新刊・鉄道書のご案内 [雑談(1)]
寒いですね。いよいよ、我が家のガス温風暖房機、オイル式パネルヒーターも、本格的稼動に入りました。いよいよ、冬モード突入です。さあ、来月からの、ガス料金、電気料金の請求書を見るのが楽しみ?です。冗談じゃあありません、エラい事です。
さて、今回は・・・・・・
■■■ 「新刊のご案内」 ■■■
・・・・・です。
多くの鉄道図書を出版している㈱成山堂書店から、シリーズ「交通ブックス」のNo.118として「電車のはなし (誕生から最新技術まで)」が出ました。
鉄道ファンのビギナーさんから、ベテランさんまで、得る事の多い本と思います。
㈱成山堂書店のHPに拠れば・・・・・・
東急OBの宮田道一氏と、東急車輌OBの守谷之男氏がタッグを組んだ最新刊!
電車について知りたい内容が満載。ありそうでなかった電車の技術を分かりやすく書いた1冊。電車はどのように発達してきたか。
その仕組みや歴史を、誕生から最新技術まで写真と図をまじえて分かりやすく紹介。鉄道事業に携わったからこそ書けた内容です。
・・・・・・との事です。読んでみると、成る程、納得できる読みやすい本です。
詳しくは、下記をご覧下さい。
(1) 本の表紙
(2) 案内のパンフレットです。
パンフレットの裏面は細かい文字が多く、横幅480ドットの制限のある私のブログでは読みにくいので、別に大型の画像を用意いたしました。下記のアドレスをクリックすると、パンフレットの裏表を見ることが出来ますので、ご覧頂きたく存じます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/000-miyabook.html
今週の土曜日頃から書店に並ぶ筈です。
お値段は、税別で「1,800円」です。
オマケ画像を二枚ほど・・・・・何れも、当ブログに出したような気がします。
(A) 昭和35年ごろの東急池上線御嶽山駅3400です。
(B) 昭和29年12月、デビューして間もない、新品状態のデハ5000+サハ5050+デハ5000の3連。
では、今夜はこれで・・・・。また、次回に!!!
こんにちは。
ご紹介いただいた本の表紙は、新丸子駅から武蔵小杉駅を撮影したもののように見えますね。新丸子武蔵小杉のあたりはすっかり変わりました。
5000系の写真は新丸子から武蔵小杉に向かう築堤でしたっけ?本当に変わりました。人も増えましたね。
変なコメントですが・・・。
失礼します。
by mymeな大家 (2009-11-20 21:43)
表紙の駅は渋谷駅でしょうか?
これだけ同じ位置に列車が揃うことは無いだろうから、ダイヤの閑散な時間帯に配慮してもらったんでしょうね。
さもなくば、合成でしょうか・・・
築堤を行く電車も素敵ですね。
今ほど保安設備が無く、その必要も無かったんでしょう。
by じろっち (2009-11-20 21:52)
■■ mymeな大家様:
多摩川の鉄橋を渡り、坂を下って中原街道の踏切、そして地平を少し走ると新丸子駅です。駅を出ると左に折り返し電車の引き上げ線があり、そこから築堤を上り詰めると武蔵小杉駅でした。その築堤を、渋谷に向かって武蔵小杉を出た5000系の3連が下ってゆくのが、(B)の写真です。歩いている人たちが、まさに昭和20年代です。ねんねこのお母さんが女児の手を引き、コートの女性も時代ですね。左端のバス停は川崎市営バス・小杉駅前となっています。
■■ じろっち様:
この表紙写真は、新丸子駅から武蔵小杉駅を写したもので、横浜高速Y500、都営6300、東京地下鉄9000、そして東急9000です。撮影時刻は書いてありませんでしたが、通勤時間帯で電車が輻輳する頃でしょう。
築堤は無防備ですが、日本全国、線路は無防備でした。日本は、物騒なことをする輩も少なく、安全な国だったのです。なんで、こんな物騒な、いい加減な人が増えてしまったのでしょう。
by む〜さん (2009-11-20 22:57)
日本は高度成長の時代から、保護者不在の児童が増加・高齢者が同居しない世帯の激増で、身近に「危ないよ」と言ってくれる大人が居なくなったので、児童の事故死が激増したんでしょう。
それでもやはり保護者は不在なままなので、「柵を作るか」となったんでしょうね。
東海道新幹線でさえ、モデル線の時代は、写真とたいして変わらない仕様でしたからねえ。
大都市でも、予算に限りがある民鉄では、これで大丈夫かと思う保安体制を見ますねえ。
by じろっち (2009-11-21 05:11)
白黒写真が新丸子~武蔵小杉とは全くわかりませんでした。
来年には武蔵小杉に横須賀線の駅も出来ますね~。
全国で柵を作るようになったのは、30年ぐらい前の中学生の置き石による京阪電車転覆事件がきっかけと聞いたことがありますが・・・。
by たらこっち (2009-11-21 10:04)
「電車のはなし」読みました。
最近は、一般向けの鉄道技術についての本も増えてきましたね!
難解な回路図や設計図ばかりではなくお馴染みの車両の写真が載っていると解りやすいです。
by TH (2009-11-21 12:29)
皆さんこんにちは。
(B)の画像は昭和の郷愁そのものですね。昭和40年代前半の
生まれの僕が言うのも変ですがお母さんの格好も昭和40年代から徐々に変って50年代にはすっかり「垢抜けた」のでは?と想像されます。
柵の話、混ぜて下さい。察するに昔は「汽車を止めたら一家が賠償金で滅びる」という伝説?があってたとえ物理的に近寄れても
大人に大怒られするので子供も近づかなかった、鉄道会社も柵という二次的なものに廻す資材の余裕がなかった、速度が今ほど早くもなかったところも多い、というのが理由ではないでしょうか?
僕のところでじゃ昭和50年代は東武鉄道の竹ノ塚駅周辺では木の枕木と思われるものがよく使われてました。むーさんの昭和29年の竹ノ塚駅の画像拝見しますと枕木はすべて木のようですからこれが後にコンクリート製に換えられる時に柵に転用されたのではないでしょうか。写真を撮る際枕木ではまだ絵になるのですが
それがコンクリートの柵や背の高い金網に変えられていくにあたって撮影者受難の時代になっていくのですね。
by すもると (2009-11-21 13:41)
■■ じろっち様:
訴訟社会の米国の影響でしょうか、たとえば、線路に入ったものよりも、入れるようにした会社側の責任という、流れですね。いい事なのか悪いことなのか判りませんが・・・・・。
■■ たらこっち様:
昭和29年の武蔵小杉、のどかなものですね~。私鉄沿線、何処でもこんなものでした。
京阪の置石って、ありましたね。楠葉あたりでしたっけ・・・・・。
■■ TH様:
国鉄史観の解説書の多い中、私鉄も含めて広く、知識を得られる本ですよね。
■■ すもると様:
鉄道側としては、問題が起こる前に、原因をなくそうと、防御体制を固めるようになりましたね。良い事と思いますが、費用も大変なことでしょう。結局、運賃に跳ね返ることと思います。
心中で一億円賠償なんて記事を昔読んだ気もします。
古枕木は、最近高いそうですね。ガーデニングの素材としていいのだそうで・・・・・。
古枕木の柵は、昭和20年代の定番でした。私が昭和25年に入学した中学校はその年に新設されたのですが、学校を囲む柵は、枕木の列でした。
by む〜さん (2009-11-22 10:49)