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HP「む~さんの鉄道風景」:又も更新しました [管理人から]

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 お早う御座います。昨夜、2010年4月29日の遅くなってから、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」に新しいページを加えました。前回が、4月25日でしたから、一週間経っていません。
 ・・・・・と、言うのは、前回の「1954年・昭和29年の関西電車」シリーズの第一回、「昭和29年の東海道本線の車窓風景」、とても好評で、できるだけ早く、皆様に次のページをご覧頂こうと、頑張っちゃいました。

 実は、昨夜、このブログを書いたのですが、何故かプロバイダのサーバーから、断られてしまい、今朝、改めて再チャレンジしたのです。そういえば、最近、ソネットのブログサーバーの動作がかなり重くなった気がします。
 もっとも、ソネットで一番遅い3MBのADSL回線を使ってますので、そっちの問題かもしれませんが・・・・知った風な口きいてますが、その辺り、サッパリ判らんというのが、私の実力なんですよ。

pen-rei2.gif 今回のテーマは、私が西宮の前進基地、兄の下宿に付いた翌日の行動記録です。大きなサイズの画像をたっぷり使って、見やすく致しました。
 第二回の今回は、西宮市内にある「関西電車探検の前進基地~今津駅~阪神電車~梅田~国電城東線~天王寺~大阪市営地下鉄~梅田~阪急電車~西宮北口~基地に帰還」です。一日分の画像が25枚もあるので、上巻・下巻の2ページと致しました。今と違い、フィルムは高いし、お小遣いは少ないし、沢山フィルムを使う事は出来なかったので、高校二年生の少年む~さんには「25枚しか」ではなく「25枚も」なんです。

pencil-green.gif 使用している画像は、今まで、このブログで公開してきた画像ですから、覚え居られる方も多いと思うのですが、画像の中から、三枚ご覧下さい。なお、この画像は、ホームページ上の画像の車輌部分を切り取ったものです。

(1) 阪神電気鉄道:国道線の金魚鉢。
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(2) 大阪市営地下鉄の最新式1000形。
5408kansai34-osakasub1007.jpg

(3) 京阪神急行電鉄:神戸線三宮行特急。
5408kansai39-kitaguchi971.jpg

pencil-green.gif 同じ画像でも「ブログの480×360」よりも「ホームページの700×525」の画像の方が、迫力もあるし、画面に含まれる情報量も多いかと思いまして、大型画像もたっぷり入れました。

pen-rei2.gif 下記のURLをクリックいただきますと、今回公開の、「上巻」にジャンプいたします。そして、そのページの上端と下端に「Next:次頁へ」のアイコンのクリックで、「下巻」がご覧になれます。
 お時間のあるときにでも、ご覧いただければと存じます。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link172-01.html

pen-ojigi2.gif ご覧頂いて、ご感想など御座いましたら、このブログのコメント欄にお書き込み頂ければ嬉しいですし、今後の参考にもなりますので、よろしくお願い致します。

 では、ご来場、お待ちたして居ります。

pen-para.gif この、ブログの更新、一発でうまく行って欲しいです。では、「作成画面の保存のボタン」を押します。


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なにわ

今津線、はーさんのサイトにもありましたが、当時は310(初代700を電装して300略同型に)が80の間に挟んでいたんですね。

://photozou.jp/photo/show/231799/26942395(http省略)を見ましたら、昨年秋の段階では西宮北口の藤の木、まだあるようです。

20年後のD51 145は、ファジーさんのブログの最新エントリー
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-851.html
に出てきていますよ。
by なにわ (2010-04-30 14:37) 

Cedar

HP拝見いたしました。この時代の関西私鉄は本当にすばらしいですね。私が初めて行った時は阪神は大型車になっていましたし、阪急も2000シリーズが主力になっていました。もちろんそれらも素晴らしい電車なのですが・・・
特に阪神の<喫茶店>シリーズの現役時代に間に合わなかったのは返すがえすも残念です。面影を追ってたずねた琴電時代の姿を近々ブログにUpしますので、ご覧になってください。

当時の関西私鉄のお写真があれば、どんなものでも拝見したいです。よろしく御願いいたします。
by Cedar (2010-04-30 16:46) 

じろっち

関西の旧型車両はデザインが独特ですねえ。
デザイナーの裁量が今より広かったんでしょうか?

きのう・きょうで、相模線を完乗してきました。
単線なので、やっぱり時間が掛かりますねえ。
新幹線シャトルの器が有るんだろうかと思ってしまいます。
by じろっち (2010-04-30 17:19) 

TH

ウ~ン!! やはり、むーさん様のお写真は資料的価値の高いものばかりですね
私が撮った写真は数十年後そういう価値が見出せるかしら・・・無理だろうなぁ。

私、今津線は西宮北口-宝塚間の所謂今津北線しか乗ったことが無く南線はまだ乗ったことが無いのです。
けれども田んぼの中を走っている風景は今では想像も出来ませんね。阪神国道線のお写真には自動車が数えられるくらいしか写っていないのも今となっては驚きです!!
80系の急電のヘッドマークもカッコイイです。昔のヘッドマークは大きくてカッコイイですね!!

カレンダーと関係ない勤務体系の私は今日、休みでまた京急1000形を追っかけてきました(笑)。
5月末の久里浜工場一般公開のイベントのポスターにも「もうすぐ引退の1000形」と書かれています。迫ってきた引退までどれだけ撮りまくって、乗りまくっても満足はしないかもしれませんが・・・次はこう撮りたい、ああ撮りたい、あそこで、ここで、となるのは我ながら目に見えていますので・・・。まぁ、本日の釣果?には満足です(←文章が矛盾してますね)

その帰り道、以前から気になっていた上大岡の京急百貨店内の電車グッズのお店に寄ってみました。鉄道模型以外にも京急の駅名キーホルダーや携帯ストラップなんかがあるんですがその中に、ツートンカラー時代の230形の特急や700形時代のハイキング特急「第二房総号」のイラストのキーホルダーやカップが売っていましたよ。
私はキーホルダーを2個衝動買いしてしまいました。
by TH (2010-04-30 22:10) 

のり

お待ちしておりました。関西の旅の大型写真!
いいですねぇ。感涙ものです。私が物心付いた頃に眺めていた電車そのままです。でも、歳月は流れましたね。辺りの風景は、偲ぶ縁もありません。
by のり (2010-04-30 22:50) 

mymeな大家

こんにちは。
関西の私鉄は、かなり以前から完成の域に達していたのではないかと考えているこのごろです。ある意味合理的といいますか、関西の方に怒られてしまいそうですが、商売が上手といいましょうか…先を見越す力が大きいという感じでしょうか。ちまちまとした感じがしませんね。
関東の人間が「関西の私鉄を見に行きたい、乗りたい。」という感覚、「関東の私鉄を見に行きたい、乗りたい。」という感覚、関西の方にもあるのでしょうかね。
失礼致します。
by mymeな大家 (2010-05-01 14:43) 

すもると

むーさん、こんばんは。僕は昭和20年代から40年代くらいまでの映画見るのが好きでスカパーで放送されたものをたくさん撮りためているのですが、最近モノクロの邦画をたくさん見すぎているせいかむーさんのこの時代の画像に違和感がなくなって来てしまいました。ちょっと目が狂ってます。
大阪市営地下鉄の1000形ですが尾灯が引っ掛け外付け式で後付け式でのようにも見えますが味がありますね。取り付け位置が昨今の下部ではなく上部であるのも興味深いです。国鉄の蒸機でも大正時代まではそうだったようなのですが、外付け引っ掛け式が当時の設計のメインだったのでしょうか?
最近昭和38年の映画で「彼女と彼」という作品を見ました。左幸子さんの若妻役が魅力的ですが設定が小田急の新百合ヶ丘?の公団住宅が舞台になっていて、旦那を駅で見送るシーンがあるのですがその時に来た車両がむーさんのサイトで最近見たなというものでした。尾灯が上部引っ掛け式で印象深いです。
別の作品で昭和33年、淡島千景さんの「鰯雲」は都市化が進み始めるころの町田が舞台となっていて情緒あるいい作品でした。
by すもると (2010-05-01 22:29) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 西宮北口駅の今津線ホームの藤棚・・・・あるんですね。残してくれて有難うと、阪急さんにお礼したいですね。生きた緑は気持ちを和らげますから・・・・。
 D51145・・・・山陰本線で活躍中。考えてみると、蒸気機関車って長寿命ですね。
■■ Cedar様:
 阪神の小型車は初めて見た、この時以来ファンになりまして、未だに忘れられません。もっとも、転出先までは行きませんでしたが・・・・・。小さな電車、カーブだらけ、踏切だらけのマイナス環境で、大型車が飛ばす国鉄、阪急に伍して、頑張っていた阪神が好きになったのは、判官贔屓だけではなく、小型車が魅力的だったからでしょうね。線路のバラスとも厚かったし・・・・。昭和29年当時に、全踏切に警報機があった(私にはあそう見えたんですが、会社に確認したわけではありません)というのは凄いと思います。
 阪急の、戦前、900以来の2ドア、下降窓の、阪急タイプの車体は、じつに洗練された魅力がありました。神戸線特急の速さ、快適さを忘れません。それも、2000を嚆矢とする新阪急タイプに変わりましたけれど・・・・。
■■ じろっち様:
 関西の私鉄は国鉄に対抗する路線が多く、それぞれが特徴的な車輌、サービスで頑張っていました。関東の私鉄は国鉄との一体化で乗客を運びました。
 その所為か、関西の私鉄は「XX電車」、関東の私鉄は「OO線」ですものね。どっちが良いか悪いかは、私には判断できませんが・・・・・。
 相模線は、単線のままでの増発は未だ可能かなあと思います。然し、沿線の住民増は目に見えていますので、そろそろ、手を打って置かないと、増線用の土地がなくなっちゃいますよね。
■■ TH様:
 旧・1000(「旧」なんて書きたくないけれど現実ですものね)は、出来るだけ画像に残したいと、遭遇したら撮るようにしています。コンパクトデジカメでは、画質が良くないけれど、いいディジタルカメラは体力的、経済的理由にて導入できないので、手持ちの機材で間に合わせねばなりません。でも、まだ、現用のカメラの性能を100パーセント発揮させているかといえばマダマダなので、いろいろ試行錯誤を繰り返しています。
 上大岡の京浜百貨店、行って見たいなあと思いつつも、ついつい通過してしまいます。ウチからだと、小田急・湘南台からブルーラインってテもあるのですが・・・・・。
■■ のり様:
 昭和29年の旅行記は、やる気の出ている現在、やっておかないと、直ぐにパワーが落ちて中途でストップになりかねません。頑張って、現在のバージョンアップだけでなく、中途で終わっている、このシリーズの「お話」を完結せねばなりません。
 頑張りますっ!!!
■■ mymeな大家様:
 関西の鉄道ファンの方たちも、関東の私鉄、JRへの興味はあると思いますよ。関東の私鉄も、結構、魅力ありますものね。どんどん、見物においでいただきたいですね。電車の見えるホテルもあるようだし・・・・・。
■■ すもると様:
 百合ヶ丘の公団団地は映画の舞台として取り上げられる回数も多かったようで、駅前シリーズにもありましたね。百合ヶ丘駅は当初、「高石駅」になる筈だったようです。「彼女と彼」は見て居りませんが、「鰯雲」は封切りの映画館で見ています。舞台はたしか町田ではなく厚木だったと記憶しています。いまでは、「すぐそこ」って感じの半原も、山奥に感じられる場所だったようですね。映画の終わりのあたりに、農作業しているバックに丹沢の山、そしてロマンスカーってシーンがあったような・・・・・。
 尾灯は、外付けが普通でしたね。電源の配線なんか取り付け取り外しは頻繁に出来るようになっていないのに、何故か外付けばかりでした。鉄道が始まった頃の習慣が残っていたのかもしれません。
 私なんかには、埋め込み組み込みのタイプよりも、外付けの方が、より魅力的に見えます。こんな事を書いていると、昭和29年当時の阪神電車の尾灯2個斜め付けは、良かったなあと思い出してしまいます。
by む〜さん (2010-05-02 05:49) 

津沢

む~さん様   津沢です
二日目は阪神・大阪市電&地下鉄・阪急電車(上)、 
楽しく興味深い写真を見せていただき、ありがとうございます。

阪神国道や大阪・梅田駅前広場、現在も数値的にほぼ同じ広さと思いますが、建物が低く自動車も少ない当時の写真では、空も道も広々と開放感あふれています。

大阪市電1801形の一部は、現在も広島電鉄750形として活躍していますね。中央に広幅の両開扉があり、当時として先進的な車輌だったのでしょう。
阪急920系、阪神851~881形「喫茶店」、新京阪デイ100、阪和モヨ100、あるいは「阪国の金魚鉢」など、昭和戦前期の名車群の全盛期は、もしかすると1950年代だったのかもしれません。
阪和線では、モヨ100形(1929年)の高速性能を越える電車の投入は、長距離特急車を別にすると、223系(1994年)まで半世紀以上かかっています。
これらの名車の乗る機会がほとんど無かったことが、つくづく残念です。

西宮北口駅の平面交差、独特の走行音を憶えています。最前部の「かぶりつき」から、交差する電車の横腹を眺めるのも不思議な体験でした。
by 津沢 (2010-05-02 11:53) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 来客やらでコメントへのレスが遅れておりました。
 当時の阪神国道は少年む~さんには驚異の広さでした。東京にだって広い道路はあるのですが、何故かそんな風に思いました。
 大阪市電1801、真ん中の幅広いドアは、乗車口なんでしょうね。大量輸送用として考えた結果なのでしょうが、お客さんは思った通りに動いてくれたのでしょうか?
 東西の私鉄は、1960年代になって、どんどん性能アップされ、同じ様な感じになっていった気がします。とは、いうものの各社各様のスタイルはあって、特色を出しています。
 でも、細部を見ると、関東は「輸送用機材」って感じがします。偏見かもしれませんが。
 このHPの記事は、TMS誌くらいしか資料を持たなかった私が、手探りで訪ねた関西私鉄、感じたままを書かせていただきました。
 やっぱり、ベストを上げれば『阪神の喫茶店』、『阪急の920』、『近鉄の2250』でしょうか・・・・。近鉄は2200と行きたいところですが、この旅行のときは2300以外、見る事ができなかったのです。
by む〜さん (2010-05-05 08:49) 

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