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#452:横浜久保山/霞橋を渡る [お出かけ通信451~500]

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pen-para.gif お話の『時計の針を逆に回し』ます。
2010年8月30日・月曜日、滅茶苦茶暑かった一日でしたが、横浜市西区霞ヶ丘、南区三春台の境界あたり、久保山のバス停の上に架かる「霞橋」まで行って来て、9月3日付のブログにて、1969年の、市電の活躍しているころの画像と、対比させて、ご報告致しました。

pen-para.gif 今回は、その「霞橋」を東側から西側に渡ってみましょう。あ、そうそう、今回、「電車は出ません」・・・・「ごめんなさい」。 

■■■ お出かけ通信(452) ■■■

■■■ 横浜久保山/霞橋を渡る ■■■

 さて、そういう訳で、横浜市の久保山です。昔なら市電の7系統の久保山電停、いまはバスなんですが・・・・・昭和3年建造の「霞橋」。二代にわたるこの橋の故事来歴を調べると、面白そうなんですが、市電、横浜市の発展、関東大震災と、大変な作業になりそうで・・・・・止めちゃいました。(だらしないねえ、私)

 では、これから、霞橋を渡りましょう!!!!

(1) 私は横浜駅東口のバスターミナルから102系統のバスで、この久保山のバス停に到着しました。(このバスは、道路の反対側から、あとで写したもので、「102系統」か「68系統」か「32系統」か分かりません)
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(2) バスから降りると霞橋が、ど~んと架かっています。わ!圧倒的・・・・。バス停と橋の間には公衆電話のボックスに公衆便所
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(3) 曲線で構成されたオシャレなデザインの公衆便所。丸っこい入口の庇もカワイイ。
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(4) バス停の真ん前が、霞橋へ上がる階段大正2年の門柱と赤煉瓦の壁がステキ!
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(5) 階段を上りながら何度も振り返って大正を味わう。
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(6) 上がり詰めて右を見ると・・・・・。
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(7) 霞橋の上から見下ろす、先ほどの公衆便所の建物。随分、凝ったデザインです。
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(8) 渡り終えて振り返る。
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(9) 親柱のプレート。(橋の向こう側のプレートは漢字で書いてあります)
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(10) 親柱の上面、真ん中の白い丸は何でしょう・・・・ここに柱が立ち、電灯が付いていたらしい。
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(11) 橋を背中に右側を見ると、下に降りられます。降りるとバス停があります。
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(12) 左側の住宅への入口階段・・・・現在使用して居らずトマソンになってます。向こう側の上り階段も個人住宅へ向う様に思えて上りませんでした。一番下を右に曲がって更に下るのです。
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(13) (12)の真ん中に広く写っている踊り場の右側には掲示板があります。石柱と鉄パイプの手摺がいい味です。
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(14) この掲示板の右側、この植え込みの中に、記念碑が建っております。「皇太子殿下御降誕 奉祝記念 昭和9年」とあります。勿論、今上天皇陛下のことです。
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(15) 階段を下りきって振り返る。この階段が、昭和3年、造られた頃の姿なのでしょうたぶん・・・・・ま、ステンレスの手摺は無いだろうけど。道路の反対側の大正2年の門柱・赤煉瓦との対比が、この橋の歴史を物語っているようです。
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(16) 道路の反対側を眺めます。バス停の待合、階段に門柱と赤煉瓦壁、公衆電話、公衆便所。頭上には樹が繁り、霞橋が架かる。
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coffee_doutor.gif 今回は昭和3年完工の横浜市西区霞ヶ丘と、南区三春台をつなぐ「霞橋」をご覧頂きました。
 では、また次回にお目に掛かりましょう!!!!

 ・・・・・・と、思ったんですが、やっぱり電車が無いと寂しいので・・・・。

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 1969年・昭和44年6月29日・・・・霞橋から西側(藤棚~浜松町方面)の眺めです。電車は二両とも7系統の1300形。
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coffee_becks.gif では、これで、お終いです。


タグ:横浜市電
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mymeな大家

こんにちは。
橋の上にあがってしまうと何の気なしに渡ってしまいそうなほど、溶け込んでいるように見えます。昭和三年竣功の「功」の字、「工」ではないのが新鮮です。私が学校で習ったときは後者でした。
そういえば、山手線の高架もレンガの部分とコンクリートの部分がありますよね。順番に開通していったことが分かるようで面白いです。先の関東大震災の後からなのでしょうか。大正二年に竣工した部分は、関東大震災で損壊しなかったようですね。
トマソンと言う言葉、恥ずかしながら初めて知りました。意味を持たない、無意味なものを指すのですね。勉強になりました。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-09-11 15:58) 

TH

横浜市民でありながら、この付近の地理は全く不案内でして、橋の上はこのようになっていたんですね。
私は、電話ボックスがあることにチョッと驚きました。最近は本当に見かけなくなりましたものね。

電車のお写真が少ないとの事で、それでは私の撮った写真で鉄分補給?していただければ幸いです(笑)
先日も少し触れましたが、夏休みを取って、伊勢・関西を3泊4日で巡ってきました。
行った場所柄、近鉄が殆んどですが残暑とは言えない酷暑のなか、更に暑い所へわざわざ出かけた我ながら酔狂な旅でした。

3泊4日分、写真の枚数もかなりありますが、「こんな旅してきたの!?」とご笑覧いただければ幸甚です。
http://picasaweb.google.co.jp/rikyu1018/2010947?authkey=Gv1sRgCPSWz9zQta76ew&feat=directlink
by TH (2010-09-12 00:01) 

野良猫次郎

 私は、この「久保山」という地名に興味を持ちました、

 私の田舎にはこの苗字を持つ人は多いです。そのほか、久保田、大久保など。あまりよそでは聞かないような気がしますが。
by 野良猫次郎 (2010-09-12 05:37) 

manamana

橋建造当時の心意気が伝わりますね。
似たような橋が常滑にあります。
電車は走ったことはありませんが、古い橋です。
橋の上は、普通の街というのも同じようです。
こんどブログ記事にしてみようかな。
by manamana (2010-09-12 06:55) 

Cedar

切り通しに橋が架かっている情景は良いですね。その谷間に電車走っているともっと良いですが・・・、東京でも御茶ノ水界隈や、目白の千登世橋の辺りの情景は好きでした。
トマソン!懐かしいですね。赤瀬川源平が始めたこのコンセプトが当時大好きで写真集を買ったりしました。お写真の久保山のは純粋階段、ですね。
by Cedar (2010-09-12 07:52) 

む〜さん

■■ mymeな大家様:
 新橋~東京の高架部分は建設時期の違うものが並列にあり、鉄橋の構造など大きく違います。最近のものは、余りに力学的、合理的過ぎて、見て居て面白味に欠けます。
 トマソンは我が町田市に住んでおられると聞く(過去形かも・・・・)赤瀬川先生の造語ですね。何冊かのトマソン本を持って居ります。こういうのって好きです。
■■ TH様:
 横浜は結構、坂の街ですね。橋といえば、山元町の打越橋も壮麗な鉄骨アーチで素晴らしいフォルムです。

 酷暑の中の旅、大変でしたね!しかし充分楽しまれたようで羨ましき限りです。
 中でも、長谷寺・・・・近鉄大阪線のハイライトですね。一度は降りたい長谷寺駅。大和西大寺駅も複雑な線路配置、東西南北、各線入り乱れての電車往来。いい写真を見せていただき有難う御座いました。
■■ 野良猫次郎様:
 そういえば、私の友人に長久保くんがいました。久保沢って地名も相模原にあります。
■■ manamana様:
 常滑の橋・・・・グーグルマップのストリートビューで探してみました。常滑駅近く、陶磁器会館の交差点から南、直ぐの上空に架かる橋がコンクリートアーチですね。
 そういえば常滑・・・行った事がありません。私のPCに入れてある地図は2000年に購入と古いので名鉄電車は常滑が終点です。
 こんど、常滑の町の写真とともにブログに出してください。
■■ Cedar様:
 聖橋、千登世橋はいいですね。聖橋の都電が消えて何年になるでしょう?両者とも最後の訪問から少なくとも12年を経過して居ります。
 私もトマソン的物件が好きで何時も、キョロキョロ見回しながらの町歩きです。
by む〜さん (2010-09-12 20:59) 

jin

む~さん、こんにちはです。
久保山と聞いて、懐かしくて久々に書き込みしてしまいます。
今から20年くらい前、当時高校生でしたが、陸上部で中長距離をやっていまして、この辺を走っていました。
学校が近かったんです。
当時走り抜けていた橋、霞橋って言うんだと・・・今更知りました。
印象が20年前と余り変わっていない気がします。
写真を見て、一発で「あっ!」って思えました。
場所の印象は変わらないのに、自分の風体は随分変わってしまい、もはや走り抜ける事が出来ません・・・。
非常に残念です。
by jin (2010-09-12 22:58) 

naganaga

こんにちはnaganagaです。
霞橋特集、見させていただきました。
いや~懐かしいですね~!
藤棚方面に向かうバス停はよく利用してた思い出があります。
(8)の画像の電話ボックスの横に「〇永ホモ牛乳」のベンチがあり、その前に灰皿があったのを記憶してます。
画像を見る限り無くなってしまったみたいですね。
残念!
by naganaga (2010-09-13 00:58) 

む〜さん

■■ jin様:
 20年前に日常的に通って居られたんですね。そう、40年前でも面影が沢山残っています。少年時代におなじみだった場所、70超の老人になった私にも、そんな場所はあります。当時のことが、『芋蔓式』に思い出されてきます。橋から眺める黄金町、阪東橋方面・・・・40年前にはあったか、無かったか、土手の桜もかなり育って葉が繁りました。
■■ naganaga様:
 40年前のフィルムを見てみましたが、階段~トイレあたりの写ってるのが有りませんでした。ベンチの写っているのを期待したんですが残念。現在は、綺麗に整備清掃されまるで公園の一部みたいです。横浜市もよくぞ綺麗に残してくれたと思って居ります。
by む〜さん (2010-09-13 06:20) 

巽孝一郎

1枚目の画像は今から41年前の昭和44(1969)年の久保山霞橋のものですが横浜市電が通っていました、
by 巽孝一郎 (2010-10-15 08:20) 

む〜さん

■■ 巽孝一郎様:
 横浜の街は意外と坂が多く何箇所も『峠越え・登坂』がありました。この久保山もそのひとつでした。霞橋は、今でも、市電が元気だった頃の姿で、架かっています。
by む〜さん (2010-10-15 10:31) 

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