京都-叡電-昭和34年 [小ネタ集]
今回は、昔ネタです。だいぶ以前に、このブログで公開した写真なんで、「もう、見たぞ~!」と、仰る方もいらっしゃいましょうが、ご容赦ください。
今日は、ホームページ「む~さんの鉄道風景」の、「叡電のページ」の宣伝です。その中から二駒のネガ。
■■■ 京都-叡電-昭和34年 ■■■
1959年・昭和34年7月、大学4年生だった私。とある計測器メーカーでのバイトで旅費を作って旅に出たのです。
四日市では三重交通のナローを、関西圏では、能勢電、叡電、そして中国地方の井笠鉄道に下津井電鉄、高知の営林署では森林鉄道をちょっと見たり・・・・・実に愉快な旅でありました。
そのときの叡電の写真です。いまは、叡山電鉄なんですが、当時は京福電気鉄道叡山本線・・・・だったかな?
(1)右端に写っていますように、「修学院駅」。写っているのはデナ1形二連で先頭はデナ1。総括制御だったかどうか覚えていませんが・・・・Wikipediaを見たら、この頃には二両固定編成化されていたとの事なので、たぶん総括制御なのでしょう。出町柳行の電車で、向こうが宝ヶ池になります。
(2) (1)の拡大。向こう見えるは、矢張りデナ1形・・・か、如何かはわかりません。デナ21も結構そっくりだし。
(3) (1)の顔の部分を拡大。前照灯の下のジャンパソケット?は、高圧用でしょうか、制御用でしょうか・・・・。ポールの紐をレトリーバできちんとまとめているのも素敵です。
(4) こっちの駒はデナ1形のデナ3。八瀬行。
(5) (4)の顔部分の拡大。この編成には前照灯の下の物件がついていませんね。オデコの社章は、調べたら、前身の会社、京都電灯のものだそうです。お寺の紋かと思ってました。
(6) これまた(4)の拡大で・・・・・あの上り坂の上で左に曲がり、宝ヶ池駅のようです。
時は流れて47年、2006年3月の「修学院駅」。電車もすっかり代替わりして、色まで変わって居ました。
(7) 出町柳行のデオ710(711)が入ってきます。(6)に写っている二つの踏切と同じなのかしら?道幅があまりに広いので、吃驚です。
(8) これまた(7)のとき写した「修学院駅」でのデオ900形(901)。これは鞍馬行。
明治になって近代化を目指して疎水を作り、発電所を作り、電車まで作っちゃった京都。こんな近代的電車、派手な色、これで、良いんでしょうが・・・・・私は、昔の色の方が好き。これも、初体験時のインプリントなのかしら・・・?
(9) 1976年、「元田中」で写したデナ500形の501(手前)-502のコンビ。元阪神の831です。色も、集電方式も叡電になり、板についた姿。
この色っていかにも、古都京都で良いなあと思うんですが。八瀬遊園行で、このころには八瀬から八瀬遊園に駅名が変わっています。
そして、この501の尾灯。前身の阪神で急行の前頭に立ち、斜め付けの急行灯を点灯して爆走していた頃を偲ばせます。
・・・・・・で、ここからホームページの宣伝になります。昭和34年の夏、叡電訪問時の写真を少しですが並べてあります。お時間がありましたら、ご覧いただければと思います。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link134.html
こうやって昔の写真を眺めていると、昭和の中頃、のんびりしていた時代だったなあと思うのです。
かっこいい電車ですねぇ。上部にRのついた窓に目が行きますが、切り抜き文字のナンバーとか(楕円の銘版ナンバーのもイイ!)、ドア上のさりげない水切りも素敵…なんてヲタ的視点はさておき、かぶりつきの子供たちの嬉々とした表情が印象的です。
by maipenrai (2011-06-23 07:57)
おはようございます。
「デナ21形」なら私も知っていて、実際に1度だけ乗ったこともありますが、「デナ1形」という車両がかつて、(現在の)叡山電鉄で活躍していたのは、知りませんでした。
おっしゃる通り、なかなかレトロ感たっぷりで、素敵な車両ですね。
吊り掛けモーターの音も迫力があったのでは、ないでしょうか?
by 京阪快急3000 (2011-06-23 08:26)
■■ maipenrai様:
デナ1・・・・実にカッコいいですよね。小さくって可愛くって、円弧になった前面・・・・堪らん魅力ですね。デナ21も良いのですが、こっちは3ドアで前面円弧の半径も大きいので、デナ1と較べると少々・・・・。
改めて写真を見ると、お客さん満員、自動車交通にも食われていなかったようで、良い時代だったんですね。当時の子供たち、表情が良いですね。
■■ 京阪快急3000様:
ホームページのほうに出してある、デナ21・・・・これもデナ1程では無いのですが、なかなか良い電車でした。こんなクラシックカーがゾロゾロ居た叡電に、デオ301なんてカルダン車が登場してきて驚いたものです。じつは、この「叡電行」は、このデオ301も目的の一つでした。
元阪神のデナ501も良いでしょう?まるで、最初から叡電に居たみたいに見えました。色とポールの所為でしょうね。
by む〜さん (2011-06-23 09:14)
私が小学校の頃、かつて京都に花脊スキー場がありました。そこに行くために、夜遅く京阪で三条まで行き、そこから市電で、出町柳まで行ってそして叡電に乗り、八瀬まで行って、そこから夜中に歩いてスキー場に出かけたと言う記憶があります。あまり広くないスキー場でしたが初心者にはちょうど良かったように思います。帰りは午後なので、スキー場から八瀬までバスがありそれで帰ったように記憶しています。その時に乗った電車がたぶんデナ1形だったのではないかと思いますが、ほとんど記憶がありません。花脊には1,2度出かけましたが、父もさすがに夜中の行軍に閉口したのか、その後は滋賀県の牧野スキー場に行くようになりました。牧野へ行くのも、京阪で三条まで、京津線で浜大津まで、江若鉄道で近江今津まで、最初はやはり歩きでしたが、その後は、バスでスキー場までのコースか、浜大津から琵琶湖汽船で近江今津までそこからバスのコースかのどちらかでした。江若鉄道は旧形の気動車ばかりでしたが、湖西線になって会社が消滅した今思うと写真でも撮っておけばよかったとちょっと残念です。時代物の車輌が消え去って久しいですが、そのような車輌に乗った経験があるというのは、ちょっと自慢ではありますが、オジンであることを証明しているようなもので、寂しくもあります。
by デトニ2300 (2011-06-23 10:44)
■■ デトニ2300様:
京都市内のスキー場、花脊スキー場は叡電の駅からかなりの距離ですね。小学生が歩くとなると、ひょっとして比叡山のスキー場(1964~2002)かなと思ったのですが・・・・。
江若鉄道は1969年まで営業して居たそうですが、廃線後、気動車が関東鉄道竜ヶ崎に来ていたのを見たことがあります。
あの頃の叡電は、落ち着いた色の、クラシックな漢字の電車が多く、気持ちが癒されましたね。2006年に行ったとき、あまりのけばけばしい色なので、がっくりしたんですが、地元の利用者から見たら、明るく快適、評判は良いのでしょうね。
by む〜さん (2011-06-23 17:20)
叡電デナ1、21典雅な木造車でしたね。
今にして思うんですよ、なぜ現物を見ておかなかったのだってね。
当時はチンチン電車なんて、、、と目もくれなかったのですね。
でも、地元 (?) の能勢電は撮影に何度か行ってるんですよ。
草深い単線の線路をかき分けるようにして、撮影に熱中したものです。
叡電のレトリーバをきちんとまとめているのが格好良いと書かれていますが、能勢電はそれがなされてなくて、だらしないとか、
お書きになっているのを拝見したときは、恥ずかしいような気がしました。
今から、能勢電のホールの紐をまとめに行くことも出来ない、遥か昔のことになってしまいました。
by たーサン (2011-06-23 21:15)
素敵ですねぇ!
「きらら」も素敵な電車です。
デナ1・21など、こういった典雅な木造電車が消えてしまって久しいのですが、安心感のあるデザインは今でも十分通用すると思います。南海大阪軌道線のモ101形もその範疇でしょうね。
復元された阪堺のモ161号を見て感じるのは、懐かしさだけではないと思います。
by のり (2011-06-23 21:28)
2両編成のポールカー・・・インターアーバンな雰囲気ですねぇ。
デナ1のオデコの向かって右側あたりに、戦前の阪神や大鉄時代の近鉄南大阪線のように、急の〇サボでも取り付けたら様になりそうです。
叡電は日本で最後まで残ったポール電車だったんですよね。
私は現役のポール電車を見ることが叶わなかった世代なのでレトリバーの構造などいまいち分からないのです。メジャーみたいに紐は巻かれているのでしょうか?
機会があれば鉄道博物館のナデ6141で確認してみましょう。
by 利きゅう (2011-06-24 00:18)
デナ21って、形も整っていて優雅というか、美しい電車ですね。好きな電車の一つです。
高校生の頃は普通に走ってましたから、何度も乗ったり撮ったりしました。
デナ1型は、その頃にはすでに修学院車庫でダルマさんになってました。
by まじにゃん (2011-06-24 07:15)
■■ たーサン様:
デナ1形は小型で可愛らしくて、暖かなな感じの木造車でありました。ポールを振りかざしてお客さんを運んでいる姿を見ることが出来て、幸せだったなあと思います。デナ21は3ドアになりましたが、基本的にデナ1の流れで、好感が持てる電車でした。電制なしの20番台が4両、電制つきの鞍馬線用の120番台が6両あったそうです。
叡電はかなりあとまで制服が詰襟だったような記憶もあります。
能勢電は、この旅のときに訪問したのですが、これもポールカーでしたね。ポール紐の件で気を悪くされたのでしたら、ごめんなさい。
能勢電では、何故か阪急から来た、10形、40形がお気に入りでした。
■■ のり様:
ほんとうに、デナ1形の姿は優雅でしたね。デナ1、デナ21のあとは、普通の車体の電車になって、デオ201はそれほど好きでもなかったし、デオ301は、カルダンで、カッコ良い電車なんですが、好き好きっってほどではありませんでした。
仰るとおり、南海のモ101・・・・保存に値する電車でしたが、惜しい事でした。それにしても、阪堺モ161の原型復元、保存車のあるモ205・・・・素晴らしいことですね。
■■ 利きゅう様:
叡電って、最後のポールカーだったんですか・・・・・。私の若い頃は、まだまだポール電車も残っていて(トロバスもあったし)、旅先で嬉しい思いをしたものです。地元には江ノ電もあったし・・・・。
レトリーバは、ゼンマイで巻き取りになってるようで、ちょうど、最近の愛犬家が使っているリール式のリードみたいなものなのかしら・・・・・。
■■ まじにゃん様:
叡電をご利用になられた頃、すでにデナ1は達磨さんだったんですか・・・・。惜しかったですね。でも、デナ21に会えたのは良かったですね。ダルマさんと言えば、Wikipediaのデナ1の項には、達磨車体の写真しかありません。惜しいなあと思います。
■■♪♪ manamana様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-24 10:30)
>むーさん様
確かに八瀬から花脊スキー場までは相当に遠い距離でした。その頃は自家用車を持っている人は少なく、バス便もなかったので、歩いてスキー場に行くのは当たり前でした。皆夜通し歩いて明け方にスキー場についてそれからスキーをして、午後には帰るるという強行軍でした。ですから、私にとってスキー=行軍でした。中学生になってから冬休みには乗鞍の麓の平湯峠まででかけ、そこからやはりスキーを担いで乗鞍の頂上まで登ってそれから滑って帰るようなツアーもしていました。5、6時間以上かけて山に登り、それから滑って降りるのがたったの15分程度という極めて非効率なツアーでしたが、それはそれなりにおもしろかったです。叔父が戦前の大学のスキー部のクロカンの選手でしたから、子供の頃から、スキーすなわち歩くものと教えられていました。リフトが整備された後はスキーはただ滑り降りるだけのスポーツになりましたが、それ以前は歩いて山に登らなければ滑れない環境でしたので、あまり苦労とは思っていなかったように思います。スキーもクロカン、アルペン両方持っていましたが、ほとんど使わなくなって知らないうちに賄いのおばさんに処分されてしまいました。
話変わって、修学院には賄いのおばさんの姉が住んでいて、時折訪問します。駅前の踏切をわたって北山の方に向かうのですが、最近ほとんど出かけていないので、懐かしく拝見しました。
by デトニ2300 (2011-06-24 11:30)
デナ1形、ヨーロッパの僧院を連想してしまうR付の窓が魅力的でとてもバランスが取れています。正面の窓は彫りが深いので高級感が出ています。阪和電鉄にも上部R付窓の電車があったり、京阪や阪急の車両の窓やドアのR加工はとても美しく仕上がっていますね。R付は輝かしい関西私鉄の証しかと思います。正面窓のおでこにある菱形の社紋、同じものが福井県の勝山駅の変電所の壁にもありました。
by 京葉帝都 (2011-06-24 14:07)
■■ デトニ2300様:
花脊スキー場は、山歩きのブログなどに写真がありました。花脊峠の向こうとなると、かなりの距離になりますね。大変な事だったのでしょうね。
もっとも、私が小学生の高学年の頃、大宮駅まで電車で行き、さらに蓮田駅まで歩き、そこから奥に入ったところまで、両親とともに、米芋の買出しに行きました。片道徒歩12kmほどありましたから・・・・。
修学院駅辺りの風景は、1959年当時の面影も無く、まさに浦島太郎さんになった感じでした。
■■ 京葉帝都様:
デナ1は本当に優美な電車でありました。保存されていないという事はまことに残念です。
菱形の稲妻・・・京都電灯のマークだそうで、古めかしいような、モダンなような、ユニークなマークですね。
■■♪♪ ちろ様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-24 23:49)
<デナ1>・・私が始めて憧れの関西電車めぐりした時には姿を消していて、悔しい思いをしました。ドイツMAN製の特徴ある台車がお写真でも確認できますね。軸ばねが2軸貨車のような板ばねというユニークな構造でした。
by Cedar (2011-06-25 11:09)
■■ Cedar様:
デナ1の廃車は昭和39年だそうですから、惜しかったですね。オール板バネのユニークな台車でありました。初めて乗ったのは昭和30年の高校数学旅行のときでしたが、大いに気に入りましたが、団体行動のため撮影は級友との記念写真のバックに留まりました。その4年後に、この撮影行となったのです。二番目の目的がカルダン新車のデオ301とは、若気の至りでした。(笑)
■■♪♪ コトキャン様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-06-25 23:47)