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HP更新:修学旅行鉄道風景1955年 [管理人から]

hp-renew-200.gif ani-014-spin.gif

 私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に新しいページを加えました。しかも、3ページも・・・・・

pen-para.gif 以前、このブログで取り上げた事のある、私の少年時代、高校2年生から3年生への切替時期に、京都・奈良への修学旅行が行われました。
 すでに、ホームページで取り上げて居たのですが、2000年頃のこととて、ダイヤルアップ接続を考慮して、1ページ当りのデータ量を500KBに抑えました。当然、画像の大きさは小さく、風景写真など、迫力の無いことおびただしい。

 そこで、・・・・・・一発奮起、改造に取り掛かったのです。

signal-blink.gif 本日、三ページ分を一挙にアップロードしました。
 題して「高校修学旅行~京都・奈良1955年」、東海道本線車窓風景を二ページ分、そして京都と奈良の電車・・・・近鉄橿原線、N電、京阪電車の画像を、横幅700ピクセルの大型画像を中心に、まとめて見ました。もちろん、小型の画像だってありますが・・・・・。

pen-para.gif その画像の中から・・・・・・例を四枚ほど。以前、一度お目に掛けた画像ではありますが。5503shugaku001.jpg

5503shugaku002.jpg

5503shugaku003.jpg

5503shugaku004.jpg

下の、アイコンをクリック頂きますと、新しいウインドウが開いて、第一ページが表示されます。そして、ページの上下にある「 Next 」アイコンをクリックして次のページに進める様に致しました。

icon-mu3homepage.gif ← このアイコンをCLICK!!

お時間が御座いましたら、55年前の、懐かしい、東海道の車窓風景、中京・関西の電車の姿をご覧下さいます様、ご案内申しまげます。

coffee_st-marc.gif 出来ましたら、ご感想を、このブログのこのページにコメント下さいましたら嬉しいです。


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manamana

貴重な写真の宝庫ですね。
名鉄は、豊橋かと思ったら、一宮だったんですね。
京阪三条は、雨でぐずぐずだし、
発展途上ですが、特急だけは豪華です。
京都市電が掘り川端を走るのって、かっこいいですね。
by manamana (2010-02-17 20:58) 

mymeな大家

こんにちは。
いやいや、すばらしい写真の数々ありがとうございます。
昔の電車たちはパンタグラフが大きいですね。格好良すぎます。
C59のの機関士側で立っている方は、機関助士でしょうか。通過なのに立っているとは、タブレットの交換でしょうかね?この時代に東海道本線でタブレット交換?単線でもないのにありえないですよね?
通信電線も昔のポスターで見たものと同じ・・・嬉しくなってしまいます。
しかし、むーさん、見学そっちのけで見に行ってしまう気持ち、よく分かります。私は先生に怒られました。
では、失礼します。
追伸:横浜市電保存館行かれましたか。
by mymeな大家 (2010-02-17 21:07) 

なにわ

写真からの情報量が格段に増えてます。

豊橋の庫にいるクハユニ56、その隣はクハ18の10番代、そのとなりは電気式気動車の中間車です。この当時の飯田線は2両単位だったので使いにくかったことでしょう。

そうそう、五条山病院っていまでもあるのですが、昔はそういう種類の病院だったんですね。
その隣に今は自動車教習所があり、弟がそこで免許をとっています。
by なにわ (2010-02-17 21:20) 

たらこっち

袋井駅周辺も昭和50年頃はまだ駿遠線跡が残っていましたが、今はどうなのでしょうか?もう20年以上袋井には行っていないので最近のことは全くわかりません。

藤枝市郷土博物館で20日より懐かしの軽便展やります。
子どもも大きくなったので、藤枝に帰る機会もほとんどなくなりました。一度、機関車を見てみたいとは思っていますけど。。。



http://muse-fujieda.com/p_254.html
by たらこっち (2010-02-17 22:03) 

じろっち

昭和30年というと、私もまだ産まれていません。
列車時代のつばめを撮った、というのは少ないでしょうね。

それにしても、新幹線の無い時代の京都行きというのは、乗ってるだけとはいえ簡単ではなかったでしょうね。
行ったら帰るわけだし。

仮に今、東京から関西まで走る普通列車が有ったとして、全区間乗車する人って、いますかねえ?
by じろっち (2010-02-17 22:04) 

ファジー

一緒にワクワクしながら修学旅行に参加した気がしました。
車窓からうかがえる鉄道風景はその一枚一枚がとても貴重ですね。そのときにしっかり撮っておくことの大切さを今更ながら感じました。
ありがとうございました。
by ファジー (2010-02-18 08:22) 

gop

更新ご苦労様です。
以前拝見した時も思ったのですが、良くこれだけ貴重な車両ばかり遭遇されましたね、偶然とは思えません(笑)
神宮前〜熱田〜名古屋〜栄生〜枇杷島は地元ですし、中でも850.3400系の写真は印象的。神宮前の開かずの踏切も今年限りの様で、又一つ昭和の鉄道遺産が消えて行きます。
by gop (2010-02-18 11:19) 

じゃら

当方奈良在住ですので、昔の近鉄橿原線の電車が見れて「おぉ~」と感動しております。
(当時まだ私は影も形も有りませんが・・・)

京都から奈良への国道24号線は、一部国鉄奈良線と併走している部分ありますが、そんなに近くは走っておりませんのでなかなか見れなかったのかと思います。近鉄線はかなり離れていますし。

大きな川の土手、木津川の堤防ですね。今でも国道はそこを通っております。風景は単調ですが。

HP更新大変でしょうけれども、また楽しませて下さいませ。
by じゃら (2010-02-18 13:55) 

Cedar

すばらしい写真の数々!
ガイジン風に
マーヴエラス!ファンタスティック!エキサイティング!って言う感じです。
実に丹念に、チャンスを逃さずの撮影!当時の沿線の雰囲気まで伝わってきます。記録がファンタジーになっていますね。
by Cedar (2010-02-18 14:50) 

たーサン

 むーさんの修学旅行羨ましいです。私も同じ昭和三十年箱根、富士五湖、東京でしたが往復とも夜行、名古屋は深夜。
 せっかく東京の電車が見られると期待していたのに、小田原から東京までの湘南電車の車中から、京浜急行をチラッと見たのと東京直前に山手線、京浜東北と並行した東京の国電を眺めただけ。
 京浜急行は六郷の鉄橋上で塗り分けられた230型三連でした。
 自由時間は東京での二時間程度、銀座のネオンを眺めておしまい。帰路は国鉄の手違いかなにかで、どこかの学校が我々のところに割り込んでくることになり、三人がけでf半分立ったまま大変でした。
 昼頃大阪に帰宅して爆睡しました。

by たーサン (2010-02-18 16:43) 

ぽんた

拝見させていただきました~!
すてきーーっ! すごい~~!
修学旅行の高揚感、電車を見つめる師匠のアツイ眼差しが
写真から伝わってきます。
空が広いですね。
「つばめ」ってJR九州だけかと思っていたら
東海道も走っていたのですね。
by ぽんた (2010-02-18 18:00) 

じろっち

藤枝市郷土資料館って、ちょっと不便なトコにありますね。
小田原から こだま に乗って行く計画は立てましたが・・・

藤枝駅周辺にはもう会社が在るだけで、遺構観察は難しいらしいですね。

つばめは元々東海道線の特急です。
上越新幹線誕生の際は、燕市を通るので、高速タイプを つばめ にしようという案があったそうですが、やはり東海道線のイメージが強いので、実現しなかったそうですっよ。

あした・あさっては横浜港大桟橋に、東日本フェリーが津軽海峡を就航させていた高速フェリーがやってきますよ!
日曜日には有料で、横浜-久里浜の体験航海がありますよ。
関東は東京湾フェリー以外は短距離フェリーが無いので、フェリー未体験の方は乗船してみませんか?

船体は日本では事例が少ない双胴なうえにオーストラリア製なので、「船とはこんなもの」という固定概念から大きく外れたデザインですよ。
by じろっち (2010-02-18 22:19) 

む〜さん

■■ manamana様:
 この時は非常に運が良く、熱田~尾張一宮の名鉄併走区間、たっぷり名鉄電車を楽しめたのです。何回も通ってますが、こうは行きません。
 京都市電北野線はいい時代の単車だけで運行され、当時でも、古き京都を感じさせられました。
 京阪の三条駅、今振り返ると、ろくに屋根の無いターミナルなんて嘘みたいです。
■■ mymeな大家様:
 C59の乗務員さんはおそらく機関助士と思われます。退避列車の安全確認をしているのでしょう。もちろん東海道本線、新垂井は単線ですが一方通行ですし、自動閉塞の筈です。
 修学旅行の引率の先生、格好、度量の大きな方だったのですね。もちろん、行き先は申告・・・・行き先は、神戸で、こうこう言う訳で、目的は『電車!』、時間内往復可能と納得してもらった筈です。その辺は、鉄道ファン故、計画は綿密ですね。
 横浜市電記念館・・・・未だ、訪問して居りません。暖かくなったら是非とも行きたいと思って居ります。
■■ なにわ様:
 キハ43000の中間付随車キサハ43500、電気式気動車は先進的な流線型でしたね。私は、キハ43000の姿を見たことがありませんが、写真を見ると中々のスタイルでしたね。
 五条山病院の野立て看板は、」気付きませんでした。西ノ京自動車学校も含めて、Googleの航空写真で見てみました。西ノ京駅から近いのですね。
■■ たらこっち様:
 2月10日~4月11日、藤枝市郷土博物館で、静岡鉄道駿遠線「懐かしの軽便」展が開催されますね。藤相鉄道唱歌を歌うイベント、志太地域の鉄道軌道史講演会、軽便廃止40年の講演会もありますね。近々、このブログで、展覧会のPRパンフレットを出そうと思っています。
 藤枝地域の駿遠線遺跡もかなり減ったかと思われますが、もう一度、新藤枝駅跡のバスターミナルに立って見たいものです。
■■ じろっち様:
 当時の東海道本線は特別急行でも大阪まで8時間でしたから、大変なものです。朝、東京を出て、京都が夕方。それが普通でしたから、自然に受け入れて居りました。
 東京から、はるばる門司辺りまでの各停だってありました。もっとも、現代の各停乗り継ぎの方が早く着きます。しかし、電車より、客車の方が『旅』を実感できました。一本の客車列車で各地の通勤通学時間帯に合わせるので、長時間停車があったりしました。
 横浜で、あの双胴フェリーが見られるのですね。ちょっぴり興味がありますが・・・・。
■■ ファジー様
 今になって思うのですが、撮影チャンスというものに、次は無いんですね。ともかく撮っちゃうということは大切ですね。そして、撮影データの記録も、せめて場所と年月日くらいは必要ですね。40年経ったらゼッタイ忘れます。私が保証します(笑)。
■■ gop様:
 3400も850も数少ない車輌なのに良く回り逢えたものだとおもいますね。運が良かった、そうとしか思えません。
■■ じゃら様:
 橿原線のモ201は、いい電車でした。原型に復元保存されていますが、誰でも見ることが出来た、あやめ池が閉園となり、たしか近鉄の工場保存になったはずです。
 HP更新、老骨に鞭打って頑張りますね!!!
■■ Cedar様:
 もう一つ、昭和29年の東海道本線の車窓写真がリニューアル予定に入っています。現在、アップロードされているものが、あまりに写真が良くありません。大型化で見やすい、楽しいものにするつもりです。一月くらい掛かりそうですが・・・・。
■■ たーサン様:
 私とほぼ同期の方なのですね。修学旅行が夜行列車になったら寝るどころではありませんね。私たちは、帰りの京都~東京間、一晩中、トランプなどで、盛り上がって一睡もせずにいましたっけ・・・・。
■■ ぽんた様:
 超特急燕号は東海道本線の看板列車でした。丹那トンネルの無かった時代でしたから、東京から蒸気機関車が引っ張って、御殿場線で箱根越えでした。東海道本線だった御殿場線は複線でありました。いまでも、例えば松田駅は、本線の風格が感じられますね。
 汽車に乗った私、もう東京~京都間、興奮しっぱなしでした。なんたって、私鉄王国、国鉄も凄いと聞く、関西に行くのですから・・・・。TVやインターネットで全国の各地の事情が手に取る様にわかる現代と違って、現地に行かねば判らないことだらけでしたから。ま、旅は今よりも面白かったと思います。なんたって、『未知の土地』へ行くのですから。
 こんどは、昭和29年の東海道の車窓写真のページをリニューアルします。ご期待下さい。
by む〜さん (2010-02-18 23:55) 

じろっち

各駅停車の東京発下関行きって、凄いですねえ!
まあ時代が違うとはいえ、昔の人は忍耐強かったんですねえ。

大垣夜行に乗り、終点に着く度に乗り継いで行くと、熊本まで行けたそうですが、今はどうなんでしょうね。

JR東日本とJR北海道の企画きっぷで、各駅東京~札幌というのがあるようですが、実行すると、福島県内あたりで辛くなるようです。

湘新で大船から東大宮まで乗った時も辛かったもんなあ・・・
by じろっち (2010-02-19 22:05) 

む〜さん

■■ じろっち様:
 まあ、東京から下関や門司まで各停で行くお客さんは多くは無かったことでしょう。途中の大都市圏での通勤通学にあわせて時間を調整して、一本の列車で済ませてしまっていたのだと思われます。私も、東京~浜松、東京~御油(愛知御津)を家族で各停で行ったことがあるし、高松桟橋~高知も同様でした。しかし、それは昭和20年代末頃まででした。急行列車も少なかった頃です。なにしろ、東京~岡山~宇野~高松桟橋~高知が30時間くらい掛かりました。駅弁なんて売ってませんから、お握りを焼いてもって行きました。お握りには椿の葉を貼り付けて焼いた記憶もあります。
by む〜さん (2010-02-19 22:23) 

すもると

むーさん、こんばんは。
冬の御殿場線1966、常磐線で土浦へ1960、と今回の修学旅行のところいつもの更新に加えてじっくりじっくり見て楽しませて頂きました。むーさんの鉄道紀行物はその場にいたかのような追体験が出来て大変楽しいです。(もしネットがなかったらこれだけの貴重な記録が人知れず埋もれてしまったのかも知れないと思うと怖い気がします。) むーさんのサイトの模型のページを拝見しまして同じ鉄道車両の中でもむーさんの視線がどこにより熱くそそられるか、そのツボがわかりました。
キサハ43500、流線型の先頭車のキハ43000は初めて知りました。そして同じく流線型の名鉄3400系。「ファシズムの台頭の時代は流線型が流行る」と何かの本で読んだことがありますが確かに1930年代のドイツのヒットラー、日本の2.26事件以降と時期的には合いますね。昭和27,8年頃の湘南型80系のどこかほんわかとした流線型とは違うものを感じます。

by すもると (2010-02-20 00:24) 

じろっち

むーさんの鉄道写真は、車両大写しではなく、周囲の風景も写ったものが多いので、その土地・年代が分かり易いのだと思います。

例えば、旧式な電柱・警戒装置な不十分な踏切など・・・
着物を着た大人も多いですね。
by じろっち (2010-02-20 06:00) 

津沢

む~さん様   津沢です

高校修学旅行(上)(中)(下)リニューアル版拝見しました。
素晴らしい写真を見せていただき、ありがとうございます。

(上)最後の写真、飯田線のモハ32/モハ14、中間に挟まっていても精悍で存在感ありますね。クハユニ56やキサハ43500のノーシルノーヘッダ車体も、昭和戦前期というより両大戦間のつかの間の黄金期を想わせます。

(中)6枚目の名鉄モ3400、大戦間の時代を更に強く感じます。豊橋~平井(信)間の名鉄・国鉄共用区間では、モ3400とモハ52という戦前流線型の中でも傑作車(と私が思う)が競演していた時期もありました。

(下)4枚目の京阪1700車内、照明が誠にゴージャスです。荷物棚下面の照明は国鉄の特二等スロ54や南海の特急車11001にもあり、それだけで随分と豪華な車輌に見えていたと思います。荷物棚下の照明は、近鉄やJR西日本の特急車以外であまり見かけませんが、もっと使われてよいと思っています。

by 津沢 (2010-02-20 23:50) 

む〜さん

■■ すもると様:
 HPご覧頂き有難う御座います。昔、撮った電車汽車の写真をずらずら並べただけのいい加減なものですが、お楽しみ頂けた様で嬉しく思っています。私は鉄道研究者ではなく、ただの「鉄道の雰囲気ファン」なので、学究的記事が書けません。まあ、こんな「てきと~鉄道ファン」が居てもいいかなと、思っています。
 難しいことは判りませんが、世界的に流線型ブームがあったようです。日本でも各地で見られましたね。そんな流行の残滓が第一線で活躍していた時期に鉄道ファンで居られたのは幸せだったなあと思います。なんたって、明治・大正・昭和の車輌が現役でしたから・・・・。この時期に『お金・カメラ・フィルム・時間』があったら・・・・と思ったことがありましたっけ(笑)。なにしろ、カメラがあってもフィルムを売ってない、お金があっても時間が無かった・・・・現在の私は『時間があってもオカネがありません』。(笑)(笑)。
■■ じろっち様:
 なにしろ、オリンパス35はセミ広角で、しかもファインダーが見づらかったので、画面の中に小さく電車が写っちゃう。それで、周囲が写っています。要するに、私の技術が稚拙だったからなんです。怪我の功名っていうのでしょうか・・・・。
 目視だけの踏み切りなんて、日本中、何処にでもありました。昭和29年、初めて行った関西で、阪神電車が、全踏切に警報機が付いていた・・・と、思えた・・・のには驚愕でした。
■■ 津沢様:
 高校修学旅行HP,ご覧下さって有難う御座居ました。いや、まったくタイミングが良くって色々な電車がうつせました。こんな事もあるんですね。窓全開の客車の時代だったのが良かったのでしょう。
 この頃の私鉄は、関東VS関西は勝負にならないなあと思いましたっけ。現代の東西対抗は如何でしょうか??たましか行かない関西ですが、その度に、関西私鉄の底力を感じます。
by む〜さん (2010-02-21 10:26) 

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