HP更新:東武鉄道1959年リニューアル [管理人から]
私のホームページ「む~さんの鉄道風景」の、「東武鉄道:貨物列車&電車1959年」をリニューアルいたしましたので、お知らせいたします。
フィルムは、すでに「ビネガーシンドロ-ム」って言うんでしょうか・・・・手帳鉛筆並みの「細長い管」と化し、スキャンもプリントも出来なくなって居ります。幸運にも以前、1,360DPIでスキャンしたデータがありますので、それを加工して、画像を大型化し、以前より、ずっと見やすくなりました。
こんな画像が、大小取り混ぜて22枚で構成された、昭和34年の東武鉄道のアルバムです。
(1) 凄いところでしょう?これが、北千住です。信じられませんね。撮影した私だって・・・・眼を疑います。
(2) モハ3210形。良くも悪くも、まさに東武の電車。私は好きですが、聞くところに拠れば、あまり長距離は乗りたくない電車だったそうです。
そういうわけで、下の「むーさんの鉄道風景のアイコン」をクリックしますと、私のホームページの「東武鉄道 貨物列車&電車・1959年4月」にジャンプいたします。是非、ご覧下さい。
できれば、このブログにコメントを頂戴できると嬉しいです。では、ご来場をお待ちいたして居ります。今回は、これで失礼致します。
№63の汽笛を追加いたしました。右二つが安全弁、左端の円筒が汽笛です。
以上、ご参考まで・・・・・。
タグ:東武
むーさん様のお写真を拝見して3210形や5310形等等乗ってみたかったと、つくづく思います。(生まれる以前の車両なのでどうしようもない事なのですが・・・)
明治・大正・昭和の、SLや電車、気動車(の成れの果て)といった車両達が入り混じった趣味的には面白い時代だったのでしょうね。
ホームページに載っているモハ1403は西新井工場の入換用として最後まで残っていたモニ1473の旅客車時代の姿ですね。
元はクハニとしての誕生でお写真の非パンタ側はクハニ時代の連結面、乗務員扉はかつての荷物室ドアで引戸になっているようです。
戦前製の片運の合造車は連結面に荷物室を設けた例が見られます。幌で繋がっていなかったからでしょうか。
by TH (2009-11-29 22:55)
む~さん様、貴重かつ楽しい写真頁のリニューアルに感謝です。
1959年4月といえば丁度50年前、永井荷風が亡くなった月ですね。荷風が浅草や玉ノ井(東向島)に通う手段としては、東武伊勢崎線よりも京成バスなどを多く使ったようです。京成白髭線の廃線跡紀行ともいえる『寺島の記』などの著作から、「東武は貨物」の印象が強かったようにも読めます。
業平橋の貨物営業が縮小~廃止されて久しいのですが、比較的最近まで構内にはその面影が強く残り、好きな鉄道駅のひとつでした。
西新井~大師前間の折り返しのクハ351。あり得ない話ですが、この車輌に乗って浅草から会津田島まで大旅行してみたいと思いました。現在の6050系でも、十分に長距離鈍行の味わいがありますが...。
by 津沢 (2009-11-29 23:24)
■■ TH様:
昭和30年代前半位までは、目地時代の車輌も見かけることがありました。そして、最新の高性能列車たち。考えてみると、鉄道の一番いい時期を、私は生きることが出来ているわけで、鉄道ファン冥利に尽きますね。その割りに、見に、乗りに行って無いのですが(笑)。ご馳走が一杯テーブルに有るのに、食べなかった馬鹿な私なんです。今頃後悔したって遅いですが・・・・。
あのモハ1403は、モニ化されたんですか・・・成る程。
■■ 津沢様:
先だって、東向島のホームで電車撮影したのですが、6050も来ました。お弁当持込で、乗りたいですね。せめて、春日部まででも・・・・・。
此処のところ、ホームページのリニューアル工事に掛かる時間が大きく、ブログ更新が手薄になっています。両者両立・・・・結構、エネルギー使いますね。
by む〜さん (2009-11-30 00:26)
東武線の昔の電車は、相当ごつい感じですね。
野武士というあだ名があったような気がしますが。
by manamana (2009-11-30 06:53)
ピーコックなんとも美しいですね。
そしてかなりの力持ちのようですね。こんなに長編製の貨物を牽引しているとは思いませんでした。
by ファジー (2009-11-30 08:19)
■■ manamana様:
昭和30年前後から付き合い始めた東武ですが、ごつい電車、スマートな電車が、混在して居りました。しかも、ひと編成に、それが混ざってやって来るのです。編成美ということは特急などのほかは、見たことが無かった気がします。もっとも、通った回数は知れてますので、断定はしません。「野武士」の名は聞いたことがあります。なんとなく、核心を突いている気がします。
■■ ファジー様:
リンク先の私のホームページに出てくる№63も、№45、そしてこの№61も、「ネルソン」と呼ばれていたらしいのです。国鉄から1930年代から40年初頭に掛けて、やってきた6200や6250なのだそうです。ピーコックや、ダブス(読み方に異論あるようですが)、ネルソン(読み方はダブス同様)など、2-Bのテンダーは、英国スタイルのスマートな機関車でした。こんなのが、1960年代まで活躍できた東武って会社は、ある意味、凄い会社ですね。
東武の路線は、関東平野の平坦な路線が多く、これで、充分だったのかもしれません。
by む〜さん (2009-11-30 09:01)
私が上京した頃、東武は葡萄色からオレンジにベージュのカラーに変わっており、新車の主力は7800系でした。戦前型の5300系列も確か準急仕様で使われていたように思います。5310系は東武野田線のお花見臨電?で側線に停車中の姿を見ました。3210系は支線のローカルに使われていたような気もしますが、東上線ではまだ主力だったかもしれません。何より驚いたのは明治の薫りがする蒸機が現役で使われていたことでした。特急は私の好みの1700系、急行は5700系、5310系のクロス車が使われ関西から上京して長距離私鉄として唯一認める存在でした。北千住もまだ地平駅だったような気がします。関西の私鉄は皆立派なターミナル駅がありましたが、東京に来てどの私鉄もターミナルがショボイなと思ったものです。今のように広くなったり二層構造になったのはオリンピック以後だったでしょうか。
東武は学生時代に支線も含めほとんど一度は乗車したと思います。島式ホームが多くタブレット受け渡しの便のためか戦前の車両は右側運転室の車両が多く驚いたな記憶があります。古き良き思い出です。
by デトニ2300 (2009-11-30 10:57)
■■ デトニ2300様:
私は東京の東急エリアに住んで居りましたし、結構、出不精で・・・オーディオ&ラジオ少年でもあったし・・・・東京の向こう側、東武、京成、西武のエリアには行くことが少なかったのです。
東武は蒸気機関車が長大編成の貨物列車を引いているとは知っては居ましたが、ようやく、友人に誘われて重い腰を上げたのでした。東武の貨車には特に模型化への興味があり、沢山写したのです。高校3年、大学4年で、10階は行ってなかったと思います。そんな、怠慢ファンでした。
東京の私鉄のターミナルは、殆どが山手線の駅に隣接し、独立したターミナルを持っていたのは、東武の浅草と、京成の上野くらいだったのです。関東と関西の私鉄はその成り立ちも違い、比較も難しいのですが、電車そのものを較べると、格段の差があったと思います。
昭和20年代、30年代、もっともっと見て乗って撮って置けばよかったと悔やむことしきりです。
by む〜さん (2009-11-30 18:52)
こんにちは。
何だか明治時代の写真を見ているようですねぇ。
明治時代の機関車はとても美しいです。イギリスの機関車みたいに甲高い汽笛を鳴らすのでしょうか。
むーさん、東武鉄道の音は録音されませんでしたか?
では、失礼します。
by mymeな大家 (2009-11-30 21:43)
こんばんは。西新井工場は少なくとも80年代前半までは守衛さんにお願いすると中に入れてくれました。5000系への更新中の7800系のつり革をもらってきたことがあります。その頃まではモニ1473などの荷電が健在で、複々線区間では急行線をDRCや準急の合間を縫ってモーターから悲鳴を上げながら全力疾走してたのを写真に撮りました。東武の長い歴史を背負ってることも知らず単行でしょぼいなどと思っていたのは本当に若気の至りです。
by すもると (2009-11-30 23:42)
■■ mymeな大家様:
機関車6200、6250は1900年・明治33年ごろの製造だそうですから、まさに明治ですね。真空ブレーキだったそうですから空気関係の部品は無く、連結器もバッファ&スクリューでしたから、もっと、すっきりしていたことでしょう。汽笛は忘れましたが、写真を拡大しましたら、如何やら『P~!』か『PO~!』って感じだったようです。汽笛の拡大写真を追加して置きました。
残念ながら、東武の録音はしていないのです。
■■ すもると様:
昔は長閑なもので、気をつけてくださいよ!の一言でOKでしたね。こっちも、充分に気をつけ、各種装置には手を触れませんでした。何か持って来ちゃうような不逞の輩は、居なかったのでしょうね。段々、コレクターとか、蒐集物件の売買なんて、お金儲け風になってきた気がします。嫌な世の中だなあと思います。私も、ある時期まで、切符を集めていましたが、「お値段が付く」と言うことを志って、自分の行動・旅行の記念品的切符以外は手を出さなくなりました。
私も、古い電車には眼もくれず、新車、新車の時代がありました。今考えると、馬鹿だったなあと思うのです。
by む〜さん (2009-12-01 09:12)
汽笛の写真ありがとうございます。
中に何本か入っていそうですが、明らかに日本に機関車とは違うような感じがしますね。勝手な想像ではありますけれど。
そうですね。真空ブレーキですともっとすっきりしていたことでしょう。バッファは凸と凹があったとものの本で読みました。静鉄の路面電車のHPを見させて頂きましたが、見分けがつきませんでした。むーさん見覚えありますでしょうか。私は交通博物館で見たマレー型のバッファが凸と凹になっているのを確認したきりです。
では失礼します。
by mymeな大家 (2009-12-01 21:13)
なんとも凄い素晴らしい写真ですね。ネルソンは、うちの子供が「トーマスや!」などと申しております。そういえば、どことなくそんな感じもいたしますね。
独特の風貌をもつ東武の旧型車も楽しく拝見させていただきました。
by のり (2009-12-01 21:40)
■■ mymeな大家様:
汽笛の写真、お役に立ったでしょうか・・・・・。今の私だったら、細かく写したと思いますが、当時は・・・。
連結器のバッファの凹凸は、あるのと、無いのと、あるらしいですね。2000年、2003年に、英国とスイスに行きましたが、気付きませんでした。観察眼の無いむ~さんですが、写真は沢山撮りましたので、一齣くらいは、判別できるのがあるかもしれません。見てみたいと思います。
■■ のり様:
トーマスですか・・・・確かに如何にも英国製と言うスタイルの機関車だし、トーマスも英国のお話ですので、似てるってのは頷けますね。お子様の直感は素晴らしいです。
当時は、鈍重な、垢抜けない電車の多い鉄道と、あまり訪問しませんしたが、今になって、趣味的に面白く、個性的な電車の宝庫だったなあと悔やんでいます。
by む〜さん (2009-12-02 00:31)
現在の東武や西武池袋線は電鉄の風貌だが、その出自は電鉄でなく、普通鉄道。
そのため貨物輸送時代の駅の大きな敷地を残していた。
小田急や東急の出自は普通鉄道でなく電鉄(別名郊外電車)。そのため駅の周りに最小限の敷地しか無く、高度成長以降、貨物輸送が無くなり、都市鉄道が電鉄一本になった時に、その時点で複々線にすべき課題をこなせなかった。
西武新宿線(旧西武鉄道)や田園都市線は未だに複々線を作れません。
一方東武や西武池袋線(旧武蔵野鉄道)は元の本格鉄道の遺産を生かした、複々線化で電鉄の力量を発揮してると思います。
by 鈴木光太郎 (2009-12-02 19:43)
■■ 鈴木光太郎様:
私は素人なので詳しいことは判りませんが、確かに東武の複々線化は早かったですね。ただ、北千住から先ですから、山手線隣接の、城南地区の私鉄各社と較べて、工事がやりやすかったのではないかとも思います。
田園都市線は鉄道と沿線開発の調和が失敗したように思えます。10年ほど前に通勤利用を止めましたが、最近の通勤時の混雑は大変なものらしいです。
by む〜さん (2009-12-03 22:05)