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品川~東京機関区1954年(上) [むかし噺(1)]

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pen-pc.gif 前回のブログに使用した新鶴見の写真と同じフィルムに写っていた13駒の写真・・・・・今まで、ホームページやブログで公開したものばかりです。
 
ホームページでは、電気機関車図鑑的な「1960年前後の国鉄電気機関車」と言うページで小さな写真を公開しているので、ここで、ちゃんとまとめようと、フィルムを再スキャン致しました。
 そして、ホームページを作る前に、ブログで、ご覧頂こうと思うのです。「前に見たよ!」って写真ばかりですが、そんな前提ですのでご容赦下さい。

 ホームページでは、如何いう取り扱いをするか決めかねているのですが、気楽に作れるのは、「いままでのホームページがそうだった様に、旅行記風に」作ることです。画像がダブりますが、「図鑑のリニューアル」と「旅行記風の新作」とすれば良いかなあと思っています。

pencil-red.gif では、上~中~下の三回に分けてブログを書いて行きます。その第一回・・・・・上巻。

■■■ 品川~東京機関区1954年2月(上) ■■■

 1954年・昭和29年の2月の或る日、私はオリンパス35-Ⅳを肩に出かけてゆきました。たぶん、日曜日のことだったと思われます。学校帰りに立ち寄ったとは思えません。家から出かけたとなると、東急池上線の雪が谷大塚駅から、デハ3100だか、3200だか覚えてるわけもありませんが、ともかく、五反田駅。そして、山手線で品川駅で下車。その頃の山手線は、17m車の天国で、モハ50、モハ31、モハ30とその同系トレーラーで編成が組まれておりました。その頃だったかなあ、国電の改番があって、モハ50はクモハ11400、ま、調べれば分かるのでしょうが、モハ31もモハ30も、改番されたのです。 そんな国電たち、殆どカメラを向けない、悪い私でありました。

pencil-red.gif 品川駅に着いて、長い長い地下道を東口まで歩きます。そこは、貨物ヤードになっていて、貨車が留置されて居たり、機関車が休んでいたりしました。記憶に残っているのは「豚積車」の「ウ」で、二階建ての車内には、時として、豚くんが居ました。品川には、肉の処理場があったのです。

(1) D5153が休んでおりました。煙突からドームに掛けて給水暖め器を含めてカバーを掛けると言う方式は実にスマートでカKッコいいなあ!と思っているのですが、「なめくじ」と呼ぶのは、あまり好きになれません。折角、お洒落してのD51、何だか可哀想です。
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(2)  こちらも休憩中の2120形2383。このころは、東京近辺の駅での入替用として、かなりの数が活躍中でした。なかでも、汐留での入れ替えは、ほとんどこの機関車でした。やがてDD13に替わって行きました。空気関係を外して連結器を替えれば、もう『明治』です。1905年・明治38年の製造とのことですから、この時点で、すでに49歳でした。
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(3) 真っ正面から写してみました。いいお顔ですね~!
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(4) こんな機関車も居ました。米軍が持ち込んだ電気式ディーゼル機関車、8500形で、8両あった中の一両。のちのDD12です。色は、私の記憶では真っ黒。幼い日、小学校の頃かな・・・・品鶴線でもしばしば見かけた機関車で、走行音は静かだった記憶がありますが、果たして・・・・。そして、コドモの仲間内では、けっこう人気がありました。
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(5) 「UNITEDSTATES ARMY」と、でかい字で・・・・・。
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(6) そして、「TRANSPORTATION CORPS」とあります。そんな所属だったのでしょうか。
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(7) 台車です。電気式でしたから、この中に電動機が仕込んであったのでしょう。
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pencil-red.gif 何両かの機関車を撮影した私は、線路に沿った道を、東海道本線に使用する電気機関車が、沢山居る東京機関区に向かったのです。

coffee.gif この続きは、また次回に・・・・・・。


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manamana

今走っている蒸気機関車は、ハレの日用の、
デコレーション仕様ですが、
このD51や2383のように、
何の飾り気もない鉄の塊みたいな機関車が、
かえって魅力的です。
by manamana (2010-08-14 07:08) 

micchama

大宮操駅の入れ替えにも、まだ、国内では珍しいデイーゼル機関車がいました。
遠目に見て、たしか、DD90だか、91でした。
数年働いていましたが、いつの間にかなくなって、やがてDD51などの主戦場になりました。
今でも忘れられないのは、SLの末期、9600が赤さびを浮かべて入れ替えをしているさまは、涙物でした。
by micchama (2010-08-14 10:58) 

quatre-l

ここが品川だとは、、、。のどかな風景ですねぇ~。
by quatre-l (2010-08-14 11:56) 

津沢

む~さん様、こんにちは   津沢です

> D51153
D51初期型は、昭和戦前期の傑作車のひとつですね。鉄道ファンが付けるニックネームは青大将(EF58+スハ44+ナロ10)、青ガエル(東急先代5000)、弁当箱(東急7000)など、どちらかといえば上品でないけれど親しみを込めたものが多いですね。「なめくじ」もそのひとつかもしれませんが、半流線型ともいえる美しい造形に対して確かにあんまりかも知れません。

> 2383
2120形、貴重な写真ですね。たしかB6とも呼ばれていたような気がしますが、うろ覚えです。

> 8587
DD12に改称前、UNITED STATES ARMY の表記もあって、これは2120以上に貴重ですね。質実剛健な2機の台車が継ぎ手で結ばれ、連結器も車体ではなく台車側に繋がっていますから、EF58やEF15以前の電気機関車と同じ構造ですね。

占領軍(進駐軍)のなごりは結構後まで在ったようで、私の幼い頃のアルバムを覗くと、米軍払下げらしいジープに乗せてもらって喜んでいる写真がありました。

by 津沢 (2010-08-14 12:00) 

なにわ

「ウ」はブウ~のウなんだそうで。

当時の山手線のホームは145mしかない駅があったので、17mならば8両、20mならば7両しか入れませんでした。20mは京浜線や中央線に回していたのでしょう。

車齢49年、この当時でも古典機なのでしょうが、車体を改造してますが、キハ28 2010が1961年12月製造、通常使用ならクモハ471-2=モハ470-2が1962年7月製造なのですが、この時期の車両を古いと感じないですよね。

by なにわ (2010-08-14 13:06) 

ファジー

この当時D51もB6同様の時計の針のような煙室ハンドルだったんですね。DD12といい、まだまだ戦後を雰囲気を感じてしまいます。
by ファジー (2010-08-14 19:13) 

じろっち

米軍の機関車、たぶんかの組織の鉄道部隊のことなんでしょう。

日本にも陸軍に鉄道部隊が有りましたから。

戦後、現在の本郷台駅周辺は大船PXとなったので、PX線の駅があった大船にも写真の機関車のようなものが居たのかもしれません。

大船PX線は資料が少なく、存在したことさえ知らない人が多い路線です。
今は渋滞の名所のひとつである、笠間交差点を踏切で通過していたんですよ!
by じろっち (2010-08-14 21:42) 

む〜さん

■■ manamana様:
 まあ、この頃は、こんな姿が普通でしたから、現代の動態保存機が綺麗にしているのを見ると、羨ましさと違和感が同時に感じられます。
■■ micchama様:
 大宮での入れ替えは、DD90らしく思われます。L型の電気式ディーゼル機関車だったそうで、私は実物は見て居りませんが、派手な塗装の写真は見た記憶があります。
 9600というと、川越線で客車、貨車を牽いていたのを最後に見たのは昭和42年でした。それ以来、ご無沙汰しているうちに、一線を退いて入れ替えになったのかしら・・・・?
■■ quatre-l様:
 品川駅の東口は、長い地下道で、貨車ゾロゾロの沢山の側線をくぐって、階段を上がると見栄えのしない建物があり、寂しいものでした。貨物列車を引いてきた機関車や入れ替え機関車が停まっていたりしたのです。
 次号で、見難いですが、そんな写真を出しましょう。
■■ 津沢様:
 特急つばめ・はと号の青大将も気の毒な感じです。しかし、最初見たとき、白っぽい濁ったような緑色には少々がっくりしたのです。正式な色名はしりませんが、濃いチョコレートの車体、赤帯時代は知りませんが、二等の青帯、一等展望車の白帯が、刷り込まれた私の『特急つばめ・はと』とは思えない姿でした。
 2120は、そう、B6って言いましたね。ある期間、そんな形式名が付いていたようです。現場でも言ってたようですが、詳しい事はわかりません。(脱線しますが、日本鉄道のPbt2/4とか、Bt4/6なんて呼び方、好きです)
 ジープ走ってましたね。お尻に長いアンテナが立てているのが格好よかった。家の近所の路上に停まっていたジープのアクセルやブレーキ終えダルの近くに小さな足踏み釦があったので、手で押してみたら、イグニッションモーターが廻りました。考えてみると、軍用車ですからキーは無いのですね。工事用も同じようで、よく盗まれてATM破壊用に使われましたね。
■■ なにわ様:
 豚積車の『ウ』は諸説あるようですね。ケッサクなのは『ブもタも使用済みなので何故か牛のウ』ってのがありました。
 山手線に集中していた17m車のなかで、モハ30と、モハ31がお気に入りでした。特にダブルルーフのモハ30が好きでしたが、何故か写真無しなんです。
 明治の機関車!って聞くと古いなあ!って思っていたものなんですが、考えてみると明治31年生まれの私のオヤジよりも若かった!(笑)
■■ ファジー様:
 昭和29年ですから戦後のイメージは街の各所に残っておりました。駐留軍向けの標識とかも沢山あり、明らかにマイル換算の速度制限32kmhとかの道路標識も沢山ありました。
 煙室のハンドルまで見てませんでしたが、たしかに時計形ですね。丸いのもありますから・・・・・。今まで、関心なかった私!こんどは、気をつけて見て居ましょう。
■■ じろっち様:
 そうですね、輸送部隊とでもいうのでしょうか。日本の機関車は使えないようになっていると予想して持ち込んでみたら、意外と整備状態がよく、8500は、あまり活躍できなかったようです。しかし、小ぢんまりと良くまとまったデザインですね。
 大船駅から北東に道路の脇に半分砂利土に埋もれたような線路が残っていたのは覚えて居ります。自転車で通ったんですから、多分、昭和31~34年辺りだったでしょうか、笠間辺りに米軍の施設があったんですね。
by む〜さん (2010-08-15 08:31) 

しおつ

米軍の機関車の存在は初めて知りました。
ここの他の米軍基地があったところにもいたのかなあ。
by しおつ (2010-08-15 18:12) 

む〜さん

■■ しおつ様:
 最初は、東横浜、鷹取、呉に配属され、基地関係の輸送に使用したとのことです。運転は国鉄の職員が行ったと、Wikipedia(国鉄ED12の項)にあり、詳しい成り行きが出ておりました。わが国のディーゼル機関車発展にも一役買ったようです。
 大きな文字でサイドに書かれたナンバーは、小さななプレートを見慣れた、子供たちでも、簡単に覚えられ、いまだに、8585というナンバーが思い出されます。
by む〜さん (2010-08-15 20:03) 

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