりますよ。西岸良平さん、推理小説作家と、タイニィな可愛い奥さんの話でしたね。大仏さんみたいな署長さんが居たりして・・・・。
 良いですね~、お子さんと一緒の旅、うちの子供たちが小さかった頃、一緒に旅したことを思い出します。
 鎌倉の車止めのカエルさんは気づきましたが、藤沢の車止めには電車が居るという話も聞きました。
■■ hitomien様:
 続編を考えては居ますが、なかなか『街の様子、あのころの自動車』う含む写真が少なくて・・・・。
 三角屋根は、じろっち様が教えてくださった『藤沢江ノ島ポータルサイト・・・・「えのぽ」』を見ますと、「藤沢ガイド」→「昭和の藤沢」に何枚かの写真がありますが、間違いなく江ノ電の藤沢駅です。同時に、当時の藤沢駅は、かなり位置が江ノ島よりに移動した様子もわかります。
 『藤沢江ノ島ポータルサイト』を『bing』で検索しましたら、トップにありました。
by む〜さん (2009-10-09 21:36) 

じろっち

私は地上にあった江ノ電藤沢駅を利用した記憶はありませんが、江ノ電デパート(現在の小田急藤沢店)が出来るという話を聞いたことがありますよ。

江ノ電の駅舎は、江ノ電藤沢駅が江ノ電デパートに移転した後も、国鉄藤沢駅が橋上駅になるまでは残っていましたよ。
観光案内所などにしたのかもしれません。

ここに国鉄への通路もあったのですが、国鉄駅が新装なった後も、壊せない理由があったのか、一部が残されていました。

JR藤沢駅南口にある扇状の階段は、旧江ノ電藤沢駅のものが自由通路として残されたものです。

当時の写真を見ると、今は1両も存在していないと聞く2枚窓のクハ86を先頭にした湘南電車が写ったものもありますよ。

80系の写真は、ちょいちょい出てきますが、優等列車として走っていた時のものは少ないですね。
私には東海として袋井まで乗った記憶があるんですよ。

そこから1度だけ駿遠線に乗り換えたこともあります。
(次回訪問時には廃線になっていました)
by じろっち (2009-10-09 22:45) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 国鉄藤沢駅と、新旧の江ノ電藤沢駅の係わり合いについて、このブログを書くまで考えたこともありませんでした。こんど、藤沢を訪問したら、その辺りを考えながら歩こうと思いました。
 湘南型クハ86はJR藤沢駅プラットホーム上に現在も居ますが、あれは、大傑作ですね!
 私も、準急東海の湘南電車に乗ったことがあります。ノーシルノーヘッダーの300番台でした。実に洗練された姿に成長した湘南電車でした。やがて、153になって行くのですが・・・・。
by む〜さん (2009-10-10 06:26) 

hitomien

む~さん様こんにちは。
皆様のコメントで、あの駅舎は江ノ電のものだったとわかりました。ありがとうございます。
駅舎内の構造は多少記憶が残っていますが国鉄のエリアが大きかったので、ずーっと国鉄管轄だと思っておりました。
国鉄のメイン駅舎は北口の方だったのでしょうね。

む~さん様が載せられている写真で、江ノ電1962年(第一巻)の最初の写真は、昔の私の遊び場です。
おそらく田んぼの跡地だと思いますが、私の子供の頃は適当な池に化けておりまして、亀、蛙なんかをよく捕獲して遊んでおりました。
これも、この写真を拝見させていただくまで、あの池はてっきり鵠沼付近の沼と同じだと思い込んでおりましたので、この写真のおかけで田んぼ跡地に水がたまって出来た自然池だったのだということが分かりました。
今ではすっかり住宅街ですね。

よろしければ、また掲載をよろしくお願いいたします。




by hitomien (2009-10-10 09:38) 

小ノ電

はじめまして。小ノ電と申します。
昭和30年代の江ノ電を、模型で再現しています。何分当時の資料が少ないため、こちらのサイトの貴重な写真に大変助けられております。
とくに最近の、写真細部にいたる公開では、さらに多くの情報を得ることが出来ました。現在は、長谷~極楽寺間の製作を進めておりますが、いずれ江ノ島駅周辺も作るつもりでおりましたので、その際には大きな力となることと思います。心より感謝しております。
このシリーズ、これで一応終わりとのことですが、是非引き続き、他の江ノ電沿線の写真についても取り上げていただければと、心より願わずに入られません。
by 小ノ電 (2009-10-10 20:50) 

む〜さん

■■ hitomien様:
 鵠沼~湘南海岸公園間の開けた田圃は、hitomien様の少年時代の思い出の遊び場だったのですね。鵠沼の境川の鉄橋も架け替えられ、田圃も住宅地と化し、鵠沼の駅も、湘南海岸公園の駅も様変わりしています。50年という歳月は、あの辺りが都市化してゆくのに充分な期間だったんですね。ところどころに、ちょっぴり残る、ひょろりとした松ノ木を見ると、この頃のことを思い出します。
■■ 小ノ電様:
 模型製作の資料としてお役に立てて嬉しく思っています。鉄道模型製作は昭和35年、社会人なると同時に、ストップしてしまい、製作中の車輌のパーツは、かなりあとまで残してありましたが、いまでは、完成車が10両足らず残るのみです。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link53.html
 レイアウトは、軽便の小さな駅だけ作り始めていましたが、その残骸すらありません。
 江ノ電の写真は近場なのに意外と少なく、今考えても惜しかったなあと思います。
 もうすこしは、写真がありますので、再度、登場させるつもりです。
by む〜さん (2009-10-11 08:18) 

maakun

はじめまして、昔が懐かしくここにきました。
1950~70年代に鵠沼にいましたので、貴重なお写真や記事に深く感銘しました。
あの前についている円盤ですが、確か単線なので車両交換(すれちがう駅やポイント)で、長いループ状の皮のケースに入れて交換していたと思います。
昔の話なので確かではありませんので、間違いでしたらすみません。
by maakun (2019-11-03 22:53) 

む〜さん

■■ maakun様:
ブログにログイン出来ずレス出来ないで居りました。このほど解決しましたので遅まきながらレス致します。
所謂「続行」の白色円盤かと思いましたが、拡大すると何やら文字が書いてありますね。・・と、しますと続行で無く、何なんでしょう。
コメントにある「長いループ状の皮のケース」はタブレットと呼ばれ、通標という丸い真鍮の円盤が入って居ます。今ではタブレットは使われて居らず、単線自動閉塞方式になって居ます。
by む〜さん (2019-11-21 11:04) 

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