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デハ5000と小田急顔 [小田急・江ノ電・箱根登山]

oer5000_gif-ani_02.gif
(GIFアニメのフリーソフト「GIAM」で作ってみました)
pencil-red.gif 私の地元を走る小田急、日常生活と切り離せない、大好きな小田急」「デハ5000」一族が、そろそろ危ないような気配になってきたようです。4000は地下鉄仕様のようなので、3000の増備が行われるのか、新系統の出現になるか、判りませんが・・・・・。
 5000が消えれば、「伝統の小田急顔」が消えて行く事になります。また新しい顔が現れてくるのでしょうが、ちょっと寂しい気持ちがしないでもありません。

pencil-red.gif 今日は、そんな「小田急顔」について書きます。・・・・な~んて言っても、所詮は私の貧弱な脳ミソ、たいした事は書きません。(笑)

■■■ デハ5000と小田急顔 ■■■

 「小田急顔」の定義は何でしょう。

 ・貫通型だが幌なし(例外あり)。
 ・おでこの前照灯・・・・終期には2灯でしたが。
 ・できれば貫通扉脇には大きなハンドレール。
 ・尾灯・急行灯
(残念ながら現在は消灯)は「オデコの両側」に。
 ・現代の5000につながる
雰囲気・・・・・??(うまく表現できないけど)

 ・・・・・もっとあるのでしょうが、こんなところで。

(1) 2006年5000の急行鶴川~玉川学園前の和光大学脇、桜満開!!
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(2) 1954年2100です。これに続くカルダンドライブの2200に受け継がれるサイドのドアと窓配置。前面の大袈裟な貫通ドア脇のハンドレールが目立ちます・・・・東北沢駅
02-1954-05-higashikitazawa-01.jpg

(3) ちょっと脱線します・・・・方向板の左の文字を拡大してみましたら、「稲田登戸」、たしかに昭和30年に「向ヶ丘遊園」になったのです。
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(4) 1960年参宮橋で。デハ1600・・・・パンタの横型碍子が懐かしい。
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(5) 1966年新原町田駅付近。ロマンスカー1700もSEやNSEが増備されると通勤車に変わりました。
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(6) 1954年箱根板橋駅2000の新宿行急行。セミクロスシート。1600、1700ほど前面が丸っこく無いのですが『一応』小田急顔に入れておきます。1900もこんな感じの3扉車でした。
06-1954-12-hakoneitabashi.jpg

(7) 1966年、新原町田駅付近で、一時は小田急の代表的通勤車だったHE車2400
07-1966-shinharamachida-2472.jpg

(8) 1966年2600NHE車です。撮影場所は新原町田駅そばの踏切。写真が意外と無いのが我ながら情け無いです。これは、コダックインスタマチック(126フィルム使用)の一番安い、プラスティックレンズの、英語で言えば、Simple Camera、まあ、早く言えば所謂トイカメラですが。一応写っておりナンバーの2XX7は読み取れました。然し、この色、良いなあ!!
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(9) 1967年キハ5100+キハ5000・・・・御殿場線で堂々たる重連の雄姿。これもまさに小田急顔です。
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(10) (9)の顔部分拡大。紛れもない小田急顔にヘッドマークは『「富士山」に「銀嶺」、「新宿-御殿場(推測)』。
670812gotemba119-02.jpg

(11) 1970年、玉川学園前駅付近。4連で各停の小田原行きとなっている4連の5000。デビュー後、そんなに経っていない筈。
08-1972-tamagawagakuenmae.jpg

(12) 1960年、経堂駅。小田急顔とは、ちょっと違うかもしれませんが、国鉄モハ63の1800です。小田急で生まれ変わると貫通型になっちゃう。折りしも経堂駅、大改修でホームは砂利だし、屋根の上には人がいます。
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coffee_st-marc.gif 今回は、即時と言うことは無さそうですが、絶滅が危惧されている5000に関連して、「小田急顔」の電車を並べてみました。
 小田急顔、最後の形式5000シリーズ、今後も、機会あるごとに、チープなデジカメではありますが、せっせと写して置こうと思って居ります。
 そして、新しい小田急顔になるのは、どの電車になるのでしょう??

coffee_misdo_2.gif では、こんなところで失礼致します。


タグ:小田急
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じろっち

むーさんの当時の愛車も良い感じですね。

今日は東海道線で辻堂に行ったんですが、その際に見たものをご報告です。

まず、藤沢駅の近くの鉄橋脇で、訓練用と思われる踏切施設を発見!
意図的に故障を起こし、対応させるんでしょうね。

二つ目は辻堂駅の工事。
貨物線にホームを作っているようです。
東海道線の上り線も隣に設置した新線に移動させ、ホームの幅を拡げるようです。

三つ目は、大船でちらっと見えた山手線用E231。
鎌倉踏切の方に走ってゆきました。
最後尾車をちらっと見ただけなので、廃車回送かは分かりませんが、最後尾はちゃんとした先頭車だったし、反射板も無いように見えたので、団臨かもしれません。

そういや大船の東海道線上りホームに撮り鉄が居たもんなあ。
by じろっち (2010-02-13 21:46) 

サッシの父

小田急顔の一挙掲載、ありがとうございます。壮観ですね。
先日のお出かけ通信で(2)の写真を拝見してから、小生の
頭の中で何やらもやもやしたものがあったのですが、ようやく
その理由が分かりました。
小生の中では、(2)の2100が、阪急の1000系シリーズと
重なっているのです。確かに、阪急1000系は、む~さんが
定義された5条件のうち、殆どを満たしていると思います。
その後の阪急は1000系に出た2000系が「顔」になりましたが、
もし2000系がスタンダードにならなければ、若しかしたら阪急と
小田急はお互いに懐かしさを感じあう電車になったのかな、などと
妄想してしまいます。


by サッシの父 (2010-02-14 01:36) 

こんにちは

小田急顔、楽しませていただきました。
テール・ランプが上部についているのは結構好きです。そういえば上部は通過表示灯であったりする車両もありますね。小田急は通過表示灯はなかったようですね。通過表示灯は格好がいいです。
最後から2番目の5000系、スカートがあるのと無いのとでは印象がかなり変わりますね。
では失礼します。
by こんにちは (2010-02-14 02:00) 

じろっち

小田急の旧車は運転席貫通扉が多いですが、先頭車を中間車にした編成では、通り抜け出来ましたっけ?
あまり通り抜けた記憶が無いんですが・・・
昔は地下区間も無かったので、存在意義が疑問です。

現代は多くの鉄道会社が同じ車両メーカーに新車を発注するので、〇〇顔は無くなっていくんじゃないですか。
特に相互乗り入れがある会社は、その傾向が強いようです。
そのうち伊豆箱根鉄道が所有する元JR東185系が登場したりして・・・

昨日辻堂で上りを待っていた時に、上りの踊り子と下りのアクティがほぼ同時に入線通過してゆきました。
辻堂駅のような狭いホームで上下線同時通過があると恐ろしいですね。
ホーム中央部に看板等を兼ねた防風壁が有ってもよいかな、と思いました。
防風壁に寄りかかっていれば、通過風の影響は減るでしょうから。
by じろっち (2010-02-14 06:16) 

じろっち

踏切での写真に喫煙している作業員が写っていますが、あれは警手でしょうか?
反対側に写っている小屋は警手小屋ですよねえ?
小田急はいつまで警手が居たんでしょうか?

今も警手が居たとして、喫煙しながら安全確認していたら、安全への影響が無くても処分されるでしょうね。
by じろっち (2010-02-14 06:20) 

manamana

小田急顔の系譜が総覧できて、勉強になります。
5000系より前だと、前面の窓が1段くぼんでいて、
まるで二重まぶたみたいに見えます。
それと貫通路脇のおおきな手すりが特徴ですね。
by manamana (2010-02-14 08:08) 

のり

5000一族にいたる小田急スタイルの系譜、とてもよくわかりました。ありがとうございます。
「63」が小田急スタイルになってしまっているのがおもしろいですね。
パンタの横型碍子、近鉄も大型パンタの時代はそうでしたね。
サッシの父様がおっしゃるように、阪急の1000シリーズは、その後の阪急スタイルをイメージするはずだったものらしいのですが、非常に手の込んだ、あまりにも金のかかる構造だったという話を聞いたことがあります。少々予算を抑えた2000シリーズが次に登場し、その後の阪急スタイルを決定付けたようですね。
by のり (2010-02-14 08:44) 

亀甲デザイン研究所

子供の頃、親に連れられて親戚が住む新原町田によく通ったおり、小田急顔は馴染みがありました。Hゴムが普及してから、更新車は全てHゴム顔になり、優しい表情になりましたね。判で押したような小田急顔は今で言う企業アイデンティの先駆けだったのでしょうか。それから前面に貫通幌を設けないのも伝統でしたね。
拙サイトでこんな遊びをしてみました。
http://www.geocities.jp/soramako817/Ana.html#HORO2
by 亀甲デザイン研究所 (2010-02-14 08:58) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 辻堂・大船周辺JR情報、有難う御座います。小田急で直ぐなんですが中々行かれないものです。大船は、東海道・横須賀・根岸・それにNEXも来るし、駅前にはモノレール。行きたい場所なんですが、何時でもと思うと、なかなか・・・・です。
 確かに通過列車の風圧はおっかないときがありますね。今の流れで行くと、乗客からのホームの安全壁設置の圧力が強まるかもしれません。鉄道各社さんは大変なことと思います。費用、車種統一・・・・種々問題ありますね。
 新原町田の踏み切りのヘルメットさんは多分、非番の方なのでしょう。50年前は喫煙への姿勢も違いますが、いくら50年前でも、執務中の方が喫煙すると言うことは無かったと思われます。また、立っている位置からしては、踏み切り警備員さんでは無さそうです。この当時、この踏切の状況はどうなっていたか、記憶がありません。たしか、神奈川中央交通のバスが日常的に渡っていたと思われますが、はっきりした記憶はありません。
 話は変わりますが、煙草と言えば、昔の専売公社のポスターにあった『今日も元気だ煙草が美味い』というフレーズを覚えています。
 小田急は、相模大野での分割、併合が頻繁でしたので、6+4などの編成が多いのです。現在、終点まで10連で通せるのですが、従来車が6+4が基本だったので、そのままなのでしょう。あの貫通ドアは乗務員さん向けなのでしょう。退避用としては考えていないようで、3000は何にもありません。ま、4000は地下鉄仕様なので顔ドアつきですが。
 現在も、小田原行き急行に4000が入るときがあり、これは10連総貫通です。
 現在の関東地方の大手私鉄は、JR仕様の231や233を顔だけ変えて、T車輌さんにまかせっきりみたいに感じられますね。私は、相鉄の10000の顔、好きですよ。小田急の3000の食パンは、好きになれません。でも、逃げるわけには行かないので、せっせと写真撮ってます。(笑)
■■ サッシの父様:
 阪急の1000、1100は、1200、1300、1600あたりで終わってしまい、2000の流れで2800特急車までゆきました。じつは、私は、2000顔が好きで、中でも2800が大好きだったのです。6300の白い屋根をどうしても受け入れることが出来ませんでした。
 阪急と小田急が似たもの同士顔になっていたら、面白そうですね。
■■ こんにちは様:
 十代の頃、小田急を初めてみまして、オデコの両側にある尾灯がとてもかっこよく感じました。地元の東急では下についてましたから。まして、急行灯の白灯点灯、かっこよかった。しかし、何時のことだったでしょうか、点灯しなくなりました。たしか、京浜急行は今でも点灯していると思われますが・・・・自信はありません。
■■ manamana様:
 2600NHE車までは、前面窓が一段凹ませてH護謨で留められていました。いまの5000のタイプは何と無く平板な感じに見えます。
■■ のり様:
 大きなパンタグラフに目立つ横型の碍子、じつに精悍な感じに見えますね。近鉄の2200なんかその典型でした。
 パンタグラフと言えば、思い出すのが阪和電鉄のパンタで、日本離れした形でした。モヨ100などについていましたが、昭和29年に天王寺駅でモハ2200?になったモヨ100が、このパンタをつけていて感激しました。(思い違いかもしれません)
■■ 亀甲デザイン研究所様:
 HP、拝見しました。貫通幌で印象ががらりと変わるものですね。幌つき電車は、関東地方、特に私の育った、東京、城南・城西エリアでは殆ど見かけませんでした。昭和29年初めて旅した関西、幌付き電車が多かったのには驚きました。車輌相互間の通行に便利で、乗客本位なのだなあと思いましたっけ。

by む〜さん (2010-02-14 10:21) 

べる

こうして並べて見ると何かに似ているなぁと思ったら
小田急百貨店の「〇小」を図案化したロゴですね。
自社の電車の顔を意識して小の字を上に配置したのでしょうか?
そもそも電車の顔も小の字を意識してレイアウトしたのでしょうか?
色々と想像させてくれて楽しいですね。

小田急顔のような統一感が無くなっていく事はさみしいですね。
常に進化する斬新なデザインも結構ですが
ベンツの車のように進化はしてるけど一目でベンツとわかるような
デザイン手法は日本では受け入れられないのでしょうかね。
by べる (2010-02-14 11:08) 

なにわ

小田急顔を意識的に採用しだしたのは2100からなんでしょう。
1900や1910にはまだそんな意識はなかったと思われます。

3000は酷評を受けてますが、あれは東急車輛じゃないですから。

それよりも18m片開き3扉、ドア間窓3枚という2100の側面デザイン、京王2000、1000、京成3000、京急1000とフォーミュラカーのごとく存在しました。こっちのほうが東急車輛の匂いがぷんぷんするのです。
で、親会社にはいないんですよ。6000から両開きですから。
by なにわ (2010-02-14 11:30) 

mymeな大家

むーさん、すみません。
いつもの「こんにちは」が「お名前」に入ってしまったようで・・・。
私が中学~高校時代に夢中になって撮影した、東横線の7000、7200の急行は通過表示灯が点灯していました。確かに何時ごろから点灯させなくなったのでしょうかね。
おっしゃるとおり、まだ点灯させていたような気がします。
では、失礼します。

by mymeな大家 (2010-02-14 17:38) 

む〜さん

■■ べる様:
 小田急デパートの『丸に小』のマークは良いデザインと思うのですが最近は影が薄いみたいに感じます。百貨店も意識して使っていないのではないかと思ったりします。子供の目には犬の顔に見えるらしく、40年ほど昔、うちの子が盛んに云ってました。
 今後、何時の日か現れるであろう新系列の通勤車の顔が楽しみです。
■■ なにわ様:
 1600の丸っこい顔から、1900、1910はちょっと平べったくなりましたね。
 3000の切妻の前面はもうすこし何とかして欲しいと思っています。63形からずっと続いている切妻ですが・・・・。確かに東急が231を小田急向けに作ったわけではないようですね。この点は私の思い込みでした。ご指摘有難う御座います。
■■ mymeな大家様:
 あ、そうだったんですね。急行灯は、ホームのお客さんが見るものではないのでしょうが、何だか颯爽とした感じがして良い物ですね。
 私は昭和20年代末の阪神の急行灯が好きでした。幅の狭い、800番台の電車の顔、向かって左のオデコに一灯、もう一つは右の頬っぺたについて居りました。少年む~君は一目で好きになってしまったんです。
by む〜さん (2010-02-14 19:51) 

津沢

む~さん様   津沢です

小田急顔、貫通扉脇の大きなハンドレールが、表情を引き締め奥行きを与えていると思います。濃い青と黄色の旧塗色も強く印象に残っています。

1960年代前半に、まだ戦災復興車が幅をきかせていた西武沿線に住んでいた当時、101系が主力の中央線や、先進的な車輌を擁する小田急は、スマートで羨ましいかぎりでした。

時々乗せてもらえる機会がありましたが、客室内に時計があったと記憶しています。たしか東京オリンピック(1964)前に乗った両開扉車なので2400系(HE車)だったハズですが、運転室との仕切の客室側に直径20~30cmくらいの壁掛時計が掲げられていました。

小田急車内の時計について言及した文献をみたことがないので、私の記憶違いかも知れないのですが、む~さん様はじめコメント欄に参加されている各位で、ご存じの方いらっしゃるでしょうか?
by 津沢 (2010-02-14 19:54) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 申し訳ありません。46年前のこととて完璧に記憶喪失です。心当たりもありますので、問い合わせていますので、何か分かるかもしれません。
 東京の都バスの車内に時計が付いていた時代がありまして、それは覚えています。如何いうメカの時計かわかりませんが・・・・。
by む〜さん (2010-02-14 21:08) 

Cedar

関東の通勤電車はこのまま行くと、東急車輛系、日立系、日車系のメーカー系3系列×お面バリエーションになってしまいそうです。

小田急は京成・名鉄と同じ日車系ですね。個人的には西武・東武・東京メトロの日立系が好きなんですが・・

新・小田急フェイスの復活、確立を願うところです。
by Cedar (2010-02-14 21:50) 

ぽんた

大好きな5000と、昔の小田急顔だらけで
ウットリでございます。しあわせ~☆
すてきですね。
おでこのライトがたまらなく可愛いです。

by ぽんた (2010-02-14 21:55) 

じろっち

今日は秋葉原に行きました。
秋葉原駅構内には飲食店が集結した場所がありましたが、東北東海道直結線建設の関係でか、全店閉店していました。
新線の工事は順調みたいです。

交通博物館跡地にも行きましたが、建物が取り壊し中で、館内に展示されていた写真が見えました。
現場に新築建物の表示がありましたが、建築主にJR東日本と書いてあったので、新築される建物にも鉄道要素は含まれるでしょう。
万世橋駅が現存するという想定で、万世橋駅と現代の秋葉原の街を一体化したNゲージのレイアウトがレンタル軌道で登場したら受けそうです。

京浜東北線で帰宅途中に、神田-東京にE231系が止まっていました。
もう、上野方面への運転が開始された時の訓練が始まっているんでしょうか?
それとも、多客時間帯恒例の風景なんでしょうか?
日曜日の16時頃の東海道線なんて、次々出発するほど混んでないと思うんですが・・・
by じろっち (2010-02-14 22:06) 

'80XE  PA96E

おはようございます。土曜日は用事で大阪市内に向かう途中、旧3000形の特急と2600形準急を見れました。
京阪も以前は大型の丸形ライトの車体でしたが、6000形以降は角型の小さな形になってきました。(新3000形はまた違いますが)
統一されるのも善し悪しで、特急などは旧カラーの方が気にいってたりします。
古い車体も少しは現役続けられるなら走らせてもらいたいですね。

by '80XE PA96E (2010-02-15 08:15) 

うたに

○○顔という表現がされるような個性的な顔を持つ車両も、近年は各社でずいぶん少なくなりましたね。
東武顔の東武8000系なんかは毎日利用していた時は古臭くてイマイチ好きではなかったのですが、更新顔ばかりになった今、「ある意味東武らしい車両だったな・・・」なんて勝手に感じたりしています。
by うたに (2010-02-15 12:40) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 日立のA-Trainは時として良いのがありますね。JR九州の815、TXの電車(顔は少々・・・・)など、気に入って居ります。
 基本設計は同じで、多少のバリエーションと言う形になってゆくのは仕方のないことなのだろうと思いつつあります。(ちょっと寂しいけれど)
■■ ぽんた様:
 考えてみると、私が小田急沿線に住むようになった1963年からすでに40年ちかく、もう切っても切れない付き合いです。バリアフリーも頑張って居るし、こっちも、段々歩行不自由に近づいているし・・・・。一生の付き合いになると思われますので、今後もよろしく、小田急さん。・・・って感じです。
■■ じろっち様:
 交通博物館の建物の取り壊しが進行中らしいですね。あの建物は私が小学生時代らの御馴染みですので、感無量と言った想いです。
 東京~上野の線路は私が十代の頃から、車輌留置用としても使っているみたいでしたが、いまもそうなのかも知れません。
■■ '80XE_PA96E様:
 京阪の2000スーパーカーの、オデコのでかい二つ目が好きでした。
 最近、塗色を変えつつあるので、まだ馴染めません。たしかに、特急色は慣れの所為か、従来の色の方が良く思えます。
■■ うたに様:
 2002年、東武の野田線を、半年間ほど利用したことがあるのですが、8000が100パーセントで、最初は戸惑いました。慣れてきたら、顔の相違とか、前照灯の相違とか、たまに5000み居ることが判って来たり、面白味も感じました。8000は物凄い量数があるのでしょう?
by む〜さん (2010-02-15 22:27) 

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