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#345:岩槻の東武DRC [お出かけ通信301~350]

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pen-para.gif お友達のHMさんからお声が掛かりまして、さいたま市岩槻区の岩槻城址公園に保存展示されいる、東武鉄道デラックスロマンスカー:DRCを見に行こうということになりました。
 
2009年10月24日・土曜日、朝も、うんと早起きしてお出掛けの準備。8時前に家を出ました。

■■■ お出かけ通信(345) ■■■

■■■ さいたま市岩槻区の東武DRC保存車 ■■■

pencil-green.gif 町田から小田急に乗ります。快速急行新宿行は、おお!なんという幸運!5200の4+6両編成。私が現在、一番美しい編成だと思っている電車です。でも、座れません。新百合ヶ丘で各停に乗り換え、新宿まで。
 湘南新宿ラインで赤羽まで来ましたが、浦和駅での待ち合わせ時刻に一時間以上あります。

(1) 赤羽駅で一旦下車。改札近くのコージーコーナーに入って、プリンフルーツケーキー+珈琲を注文して、一休み
 うん、なかなか結構!!!
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(2) 30分ほど休憩して、こんどは京浜東北のE233で北へ向かいます。209もかなり減りました。浦和駅に到着です。待ち合わせたHMさんとも会えましてほっとしました。
 当駅、高架工事進行中で、半分ほど出来てきましたが、まだ、掛かりそう。西口へ出たら、目の前にこんな、『ゆるキャラ』っていうんでしょうか・・・・「浦和うなこちゃん」がインフルエンザ予防の団扇を持って立っていました。ご覧の通り、やなせたかしさんのデザインで、各駅に氏のデザインしたキャラクターのいる土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線を思い出しました。
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(3) こんな由来が書いてあります。これは、もう、浦和に来たのですから、を食べるしかありません!
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(4) 埼玉スタジアムを見たり、埼玉高速鉄道の浦和美園駅をみたり、あちこち、走って、岩槻市にやってきました。ついつい、岩槻市なんて書いちゃいましたが、さいたま市岩槻区
 岩槻城址公園に来ました。こんなお洒落な時計台がありました。時報を打つらしく、スピーカーグリルらしきものもあります。流石は人形の町、岩槻。硝子の中でお人形さんがポーズをきめています。ひょっとしたら、時報のときに動いたりするかもしれませんが、確認はしていません。そして、文字盤は「漢字表示」。
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(5) ちゃんとした、綺麗なフェンスの中にDRC1720は鎮座して居りました。平成6年に、岩槻市制40周年を記念して、東武の寄贈を受け、有志の寄付で、ここに設置されたとの、説明板がありました。
 斜め前方から写しました。今見ても、かなり特異なお顔です。好みが別れるところです。
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(6) 斜め後から写してみました。エアコンの機器があります。窓は開きませんので、夏も車内の見学が辛くないですね。
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(7) 反対側の斜め前方から・・・・・。
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(8) お顔のアップ
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(9) サイドです。塗料の剥がれから、錆が流れ出しています。此処へ来て、15年、保存はやはり屋根が必須だなあと思いました。それと、ナンバーの1726ですが、赤い塗料で描かれています。切り文字ではなかったかなあ?とふと、思いました。
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(10) 土曜・日曜・祝日は車内の見学が出来ます。管理の方がおりますので、車内は綺麗でした。家族連れの子供たちは、旅気分ではしゃいで居りました。
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pencil-green.gif DRCの見学を追え、浦和方面に向かいます。14時を回っています。お昼ごはんに致しましょう。南浦和駅に近い辺りと思うのですが、太田窪って地名のところまで来ました。

(11) 「小島屋」というお店に行きました。注文は蒲焼の中、そして鯉の洗いに、お新香、きも吸い、ご飯。量もたっぷり、美味しく頂きました。鰻は本当に久しぶりでありました。満腹。
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pencil-green.gif 食事を済ませて、こんどは、JRの与野駅付近までやってきました。大宮側の陸橋から、鉄道風景を眺めます。ここへ来るのは何年ぶりでしょうか。橋も風景もみんな変わってしまいました。

(12) 大宮側の眺めです。線路を跨ぐ建造物は「さいたま新都心駅」。電車は183でしょうか・・・・・。
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(13) これは、与野駅側の眺めです。211が通り過ぎます。
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pencil-green.gif 16時を回りました。残念ですが、もう帰るお時間です。与野駅でHMさんとお別れして、ホームで一寸の間、電車見物。だいぶ暗くなってきて、高速シャッターが切れなくなって来ました。

(14) 団体の臨時電車が来ました。183系でしょうか。(12)とは別の電車です・・・・特急車も色々あって、記憶容量を上回ります(笑)。
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(15) やってきた、京浜東北の新しい顔、E233。これに乗りました。014-091024ode.jpg

(16) ・・・・・秋葉原~総武209~新宿。そして小田急は、オール各停で町田へ戻りました。小田急デパートの食堂街で、お蕎麦の夕食ざる蕎麦です。「そば処・つづらお」、美味でありました。

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coffee.gif 帰宅は20時頃となりました。楽しかった一日を思い返しながら寝ることに致しましょう。で、5時間弱安眠で今朝になりました。
 では、今回はこれで・・・・・・。


タグ:DRC 東武
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のり

東武DRC、私鉄ロマンスカーの歴史を彩った電車だと思います。151系に代表される国鉄のボンネット特急とは一線を画したデザインは特筆されるべきでしょう。
子供の頃は、関西でも盛んにテレビCMが放映されておりました。
「走る走~る東武  乗ろうよ東武のロマンスカー・・・」
カッコいい電車だなぁ、ジュークボックスのついたサロンルーム素敵だなぁ・・・・・懐かしい思い出です。
by のり (2009-10-25 18:49) 

manamana

最初はきれいに保存されているなと思いましたが、
やはり年月には勝てないですね。
貴重な存在だけに、プロの手で補修してあげたいものです。
by manamana (2009-10-25 21:55) 

なにわ

岩槻(すでに吸収合併されていることさえ知らない)なら、赤羽から南北線、もとい埼玉高速鉄道じゃあないんですね。

保存車の多くが屋根からの水漏れで解体されたりしています。屋根があった方がいいですね。撮影には不向きですが。
by なにわ (2009-10-25 23:04) 

じろっち

小田急のロマンスカーは開成駅でテントに収納されるように保存されています。
公開時間帯は荒天時を除き露天・非公開時間帯は車両そのものを覆ってしまうという方法が良いと思います。
小田急も車内に入れます。
特徴のある2階運転席にも行けますが、営業時は出されることの無い「乗務員用梯子」での往来に難儀する人が多いです。
運転室も狭いです。

乗務の都合も考えると、運転室背後に大窓を設置して、前方・背後車窓を見せるが現実的なんでしょうね。
鉄分過多の人は、メーター類の動作も見れるので、その方が嬉しかったりして・・・

それにしても、東武ロマンスカーは特異なお顔ですね。
高級乗用車を意識したと聞いたことがあります。
車内は快適なので、人気があったんでしょうね。

私は名鉄・近鉄・小田急の有料特急に乗ったことがありますが、どれも快適でした。
by じろっち (2009-10-26 04:55) 

じろっち

JRの183系の流れをくむ車両は、183系新造時の売り物のひとつだった貫通扉機能を使用していないものが多いですね。

貫通扉を使用していないなら、あの部分に「かぶりつき」を作るとか、カメラを仕込むとかしてくれたら良いのにな、と思います。

さいきんは特急が少なくなったので、列車名表示板は回転式を止め、大きな着脱式を復活されるのも一考かな、と思います。
電気機関車に掲げられたヘッドマーク式を採用するのも良いかもしれませんね。
無粋な185系踊り子も、客車で運行された際に使用されたヘッドマークを採用したり、急行でよく採用された羽根型ヘッドマークを採用したら話題になると思います。
by じろっち (2009-10-26 05:08) 

mymeな大家

こんにちは。
DRCは今から26年前に乗りました。快適だったことを覚えています。当時のこだまをいかに意識して作られたか、という感じですよね。私もDRCは好きです。キノコ型クーラもよろしい・・・ここで保存されているものは何だか違和感があるなぁとよく見ると、スカートの下半分まで、エンジに塗られてしまっていますね。解体されてしまうよりはいいのですけれど。静態保存されている車両で、エアコン完備とはすばらしい。末永く愛されることを祈っています。
失礼します。
by mymeな大家 (2009-10-26 08:28) 

む〜さん

■■ のり様:
 東武のデラックスロマンスカー(そういえば、乗用車のデラックス、スタンダードというランク付け表示はなくなったようですね)には、一度だけ乗っています。社員旅行でサロンルームで珈琲の見つつ車窓観光をしていましたら、同僚に変人扱いされてしまいましたっけ(笑)。あのときは、確か鬼怒川でした。
■■ manamana様:
 画像では痛みが激しく見えますが、反対側の側面(北側)は綺麗でした。日光に晒されるのは良くないのでしょうか。(東武さんは日光の悪口は言えませんね・・・笑)
 このままでは、遠からず、鑑賞に絶えなくなりそうです。管理が岩槻市から、さいたま市に代わり、この先如何なるのでしょう。
■■ なにわ様:
 埼玉高速の浦和美園~岩槻延長は何時になるのでしょう。以前、岩槻に来たときに市役所に並んでいた埼玉高速の岩槻延長の幟の列は、岩槻区役所(同一建物)には立っておりませんでした。延長は決まっているらしいのですが、何時になるのでしょうね。
 保存車輌の屋根は必須ですね。小田急の開成駅前のNSE3100の『ロンちゃん』は可動テントですが、これは欠点も多いですし・・・・。
■■ じろっち様:
 前項で書きましたが小田急開成駅前NSE3100ロンちゃんですね。たしか、日曜だったかの限定公開と聞いています。大事にされているだけでも良い事なんですが、小田急さん、何とかして欲しいですね。『バーチャル博物館』に閉じ込めているのは可哀相です。体育館みたいなのでいいので、何とかして欲しいですね。土地は?お金は?と聞かれたら黙っちゃう無力な私ですが。
 『当時の高級乗用車似』というと、何でしょうね?初期の縦眼のセドリックでしょうか
 JRは方向幕は、中距離列車は種別しか出さないので、何とかして欲しいんですが、考えてみると、先頭車の行き先表示は、列車間隔が広い場合は見る人は少ないのでしょうね。
 ヘッドマークは有用と思います。子供たちが、マークに憧れ、鉄道に親しんでくれれば、将来も鉄道を愛用してくれるかもしれません。超長期の販売計画です。
■■ mymeな大家様:
 DRCのお顔には少々、付いて行けないなあと思っていました。今になれば懐かしいお顔ですが。
 公園散策に来ていたファミリーが車内に居ましたが、明らかに、コドモの方は、DRCに入るのが楽しみで来たみたいでした。こんなことからでも、電車ファンになって行って欲しいですね。
by む〜さん (2009-10-26 09:32) 

服部光之

DRCの先頭部のフロントビューは、遠い昔にあった、三菱のデボネアを思い浮かべますね。
三菱が一度だけ出した、高級乗用車でした。
最近は縦目のセドリックをトンと見なくなりました。
数年前まで、近所のお茶屋さんに縦目のセドリックのワゴンがあって、お茶屋さんのご主人が表にいると車談義をしたものです。
あの車はなんと、埼玉ナンバー5一桁でした。
色がお茶屋さんらしくモスグリーンで落ち着いていたんですけれども。

by 服部光之 (2009-10-26 10:06) 

む〜さん

■■ 服部光之様:
 三菱自動車の社長さんがデボネアに乗っていないなんてマスコミで言われたことがあった気がします。
 縦眼にセドリックはゴツくて少々・・・・って気がしましたが、後に横目になってスマートになりました。
 セドリックのワゴンはテールゲート窓がスライド下降式でエアコンの無かった時代には便利だなあ、とトヨペットマスターラインのテールゲートの上半分跳ね上げで乗ってた私には羨ましく感じた記憶があります。
by む〜さん (2009-10-26 15:23) 

じろっち

プリンス自動車のスカイウェイも、上下分割式テールゲートでした。

たぶんテールゲートの上下分割は利便性を狙ったというよりも、油圧装置が、現代のものほど圧力が無く、テールゲートの重みに耐えられなかったんじゃないでしょうか?

ちなみにスカイウェイは、スカイラインの商業仕様車です。

昔はコロナのピックアップもありましたねえ。
乗用車が今ほど気軽に購入できなかったので、商用車にも3名以上の定員が求められていたからです。

デボネアは走る化石と言われていましたが、デボネアVという2代目があったんですよ。
時代はバブル景気の全盛期だったので、メルセデスベンツの特別架装で有名なAMGと組んで作製したデボネアAMGもありましたが、販売は散々だったそうです。

クルマの格付けは三菱最高峰でしたが、三菱の幹部にはデボネアVよりも一般受けするディアマンテの方が人気があったようですよ。

田町駅前に三菱自動車の本社兼ショウルームがありますが、予約無しで試乗が可能だそうです。
話題の電気自動車のアイミーブにも試乗可能です。

近所のニスモ(ニッサンモータスポーツインターナショナル・大森)に乗り付けたら、面白いかな?
by じろっち (2009-10-26 22:04) 

津沢

む~さん様
いつも美味しそうな写真の掲載、ご相伴にあずかってます。
甘いブランチ~たっぷりの昼食~そして軽めに締めた夕食、と健康にも良さそうですね。

東武1720系、1960年から四半世紀以上も活躍しましたが、日本の昼行列車として最高級の車内設備で君臨しました。フル・リクライニングシートで前後間隔1100mmmは「特ロ」のスロ51型客車に匹敵します。晩年は他社の特急車も追いついてきましたが、トップクラスは守りきったたと思います。

正面スタイルは個性的過ぎて、皆様ご指摘通り好みが分かれ、私自身は1700系の貫通型スタイルの方が好きした。一方、車体側面は、直前に登場し1720系登場を誘発した国鉄157系にも通じるものがあり、両者とも国鉄151系~483系より洗練されていた、と私は思います。

高温多湿で風雨も激しい日本の風土では、車両に限らず産業遺産・文化遺産の保存には、他の先進諸国のそれに比べ桁違いの手数と費用がかかっているハズです。関係者の努力に頭が下がります。

by 津沢 (2009-10-26 23:59) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 三菱自動車といえば昭和30年代中ごろ国民車と銘打って『三菱500』を作りましたね。兄が購入したので乗らせてもらいました。小さくて、乗りやすかったのですが、格好良いデザインとも思えませんでした。空冷2気筒で、速度が上がってくるとパトカーに追いかけられてる様な音がしました。が、速度はそれ程は出ませんでした。そんなことを懐かしく思い出します。
■■ 津沢様:
 ま、食べることは好きでして・・・・和洋中華に、韓も良いですね・・・・要するに美味しければ何でもいいのでして(笑)。
 1700のデビュー時、貫通、二段窓のころ、好きでしたね。東の東武、西の近鉄と、思ったりしました。
by む〜さん (2009-10-27 23:32) 

じろっち

きょう、インターネットで検索していたら、“昭和46年5月2日の大船駅”というページを見つけました。

いつも鉄道ネタをアップしている方のものではないようですが、153系東海と80系が大きく写っている写真が添付されていました。

今では知らない方が多いテルハも写っていましたよ!

もう40年くらい前なんですねえ。
どこかに東口駅舎の写真がないかなー、とも思っています。
by じろっち (2009-10-28 22:09) 

ぽんた

DRCの痛々しい姿に胸が痛みます。
風雨にさらされると、こんなになっちゃうんですね。
開成駅の「ロンちゃん」は、たまにしか公開されなくて
ずっとホロ小屋に入ったままで過保護じゃないかと思いましたが
過保護くらいでちょうどいいのかもしれませんね。
by ぽんた (2009-10-28 22:26) 

む〜さん

■■ ぽんた様:
 車体の傷みは南側が激しいように見えました。北側は、(9)の写真のような傷みは見られず、ツルンとして居りました。太陽の紫外線の影響が大きいのでしょうか・・・・・。何れにせよ、長期保存なら材料ともかく、屋根・カバーは必須だなあと思います。
 小田急開成駅前のロンちゃん、限られた予算の中でアレだけやれるのは幌だからだと思います。出来れば体育館みたいな天井の高いのがいいのでしょうが、晴天ならお空の下で見られるのでしょうから、ベストの選択なのでしょう。
■■ じろっち様:
 テルハについては、丁度、「THE RAIL / レイル」のNo.70で特集が組まれていますね。昔の大きな駅には必ずといっていいほど設置されており、いろいろな方式があって、見ても楽しい設備でありました。
by む〜さん (2009-10-29 21:21) 

すもると

むーさん、はじめまして。はじめて書き込みいたします。
よろしくお願いいたします。
僕は東武線の竹ノ塚駅(隣の谷塚駅のほうが近いのですが)
の近くで生まれ育ちました。DRCはまさに物心ついた頃から
の憧れでしたが実に乗ったのは引退間際の一回だけでした。。しまり屋の父は日光などに行く時は料金の要らない快速でした。(最も東武はお金持ちでない層にも優しい会社で快速でも十分速く快適でしたが) そんな憧れの車両に錆が浮いてしまうのは悲しい画像ですが考えてみればDRC引退時に生まれた子供がもうすぐ成人するわけですから現物を拝めるだけありがたいのかも知れません。
それから別の記事になりますが1954年の竹ノ塚駅の画像はまだ僕が生まれる13年も前、物心つく20年近く前の画像でまさに神話の世界のようです。登場間もない7800系の作りのよさにもしみじみします。
むーさんの記事は後世に継いでいかなければならない文化遺産、宝の山ですね。
by すもると (2009-11-03 10:17) 

む〜さん

■■ すもると様:
 私のブログやHPが昔を思い出すきっかけになったようで嬉しいです。
 私よりも、もっともっと素晴らしい写真を撮っている方も沢山いらっしゃいます。そんな方々が、出版や展覧会、あるいはホームページで、世の中に出して欲しいと思うのです。
 私の場合、出版には無名でありすぎ、世間にウケる分野の写真が少ない。また、自費出版にはお金がありません。それで、ハタと膝を打った方法が、ホームページでした。これなら、タダ同然。ブログはもっと簡単です。1999年からですから今年で10年ですか・・・よくぞ続いたものです。
 今後ともよろしくお願い致します。
by む〜さん (2009-11-03 19:24) 

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