昔写真:名鉄瀬戸線1961年(オマケつき) [小ネタ集]
ネタが切れで、苦し紛れの昔噺で、昭和36年の写真を三駒・・・・・1961年・昭和36年夏の名鉄瀬戸線です。以前見たことあるぞ!と仰る方もいらっしゃるかもしれません、ご勘弁ください。私のホームページの宣伝も兼ねて、こんなブログを作ってみました。
■■■ 昔写真:名鉄瀬戸線1961年・・・三駒(オマケつき) ■■■
今から50年程前の話です。大学時代の鉄研仲間が三人、中京名古屋へ電車見物に出かけました。そのとき訪れた名鉄・瀬戸線の写真です。
残念な事に、多分、DP屋さんの現像処理の問題と思うのですが、フィルム面に何かが析出したようで、黴などではない「妙な模様」が出てしまいました。オマケにフィルムが大変形、それを10年ほど前、無理やりに、スキャンしたデータでホームページを作りました。その上、カメラが「ハーフサイズ」のオリンパスペン、そのデータの中から、マシなものを三枚選んでみました。
ホームページの方では「名鉄・瀬戸線1961年(1961年7月9日)」という題名で発表済みです。(この件も既にブログで宣伝した記憶もあり、あつかましいけれど、再度書いてしまいます。ごめんなさい!)
(1) 名古屋城のお堀の中を行く、モ600形603。
(2) 喜多山駅でモ600形605。
(3) これも喜多山で、有蓋車ワ200形204。
この旅の詳細は、下記のアドレスをクリック頂きますと、私のホームページ「む~さんの鉄道風景」の該当ページにジャンプいたしますので、ご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link112-meiseto.html
今回は、お手軽企画、しかも、ホームページの宣伝活動、ご容赦ください。
・・・・・・・三枚の写真だけでは、少々寂しいので、オマケをつけます。
む~さんも、電車を追いかけ、何か食って帰宅!だけじゃあなく、たまには、花を愛でる事もあるんです。
もう10日も前の事ですが、6月1日、町田市立の野津田公園ってところに、「バラ広場」って場所があるんです。見頃だと聞いて、花見に行きました。もう、あれから10日、現在は花は見頃を過ぎていると思われますが、ご覧下さい。
これが、バラ広場・・・・三方を丘に囲まれた静かなところです。ご覧の通り、そんなに広い場所でもなく、広場にバラが植わっているだけって眺めですが、花そのものは結構、素敵でした。一番奥の黒と白の屋根は養鶏をやっている鶏舎で、匂いが風に乗ってきます。鶏舎の方が先にあった様で、ま、これは仕方がない。お仕事を続けて欲しいと思います。
・・・・・パッチワークみたいにランダムに並べてみました。
町田市のホームページにこんなページがありました。
http://www.city.machida.tokyo.jp/kanko/miru_aso/hanadayori/kaika_joho/noduta.html
では、今日のブログはこれでオシマイと致します。
■■♪♪ quatre-l様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-10 18:03)
こんばんは。
「昔話」と「バラの写真」、楽しませてもらいました。
まず、「1961年の名鉄瀬戸線」の電車ですが、こちらはおそらく「木造車」ではないでしょうか?
京阪でいうと、200形、300形(共に初代)と同類の車両ではないかと思われます。
そして、町田市の「バラ広場」、素敵な場所ですね。
お写真も「ナイス!!」です。
また、こういったお写真もどんどんアップして下さいね。
by 京阪快急3000 (2011-06-10 19:57)
■■ 京阪快急3000様:
名鉄瀬戸線のモ600形は木造3ドアの小型でチャーミングな電車でありました。京阪の木造車・・・・懐かしいなあ!昭和34年、三條で撮った写真があります。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2008-04-25
この電車も素敵でした。
花は、気持ちをほぐしてくれますね。いま、我が家の辺りでは
、紫陽花が綺麗に咲きはじめました。私は、ごく普通のブルーの紫陽花が好きですね。
by む〜さん (2011-06-10 21:19)
今回は昔ネタですね。
私も昔の大船ネタを拾いましたよ。
「昭和20年の大船駅」なんて入れたら、昭和20年9月の大船駅ホームを撮影した写真が出てきました!
今の横須賀線下りホームを今の横須賀線上りホームから撮ったと思われます。
当時は根岸線が無い代わりに、燃料廠(後のPX)線がありましたね。
その機関車も写っていますよ!
当時の駅名表示はひらがなで、「おほふな」と書かれています。
これに合わせて、横浜市がインターネットで、昭和20・30年代地図を提供しているのも解ったので、南部の地図を見たら、PX線の様子が解りました。
駅を出るとすぐに県道の左側を併走し、今の警察学校まで直進、さらにまっすぐと今の本郷台駅付近行きに分かれます。
もしかしたら、通勤利用も有ったのかもしれません。
この地図で、住友電工専用線が会社内に入ってゆくものも有ったことが解りました。
おほふなで検索したら、国木田独歩の湯河原旅行も出てきました。
品川~国府津の東海道線の様子と人車の様子が解りますよ。
by じろっち (2011-06-10 22:28)
映画のようなレトロな電車と鮮やかなバラ!
なんてステキなブログなんでしょう!
バラ広場、そんなに広くないのに
いろいろな種類のバラが植えられているのですね。
森の中の広場なのかしら?
木々の緑もきれいですね。
by ぽんた (2011-06-10 22:29)
これぞ「電車」。
吊り掛け時代の木造・半鋼製の電車こそ「電車中の電車」と
いう気がしてなりません。まして、今のステンレスや
アルミニュームむき出しの車両はどうも好きになれません。
乗り心地など含めて性能的には評価しますが・・・。
by ひもブレーキ (2011-06-10 23:02)
今でもお堀はそのままで、草ボウボウです。
でもそこを電車が走っていたなんて、
いくら想像しても、姿が浮かんでこないんです。
ホームページも拝見しましたが、
いったいどの辺やら、見当も付きません。
堀川駅だけは、ホームの跡と思われる雰囲気が残っています。
by manamana (2011-06-10 23:35)
■■ じろっち様:
お久しぶりです。コメント有難う御座います。「昭和20年の大船駅」でGoogle画像検索してみましたら、あれはLIFEの写真でしょうか・・・出てきました。小さな蒸気機関車も写っていました。そして、私の撮った写真も一緒に出てきたのには吃驚でした。
PXは知らないのですが、今の本郷台方面への道に平行して廃線になった貨物線が残っていた事は覚えています。工事半ばでほうりだされたようになっていた観音様も覚えています。
横浜市の地図は知りませんでした。こんど検索してみます。有難う御座いました。
■■ ぽんた様:
昭和36年には、まだこんな電車が活躍していた瀬戸線も、いまでは大形電車が活躍中で、名古屋のターミナルも地下になってすっかり近代的になりました。
バラ広場・・・・バラ園と言わないところが謙虚で好感持てます。ボランティアの方々が、年に二回(だったかな?)のシーズンの為に世話をしてくれています。
■■ ひもブレーキ様:
現代の最新式通勤電車は、まさに「通勤客輸送箱」です。清潔ではあっても、味も素っ気も無い、ものが多いですね。まあ、それが時代の要求なのでしょうが・・・。
■■ manamana様:
お堀の橋の上から眺めて線路が存在した気配も無いなんて、吃驚です。ホームページ、ご覧下さって有難う御座います。「あまりに汚い写真」で驚かれた事でしょう。ファイル現像の後処理が悪かったようです。そして、保管状態も悪かったようで、もうフィルムは使い物になりません。スキャナーでスキャンした画像データだけ残っているのが救いですが。
by む〜さん (2011-06-11 06:05)
HPじたいが膨大なアーカイブなんですが、膨大すぎてまだ全貌を拝見するに至っていません。「過去に出したネタ」なんておっしゃらずに、大いに宣伝活動をしていただければ「あ、この記事はまだ見ていない…」というのが見つかってありがたいと思います。以前の龍ヶ崎のような切り口も楽しいですね。
by maipenrai (2011-06-11 08:32)
瀬戸電の昔写真、とても素敵です。栄乗り入れにて近代的な鉄道に生まれ変わりましたので、もう昔日の面影は全くと言っていいほど無いことでしょう。
瀬戸電に使用されていた電車の一部は、揖斐・谷汲線で余生を過ごしておられましたね。昭和55年に訪問したのが、一期一会でございました。
素敵なバラの画像もありがとうございます。
by のり (2011-06-11 18:07)
大船PXは他の接収地と違い、終戦即接収ではなかったうえに返還も早かったので、知られていないんだと思います。
大船界隈のネタでは、梅田川に残る横須賀貨物線の橋台が増えています。
この線路が、下り東海道線が大船を出るとあったガッチャンの原因です。
むーさんが袋井に行った頃の駅名表示は「おほふな」でえしたか?
by じろっち (2011-06-11 21:46)
■■ maipenrai様:
はあ、たしかに膨大で何が入っているんだか自分でもアブナイ感じです(笑)。「お出掛けネタ」が無いときには「昔ネタでホームページの宣伝」もやらせていただくことに・・・・。
最近はホームページの更新が手抜きになって居ます。新ネタも構想はあるんですが、なかなか実行できない「愚図む~さん」なんです。
■■ のり様:
名鉄の新名古屋に出入りするような花形電車も素敵ですが、端のほうの支線で活躍していた小型車にも魅力的な電車は沢山居ました・・・・と言っても写真で見ただけってのが殆どですが。
このモ600は実に均整のとれた素晴らしい木造車でありました。同系の車体の制御車と組んだらさらに魅力アップなのでしょうが、そうならないと言うところも、名鉄の良さみたいな気もします。
■■ じろっち様:
梅田川・・・・柏尾川の支流だと思って、地図で探したのですが、よく判りませんでした。小袋谷川と、砂押川には名が付いてましたが、他の皮には名前が無くよくわかりません。
袋井に行ったのは昭和35年でしたので、新仮名遣いも充分普及し、「おおふな」でしょう、たぶん。
昔、さる小説家の随筆で、「大岡」は「旧仮名」だと「おほをか」だけど、「新仮名」だと「おおおか」で間が抜けて見えると書いていたのを覚えています。あれは、誰だったかの記憶は無くなってますが。
■■♪♪ da-kura様:
「nice!」 有難う御座います・
by む〜さん (2011-06-12 22:32)
梅田川は、田園踏切のそばの川ですよ。
むかし、横須賀線下り踏切とは別に貨物線に踏切がありました。
その軌道の橋台が残っているんですよ。
田園踏切・横須賀貨物線とかで出てくると思いますよ。
by じろっち (2011-06-12 22:38)
■■ じろっち様:
田園踏切・・・・グーグルマップで調べてみました。複線に見える二線踏切(一方が横須賀線下り線)、築堤の上にも単線線路(横須賀線上り線)。道路に平行した幅の狭い水路・・・・これが田園踏切なんですね。で、昔の線路跡ですが、防災倉庫?に影でよく見えませんでしたが、脇から、「らしい物件」が見える気もします。航空写真で見ましたが、こっちも判然としませんでした。矢張り、足で現場を踏まねば判りませんね。
by む〜さん (2011-06-13 10:14)