So-net無料ブログ作成

常磐線・取手~佐貫:1960年 [国鉄1960年代]

icon_koneta-mukashi.gif
pen-para.gif 今回も、「お出かけネタ」が切れまして・・・・そう、しょっちゅう出かけるわけも無いのですが・・・・昔写真でお茶を濁します。
 かなり前に作ったホームページ、そのページ、如何にも画像の質が悪いので、見てくださいというには、かなり気が引けます。題して「国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(前編=カラー版・後編=白黒版)」、1960年・昭和35年6月の撮影です。
 その中から、白黒版の、割合に見られるものを選びました。このページの一番下に、そのホームページへのリンクが御座いますので、お時間が御座いましたら、ご覧頂けたらと思います。

 持って行ったカメラは、白黒=オリンパスペン、カラー=ミルタセミPでした。カラーフィルムは期限切れ、そして40年の年月を経た退色。白黒は現像の不手際か残存薬品の析出か、気泡やら妙な汚れがあります。
 そんな訳で、大変、申し訳無いのですが、前々回の「名鉄・瀬戸線」同様、画質の悪いのはご容赦ください。

■■■ 常磐線・取手駅~佐貫駅:1960年 ■■■

pen-pc.gif 1960年・昭和35年6月19日・日曜日、22歳の私は、『とある商社』の新入社員でした。大学鉄研時代の友人と電化の噂の立ち始めた常磐線の撮影に行ったのです。

 持って行ったカメラは昭和34年の暮れに買ったオリンパスペンと、兄譲りのミノルタセミPでした。オリンパスペンには、ネオパンの何だか忘れたけれど、白黒フィルムを入れ、ミノルタセミPには、貰い物にして、期限切れの、フジカラー(ASA10のリバーサルフィルムです)が入っています。

 取手で下車して、線路沿いに撮影しながら、佐貫の駅まで歩きました。距離にして8kmというところ。

 今日は、そのときの写真の中から、35mmハーフ判の白黒写真を、ど~ぞ。

(1) 下り列車は取手から非電化区間となり、坂を下って、広い田圃に掛かります。C62牽引の急行列車のようです。
001-6006joban07-a.jpg

(2) (1)の写真の真ん中に写っている丘の上から、下り方向を見ています。機関車はC60らしいのですがよく判りません。
002-6006joban04-a.jpg

(3) 藤代駅の方面に歩いて行く。電柱を見ると、多分、上り貨物列車。D51189・・・・かな?
003-6006joban07-b.jpg

(4) (3)に同じ。
004-6006joban09-a.jpg

(5) 鉄道管理局の境界標識がありました。
005-6006joban09-b.jpg

(6) 藤代駅を過ぎ、小貝川の橋梁に掛かる普通列車。牽引はC57で、次位の客車は、オハフ30と思われます。
006-6006joban14-b.jpg

pen-para.gif 6枚の写真をご覧頂きましたが、ホームページの前後編をご覧頂くには、下のURLをクリックして下さい。上の前編から入れば、そこから後編へ行くことも出来ます。

icon_hp_senden01.gif
pen-ojigi2.gif ・・・・と、云う事で、お時間がございましたら、是非、下のリンクからホームページ「む~さんの鉄道風景」をご覧頂きたく存じます。

arrow-red-right.gif 国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(前編:カラー版)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link001-special.html

arrow-red-right.gif 国鉄常磐線・取手駅~佐貫駅間(後編:白黒版)
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link002-special.html

coffee_becks.gif では、また次回!!!!!!


タグ:常磐線
nice!(6)  コメント(12)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 12

manamana

子供の頃は、デコボコの編成の長い貨物列車をよく見かけました。
2軸中心のリズムに、ときどきボギーが交ざる、あの通過音、
そして、どんな貨物が繋がっているか、
数を数えながら見守るスリル、
懐かしいです。
by manamana (2011-06-15 08:50) 

む〜さん

■■ manamana様:
 貨車の連結両数・・・・数えましたね~、だいたい途中で判んなくなっちゃう。まあ、子供の遊びでしたが、楽しかったなあ!
二軸車のジョイントを刻む音に、たまに、ボギー車のサウンド。いい想い出です。こういうゴチャ混ぜの貨物列車が消えて、どの位経つでしょう。あのころは、当ったり前の事だったんですが・・・。

■■♪♪ パルの大冒険様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-15 17:19) 

maipenrai

 1960年というと、私は9歳。小学校3年生でしょうか。
 61年の6月には勝田まで電化されていますから、まだポールすら建っていないこのあたりの写真はホントに貴重ですね。
 常磐線との縁は、南柏駅の奥にできた団地に叔父が住み始め、なんども出かけたことからでしょうか。列車には乗っていませんが、父親がクルマ熱に浮かされていた頃で、地元のタクシー会社がやっていた「貸自動車」を借りて、土浦までドライブに行った記憶があります。小貝川の名前もその頃には覚えていたような…。
 のちに平以北には何度も通いましたが、非電化、複線の常磐線は神話の世界です。
by maipenrai (2011-06-15 21:37) 

む〜さん

■■ maipenrai様:
 私は22歳でしたから一回り以上違うんですね。若さが羨ましいです。
 丘の上に立つと、(2)の写真のように田圃が一面に広がり、集落の森が散在し、その向こうに藤代の駅があるらしく、発車時には、まるで狼煙のように黒煙が立ち昇ります。向こうの方に小さく列車が見え、段々と近づいてくる、もう、嬉しくってコーフンしてしまうのです。この田圃も、麦酒会社や家が建って随分変わってしまいました。(1)の丘だって削り取られてしまったようです。

■■♪♪ 注連本の眼科学様:
■■♪♪ kiyo様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-15 23:56) 

ちろ

こんにちは

私は柏の出身で18年間住んでいましたが
この時代の常磐線は新鮮ですね~
取手~土浦辺りまではよく自転車でEF80の撮影に出かけました。小貝川もこんなのどかな時代だったんですね。

by ちろ (2011-06-16 13:53) 

京阪快急3000

こんばんは。

若かりし頃に撮られたお写真、じっくりと拝見させていただきました(ホームページも拝見しました)。

この頃の常磐線は、まだまだSLががんばぅていますね。

DF90、インパクトありました。

また、こういう企画を期待しています。 
by 京阪快急3000 (2011-06-16 20:47) 

じろっち

むーさん、横須賀貨物線の跡の件ですが、その防災倉庫のトコです。

今は夏草が生い茂っていますが、見ることは可能です。

大船に来る機会があったら、防災倉庫の脇にある社から川沿いに築堤の方に移動してください。
by じろっち (2011-06-16 21:10) 

む〜さん

■■ ちろ様:
 柏にお住まいだったんですか・・・東武野田線に旧型車が沢山居た時代だったのでしょうね。いまの野田線、100%8000ですから。
 取手まで10km、土浦まで36km・・・・ああ、20歳ごろ、自転車で50km、100km、走ったっけなあと、懐かしく想い返しています。国道6号線もきっと空いていて、自転車で走っても怖くなかった事でしょう。
■■ 京阪快急3000様:
 このあと、架線柱があっという間に建ち、直ぐに電化工事完成となって401電車や、EF80など、活躍する事になりますね。
 普通に大形蒸気機関車が首都圏で見られたいい時代でした。
■■ じろっち様:
 矢張り、防災倉庫の向こう側だったんですね。一度じっくりモノレール撮影に行かねばと思っていますので、ここも訪ねた見ましょう。
by む〜さん (2011-06-17 15:25) 

津沢

む~さん様、こんばんは   津沢です

1960年、電化前夜の常磐線、貴重な記録ですね。
1年程前に写真(1)(2)に近い場所で撮影試みましたが、台地も低地も住宅が建て込んで、列車の全景を撮るのは無理でした。
取手~藤代間では今でも水田が広がっていて、田植えの頃の夜は街灯が水面に映って湖面を走っているような感覚になります。ちょうど映画『千と千尋の・・・』のように。

写真(6) 小貝川橋梁は現在もほとんど同じです。この場所は強風に見舞われ易く、しばしば規制値を超え運転抑止がかかったので、数年前に防風フェンスが出来ました。小貝川の治水工事の進展で、線路面が河川堤防の上面より低くなってしまったので、早急に掛け替えが必要なはずですが、今のところ動きは見えません。

by 津沢 (2011-06-18 00:26) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 50年経つと大変な変化があるのですね。地形も変わり、家も建つ、もう何が何だか判らないケースもあるでしょう。200年経った(200年だったかな?)浦島太郎さんの気持ちもわかりますね。
 東海道本線で40kmというと大船ですから、あの辺りも矢張り広い田圃風景が見られました。鉄道に沿って人間が増殖していったのが判りますね。
 小貝川といえば、私の小さな頃水害で大変だった記憶もあります。
 こういう写真を見ていると、たまには常磐線も探索に行こうと言う気にもなります。
by む〜さん (2011-06-18 14:36) 

ちろ

むーさんさま

私の頃は3000系がほとんどでしたね。
塗装はオレンジと灰色からだんだんとセイジクリームに変わってきました。お顔はみな同じなのでつまらなかったですよ(笑)
たまに修学旅行臨で5700系が来たり、野田市からの貨物列車を眺めたりしてました。
親戚が江戸川台にいましたので初石や江戸川台はよく
自転車で走り回ってました(笑)

水戸街道は取手あたりまでは人道があるのですが
その先は結構怖い思いをしましたね。
むーさんさまも自転車で走られたのですか?
by ちろ (2011-06-20 16:02) 

む〜さん

■■ ちろ様:
 2002年頃の野田市のキッコーマンの構内には、貨物側線や貨物ホームを偲ばせるところが、道路から見通せました。昭和30年代に野田市に行った時は、駅でお醤油の匂いがしましたが、製造方式、製造機器が変わったのでしょうか、さっぱり匂いませんね。まあ、いい事ではありますが。
 その3000系の名残でしょうか、2002年、乗ったときに、ホームに車掌さんが停止位置を確認する表示があるのですが、3000系のものと思しきマークが、残っておりました。いまは、如何なったか、知りませんが、あれから10年、もうあるはずもありませんね。
 大学時代ですから、20歳ぐらいの頃、水戸街道の体験はありませんが、東海道方面はよく出かけました。せいぜい、50~100km程度ですが、頻繁に遠乗りをしました。おりしも、サイクリングブームと言われていた頃です。今でも、SHIMANOとかのパーツのブランドを見ると懐かしいです。現在、我が家の近所には、ケルビム号というオーダーメードの自転車を作る会社があって、いいオジイサンになっても、ウインドウに飾られた自転車を見ると、胸が熱くなります。(もう、10kmも乗れないんじゃあないかなあ・・・・)
by む〜さん (2011-06-20 17:46) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0