#446:東急多摩川線スケッチ(2) [お出かけ通信401~450]
前回に引き続き、2010年8月23日・月曜日、町田~横浜線~東神奈川~京浜東北~蒲田・・・・・そして、蒲田から、東急多摩川線に乗って、一つ目の矢口渡駅を出て、二つ目の武蔵新田駅に向って居ります。
■■■ お出かけ通信(446) ■■■
■■■ 東急多摩川線のスケッチ(2) ■■■
武蔵新田駅に到着、下車します。
(1) 13:24 多摩川方面行きのホームから多摩川方面を見ています。ご覧の通り、向こう側のホームは上屋が新しい。こっち側、未だ昔からの上屋ですが、これだって旅人の目には嬉しい形です。電車は7700系7708。
(2) 多摩川方面行きホームにあるベンチ。前回でも述べた各駅にある「アート」のひとつです。「ナゴリイス -made in Ota-」と名づけられています。ちゃんと座れます。
(3) 同じ、多摩川方面行きホームに立つアートの「破魔矢」。ご覧の通り、駅名の起源となった新田神社に由来します。
(4) こんな展示もありました。この「新田大明神のポスターとロゴ」がアート。
(5) 字が小さくて読めないと不味いので、大きめに。新田神社の由来。
(6) 蒲田行きホームにある新田神社の広告看板。これ自体、アートラインプロジェクトのイベントの一部かもしれないと思えるような出来です。読み難いのですが左下の新田神社の文字の上の文字列は「運気を上昇させるパワースポット! 必勝開運・若返り・恋愛成就の神様」。ピンクのハート型の左側にはQRコードがある。
(7) 13:24 蒲田行電車が第二京浜国道への坂を登ってゆく。7700系の7908。
武蔵新田駅、滞在10分そこそこで、次の駅、下丸子へ向かいます。
(8) 13:27 これが、下丸子駅。駅の上屋の構造が特徴的です。
(9) 13:28 下丸子駅に降りた途端に蒲田行の7000系7306が着ました。どうやら、この日の多摩川線の7000系、これ一本らしい。
(10) 反対側の蒲田行のホームを見ると、前後真っ二つにされた羊の像。アートプロジェクトの作品「ぽたん」。
(11) 下丸子駅の多摩川行きのホームから改札機を通って外へ出ると、こんな眺め。
(12) (11)のマクドナルドの前まで行くとこんな商店街が続いているのが見えました。
(13) (11)のマクドナルドの前から駅を眺める。左側は食堂。
(14) 駅前から・・・・(13)の消火栓標識の下あたり・・・・から踏み切りを通過する電車を眺める。写真機を構える私の背後と、まるっきり違う光景が・・・・。電車は元7200の7600系。
(15) (14)の踏切を渡って振り返ると、7000系。
折角ここまで来たのですから、幼い日、約2kmを友人たちと歩いて、ザリガニを採りに来た、光明寺の池を見てこよう・・・・。
(16) ・・・・・と思って来てみれば、完全に塀で遮られて、池の存在も分からない。隙間があったので、覗いてみたら、一応、水面が見えました。子供の水難事故でもあったら面倒な事にあるでしょうから、やむを得ない措置かもしれません。
ここにも、コメダ珈琲がありましたが、今回はパス。
(17) お寺も見て来ようと、塀を反時計回りにまわって行きました。お寺の木々の下で、一休み。環状8号線のそばなのに、自動車の音は気になりません。セミの声が賑やかでした。
下丸子駅に戻って、こんどは、次の駅、鵜の木を目指します。
多摩川線・池上線の穏やかな雰囲気はやはり癒されます。海外の雑誌にはLRT=路面電車の仲間と紹介されることもあるらしい、それだけ生活に密着した路線ということですね。
我が家のそばの大井町線もつい最近までこんなムードでしたが、最近は田園都市線のバイパスにしようという東急さんの戦略でなにやら騒々しいです。
沿線ぐるみのアートイベントはなかなか面白いですね、作品の好き嫌いは別ですけど(笑)。
by Cedar (2010-08-28 12:51)
■■ Cedar様:
大井町線・・・そうですね、北千束駅、緑ヶ丘駅、好きな駅です。仰られる様に、急行も運行され地域の輸送と言うよりも、田園都市線のバイパス的な意味も出来たような気がします。
アートステーションというのは、なかなか面白いんですが、「オイオイ・・・・」と思うようなものもありまして・・・・。沿線の活性化という面から言うと、いい事だと思うのです。
by む〜さん (2010-08-28 18:05)
こんにちは。
子供の頃の私が遊びまわっていた地域そのものです。とても懐かしいです。新田神社も遊びましたよ。運気を上昇させるパワースポットだったとは知りませんでした。子供の頃からそんなこと気にしていたらきもちが悪いですけれど・・・。
下丸子駅横の食堂、私が物心ついた時からあります。入ったことは無いですので味はまったく分かりません。
そういえば、下丸子から鵜の木へ向かう一つ目の踏み切りのあたりでよく写真を撮っていたことを思い出しました。中学校の頃です。そのときはすでに川崎市の学校へ転校して遊びがてらと言う感じでした。
では失礼します。
by mymeな大家 (2010-08-29 03:41)
駅を降りると踏切があって、
小さな商店街に人がたくさん集まって買い物している。
都会らしい雰囲気ですよね。
名古屋の駅は、そういう雰囲気が無いんで、寂しいです。
by manamana (2010-08-29 07:34)
■■ mymeな大家様:
私の知っている新田神社は戦災に遭った直後だった気がします。兄の勤労動員先がこの辺りだったらしく、連れられていったみたいです。
このブルーとピンクが基調のパステル画風の広告は、なんだか、現代の若者に媚びているようで、如何なものかと思ったんですが、みんなに親しまれるための、一方法なんでしょうね。まさか、QRコードがくっ付いているとは思いませんでした。
踏切での写真・・・・残っていたら、いい想い出のキーワードになりますね。一枚の写真から、撮影当時の生活が、かなり具体的に甦りますね。
■■ manamana様:
大型店舗が大きな顔をしている地域も多く、その様な場所では、小さな商店街は見る影もありませんが、大型店が立てられないような、郊外電車の駅付近は、もろに昭和の雰囲気です。こんな小さな商店街が賑わう風景、かなりの場所で見受けられます。
名古屋辺りでは、あまり見かけない風景でしょうか・・・・?
by む〜さん (2010-08-29 09:28)
多摩川線の各駅下車のちいさな旅、いろいろ面白いことに気がつかれましたね。
田園調布や多摩川のような例外もありますが、かなりの都内の東急線の駅前には商店街があり、珍しく、お客も多いようです。土地が高く、大型スーパーが少ないからかもしれませんが、ローカル色が横溢しており、ホッとします。
多摩川線沿線の住民には目蒲線が多摩川で切られたことに不満を持っている方々も多く、駅の改築などで、東急さんも不満を和らげようとしているようです。
光明寺の池というのは多摩川を洪水対策のため、蛇行していたものを、まっすぐにしたとき、旧多摩川の蛇行部分が残ったと聞いたことがあります。
本当でしょうか?
by はーさん (2010-08-29 09:52)
■■ はーさん様:
多摩川線、各駅下車で楽しんできました。駅前商店が賑やかなのは、ほっとしますね。多摩川園前は昔から無かったし、沼部も、小さなマーケットくらいしかありませんでした。矢口渡、武蔵新田、下丸子、鵜の木・・・・にんな賑やかに感じました。
我がふるさとの電鉄線、池上線も一日掛けて、駅前探検したくなってきました。最寄り駅だった御嶽山駅前もスーパーが出来てますが、昔の雰囲気は変わりません。改札を出ると、小学生時代からあるお蕎麦屋さんが迎えてくれます。
光明寺の池が、多摩川の旧河跡だと、郷土史の本で昔読んで、現場を見て納得した気分になったことを思い出しました。光明寺は、丘陵の末端にあります。昔の地図を見ると、町の境界線や、古くからの道にも、そんな匂いが感じられます。
by む〜さん (2010-08-29 10:42)
新田という地名の駅は各地にありますね。
京急にも小島新田、東武ではそのものずばり新田、ほかにもあるのでしょうが、なにかいわれがあるのでしょうか。
新田とはいっても、しんでんと読むところもあれば、にったと読むところもあります。
地名って考えると面白いですね。
by micchama (2010-08-29 17:02)
鎌倉の名家、新田氏よりも、江戸時代に荒地や湿地を新規開発して田んぼにしたのではないでしょうか。
鴻池新田なんてのもありますし。
by なにわ (2010-08-29 19:51)
なかなか愉快な風景ですね。どちらかというと軽電車的な雰囲気もいたします。
東急の7000、ローカル用ながら素晴らしい意欲作だと思います。
by のり (2010-08-29 22:25)
■■ micchama様:
社会科で新田集落・・・習いました。懐かしいなあ。相模原市中央区『清新』・・・・・昔は『清兵衛新田』でしたが略しちゃったので何が何だか判りませんね。ここの武蔵新田は新田神社に関連して名づけられたとの事です。地名は調べ始めると中々面白いですね。
■■ なにわ様:
『新田集落』・・・・社会科の試験問題に出そうですね。ここの場合、新田義興のだまし討ち伝説に由来するもののようです。
鴻池新田駅・・・・片町線でしたっけ?鴫野、放出、住道・・・・難読駅名の並ぶ線区ですね。
■■ のり様:
多摩川線、池上線・・・・地元密着型の線です。朝夕のラッシュ時はともかく、昼間など、のどかなものです。
東急のデハ7000・・・・地下鉄日比谷線開通時に相互乗り入れ用として、米国バッド社の技術を使って東急車輛で製造されたオールステンレス車で、パイオニア台車を履いていました。中味は変わっていますが、未だに元気です。南海の6000も兄弟分だったと思います。
by む〜さん (2010-08-30 00:00)