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教えて下さい: 此処は何処? #04 [此処は何処?]

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pen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gifpen-ojigi2.gif 今回はQUIZではなく、私のほうから「分からない事があるので、お教え下さい」と言うお願いなんです。

 ・・・・・いままで、このブログでもとり上げたのですが、再度、皆様のご記憶に、データに頼って、なんとか長年の疑問を解決したいと、そういうお願いです。そんな訳で、タイトルも、ニュアンスの違う書き方になって居ます。(回数は追い番ですが・・・・)

■■■ お教え下さい: 此処は何処? #04 ■■■

 今日は、だいぶ以前にスキャンした画像なのですが、撮影場所がよく判らない。撮った記憶も殆ど、若しくは全く無い。そんな画像を三枚ご覧頂きます。全て、二度目のブログ登場ですが、よろしくご教示下さいます様お願い致します。


pen-para.gif (1-A) ご覧の通りの横浜市電。撮影は昭和35~6年と思われます。で、この写真、何処だかわからないのです。50年経った今、私の脳ミソの中に、「浦舟町」の名が、何故か残っています。ただ、撮影した状況とか、全く記憶喪失なのです。
 7系統と9系統の電車が写っています。
 ◆ 「7系統」: 中央市場~八幡橋(中央市場~横浜駅前~浜松町~初音町~浦舟町~睦橋~八幡橋)
 ◆ 「9系統」: 六角橋~浦舟町(六角橋~青木橋~浅間下~洪福寺前~浜松町~初音町~浦舟町)
 この2系統が重複する所は、「浜松町~初音町~浦舟町」なんですが、自信を持って、何処の電停と言い切れません。何方か、「此処は、XXXXだぞ!何時も利用してた。
」みたいに、断言して欲しいのです
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(1-B) 二両の電車、1500形と500形の間の眺めに注目してみましょう。自転車の人物あたりから、ちょっと上り勾配、どうやら、橋かなあ・・・・。遠景は小高い丘の様。
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pen-para.gif (2-A) さて二番目は電気機関車ED361です。撮影は昭和30年3月。何処で、如何いうシチュエーションで撮ったか、完全に忘れています。何処の駅なんでしょうか?。背後の家は、なんだか鉄道官舎って感じです。ED36は元、青梅鉄道(青梅電気鉄道)の1926~29年、EnglishElectric製、後に国鉄となりED36、昭和35年廃車されて、西武へ行った機関車です。・・・・と、云う事はこの写真を撮影した昭和30年は、まだ、国鉄。
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(2-B) 左端の架線柱に注目してみましょう。アングルを組んだ鉄柱で、いかにも私鉄風。青梅線で撮影した記憶はないし、家に近かった南武線でしょうか・・・・・。ここが、武蔵溝ノ口と仮定すると、日当たりの方向から、右が立川って事になりますが。
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pen-para.gif (3-A) 田舎道を砂塵を巻き上げて走る路面電車。この写真の撮影状況ははっきり覚えています。昭和33年8月、四国、高知発松山行の国鉄バスの車中から撮影した、土佐電鉄の300形電車(二軸単車)。背後が高知で、もうすぐ伊野という場所。だとすると、この道路は国道33号。
 「土佐電鉄のどこの停留所辺りか知りたい」と以前から思っているのです。バックの山の姿から「伊野商業前~北山」あたりかなあ?と漠然と思っているのですが、確信がありません。
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(3-B) 電車は300形の320で方向幕の三字は「知寄町」かなあ?
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(3-C) 左側には国道に沿って国鉄土讃線の線路が低い築堤で続きます。踏み切りの標識が見えています。右の線路上には、電車の巻き上げた砂塵にかすんで、自転車?オートバイ?はたまた歩行者?
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 今回は、何だかわけのわからない内容になりましたが、是非とも読者の皆様のお知恵を拝借いたしたく、よろしくお願い致します。


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Cedar

答えはまったくお手上げで、わかりませんが、3枚ともすごくいい写真ですねえ!
特に土佐電鉄の単線区間、このバスはボンネット形かそれともキャブオーバー形でしょうか?こういう写真大好きです。
by Cedar (2011-05-23 00:19) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 ご存じないですか・・・・残念です。最後の土佐電鉄は、私が二十歳の1958年夏休みの四国旅行の時のものです。朝、高知駅前を出る松山行きの急行バスでした。メーカーは覚えていませんがリアエンジンの大形のものでした。当時の高知~松山ルートの山間部の国道は狭くて未舗装も多く、最前部の席に居た私、山中腹の道路のカーブでは、まるで、車体がはみ出しているように思え、気が休まりませんでした。途中のバス停に、大尾というのがあって、バス停ポールに仮名が振ってあり「おおお」とありました。松山手前の三坂峠の天辺で下り勾配に備えて何度もブレーキテストをしたのが印象的でした。
 松山では伊予鉄の横河原にゆく非電化の車両を撮りましたが、公園保存の坊ちゃん機関車を見たあと、不整脈となり、ほかのものは撮らずに、夕方までには同じルートで高知に戻りました。結局、体は正常に戻りましたが、惜しい事をしたものです。
 想い出が次々と湧き、コメントが長くなりました。年寄りの長話って、こんなものかもしれません。お許しください。
by む〜さん (2011-05-23 06:39) 

む〜さん

♪ da-kura様:
♪ 注連本の眼科学様:
♪ くまくん様: 5/13,5/15,5/17,5/20,5/22の
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2011-05-23 08:12) 

maipenrai

昭和30年ですと私はまだ4歳。のりもの絵本に心ときめかせていた頃でしょうか…。まったくお役に立てませんが、Cedarさんに同感、素晴らしい写真です。未舗装の道路を行くバスの車内から、すれ違う土電(つちでん、ではない)。ものすごく新鮮なアングルです。
by maipenrai (2011-05-23 19:55) 

む〜さん

■■ maipenrai様:
 仰られるように、当時の青少年の方々は55年以上の星霜を経て既に70を越しておられる筈です。私自身の記憶が危うかったり、無くなってしまったりで、場所不明は、どうにも未練があるのです。そのうちに、頭に中の何処かの引き出しを開けたら、出て来たりするのかも知れません。
 この「とでん」の写真は、キャブオーバータイプのバスで、ドアは確か中央(最前部だったかも知れまっせんが)一箇所だった気がしますが、車掌さんは乗務していました。最前列の席で、高知~松山の山越えの絶景は、ときに冷やりとしたものの、なかなかのものでした。
by む〜さん (2011-05-24 08:00) 

ほらさわ

横浜市電の電停に関し、この写真が撮影された頃は生まれておりませんが、数年前に浜松町から浦舟町まで電車通りをそうとは知らず歩いた経験があり、その感じですと久保山を越えるまでの区間で、このような平坦な町並みが続くところはないのではないでしょうか。そうしますと阪東橋から浦舟町を望んだ風景と言うのはどうでしょう。橋は吉田川に架かる橋、背後の山は山元町の山という推定です。ちなみに、私事ですが、この電車にまんざら縁がない訳ではなく、幼少の頃、たびたび浅間下から洪福寺まで乗る機会があったのです。それは9系統だったのですね。場所は違えど懐かしい思い出です。
by ほらさわ (2011-05-25 00:42) 

のぐまさ

はじめまして。高知市内の者です。いつもこのページを楽しませていただいております。
伊野の町に入る手前でJRと並行するほぼ直線の箇所は、むーさんの仰るとおり伊野商業前~北山の区間になります。
おそらく、伊野商業前のすぐ西で、現在でも写真スポットとなっている歩道橋を過ぎた辺りではないかと思います。
写真の右手に広がる田んぼも、4、5年前でしたか広大な商業施設が開業し、それに合わせて伊野商業前~北山の真ん中辺りに「北内」という停留所が新設されています。バリアフリーのつくりで屋根も設置された便利なものになっています。機会がありましたらぜひ足を運んでみてください。
これからも楽しいブログをよろしくお願いします。
by のぐまさ (2011-05-25 12:55) 

む〜さん

■■ ほらさわ様:
 横浜市電の思い出とご考察、拝見しました。仰る通り久保山越えをして平坦地になったあと、浦舟町までの間のようですね。電車の顔に日が当たっているので、南南東から北北西への電車通りですから午後の北向きの写真と思われます。左の「7系統」の電車の方向幕を、いろいろ手を尽くして読もうと思いましたが、どうやら「中央市場」らしいのです。
 久保山といえば、先般、霞ケ丘の陸橋の優美な姿を見に行きまして、ブログにも書きました。お時間がありましたら、ご覧下さい。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2010-09-11
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2010-09-03

■■ のぐまさ様:
 私の母は高知の出身で、私は幼い頃より、大学を出るまで、何度も高知を訪問しました。あんまり写真は撮ってい無いのですが、その少ない写真の一枚です。伊野にも母の知人が居りましたので、なんかいか母と一緒に行きました。
 やっぱり、伊野商業前~北山なんですね。これで、確信が持てました。有難う御座いました。この近くに枝川という停留所がありますが、その近くの梨農家に新高梨を求めに行った事もあります。
 懐かしさの余り、余計な事も書いてしまいました。
 私のホームページ『む~さんの鉄道風景』に、『昭和中期の土佐電鉄の写真』を並べてあります。もし、ご覧になっておられなかったら、ご覧頂きたく存じます。アドレスは下記です。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link130.html
 ハーフ判カメラの為、あまり綺麗な写真ではありませんが・・・・・。
 御礼まで。
by む〜さん (2011-05-26 06:26) 

ほらさわ

ご紹介のブログにありました陸橋、先に書いた散策の際に私も「まだ残っていたのか」と感心した覚えがあります。今の横浜は横浜駅を境に北と南で分断された感が濃いですが、旧市街たる中区や南区には、このような戦前・戦後の遺構がまだまだひっそりと残されているのですね。
by ほらさわ (2011-05-27 23:09) 

む〜さん

■■ jin様:
 久保山の霞橋は多少、手は入って居りますが原形は保っており、脇の階段の煉瓦や門柱など、昔の雰囲気が残って居ります。先般行ったときも、半日掛けて、バス代払って、行っただけの価値はあったと思いました。
 仰るとおり、中区の根岸線と海との間もふらりと歩いてみたいエリアですね。
by む〜さん (2011-05-28 15:52) 

Ryo

はじめまして。
いろいろな古い写真とお人柄のにじみ出る文章を楽しませていただいています。特に、土佐電鉄の写真はなんだかとっても時代を語るいい写真ですね。

ところで、ずっと横浜市民ながら市電がなくなった時にはまだ5歳だったので景色に覚えがあるわけではありませんが、見入ってしまいました。
まったくの見当ですが、この写真は浦舟町交差点の西側ではないでしょうか。今浦舟町の上りのバス停のあるあたりで、左に見えるのは昔の市大病院とか・・・。
9番の電車は真ん中に運転台がある形式だと思うのですが、運転手の姿が見えませんからどこか途中ではないような気がしますし、大きく拡大すると方向幕が「○角橋」に見えてきます。左手前から日が当たっていることからしても左がだいたい南側とすれば不自然ではないのではないでしょうか。
停留所の後ろにつけていた9番の隣を折しも八幡橋方向の7番が来たので安全島から下りて撮った、というのはどうでしょうか。
勝手な想像ですみません。
by Ryo (2011-06-30 02:19) 

む〜さん

■■ Ryo様:
 横浜市電のコメント有難う御座います。自分で写しておきながら、何処だかさっぱり判らないなんて恥ずかしい限りですが、50年という歳月は、そう言うものかも知れません。
 撮影場所のご考察、拝見して、成る程そういう推理も成り立ちそうだなあと思いました。涼しい季節になりましたら、2L判にプリントした写真を持って、浦舟町に行ってみたいものだと思っています。出来れば、地元の高齢の方に伺ってみたいとは思えども、ビル・マンションが建ち並んでいたら、どうしようもなさそうで・・・・。
by む〜さん (2011-07-01 17:23) 

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