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「特急あずさ」で笛吹川へ [1970年代の旅]

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pen-para.gif 久しぶりに昔ばなしをしましょう。今を去る7年前、1973年・昭和48年7月8日のお話です。
 当時、私は、池袋の六つ又交差点近くの某社に勤めておりました。当時、一番熱中していた趣味が「釣り」。ほぼ毎週の出動と言う感じで、「鉄道趣味は休止状態」でありました。まあ、鉄道がらみでの子供づれの旅は、結構出かけていたけれど、「撮影行」は、殆どありませんでした。
 小田急~新宿~池袋の通勤途中、新宿駅で見かける特急「あずさ」。その181系が、10月から他の系列に置き換えられ食堂車が無くなる!・・・・これは、一度、乗りに行かねばなりません。子供・・・・当時、7歳の長男を連れてのお出掛けになりました。そんなわけで、列車写真というのは無く、全部、記念写真。

■■■ 「特急あずさ」で笛吹川へ ■■■

(1) 新宿駅に着いたとき、列車ホームにいたのは、急行犬吠:銚子行。これは、キハ28だった気がしますが、確信はありません。
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(2) この「特急あずさ」に乗りました。かなり草臥れて居りますね。発車時刻も覚えて居りませんが、8時だったかなあ??
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(3) 発車して暫くして、今回のメインイベント、食堂車でお食事ってわけで、食堂車に行きました。彼は、ハンバーグステーキが食べたかった。嗚呼!しかし、朝の定食タイム。和定食で我慢。
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(4) 181系電車ってこんな座席だったんだなあ。
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(5) 山梨市駅で降りる。線路に平行な道を、西へ400mも歩くと笛吹川に架かる根津橋です。平行して中央線の橋梁がある。カメラを構えた私の背後が国鉄中央線の鉄橋って訳です。
 鞄に入れていった4.5mの釣竿で、釣りもしたのです。ヤマベだったか、アブラハヤだったかが、数尾、釣れたと思われます。このひは、キャッチ&リリースだったのでしょう。
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(6) 川の土手の向こうには桃畑。色づいたのが、生ってました。
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(7) む~さんの勇姿。   「大漁、大漁、わはははは・・・・のポーズ」と言う所でしょうが、一応、釣れたと言うところだったのでしょう。右の中央線の向こうの方角が、新宿です。
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pen-para.gif 本格的に釣りに来た訳ではないので、早々に切り上げて、帰って来ました。お昼ごはんは如何したのでしょう。なんたって、37年も昔の事。みんな忘れました。 

(8) 何故か、息子の急行券が、フィルムホルダーに入れてありました。これで、48-7-8は間違いありません。
 急行ということは、急行アルプス・・・・165系電車だったのでしょうが、こっちの写真はありません。鉄道ファンとしては、かなり、いい加減な旅だったようです。しかし、息子と一緒の旅、楽しかった事だけは覚えて居ります。
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coffee.gif そんな私も、現在、72歳と半分になりました。37年・・・・早いものです。この写真の息子も、43歳になるわけで、この写真の頃の私よりも年上!!なんだか、信じられない気も致します。

pen-para.gif では、また次回、お目に掛かりましょう。
 今日は、これから、某所へお出掛けです。ご期待下さい。


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のり

ご子息様との素敵な旅、目に浮かぶようです。「鉄」は一時休戦。でも、そこかしこにその片鱗を垣間見ることができます。ご子息様もご旅行がお好きとか。当時の刷り込み?が功を奏されたのでしょうね。
つい、「♪ 8時丁度の あずさ2号で・・・」なんて口ずさんでしまいます。
当時の特急の座席、今から顧みますと、少々貧弱ですね。でも、当時は贅沢品だったと思います。
by のり (2010-07-24 08:20) 

Cedar

私も狩人の「あずさ2号」だ!と思いました。こういう片手間鉄ってある意味私の理想です。
私にとってはこの時代はそう古くはないと思っていましたが・・そこここに時代を感じますね。
by Cedar (2010-07-24 14:05) 

ぽんた

父と息子の、ほのぼの釣りツアー、ステキです。
食堂車に朝セットがあったんですね!!
そんな早くから営業していたなんていいですね。
ちゃんと白いテーブルクロスもかかってて
ちょっぴりセレブ気分です。
by ぽんた (2010-07-24 14:19) 

なにわ

外気ダクトが片側1箇所しかないので、1958年製のクハ181の1~6に絞られ、スカートのタイフォンの穴が長いのでさらに2か6に絞られますが、運転台の窓にデフロスタがないように見えますので、クハ181-6ではないでしょうか。
山陽路を走らず、ずっと雪の上越路を走っていたので傷みも激しいのでしょう。

(1)はキハ28で間違いないです。房総地区は平坦なので勾配用のキハ58はいませんでした。その後ろは赤と黄ですから、155系か167系なのでしょう。

そして帰路は165系の「アルプス」だったのでしょうか。こちらのサハシ165は1976年まで営業してましたが、こちらでもそばをたぐっておられてのではないでしょうか。
当時の新宿の中間改札は今以上にうるさかったでしょうから、急行券が残っているということは、八王子で下車されて横浜線で帰宅されたのかもしれませんね。

それにしてもここから37年、息子さんと同い年の私も先ごろ44になってしまいました。

by なにわ (2010-07-24 15:01) 

なにわ

参考写真は
ttp://homepage1.nifty.com/BONNET-EXP/f181-6.htm
by なにわ (2010-07-24 15:06) 

なにわ

すいません、三連続の書き込みも加えて失礼します。
中途で送信してしまいました。文末の「です」が欠けております。
by なにわ (2010-07-24 15:07) 

じろっち

この頃は、房総半島は非電化だったんですねえ!
聞いた話では、電化が進み始めた頃、ディーゼル機関車が電車を牽引することもあったそうです。

おおらかなダイヤ編成のなせる業でしょうか。
by じろっち (2010-07-24 21:26) 

サッシの父

これはご子息にとっても、とても良い思い出になったことでしょう。
食堂車、良いものですね。今ではすっかり見かけなく
なってしまいましたね。
ところで、確かこの日の翌日は、我が家に初めてカラーテレビが
来た日でした。何故か年月日を今でも記憶しています。
うちは遅いほうだったと思いますが、それでもカラーテレビのない
家庭は決して珍しいものではない、そういう時代でしたね。


by サッシの父 (2010-07-24 21:40) 

たらこっち

私も43歳で、父が72歳です(笑)

昭和48年8月に家族で北海道に旅行に行ったこと思い出しました。当時は北海道への旅行も飛行機は片道(それもYSー11)だけで、帰りは常磐線経由の急行(八甲田か十和田だと思います)でした。

この頃はまだ、両国始発の房総方面の優等列車があった時代ですね。JRの急行列車ってまだあるのでしょうか?あとでググってみます。
by たらこっち (2010-07-24 22:37) 

K♂chan

ぼくは43歳と同級生。

いいですね、親子おそろのシャツ。
僕の母親が新潟出身なので、
181系は「とき」のイメージが強いです。
上野に「さよなら」を観に行きました。
模型も持ってましたから、好きだったんですね。
今は、佐渡トキファンクラブから
朱鷺情報(鳥の)メールが届きます。
by K♂chan (2010-07-25 00:54) 

mymeな大家

こんにちは。
大変ご無沙汰しておりました。
母の実家が新潟県なので、181系は子供の頃よく乗りました。181系の写真は沢山あります。子供の頃はお金もないので、もっぱら上野駅内での撮影でした。151系からの改造もあったようですから、あの「こだま」の車両に乗れたと思うと感慨深いものがあります。
あずさの181系のさよならは早かったんですね。朱鷺は新幹線が開業するまで走っていたように記憶しているのですが・・・。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-07-25 03:01) 

manamana

たまに、母親抜きで、電車に乗って息子と遊びに行きます。37年後生きていれば、二人で作った想い出ばなしを楽しみたいです。
by manamana (2010-07-25 07:45) 

その、息子です!

親父には色々教わりました<今も教わっている>。

そのせいもあってか、親父程ではありませんがほどほどに鉄道には興味があり、今にいたっております。

この時のことはいまでも良く覚えております。確か立川を過ぎたあたりで食堂車のアナウンスがあって、いそいそと足を向け、「ハンバーグ」と大きく注文したら「すみません、朝はやっておりません」と言われ愕然として…。

いずれにせよ、あこがれのあずさ、しかも食堂車でお食事という当時からするとめちゃくちゃ贅沢な経験をさせてもらいました。

肝心の釣りは親父がいうほど釣れなかったことを覚えております。

桃畑の蝉時雨、笛吹川の清流の音、そして高い空…が印象深かった。そうかけがえのない想い出。

こういう想い出を親父からすると、孫、僕からすると息子に多く創ってあげたい、この写真を見て改めて思って次第。

親父殿・実の息子が書き込むというルール違反をしてしまい申し訳ない。


by その、息子です! (2010-07-25 22:34) 

む〜さん

■■ のり様:
 あずさ2号だったと思われます。もうこの頃から食堂車消滅の動きがあったんですね。無くなるというので、出掛けて行きました。和定食は少々残念でしたが・・・・・。外国の方のお客さんが、オートミールはあるか?って聞いてた記憶が有る様な無い様な。
■■ Cedar様:
 1970年代・・・・もう40年近く経っているんですね。今更ながら時の流れの早さに驚きます。もう少しマジメに電車写真を撮って置けば良かったんですが、この頃の私の鉄道趣味形式は、『撮影・記録の時代』ではなく『乗車体験の時代』だったのでしょう。
■■ ぽんた様:
たとえ珈琲一杯でも食堂車で、流れる車窓風景を見ながらだと、気分が違いますね。まして、食事!こんな旅が出来なくなった事は実に寂しい限りです。車販のお弁当でもお腹は満たされますが・・・・・そっちを選ぶお客さんが大多数だったわけで、過疎ローカル線の廃止みたいになくなっちゃった。食堂車の時代を体験できただけでも、シアワセと思うようにしています。
■■ なにわ様:
 たしかこの頃の、「あずさ」は、上越の「とき」と共通運用だったような・・・・そんな記憶もありますが、結構、私の記憶はいい加減で。
 キハ28は房総の華でした。勿論、今みたいに特急は有りませんでしたから・・・・。佐原あたりまで、しばしば利用しました。普通列車のキハ17と較べると格段に良いインテリアに、「急行は違う!」と思ったものでした。
 この時の山梨市からの帰りは急行アルプスでしたが、下車は八王子。横浜線に乗れば原町田駅まで直ぐでしたから・・・・。急行券の切り取り線を鋏でカットする小児券方式は、懐かしいですが、現代ではやっては居ないでしょうね。
■■ じろっち様:
 国鉄の房総地区は電化とともに久留里線と第三セクター線を残して消滅しましたが、ディーゼル機関車が電車を牽くなんてやったんでしょうか?過渡期的にはあったのかなあ?
 関係有りませんが終戦直後、横須賀線の横浜~保土ヶ谷間に乗ったとき、電気機関車が電車を牽いたのに乗ったことはあります。機関車と電車の形式の記憶はありません。
■■ サッシの父様:
 昭和40年代後半あたりから、二人の子供の両方か片方を連れて、よく、鉄道の旅を楽しみにいったものです。駅スタンプの蒐集、終点での記念写真を国鉄に送って記念品を貰ったり・・・・懐かしい思い出です。
 カラーテレビは何時だったかなあ・・・・札幌オリンピックのときは白黒だったけれど。最初のカラーテレビは三菱の13インチでした・・・・14インチだったかな?まあ、小さいやつでした。
■■ たらこっち様:
 お!年代、一緒ですね!北海道旅行で往復違う種類の交通機関を使うなんて、素晴らしい選択ですね。
 YS-11、旅客運用から外れて、もう何年になるでしょう。懐かしいですね。現在も、自衛隊では使用しているので、あの独特の甲高いエンジン音が聞こえると、窓の外を見る私です。ときとして双眼鏡も持ち出します。
■■ K♂chan様:
 お揃いの色を揃えたって訳ではなくって、ま、偶然の一致なんです。と、言い切れるのは、私には衣服選びの能力が欠如していて、いまでも、家内からアドバイス受けないと、駄目なんですよ。
 新潟佐渡の朱鷺、まったく見たことがありませんが、写真で見ると、色も良いのですが、実にいい顔ですね。
■■ mymeな大家様:
 上越線はたしか昼間は乗ったことが無かった様な気がします。夜行急行の天の川で、九州行き特急のお下がり20系で新潟や酒田まで行きました。上越線の「とき」に乗っとけば良かったと思っています。
 あずさの181は、このあと、直ぐに183になっちゃった気がします。
■■ manamana様:
 親子の旅って、良いものですね。あのころの思い出って、断片的ながら、かなり残っています。車窓風景、食事、等々。銀塩カメラの時代ですから、画像記録が少ないのが残念ですが。写真があると、それがキーワードで、記憶の引き出しが簡単に見付かるらしく、思い出が具体的になりますね。
■■ その、息子です!様:
 久しぶりのコメント記入、有難う!貴君とは、鉄道、自動車などで、釣りや、旧跡探訪など、随分、一緒の旅をしましたね。いまでも、あの頃の事を思い出すのです。
 最後に食堂車に一緒に行ったのは何時の事だったでしょうね?新幹線のひかり号の食堂車でお茶して博多まで行き、鹿児島本線の「つばめ」のビュッフェでも珈琲飲んだりしました。ひかりの食堂車も消え、リレーつばめのビュッフェも無くなったと聞きます。 孫と一緒の旅、どんどん行ってくださいね。
 関連記事の時には、またコメント、入れてください! 
by む〜さん (2010-07-26 06:33) 

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