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またも、ホームページ更新のお知らせ   [管理人から]

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  私のホームページ「む~さんの鉄道風景」を、また更新いたしました
  今回の、更新のお知らせは、「二件あります」。以前、公開したものの、リニューアル版ですので、ご覧になった方も、いらっしゃるかもしれません。しかも、このブログで、画像を殆ど、480×360pixelのサイズで発表いたして居ります。
 今回の更新は、画像を大型化し、見やすく致しました。

 それぞれの画像をクリック頂きますと該当のページにジャンプ致します。

(1) 「横浜から菊名&日吉:私鉄総天然色写真集1960年」・・・・・京浜急行、横浜市電、相模鉄道、東急東横線のカラー画像を、700×467pixelなどの、大型画像を含む写真集です。下の画像をクリックしますと、別の窓が開き、ご覧頂けます。
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(2) 「東急東横線・急行運転再開1955年」・・・・・昭和30年4月、再開された東急東横線の急行運転などの写真集です。デハ3700系の急行運転写真は、このブログでご覧頂いたのは、つい先ごろのことでした。大型写真も交えてご覧頂けます。下の画像をクリックいたしますと、別の窓が開いて、ご覧になれます。
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pen-ojigi2.gif お時間が御座いましたら、ご覧頂きたく存じます。できれば、このブログに、コメント頂けますと嬉しいです


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mymeな大家

こんにちは。
大きな画像は迫力がありますね。しかし本当に綺麗に写っています。今となってはクラシック・カメラでしょうけれど、むーさんはいいカメラをお持ちです。
相鉄5200が写っている後方の団地は、同潤会の平沼アパートに見えますがいかがでしょう。場所が違うかしら・・・。
気の利いたコメントが出来ずにすみません。
失礼します。
by mymeな大家 (2009-12-03 21:32) 

じろっち

高架下の国鉄?のホームに見える電車は、根岸線でしょうか?

東横線も緑色だったんですねえ。
当時の車体色がステンレスボディ車に一切採用されていない理由は何でしょうね?

今日は通勤時間帯に人身事故があり、東海道線と京浜東北線が混乱しました。
6時55分に、自殺なんて止めてほしいですね。
by じろっち (2009-12-03 21:40) 

む〜さん

■■ mymeな大家様:
 オリンパスペン(F3.5付)は最高速で200分の1秒ですから走りものの撮影には向いていませんでしたが、何しろ安かった。そして、フィルムの代金が半額とあって、リバーサルカラーは割りと写しやすかったのです。露出計は入ってないので、セコニックのオートルミっていう安いものを使って居りました。
 相鉄の5000を写したのは、浅間下から高島町に至る市電通りの平沼橋の上からです。遠くに京浜東北の桜木町への架線柱が写っていますね。同潤会アパートは判りませんが、場所はそういう訳です。
■■ じろっち様:
 東急5000が鉄橋を渡る写真の国鉄ホームは東海道の上りホームで、その向こうに下りホームが写っています。京浜東北のホームは、ずれており、写っておりません。根岸線の開通は少し先になります。
 東急のステンレス化は徹底していましたね。最後の普通鋼車が5000でありました。他の吊り掛け車が緑一色になるのも近いころでありました。ステンレス化は、軽量化、塗料経費の節減、長寿命などのメリットがあるようです。私はあまり好きではありませんが、時代は確実にステンレス・アルミになりました。
by む〜さん (2009-12-03 22:24) 

TH

登場した頃の5000系の写真や今回のむーさん様のお写真を見ると、私が知っている大井町線や目蒲線で走っていた晩年の頃のグリーンより、明るいグリーンだったように感じられるのですが如何でしょう?

ステンレスカーは7000系の製造以来に東急車輛がアメリカのバッド社とライセンス契約を結んだため、長年他の日本のメーカーではオールステンレス車を製造できず、セミステンレス車しか製造できなかったと聞いています。

ステンレスカーが増えたのは東急車輛のライセンス切れというのも一因のようです。


by TH (2009-12-04 01:23) 

む〜さん

■■ TH様:
 デハ5000は、登場時から「明るい濁りの無い草色」でした。アマガエルのグリーンを見ると、『青蛙』のニックネームも頷けます。
 その後、従来の吊り掛け車も、緑色になりましたが、何故か、濁ったような感じになりました。もっとも、新塗装時は澄んだ草色だったかどうか、記憶がもうありません。ただ、デハ5000の色は、長い間、澄んだ色だった記憶もありますし、2006年暮れに、熊本電鉄で回り逢った5000も、色は澄んでいたように覚えています。
 地下鉄乗り入れのデハ7000は、モロに米国のバッド社の気動車にそっくりのイメージでした。その後、東急のステンレスカーは南海の6000の丸っこい顔でなく、断崖絶壁の食パン電車の道を歩んだのはご承知のとおりです。現代の新5000で、やっと丸っこい顔に戻って、一安心です。
 日立製作所は、A-Trainみたいなアルミ車ですね。川崎と日本車両がステンレスですか・・・・・・。
 そういえば、ステンレス流し台電車あふれる昨今、新幹線は如何なって行くのでしょう・・・そして、路面電車、気になります。
by む〜さん (2009-12-04 08:32) 

hirorail2010

東急東横線本当に懐かしいです
武蔵小杉が法政大学の教養部でしたから渋谷から武蔵小杉まで乗りました
東急5000形は当時一番新しい車両でした。
当時は渋谷ー田園調布、渋谷ー桜木町が交互にデイタイムは運転されていました。

横浜市電の単車と大型ボギー者は対照的でした。廃止が早かったのであまり記憶にありません。

相鉄横浜駅は地平だったのですね、一度も行ったことはないのですが僕が横浜に越してきた16年前には2000形が走っていました。
いまは相模大塚車両基地で片鱗を見ることができていますね
by hirorail2010 (2009-12-04 14:08) 

鈴木光太郎

東急=東急車輛は民営ながら、東急より上位に位置する国有鉄道に先駆けてステンレスを推進したので、それを誇ってるのではないでしょうか? 1959年頃ステンレス化で東急に負けた国有鉄道は、ステンレスに関してはフェイドアウトしたわけですから。
ステンレス車の外観は画一的で面白くはないのですが、今の私は趣味者の立場を捨てて単なる利用車の立場になりまして、外見の優劣に関わらず、着席率が高い、運賃が安い、クロスシート、トイレ付き、で採点してます。

by 鈴木光太郎 (2009-12-04 17:18) 

む〜さん

■■ hirorail2010様:
 法政でしたら東横線が便利でしたね。田んぼの向こうに法政の高い塔が見える二ケ領用水が東横線をくぐる辺りでザリガニを採っていたのが、小学生時代のむ~さんでした。そんな大量?のザリガニを茹でて飼っていた鶏に食べさせて、鶏卵に変換して食卓に乗せました。私も、遊びながら多少は役に立っていたわけです(笑)。昭和20年代中ごろのお話です。東横線には工業都市って駅があり、武蔵小杉は仮駅みたいな姿でした。
 昭和36年に私は結婚し六角橋に住んだのですが、市電の終点があり、各種の電車が続々とやってきます。あ~、それなのに、写真を撮っていない、罰当たりの私でした。とほほ・・・・です。
 その相鉄の2000ですが、先日、友人から、伊豆箱根鉄道大雄山線の大雄山駅に留置してある写真を見せてもらいました。まだ、事業用車として動いているようです。
■■ 鈴木光太郎様:
 湘南電車のサロとか、房総用のキハで、ステンレス車を作りましたね。後に他の気動車並みのオレンジ色に塗装されたステンレス車は、私は、何だか惨めだなあと思ったものです。
 確かに私の嫌いな小田急3000系も、某SNSのアンケートですと、人気車輌の上位に居たりします。東急の8500も人気者でした。まあ、姿かたちを云々するのは趣味人の趣味人たるところですね。それが又、楽しいわけで・・・・・。うちのカミさんなんか、形式による差異など全く気にしてません(笑)。普通の利用者さんも、そうだと思います。大体、乗ってしまえば、己の姿は見えないわけで、関心は、インテリアに行くと思います。
by む〜さん (2009-12-04 20:33) 

yongo

こうして見ると京急が一番変わっていないのでしょうか?あまり馴染みがない列車なのですが、横浜や品川の駅で車体を見ると「レトロだな〜」と思っていました。デザインに歴史があったのですね。
関西の列車は強烈な印象だったのですね〜!「急行が復活」というのがなんだかとても新鮮に感じました。
by yongo (2009-12-24 13:11) 

む〜さん

■■ yongo様:
 そうかもしれませんね。東横線と相鉄は、みんな20mのステンレスになっちゃったんですから。京浜急行は、蒲田以北の他社乗り入れは賑やかになりましたし、これから、ステンレスも増えてくると思われますので、ここでかなり変わると思われます。高架化ももう一息ですし・・・・・。
 東横線の急行は戦後、私が中学生の頃一時、復活したのですが、すぐに止めてしまい、この昭和30年に復活したのです。
by む〜さん (2009-12-25 09:31) 

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