都電風景・1960年 [むかし噺(2)]
今日は朝から雨・・・・ずっと降っています。
今回は、昔の写真なんですが、一回、ブログに入れたことがあります。2007年9月27日のブログなんですが、ま、4年前の事ですから、ご勘弁頂き、ご覧下さい。
■■■ 都電風景・1960年 ■■■
1960年と言いますと、昭和も中頃となり、だんだん、世の中、便利になっていた頃です。しかし、今みたいに、何事も高速化し、古いものはどんどん捨てちゃうって感じは無かった気がします。
そんな、昭和35年、私は、とある商社に入社し、社会人一年生でありました。入社して、見習い仕事。先輩と車に乗って、お客さんのところに、ご注文の品のお届けです。そんな或る日、カメラを持って出社、昼休みとかに、写真を撮ったりする事もあったのです。
カメラは、昭和34年12月に発売されたオリンパスペン。なんたって、高価なカラーフィルムの駒当りの単価が半額!これは、サラリーマン一年生には大メリットでありました。
今回は、小西六のサクラカラーでの撮影です。ASA・・・・今のISO感度が10ですから、遅い遅いシャッターを切らねばなりません。
(1) 銀座通り・・・・左端辺りが室町三丁目交差点です。1系統6012の方向幕は「銀座三田」。
(2) これも同じ場所で、1系統の8108は上野駅行。
(3) 新常盤橋~室町三丁目の中間あたりの交差点で、右へ入って一寸歩くと神田駅。電車は3094で31系統の「都庁前」から東京駅前を通って来た「三輪橋」行。
(4) 新常盤橋を出て数寄屋橋へ向う17系統の7084。自動車は少ないし、まあ、のどかなものですね。
(5) (4)の左端部分を拡大してみました。電車の向こう側の尖塔のある建物は、確か、呉服橋交差点の大和證券だったかな・・・・。
(6) (4)の電車部分を拡大。
(7) これは車の助手席からの一枚。目黒近くの、当時、迎賓館があった辺りでの撮影ですが、方向幕が読めないのですが、たぶん、目黒行きのようです。
(8) 同じく車中から・・・・。御成門から田村町一丁目(今の西新橋)に向っています。
(9) (8)の電車の左側を拡大。鉄塔のある建物は、NHKの放送会館で、その向こうが富国生命、その向こうが日比谷公園になります。37系統は、三田~日比谷公園~小川町~淡路町~松住町~旅籠町~上野公園~駒込千駄木町で、この電車は、ナンバー(6224と読めるかな?)も方向幕(三田にしてはぐじゃぐじゃですが、状況から三田でしょう)も読めませんが、三田方面に向っていますね。
オレンジ色の車は、ご存知、日野ルノー4CV。
・・・・と言う事で、今回はこれでお終いです。
また、次回!!!!!
石畳が美しいですね。路面電車はやはりこれが良いですね。石畳の美しい路面電車、最近見かけなくなったような気がいたします。
日野ルノー、その昔はよく見かけましたね。
by のり (2011-11-19 22:09)
あら~っ!
クルマからの都電ショット、思い切りカブってしまいましたね。私のところはモノクロで分が悪いですが(笑)。
オレンジ色のルノー…凄い色ですが、あの頃エスビー食品が、発売したての「エスビー・インスタントカレー」の販促で、黄色いルノー(いろいろロゴやらついていたと思う)を無償で貸し出すというキャンペーンをやっていて、父が夢中になって応募していたことを思い出しました。
37番の都電の右側に写っている(いすず)ヒルマン・ミンクス。お洒落なクルマでした。
by maipenrai (2011-11-19 22:27)
私、4年前に17系統は7000,8000ばかりと書いてたんですね。さすればきっちりと大塚の7000が出てくるとは。
銀座と経由地が出ているのは、上野広小路で37系統と間違えない為ですね。
ところで、TBSの「小沢昭一の小沢昭一的こころ」、今週、三ノ輪から吉原が近いって話が出ておりました。
10年も前に番組ネットを廃止した関西でどうやって聞けるのかって。
今はTBSの番組サイトから聞けるようになっているのです。
by なにわ (2011-11-19 22:50)
呉服橋交差点の大和証券ビルは、昔は植木等が出入りしていたのでしょうね。
今はパソナのビルになってしまいましたね。
by たらこっち (2011-11-19 22:52)
私は路面電車を写す時はなるべくクルマが写らないように車両本位で撮っていますが、見せて頂いた写真にさりげなく写っているクルマはどれも時代を感じさせていいですね。都電の脇を走り抜けていく様々なクラシカルなクルマ、特にチラッと顔を覗かせているオート3輪がたまりません。
by アルファ (2011-11-20 14:28)
この時代のカラー写真は貴重ですネエ。我が家のネガも同様ですが空の色がきれいに出てないのは性能的宿命でしょうか?東京の街もゆったりとして街路樹の緑が鮮やかです。
今から50年後の東京の風景はいったいどうなってるんだろう?なんてことを考えさせられるお写真でした。
by Cedar (2011-11-20 21:23)
こんにちは。
私にとって、現在のどこだか全く想像もつかないショットですが、むーさんのお助けによってようやく理解ができている?という感じです。それにしてもサクラカラー懐かしいです。世代はまるっきり違いますが、小西六のフィルムは、白黒、カラー共に結構使っていました。小西六のカメラも名機が多いですね。私はパールⅣを持っていますが、「唸る」ほどシャープに写ります。
では、失礼します。
追伸:オリンパス35の件で、メールを入れておきました。
by おおや (2011-11-21 00:14)
■■ のり様:
街路上を走る電車・・・・矢張り石畳は美しいですね。街の風景・・・これが一番です。軌道の保守にも便利だと思われます。
軌道敷内を走る自動車には乗り心地を害するものでしかありません。両者共存にはアスファルト被覆しかないのでしょう。
去年、鹿児島市に行きましたが、芝生軌道も中々の景観です。センターポールも美しかったです。ちょっとゴツイけれど・・・。
日野ルノーは、もううじゃうじゃ居ました。初乗り60円でしたっけ・・・。
■■ maipenrai様:
カレー屋さんのキャンペーンは覚えて居ります。私も欲しかったけれど・・・・籤運悪いので挑戦しませんでした(笑)。
いすずのヒルマンミンクスは昭和35年、自動車免許をとった時の教習車が、そうでした。前進4速で、セカンド発進をしなさいと教えられました。
■■ なにわ様:
「銀座三田」・・・・成る程です。何系統だったか・・・・「新橋銀座」ってのもあった気がします。
小沢昭一さんお聴きになっておられますか・・・なかなか愉快な口演ですね。そういえば最近聴かないなあ・・・。昔は営業先から帰るときに、良く聴いておりました。
■■ たらこっち様:
植木等さんは見かけませんでしたが、森繁社長さんは正面から出てきたのを見かけました。たしか、貼り薬会社の社長さんでした。当時は結構、先進的な外観のビルでした。あの尖塔は目だっていました。四大証券会社全盛の時代でした。
■■ アルファ様:
車って時代を象徴してますね。通行人のファッションも、そうですが、「あの頃の雰囲気」を感じさせてくれます。
オート三輪・・・・懐かしいですね。棒ハンドルで補助椅子が着いてるのなんか、懐かしくって・・・・。我が家からさほど離れていないところに、マツダのT2000・・・だったかな?・・・可動ではなさそうですが、居ますよ。しょっちゅう前を通るのですが、懐かしい気持ちで眺めています。
■■ Cedar様:
ASA10時代のサクラカラーは地味な色でした。感度が上がってからは結構、青空の色も出ていた気がします。
この頃の東京の街は道路幅にあった交通量で、のびやかですね。交通渋滞、何回待ちなんて言葉も聞きませんでした。安全地帯のない市外電車の停留所でも、さほどの不安は感じませんでした。
■■ おおや様:
パールⅣは憧れのカメラでありました。最初にいじったカメラが、同じ小西六の、父のパーレットだった所為もあるかもしれません。スマートなスプリングカメラでありました。セミ判カメラは、結局、兄のお下がりのミノルタセミPでありました。
オリンパス35の件、有難う御座います。
■■♪♪ ほりけん様:
■■♪♪ manamana様:
■■♪♪ ひもブレーキ様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-11-21 05:39)
こんばんは。
「社会人一年生」になっても、お昼休みは「撮影タイム」だったのですね。
テーマは「1960年の東京都電」ですが、この世代を過ごしてきた皆様しか分からないような、「古き良き時代」を思い起こさせてくれるお写真ばかりですね。
自分も雑誌では見たことのある車両(6000形や8000形)もこうして見ると、「当時の移動手段のひとつ」だったのかも知れない・・・と思いました。
貴重なお写真、ありがとうございました!!
by 京阪快急3000 (2011-11-22 20:28)
■■ 京阪快急3000様:
お昼休みは同僚との食事とお茶でした。たまに、表通りで都電を写したりしたものです。20代前半のお話です。
それにしても、初任給は一万円そこそこ、愛機オリンパスペンは本体だけでも6,300円でした。カメラはどんどん安くなり、初任給もどんどん高くなり、いまは、初任給でニコンの一眼レフが買えます。現代の若い方が羨ましいです。
都電だけでなく、路面電車の写真って、車両と周辺の風景、通行人のファッション・・・・・懐かしく感じるものが多いですね。私は、電車だけでなく周辺まで写しちゃう傾向があって、『これではイケナイ!もっと車両のポートレートを撮らねば!』と、思っておりました。
by む〜さん (2011-11-22 22:35)
昭和30年代のカラー写真は希少ですね。
都電は自分が生まれた頃にはほとんど走っていなかったので余り良く分からないのですが、都電と並走している車にはすごく興味があります。
1枚目の写真の並走している緑のトラックはトヨペット「スタウト」と言うトラックで、この年式のモデルはかなり希少だと思います。
と言うのは、モデルチェンジ後の「2代目」以降のモデルはレストアしている方が結構いるのですが、初代モデルとなると当時の生産台数の少なさと酷使されたせいか殆ど現存していないようですし、商業車故に写っている写真もかなり少ないと思います。
ただ、現在放映されている木村拓哉主演の「南極大陸」の第一話でこのトラックが出てきたのには驚きましたが・・・。オート3輪や日野ルノーは今でもレストアされてクラシックカーのイベントで見る事もありますが、この「スタウト」は本当に珍しいと思います。
4、5枚目の電柱にある「村田簿記学校」も旧字体の「學」と言うのも時代を感じます。ふと気になったのですが、信号の縞縞模様の板は今は無いですよね。何時頃まで付いていたのか気になります。
8枚目の車中の写真ですが、乗っている車にはボンネットにフードマスコットの様なものが見えます。日産「ブルーバード」の前身「ダットサン」の用に気がしますが如何でしょうか?
むーさんの専門外な事を聞いているかもしれませんので、その際はお許しください。
by イチゴウ (2011-11-28 19:08)
■■ イチゴウ様:
MU3/町田かshの路面電車写真には自動車や通行人が写っていて、その時代を思い出させてくれますね。
「スタウト」・・・・名前だけは覚えて居ります。最近のTVに出演したんですか!希少残存モデルとしては珍しいですね。
信号機のバックの板の緑と白の斜め縞でしたね。何時の間にかパネルそのものが無くなり、光源も白熱灯からLEDに変わりました。
乗っていた自動車は、英国製のオースティンのバンで、丸っこいイメージのバンでした。サイドの窓は2ドアのドア部分だけで、荷物室は窓なし。後部の扉は窓付き観音開きでした。1950年代のものだった気がします。
ダットサンと言えば、昭和35年に通った池上自動車学校で、最初のレッスンで乗ったのがダットサンの小型トラックでした。4速で、2速発進を指導されました。卒業の頃にはヒルマンミンクスで、これも4速でした。路上訓練で、東横線・目蒲線の田園調布駅に近い環8の「大踏切」取り付け部の坂で、一旦停止、始動が難しかったです。こんなことはよく覚えています。(笑)
■■♪♪ chapunkun様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2011-11-30 09:34)