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冬の国鉄八高線1970年・2~3月頃 [国鉄1970年代]

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pen-para.gif ここのところ、「お出かけ通信」ネタが多いようなので、古いフィルムを掻き回しておりましたら、1970年・昭和45年の2月か3月辺りに写した、国鉄八高線の貨物列車の写真が写っておりました。ホームページ化しようと思っていますが、その前に「ブログ公開」をしようと書き始めました。

■■■ 冬の国鉄八高線・1970年2~3月頃 ■■■

pencil-green.gif 前年、昭和44年に購入したスバルR-2・・・・フロントは不細工でしたが、お尻の丸みが大のお気に入りだった・・・・に、当時3歳になったばかりの長男を乗せて、町田を後にして、北上。たしか、武蔵小金井の踏切を渡り、清瀬を通って言った記憶がありますが判然としません。途中で、八高線の見所をご案内くださる友人のTSさんを乗せ、何故か、川越線武蔵高萩駅。たぶん、近くにある航空士官学校の関係と聞いた貴賓室があったからなのでしょう。息子を立たせて記念撮影。勿論、内部を見学させて下さるわけもありませんが・・・・・。いま、Wikipedia見たら、改築されちゃったとの事。

(1) 武蔵高萩駅・・・・流石は貴賓室つき、辺鄙なローカル駅の駅舎ではなく、平屋ですが立派な駅舎が有りました。まだ、気動車が往き来していた川越線。貨物列車は9600牽引だったような記憶もありますが、確認はしていません。
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pencil-green.gif TSさんのご案内で到着したのは、八高線の「越生駅~明覚駅~小川町駅」あたり・・・・。

pencil-green.gif 先ず最初・・・・たぶん、越生駅から明覚駅に至る辺り高崎方面へ向う貨物列車が来ました。

(2) C586牽引の列車。高麗川のセメント会社の関係でしょうか、ホッパ貨車で構成された短い列車で、原料と製品を積む貨車かしら・・・・。
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(3) 桑畑の向こうに走り去る列車。この辺り、今でも養蚕は行われているのでしょうか?・・・・とすると桑畑はあるのでしょうか?
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pencil-green.gif 場面は変わりましたが、これも「越生~明覚間」。明覚方面から列車が来ました。

(4) 向こうのカーブから現れた貨物列車。牽機はD51703
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(5) この列車、後の方には、石灰石でしょうか、白いものの詰まれたホッパ車が数台、つながっておりました。葉の落ちた楢の木が繁った、越生方面に列車は消えてゆきました。
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pencil-green.gif こんどは、明覚駅と小川町駅の間に移動。

(6) 小川町方面から、ホッパを何両か牽いてDE10538が来ました。エンジンルームを後部にしたDE10が、とても格好良いものに見えました。いまでも、。DE10をこの角度で見た姿が好きです。
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(7) 明覚方面へ列車はなだらかな勾配を登って行きます。
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(8) 場面は変わって、すこし明覚方面に移動します。小川町方面からD51140に牽かれて貨物列車が来ました。黒煙が上がっているのは良いのですが、追い風で・・・・こんな写真になりました。
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(畦の白いものは画像処理で飛んでしまった部分で、雪ではありません)

(9) 列車は明覚方面に勾配を上って行きました。線路に沿ったささやかな通信線・・・良いですね。そして、小高い山の上には、三相一系統だけの高圧線鉄塔が立って居りますが、この形状って、華奢な体で電気の輸送に必死で頑張っているようで、私は好きです。最近は、電圧が上がったからでしょうか、見かけなくなったような気がします。
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pencil-green.gif 冬枯れの雑木林、葉の落ちた、手入れされた桑畑、昭和中頃の日本の風景。富んではいなかったけれど、皆、将来の繁栄を夢見て頑張っていた、しかも、まだ、ゆっくりと・・・・。そんな時代の八高線風景でした。

pen-pc.gif この時に写した他の写真も合わせて、ホームページの方に一頁を設けたいと思っています。

coffee.gif では、また次回に!!!!!


タグ:八高線
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Cedar

この頃、私は学校の鉄研のメンバーに付き合って八高線のSL撮影に何度か行きましたので懐かしい。SLそのものより武蔵野らしい林や桑畑の中をいく列車風景が印象に残っています、そもそも3・5・7・9の撮り方が私は好きですし。
by Cedar (2011-01-14 00:39) 

キャトレール

いいですね~。

この頃、自分は何してたんでしょうかねぇ。
コダックのインスタマチック持って高崎機関庫あたりをうろついていたかもしれません。

ところで、講談社のDVDマガジンで「男はつらいよ」をまたまた買ってしまいました。
寅さんを観ると、昭和44年~の風景が随所に現れて懐かしさに涙が出ます。

ちょうど蒸気の最後期でしたから、山田監督もオープニング場面では出来る限り汽車のある風景を取り入れたかったんだと思います。
by キャトレール (2011-01-14 01:41) 

manamana

東京周辺のローカル気分を味わえる線でしたね。
子供の頃はお世話になりました。
ただ、蒸気機関車は既にありませんでした。
by manamana (2011-01-14 06:30) 

アルファ

SLブームの頃、八高線は東京から一番近いSLの走る線とよく紹介されていましたね。しかし、八高線のSLは煙突に回転式火の粉止め、所謂“クルクルパー”がついているせいか人気は今一つでした。走っていたSLもC58やD51のようなありふれたSLだったのも人気が今一つだった要因でしょうが、今見るといい風情ですね。冬枯れの風景の中を様々な貨車を連ねて走るSL、これぞ正に一昔前の日本の原風景です。
by アルファ (2011-01-14 10:08) 

青木一郎

遠ざかる列車は余韻がいつまでも残っていてくれるような感じがします。
ちょうど無蓋車越しに木々の枝もたくさん見え、雑木林の中を行く、絵のようなすばらしい作品に思いました(5)。
武蔵高萩のホームはこの頃、原宿の宮廷ホームのイメージでした。記憶は薄れましたがとても印象的だったことを覚えております。
朝夕の客車列車と貨物はキューロクでしたね。
by 青木一郎 (2011-01-14 20:10) 

素人写真

懐かしい光景です。
by 素人写真 (2011-01-14 23:20) 

亀甲デザイン研究所

1970年の八高線の越生付近はこのような景色だったのですか。この年は東京近郊でSLが走っているというので初めて拝島駅に行ってD51を写真に納めて感激していました。その先は中学生だった自分には遠い旅路の果てという気がして地図だけの想像の世界でした。
初めて八高線を全線乗ったのは1994年のこと。このような景色ではなくなっていました。


by 亀甲デザイン研究所 (2011-01-14 23:27) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 関東平野西端の山地に掛かる辺りを縦に走る八高線は、私の好きな雑木林や畑地、集落を縫って走ります。そんな八高線が好きで1970年ごろ、良く通いました。蒸気機関車の咆哮とかは重連運転のある金子~高麗川の20パーミル区間ですが、ここも度々訪れました。フィルムの半数は変形して使い物になりませんが、探せば何本か救出できそうです。
 河田 楨さんの著書にかぶれて雑木林散策も時々やりました。
 西武の狭山ヶ丘駅駅前が寂しかった頃の話です。たしか、あのあたりは古戦場で、そんな往時をしのびつつ歩き回ったものです。
■■ キャトレール様:
 八高線は好きでしたが高麗川から北へは1959年が最初だったのです。上武鉄道とかも行きましたっけ・・・・。
■■ manamana様:
 1970年ごろまでは、八高線と言えばD51重連の石灰石列車撮影に通いました。あまり遠出はしない性質だったので、全国各地の重連名所には行った事が無く、もっぱら金子~高麗川でした。近いし、安いし・・・・・。
■■ アルファ様:
 たしかに火の粉止め装置は、写真的にはノイズですね。それも、機関車の一部とみなして『気にしない事』にしていました。それにしても、東京駅から45km、我が家から40km(直線距離)のところに、こんなロケーションがあるなんて、結構、幸せでした。そのうちに、SLブームだ、サヨナラ運転だと言う事になり、へそ曲がりの、む~さんの足は八高線から遠のいてゆきました。
 いま、高麗川駅に行くと、貨車も蒸気機関車も無い広い構内が広がり、寂しい気持ちになります。
■■ 青木一郎様:
 雑木林は好きでしたね。島田謹介さんの武蔵野写真集が、たしか、暮らしの手帳あたりから出版され、当時の私には滅茶苦茶高かったので、本屋さんで立ち読みしたものです。
 我が家の近辺にも、雑木林は残っており、それを見るたびに、若き日の八高線を思い出します。
 武蔵高萩駅は川越線の車中から撮った事があるのですが、カーリングでフィルムは使えなくなりました。
■■ 素人写真様:
 私が八高線に最後乗ったのは一昨年あたりでしたか、キハ120の快適な車内から眺める車窓風景。この1970年頃の風景の面影は充分に残っておりました。八王子~高麗川乗換えで、高崎へ行き、高崎弁当の駅弁で昼食、同じ経路で帰宅すると言う旅を思いつつ、いまだに実現しません。
■■ 亀甲デザイン研究所様:
 たしかに、1970年ごろの風景は完全には残って居りませんが、金子~東飯能~高麗川~寄居と、まだまだこの雰囲気は残っています。たまにはコンパクトデジカメをポケットに、気軽に出かけて見ませんか?キハ120の窓から外を眺めていると、『旅』を感じます。
by む〜さん (2011-01-16 06:21) 

のり

なんと長閑な時代の一コマでしょう。しかも大阪万博の頃ですね。
時が緩やかに動いている感じがいたします。
関西(特に大阪地区)は、この万博あたりを境に、大きく変化したように感じますね。
by のり (2011-01-16 08:30) 

ズルツァー・マン50

素晴らしいお写真ですね。特に(2)(3)(9)の桑の木を入れたものは素敵です。最近では、桑の木、見なくなりました。
桑の木に、寄棟の大きな草葺き屋根の民家などがあると、如何にも武蔵の国の北方と言う感じがしましたが、なかなか見られない風景となってしまいました。
by ズルツァー・マン50 (2011-01-16 11:50) 

maipenrai

む〜さん様 はじめまして。いつもROMさせていただいております。
この度ブログを始めました。勝手ながらRSSをつけさせていただきました。
よろしくお願いします。
by maipenrai (2011-01-16 13:41) 

mymeな大家

こんにちは。
昭和45年でも関東周辺で蒸気機関車が走っていたのですね。私は3歳で覚えていませんが、是非見てみたかったです。むーさんと違って私の父はまったく鉄道には興味がなく、パチンコと盆栽ばかりでしたから。
武蔵高萩駅に貴賓室があったとは、士官学校があれば偉い人も来たでしょうから・・・しかし立派ですね。
では、失礼します。
by mymeな大家 (2011-01-16 21:05) 

む〜さん

■■ のり様:
 そうですね、大阪万博。とうとう参加できなかった万博。やっぱり、関西に行ったらスケジュール無理しても、太陽の塔は見てこなくては・・・・と、思います。モノレールから見えるのでしょうか?
 貨物列車が幹線以外見られなくなってしまいました。現在、ここでは、キハ120が、上下あわせて一時間に一本程度です。その点は、長閑な線区です。国民総出で全力疾走の時代になって居ますが、そんな時代ですから、休息が必要。そんなとき、たまに乗ると、心安らぎます。町田から高崎往復と食事代で5K円は覚悟しなければならないので、簡単には行けませんが。
■■ ズルツァー・マン50様:
 わが町、町田でも昭和30年代末あたりは桑畑が残っていました。いまでも、その残滓が、住宅地や畑地で見られます。生命力の強い木なんですね。そういえば、40年代後半、うちの子供が学校の授業の一環で、家で蚕を飼っていました。近所の道端で充分、「残り桑の木」の葉が餌になりました。
■■ maipenrai様:
 貴ブログ、拝見いたしました。鉄道趣味人として、楽しめる素敵なブログです。今後もよろしくお願い致します。これから、RSS設定いたします。
■■ mymeな大家様:
 盆栽・・・いい趣味ですよね。私の義理の父が好きでかなりの数、育てておりました。随分昔、ケヤキの素敵な盆栽を貰ったんですが、育て切れませんでした。難しいもので、好きな方の気持ちが良く分かりました。
 小田急の相武台前も、近所に軍の学校があって卒業式には天皇陛下がいらっしゃったとの事。残念ですが、小田急ではなく国鉄利用で、昭和40年ごろには原町田駅にホームの名残らしきもの残っていました。いまは、完璧に消失しましたが、駅の傍に短い区間ですが道路に立派な欅並木が残っています。そして地元では「行幸道路」の名前も通用します。
by む〜さん (2011-01-17 06:36) 

三多摩

HPの記事を拝見すると撮影日は1970/2/1(日)だったとのこと。
私事で恐縮ですが、この日は中学入試の当日でした。そして入学後すぐにまわりの影響を受けて鉄道ファン(当時はこう言いましたね)になりました。中一では遠出もできないので、八高線は重宝したものです。
あの頃はキハやDD51が来ると「カメラが腐る」などといってほとんど撮影しませんでしたが、何とも本当にもったいないことをしたものだと思います。
フィルム代が惜しい事情もありましたが、満遍なく残されているむー様の記録には感銘を受けます。
by 三多摩 (2011-01-18 11:19) 

む〜さん

■■ 三多摩様:
 中学校時代からの鉄道ファン、筋金入りですね。私が本格的にカメラを持って撮影に行く様になったのは高校に入ってからですから、凄いですよ。
 まあ、用語関係は時代で変わってゆきますが、私は鉄道ファン・・・・いい言葉だと思い、現代でも積極的に使っております。
 さて、DD51のホッパ列車も、なかなか良いものでした。思い出すのは高麗川駅の賑わい。いまの高麗川駅の姿を見ると胸が痛みます。
 私も、身近な電車・汽車の写真が驚くほど少ないのです。そして、「急行用の電車は撮っているが、各停用は写真が無い」なんて半端な記録方法で、今になって悔やんでおります。
by む〜さん (2011-01-18 13:06) 

高二

蒸機時代には間に合いませんでしたが、私も牽引機こそDD51でしたが、秩父から寄居受渡の石灰列車を眺めに行ったものでした。
タブレット閉塞区間の通過駅でのタブレット交換をみたいが為に、ちょくちょく竹沢まで足を延ばしていましたよ。
by 高二 (2011-01-21 22:33) 

む〜さん

■■ 高二様:
 石灰列車を引くDD51も結構ダイナミックで好きだったんですが、写しには出向いていませんでした。八高線も電化され、石灰石、セメント輸送が、廃止されて、がらりと変わってしまいましたね。高麗川駅構内の寂しさは、まさに涙です。小宮駅にあったコンクリート工場も無くなり、ホキの姿も消えました。
電車だけになると寂しいものですね。わが地元、横浜線も同様です。
by む〜さん (2011-01-21 22:50) 

風旅記

こんにちは。
昭和40年代、まだまだ日本が成長の過程にあった当時は、少し動けば都市とは異質な風景が広がっていたのでしょうね。
その後の数十年で、ベッドタウンが広がり、都市は拡散し、八高線も一部は電車が走る路線となりました。
蒸気機関車が貨物を引く姿は、今では想像もつきませんが、綺麗な気動車が軽快に走る線路がそのままに生きていること自体が嬉しいことなのかもしれません。
お写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
by 風旅記 (2012-12-06 16:56) 

む〜さん

■■ 風旅記様:
 コメント、有難う御座います。八高線は快適なキハの走る路線となりましたが、車窓風景は、まだこの頃のイメージが残っています。高麗川~高崎間を、お弁当持参で乗るのも、良いかもしれません。
 貴方様のブログ「風旅記」拝見いたしました。素晴らしい写真集ですね!!
by む〜さん (2012-12-10 20:52) 

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