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国鉄・宇高連絡船と宇野線・1959 [むかし噺(1)]

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pencil-green.gif 今回は、昔話です。1959年・昭和34年の8月、国鉄・宇野線のお話です。この年は、7月から8月の二ヶ月間に、四国・高知県に二度行って居ります。一回目は、鉄道探訪の旅、二度目は、老齢の親戚のご婦人を、送っていった、いわば、公用の旅でした。
 今回のお話はその二回目の帰り道です。

■■■ 国鉄・宇高連絡船と宇野線 ■■■

 帰り道は寄り道をせずに、真っ直ぐに帰京するつもりで、宇野からは急行瀬戸号:24列車:宇野発16時16分、6東京着翌朝7時10分、に乗ろうと言うのです。高知駅から高松桟橋駅までは、何に乗ったんでしょう。たぶん、各停の・・・・勿論、客車列車に乗ったようです。瀬戸連絡の連絡船よりも一便早い船に乗りました。

(1) 瀬戸の海です。この山の姿は、本州側と思われます。
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(2) 連絡船は、宇野に到着。接岸作業中。乗客たちは、既にタラップ近くに集まって居ります。
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(3) 一便早く着いたので、余裕で急行瀬戸の最後尾の三等車に座席を確保しました。今日は、連絡船から列車までのマラソン風景を記録しようと、通路で待ちました。次の連絡船が到着し、もう、皆さん、。真剣な表情で早足でやって参ります。いい座席が確保できなかったら、翌朝まで、寝る事だって出来ませんから、みんな真剣です
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(4) 宇野駅構内の風景。樹の少ない白っぽい山には、巨石が置いたように並び、不思議な風景を形作って居ります。
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(5) (4)の入換機関車を拡大してみましょう。8620で、次位に控車・・・・・・・。
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(6) 急行瀬戸号宇野線の田圃の中を行きます。単線の線路を長大客車列車がのんびり行く眺めは、結構なものでした。
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(7) 列車のサイドを拡大してみましょう。友人MO様に教えて頂いたのですが、このときの編成は、機関車~三等車×6~食堂車~三等寝台車×2~特別二等車×2~二等寝台車~三等車~この後に荷物車との事でした。ハネの窓の形状が異様ですが、当時の三等寝台車は冷房が無く、開いた窓のガイド部が陽を浴びて光っているのでしょう。真夏の汽車旅は、窓全開、しかも蒸気機関車牽引、快適どころか、シンダは眼に入るわ、煤で顔が黒くなるわで、かいた汗が乾いてベタベタになるわで、大変なものでした。現代の、各停でもエアコンのある列車で旅が出来る、当時から見たら、嘘みたいです。
 ・・・・・そういえば、この列車の機関車、何だったんでしょうね。

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coffee.gif そんなこんなで、翌朝、東京着。旅は終わったようです。MO様、急行瀬戸の情報、感謝です。
 ・・・・・・・では、また!!!


タグ:連絡船 国鉄
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mymeな大家

こんにちは。
私が学生の頃はまだ宇高航路がありました。四国に初めて行ったときには、すでに瀬戸大橋線が出来ており、連絡船には乗ることが出来ませんでした。船に弱い私にとっては良かったのですが・・・青函連絡船でほとんどトイレにいた身としては、「早く無くなれ!」ぐらいに思っていたのですが、今考えてみると酔い止めを飲んでおけば良かっただけの話ですね。
8620綺麗ですね。本当に美しいです。
夏に汗まみれで臭いのは当たり前でしたね。今では身体がどんどん弱くなってしまっているのでしょう。冷房に入りすぎて低体温症の子供もいるぐらいですから。
では、失礼します。

by mymeな大家 (2009-11-26 21:15) 

ひろきん

先日、映画UDONをTVでやってました。
連絡船のうどんが、まずいけど、うまいんだ!って言ってました。
この頃から、デッキで売られていたのでしょうかねぇ~
学生時代、岡山市内で過ごしましたが、
宇野港に行った事はなかったです。
ちょうど瀬戸大橋開通で、橋を渡るウォークイベントやってました。
今思えば、参加して、思い出残しておけばよかった。
連絡船にも乗っておけば。。。遠い、思い出です。
貴重な写真をありがとうございます。
by ひろきん (2009-11-26 21:58) 

えびび

久々にコメントします。

この頃は普通列車でさえ10両以上の編成は当たり前でしたよね。
(この写真の頃は1歳ですけれど…)
山陽本線の岡山駅の東寄りに母親の実家があるんですけれど、
各停しか止まらないヘンピな駅ですがホームは長くて今年の夏に行ったときに驚きました。
by えびび (2009-11-26 22:40) 

なにわ

D50がけん引して、スハフ42-スハ43×5-マシ38-ナハネ10(11)×2-スロ53(54)×2-マロネ29-スハフ42-マニといった編成でしょうか。
ナハネ10の下降窓をいっぱいいっぱいまで下げているので、奇妙な反射をしていますね。
この編成で冷房車は食堂車のマシ38のみです。スシ28だったら全車非冷房車です。

トイレも垂れ流しなので、下手をすると前から粒子が飛んでくるというわけです。
by なにわ (2009-11-26 23:23) 

む〜さん

■■ mymeな大家様:
 デフレクタも煙突のクルクルもない8620、まるで英国の機関車みたいで、実に美しい。グリーンに塗っても綺麗だと思います。
 現在は瀬戸大橋でひょいと渡ってしまいますが、当時の連絡船、ほぼ1時間の船旅、大小の島影、行き交う船、デッキでのんびり眺めたものです。
 小学生の頃の私は、東海道で沼津まで上って来ると、機関車が電気機関車に替わって、窓一杯開放で丹那トンネルの涼風を浴びながら、ほっとしたものです。
■■ ひろきん様:
 UDONは観て居りませんが、廃止前頃の宇高連絡船の、うどんは食べたことがあります。美味かった!!!
 昭和34年に、うどんを売っていたか如何か、まるっきり記憶がありません。少なくとも、並んでいるのを見た記憶もありません。
 私も、在職中、札幌出張がありまして、青函連絡船が未だありました。仕事が終わったのが金曜日の夕方、土曜が休みというのに、カッコつけて飛行機で帰ってきてしまいました。あのチャンスは生かすべきだったと悔やんでも遅いですね。
■■ えびび様:
 お久しぶりです。当時だと、岡山の次は、今の東岡山・・・・西大寺駅ですか・・・・。駅前の財田駅から、3フィートの軽便、西大寺鉄道がありました。ただ一度だけ乗りましたが、お母様はご記憶と思います。素晴らしい軽便車輌が一杯有りました。
 新幹線の窓から、大手饅頭の工場が見えるのもこの辺りだったと思います。大手饅頭も大工場量産量販のイメージになりました。郡山の薄皮饅頭の趣です。内田百閒先生の著書で知って今でも、岡山の物産展があると買ってきます。量産品でも美味いですね。
■■ なにわ様:
 宇野線の機関車はD50にD51が記憶に残って居ります。D50の方がサマになりますね。岡山で機関車を換えたのでしょうか、私は細かいところまで見ていない、『アバウト鉄道ファン』でした。
 スシの食堂で窓を全開して、カレーライスを食べたことがあります。爽快な気分でしたが、当時の私の舌でもあまり美味しくなかったなあ・・・・。
 お弁当だって窓全開です。窓から風に乗って入ってくるトイレのオマケは、そのあと、何処かの大学の先生が、トイレから赤インキを混ぜた水を学生に流させ、窓に紙を貼って実験したと言うような、新聞記事を読んで、アリャリャ・・・と思いました。昭和30年代のお話です。そういえば、2003年、スイスに行きましたが、国鉄だったか、BVZだったか忘れましたが、ナローの客車が「ぼっとん」で、吃驚しました。
by む〜さん (2009-11-27 08:14) 

G20

セブンイレブンの一部サンドイッチと菓子パンに、京急2100系のイラストが描かれていますよ。
by G20 (2009-11-27 16:04) 

む〜さん

■■ G20様:
 おっ!興味あります。いいモノを教えていただき有難う御座います。明日、セブン・イレブン、立ち寄ってみましょう。
by む〜さん (2009-11-27 21:10) 

のり

宇高連絡線、懐かしいですね。私も、両親と一緒に「一目散」を経験した一人です。朝(たしか大阪8時50分発でしたか・・・)の特急「うずしお」(「つばめ」がそのまま西下した超豪華特急)で宇野へ。宇高連絡線から、高松で土讃線の「第2南風」。後免で下車し、土佐電鉄で安芸まで。そこからタクシーで室戸へまいりました。今から40年以上も前のお話です。
by のり (2009-11-27 21:28) 

じろっち

連絡船と列車の乗り継ぎっていうのは、大変だったみたいですねえ。
青森駅でも「青森マラソン」が繰り広げられていたとか。
当時は指定席が無かったんでしょうか?
by じろっち (2009-11-27 21:36) 

manamana

今読んでる本(復讐するは我にあり)に
宇高連絡船が出てきますが、
ちょうどこんな雰囲気なんだなと思って拝見しました。

by manamana (2009-11-27 22:01) 

む〜さん

■■ のり様:
 ご両親と一緒に、室戸へ行かれましたか。私も昭和30年代に、高知から、バスで室戸を回って、牟岐まで行きました。そこから汽車で徳島へ行き、阿波踊りを見たのです。泊まりは鳴門駅近くの旅館でした。のり様のコメントから、そんな事を思い出しながらキーボードを叩いて居ります。
■■ じろっち様:
 いや、じつに大変でした。汽車から船なら、乗船時間は60分ですから、甲板に座ったってヘッチャラでしたが、船から汽車では、そうは行きません。
 指定席は、ふつうは特別急行と寝台車だけでした。予約システムだって今思うと幼稚なものでしたが・・・・。
■■ manamana様:
 昼間の連絡船は島と海を眺め、夜の連絡船は、遠くの明かりが見えるだけでしたが、旅を感じたものです。宇高連絡船も、青函連絡船も無くなって寂しくなりました。長大橋と、長大トンネルで、両者とも列車で渡れる様になり、時間も短縮しました。これだけの事をやっちゃうんですから、人間ってたいしたものです。ただ、100パーセント、いい事なのかと問われたら、答えに詰まります。
by む〜さん (2009-11-27 23:58) 

津沢

む~さん様
ややご無沙汰しました、津沢です。
宇高連絡線の旅はすばらしかったですね。ゆったりと移ろう瀬戸内海を愛でつつ甲板で味わう「讃岐うどん」は格別でした。

瀬戸内は、地中海沿岸ほどではないにしても降水量の少ない乾いた風土で、しかも山(島)の大半が風化しやすい花崗岩でできていて露岩が多いのが特徴です。東京発の「のぞみ」などに乗って姫路を過ぎると禿げ山が現れ「ああ山陽路に来たなァ」と実感します。

高度成長期以前は薪炭や木材の需要も多く、禿げ山も現在より多かったようです。広域の植生調査に携わったことがあります。計り方によって若干異なるのですが、1970年代から1980年代にかけて日本列島の森林総面積は僅かに増えていました。
終戦直後の航空写真をみると、日本中禿げ山だらけ。代替燃料を求めた戦時中の激しい伐採の後遺症です。

> 8620
JR九州「あそBoy」仕業に就いていた頃の58654号機が、濃緑に塗装されたことが一時ありました。日本の鉄道ファンの多くの方々は違和感を抱いたと聞いていますが、私には「これこそ8620型の本来あるべき色だ!」と思えました。

by 津沢 (2009-11-28 00:25) 

じろっち

そういえば、岡山国際サーキット(旧TIサーキット英田)で、F1パシフィックGPが開催された時に、既に連絡船の仕事を終えていた船がシップホテルに利用されたことを思い出しました。

この年は鈴鹿でもF1GPが開催されたため、岡山大会はアジアを彷彿させる言葉を冠して開催したのです。(連続開催の鈴鹿に日本を名乗る優先権があった)

今、大井川鉄道をタイ国鉄仕様の機関車が走行していますが、機関車が真っ黒である必要は無いな、と感じました。
どうゆう経緯で、通常は真っ黒となったんでしょうね。
by じろっち (2009-11-28 05:40) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 お久しぶりです。幼い日から、東海道~宇野線~宇高連絡船~土讃線で、高知まで、数え切れないほど往復しました。海、山、田畑、川の車窓風景を見ながら今まで来たのですが、瀬戸内海の風景は、素晴らしいですね。瀬戸内と言えば、私が思い出すのは『塩田』です。私の小さかった頃は『入浜式』というんでしょうか、水をまき、砂を集め、煮詰める方式です。宇野線、土讃線の車窓から随分眺めました。やがて、塩田は何と言うか咄嗟には出てきませんが(歳の所為か・・・・笑)、あの木の枝だか、竹だかを、高く積み、塩水を流して蒸発効率を高くする方法に変わりました。昭和30年代まで、よく見かけました。やがて、塩といえば輸入品に変わったようで、今、スーパーにある、有名銘柄の美味しい塩というのも、良く見ると原料は輸入ですね。ま、美味しいから文句は言いません。
 車窓風景って、『社会科』『理科』等々、幼い私にはいい教材でした。
 瀬戸大橋の眺望も素晴らしいのですが、観光には時間が短すぎます。やはり、観光旅行なら瀬戸内は船だなあと思ったり致します。
 8620は、若い頃は、『あ、またハチロクだあ・・・・がっかり』なんて思って居ましたが、20代、30代と段々好きになり、今では、私の好きな蒸気機関車ランキングの上位です。まあ、一位は、現役の記憶の無いC53なんですけれど・・・・・。
■■ じろっち様:
 岡山国際サーキットは、地図で見るとかなり不便そうですが、実際はそうでもないのでしょうか?
 機関車の色は、明治の頃の日本でも、黒以外のものもあったようです。詳しく研究していないので、何とも言えませんが・・・・。
 英国旅行の際、車輌を展示してある博物館を四箇所、見学しましたが、色とりどりで、これまた良いなあと思いました。昔から馴染んだ黒一色も好きですけれど。・・・・色付きのC59はあまり想像したくないです。
by む〜さん (2009-11-28 06:43) 

じろっち

岡山はツアーバスで行きました。

サーキットが出来るまでは関西圏の観光バスでも行かない場所だったらしく、運転手が道を間違えました。

公共交通機関で行くのはレース開催日以外は難しいでしょうね。

まあ、日本の大きなサーキットで、駅から無難に歩いていけるのは鈴鹿だけですけど。

もてぎも、渡辺さんの復権があれば、真岡鉄道の延伸で歩いていけるようになるかもしれません。
by じろっち (2009-11-28 21:38) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 こちらからバスで行かれたんですか・・・・直線距離で500kmを遥かに越えます。私のは少々無理だなあ。
 サーキットは騒音、車置き場の関係もあって辺鄙な場所に出来がちですね。高速道路からもかなりありそうです。
by む〜さん (2009-11-29 06:29) 

すもると

むーさん、こんばんは。
いつも昭和30年代の鉄道の雰囲気がよく伝わってくる画像ありがとうございます。僕の両親もむーさんに近い年齢でそれなりに昔の写真があるのですがどうにも鉄道の写真がありません。東京に出てくる前は九州の筑豊でC51が最後まで残っていて普通に見たり乗っていたはずなのですが写真は皆無です。少しでも撮っておいてくれたらなあと何度も思いました。
ところで3枚目の画像、若い女性が白いおしゃれな服着て急いで歩いている様子が見えますが、無事席は取れたのでしょうか?
東京に着く頃は汗と蒸機のばい煙でせっかくの服が台無しになってしまったのではと想像しまが大丈夫だったでしょうか?おめかしは上京後落ち着いてからしましょう。
鉄道を趣味とする立場を離れれば、昭和30年代の「苦行」の旅が今日に至るまでにどれほど楽に良くなったことでしょう。昨日より今日、今日より明日がよくなるようにと、それぞれの立場で働いて来られた僕らの父親、祖父の世代に感謝しなければならない、と時々思うのです。
by すもると (2009-11-29 18:50) 

じろっち

岡山には2回行きました。
1回目は往復とも東京からバス・2回目は行きは岡山まであさかぜ、岡山からバスで帰りは岡山から新横浜までひかりでした。

1回目の帰路で、はじめて大阪万博公園の太陽の塔を見ましたよ。

万博は行けない派だったので、横浜博を楽しみにしていましたが、開会期と閉幕期に行っただけでした・・・
Y150ではなく、YES89の方ですよ!
by じろっち (2009-11-29 21:33) 

む〜さん

■■ すもると様:
 あ、彼女は光っていますよね。私はファッションの歴史は知りませんがそんな気がします。きっと、大都会の方なのでしょう。ま、座席位置の贅沢を言わなければ、なんとか座れるものです。
 辛いことは時間が経つと忘れて行き、楽しいことのみ残るものです。昭和30年代、蒸気機関車は引っ張ってもらうものではなく、眺めるものだなんて言ってた私なのです。
 現代の快適な指定席の車内で、あの蒸気機関車の煙の香りが懐かしいのは不思議ですね。土讃線は100を越えるトンネルで、まさに「苦行」って感じでした。
■■ じろっち様:
 岡山までは列車、そこからバスというのが、一番楽かもしれません。
 博覧会は、つくばの科学博しか知りません。輸入車の連接バスが、日本では珍しかったので、わざわざ、バスのコースの道端で、来るのを待って撮影したりしました。
by む〜さん (2009-11-30 00:13) 

京葉帝都

記録写真と記憶によれば昔の地方の列車は長編成もかなりあったようです。オレンジカードの写真には、松前線でSL(形式不明)+客車10連(昭和30年代)、左沢線でC11+客車10連(昭和30年代?)など。ひたちなか鉄道那珂湊駅の元ステンレスDCの展示室には、戦前の那珂湊駅の修学旅行列車の写真があり、C51+客車11連(17M級)でした。北陸の支線でもC11+客車7連に何度か乗車しました。
幹線では12連が標準だったような気がします。

by 京葉帝都 (2009-11-30 00:46) 

む〜さん

■■ 京葉帝都様:
 長大編成の客車が蒸気機関車に引かれる時代は、道路も整備されて居らず、運転間隔が長くても、充分対応できたようですね。編成長を調整できる客車は、その意味では便利な車輌ですね。自動車が活躍できるインフラが出来てくると、そうも言っておられず、数両の短い編成の気動車・電車でのフリークエントサービスになって行ったようです。
 ひたちなか海浜鉄道で、数日前に何かイベントがあったようですね。数年前に行った、那珂湊駅があまり変わっておらず、懐かしかったです。その終点の阿字ヶ浦駅、屋根無しの長いホームが、過ぎし日の海水浴客輸送の東京直通列車の発着を思わせ、寂しく感じましたっけ・・・・・。
by む〜さん (2009-11-30 09:07) 

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