足尾線の風景・・・四駒 [小ネタ集]
お出掛けのネタが切れていますので、昔の写真を四駒・・・・・1969年・昭和44年11月の国鉄・足尾線風景です。
当時の足尾線の一番奥には銅の鉱山があり、精錬も行われておりました。その為、貨物列車の運行も行われ、小型タンク機関車C12が牽引しておりました。こんな足尾線沿線の草木あたりの渡良瀬川にダムが建設され、線路が水底に沈むため、新線迂回が行われるといいます。ダム完成前に、そんな足尾線を撮りに行こうと、友人たちと出かけました。
神土駅、そして渡良瀬川の反対側の山の中腹から、神土から草木への線路を行く列車を俯瞰撮影したのです。
そのときに写した写真から、三駒ほどご覧下さい。風景の中の貨物列車ですから、480×360の小さな画像では見難いので、例によって部分拡大もしました。この時の写真は、後に、700×525か、450×600の大き目の画像でホームページ化するつもりですが、果たして何時の事になるか、見当もつきません。風景はやはり大きい画像でないと、感じが出ませんね。
■■■ 国鉄・足尾線の風景1969年・・・四駒 ■■■
昭和44年というと、カメラは多分、ミノルタSR-1の旧型で、専用露出計を、二つの穴に差し込むタイプでした。アルミダイキャストの重い筐体、おっそろしく大きなゴム引き布のフォーカルプレーンシャッター、スーパーロッコールF1.8/mm標準レンズ、F4/100mmロッコールレンズは、10K円くらいでした。昭和40年でしたか、240K円で買って、一年乗ったスバス360の62年式スーパーデラックスを、色々事情もあって、120K円で手放し、そのときに買った・・・・思い出多きカメラでした。
(1) C12の牽く貨物列車が上がってきました。黒煙を吹き上げ、タンク車主体の列車。
(1-A) C12・・・・一生懸命頑張っています。タンク車は硫酸専用と聞きました。米軍御用達の燃料用タンク車を見慣れた目には、可愛く映ります。
(2) 順序の記憶が怪しいのですが、(1)の直前の場面のようです。白い奇岩怪石、川の淵の水が青く澄んでいるのは、足尾の鉱山から出る銅のイオンの所為かなあ・・・・なんて考えていました・・・・・結構、思い出すものです。
(2-A) C12の踏ん張りの場面を拡大。
(3) 画像の順序は(3)~(2)~(1)のようですね。神土駅のシーンです。・・・・・足尾方面に向う貨物列車、気動車は桐生行でしょうか・・・・キハ20+キハ30のようです。この貨物列車を対岸の山腹の道路から写したのが(1)(2)なのでしょう。
色々考えていると、画像序列に関しては、かなり問題があるようです。この気動車列車も(4)かもしれません。
(3-A) C12263・・・・・ホームのおじさんは携帯電話通話中の筈もありません。
こんな世の中になっちゃうなんて、この頃は夢想もしませんでした。
(4) 気動車の列車が行きます。青い川の淵の水色、真っ白な川の石、まだオレンジとクリームのツートンカラーだった気動車。
(4-A) キハ20+キハ30のようです。
(4-B) 川には釣り橋が架かっておりました。
お詫び: 画像の順序がてきとーで、まことに申し訳ありません。いずれホームページ化しますが、そのときにはちゃんと検証致すつもりです。
この撮影行にご一緒した、畏友はーさんのホームページ「はーさんの鉄道・旅・よしなし草/40年前の鉄道風景」に、多くのカラー写真を含むアルバム「錦秋の足尾線・1969年」が収められています。下記のURLからご覧いただけますので、是非、ご覧下さい。
http://6.fan-site.net/~haasan55/AsioSen.htm
では、また次回!!!!!!
C12にキハ20系、30系、正しく昭和40年代の国鉄ローカル線の光景ですね。当時はあまりにありふれた光景で特に顧みる事もありませんでしたが、最近はこうした光景が無性に懐かしくなります。それにしても、このホームに立っているおじさんは遠目にはケータイで話しているように見えますね。昨今は都会も田舎も変わりなく、老いも若きもケータイを使っているので情緒がありませんね。
by アルファ (2010-11-04 13:33)
おお!とびっくりしましたのは、実は全く同じ場所で貨物列車の俯瞰を撮ったことがあるのです。鉄仲間4人でクルマで夜東京を出発、神土付近で朝の列車を撮影し、未舗装で山に登るこの道を発見、ポイントで俯瞰撮影ののち日光方面に抜けた記憶があります。SLブームの真っ只中でしたから、クラブの付き合いもあってたまにはこういうのにも付き合いました。
いつかは拙ブログに・・・と思っていましたが二番煎じは如何なものかとおもいますしね。
by Cedar (2010-11-04 16:36)
足尾線に乗ったのは、たしか、高校2年の秋だったですから、昭和38年だったと思います。
川の色の不気味さに足尾鉱毒事件の怖さをひしひしと感じました。
でも、そのあとだったかと思うのですが、機関士ナポレオンの映画化で、ナポレオンに扮する、故森繁久弥氏がC12を運転して見せてくれました。
助士が三木のり平、とても楽しい映画でした。
そんなことを思い出させてくれました。
ありがとうございました。
by micchama (2010-11-04 16:37)
鉄道模型でしか見られない昔ながらのローカル線風景ですね。
小さな貨車が今ではなかなか見られませんね。
by manamana (2010-11-05 07:43)
■■ アルファ様:
キハ30一党は関西本線の大阪通勤圏の通勤用としてデビューしたわけですが、関東の非電化区間で数多く使われた時期がありますね。ウチの近所の相模線、八高線、川越線もそうでした。寄居で仕事が夜に終わったりすると、八高線で八王子まで来るのですが、非冷房の車内で、惨めな気持ちで帰って来たことを思い出します。
■■ Cedar様:
この撮影場所はダム工事用の道路だったので、足場が良かったです。便利だったので、沢山の方が足尾線のC12にカメラを向けたようですね。
二番煎じなんてとんでもない、画像を見ながら、当時を思い出しましょう!是非、アップロードを!!!
■■ micchama様:
この後、国鉄の2万キロキャンペーンに参加していた次男と一緒に、足尾線を間藤まで往復しました。そんなことも思い出しながら、このブログを書きました。
この時の渡良瀬川の岩の磨いたような白色、ブルーの淵の水色は、強く印象に残りました。
■■ manamana様:
現在のタンク車はガソリン用が多いので、車長もながく、色も派手ですね。この硫酸用のタンク車は短いので台車が目立ち、とても可愛らしかったです。現在も少数なら居るのかしら?なんて思いました。
by む〜さん (2010-11-05 15:29)
ご存知の通り、この辺りは今やダムの底になってます。草木ダム周辺道路は、いい景色なのでバイクのツーリングコースで有名です。
でも、以前はもっと素晴らしい眺めだったんだということを知る人も少なくなってきました。
八ッ場ダム周辺も同じようにならないことを祈りたいですね、、、。
by quatre-l (2010-11-05 17:50)
■■ quatre-l様:
あれは昭和50年ごろの事ですが愛車スバルレオーネ1600で神奈川山梨の山道を走り回っていた時期があります。改造も何もしていない普通のクルマで、のんびり九十九折れの峠道を走りました。大月から右に入った松姫峠には葛野川ダム、韮崎から川上村へ抜ける信州峠の途中にも塩川ダムが出来ました。そんな頃のことを想いだします。
いまでは、とてもそんな元気はありませんので、電車の車窓風景を楽しんでいます・・・・が、近場ばっかり。
八ッ場ダムも、一旦走り出して勢いがついちゃったのを止めるのは大変なことです。着手前に、多方向からの慎重な検討が必要ですね。
by む〜さん (2010-11-05 20:15)
濃硫酸タンク車って、確か黒色でしたっけ。いいですなぁ~!
実はワタクシ・・・危険物のタンク車も、とっても好きだったりします!
by うたに (2010-11-05 23:09)
■■ うたに様:
塩素が黄色でしたが、アンモニアは白でしたっけ?忘れましたが・・・・。
タンク車は、中味にあわせた特殊装備なんですね。アスファルトなんてのもありました。固まっちゃうので、加熱して溶かして、取り出す構造でした。
タンク貨車は個性集団で興味津々ですね。
by む〜さん (2010-11-05 23:20)