八高信越小海中央1981(3) [1980年代の旅]
1981年・昭和56年7月25日・土曜日、町田~八王子~高崎~小諸~小淵沢~八王子~町田の周回コースを、小学校5年生の次男と一緒に回っています。今回は、三回目の「小海線」です。
お話は、信越本線の小海線乗換駅、小諸駅からスタートです。
■■■ 八高信越小海中央1981年(3) ■■■
(1) 小諸駅の二番線、キハ52・・・・小海線の小淵沢行の入線です。
(2) お蕎麦のスタンドの「ひXX」は「ひしや弁当店」でしょう。
(3) 小海駅に到着。降りたお客さんは踏み切りを渡って改札口へ。
(4) (3)の部分拡大。窓の中に見える丸いのは「秤」みたいです。この頃は小荷物の扱いをやっていたのでしょう。
(5) 列車の後の方を見ています。キハ52が三両に、キハ58(・・・・かな?)が一両付いています。
(6) この写真を見て、ふっと思い出された駅名は「信濃川上駅」。正解かどうか分かりません。Googleの航空写真を見た見ると、正解だったら向こうの山の手前には千曲川の流れがあるはずです。
(7) (6)の、バスの部分を拡大しました。千曲自動車です。
(8) 同じく(6)の、二人の人物の手前を拡大したら、何て言うか知りませんが、保線に使う自転車みたいなのが、ゴチャゴチャと見えます。
(9) 野辺山とか、清里とか、其の辺りでしょうか・・・・レタス畑を見て間隙してしまったらしい。
(10) 向こうに見える山は、八ヶ岳のようです。
(11) 小淵沢に到着。これで、小海線踏破!!!今日は、八高線に小海線と二線区クリアです。
ここからは、中央線で東へ・・・・八王子を目指します。特急あずさ号、写真の一枚も撮ってあるかと思ったら、車内の写真があるだけ・・・・・なんていい加減な、アバウト鉄道ファンなんでしょうね、私は!!!!
・・・・・では、次号で完結です!!
小海線、最後に乗ったのは、80年夏でした。それ以降は、クルマやバイクで沿線を走っているのみです。数えきれないほど行ってますけれども。
信濃川上駅らしい写真。自分はぱっと見て臼田あたりかなぁと思いました。あの駅もいい雰囲気を残してます。こちらもそのうちに定点写真で確認したいですねぇ。
by quatre-l (2010-10-17 06:21)
信濃川上、懐かしいです。
まさに1981年夏、
ここのレタス農家で住み込みバイトをしました。
慣れない力仕事でしたが、
休憩の時食べた井戸で冷やしたスイカの味を忘れられません。
by manamana (2010-10-17 08:40)
乗られた小海線の列車は
236Dレ 小諸11:54発 小淵沢14:33着
でしょうね。
八高線、信越線と乗りついで、小海線、中央東線経由のお帰りになり、小海線の車掌をフル楽しめる列車はこれしかなかったようです。
良く、計画されていかれたのだと思います。
既に信越線も中央東線も電化されたので、キハ57、58は余っており、小海線の列車にも連結されていたのでしょう?
by はーさん (2010-10-17 10:11)
1978年10月、長野~大阪の「ちくま」が20系+12系客車に、そして間合い運用とはとても言えない大阪~新潟の「越後」が特急電車になり、それ以降2エンジン車というわけで入ってきたのではないでしょうか。
もっとも冷房電源がないのでクーラーは使えませんし、そこまで長野にいた冷房電源を持つキハ65はエンジンが特殊なためあちこちに転出していきました。
by なにわ (2010-10-17 20:28)
小海線にも「たらこ色」のDCは走っていたのですね。あの色は国鉄の塗装の中でいちばん嫌いな色でした。それにひきかえ千曲自動車の塗装は素晴らしいですね!いかにも昭和な感じです。
by Cedar (2010-10-17 23:03)
前の旅行をこうやって、再編集できてとても楽しいですね。
息子さんは 鉄ちゃんにはならなかったのですか?
by 野良猫次郎 (2010-10-17 23:36)
■■ quatre-l様:
実は私は小海線は、この時一回乗ったっきりなのです。後は、暑い夏の日、エアコン無しのレオーネ1600で、下仁田から中込、そして小海線に沿って野辺山で、韮崎へ出ました。韮崎側から川上村へは何回か行きましたが・・・・。
臼田駅は、フィルムの駒順からいうと、合致しないのです。
■■ manamana様:
何回か川上村へは行きましたが、野辺山の電波望遠鏡見物とレタス畑を見たかったからなのです。韮崎から信州峠を越えて行きました。あのころは、50代でしたから体力もあり、庭先の感じ出走っていました。いま、70を越えて、とてもそんな元気は有りませんです、はい。(笑)
■■ はーさん様:
小海線の列車同定と時刻データ、有難う御座いました。早速、ブログの作成に使わせていただきました。感謝です。
このコースは、気軽に、明るいうちに回れて楽しかったです。この年になっても、日帰り圏だなあと思っています。
キハ58(57?)がキハ52に混じって居るのは、何だか似合いませんね。電源問題でエアコンもアウトでしょうし・・・・・。
■■ なにわ様:
キハ58は2エンジンでエアコン搭載でしたが、電源問題でエアコンが使えず惜しいです。四国、土讃線でキハ58を連ねた急行を何回か利用しましたが、二段窓のキハ65が混じっており、編成美を損なうなあと思ったものです。
■■ Cedar様:
このカラーの気動車は、私も好きになれませんでした。好きなキハ45000も、キハ40も、キハ20もぶち壊しだなあと思っています。古いと言われそうですが、下がブルー、上がクリームの時代が好きですね。(初対面時に刷り込まれたのかなあ!?)
■■ 野良猫次郎様:
はい、二人の息子は、よく旅行に一緒に行きました。しかし、旅行は好きなようですが、鉄道ファンにはなりませんでした。それでも、いまでも、キハ58だとか、165系電車とか言ってますから、少しは好きなんでしょうね。(笑)
by む〜さん (2010-10-18 00:21)
こんにちは。
キハ52、とてもいい響きです。小海線は勾配が多そうですから、2エンジンの気動車が必要だったのですね。
お客さんが沢山いるように思います。今ほど自動車が普及していなかったでしょうか。私仕事ですが、車を購入したのは私が免許を取得してからでした。そんな私も車に飽きてしまい、もともと鉄道好きなものですから車を手放してしまいました。レンタカーで十分ですね。
今の小海線の風景はどれほど変わっているのでしょうか・・・。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2010-10-18 14:37)
■■ mymeな大家様:
この時が、私の小海線初体験でした。高原列車、C56の混合列車で車窓の景観が素晴らしいと聞いていましたが、期待のそむかぬいい眺めでした。エアコン無しの窓全開・・・・も良いスパイスだったのかもしれません。
以後、何回か沿線を訪れたのですが、全て車でした。最近は体力衰え、自動車運転して日帰りでは八ヶ岳近辺まで出かける気が起きません。む~さん、老いたり!!!って思いますね。
by む〜さん (2010-10-19 09:41)