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古いアルバムから:電車特急富士 [むかし噺(2)]

icon_mukashibanashi.gif 今日は、昔話です。

pen-pc.gif このお正月も、息子たちが家族連れで集まってくれて、賑やかなお正月を楽しく過ごせたのですが・・・・・。次男が、書棚から古いアルバムを見つけて開いておりました。何と、私たち夫婦の新婚旅行、1961年・昭和36年ですから、今から50年も昔の写真です。私も、後から覗いておりました。

 1961年10月中旬のある日、横浜駅から、午後の急行列車で出発しました。鉄道ファンでもなんでもない家内にとって、客車時代の国鉄急行列車、名鉄パノラマカー、近鉄ビスタカー(二代目)、大阪市電、準急・・・だったかな?鷲生、宇高連絡船、キハ58ディーゼル急行、で、行き先は、土佐の高知県は、路面電車の走る街、高知市。桂浜の龍馬像も見たんです。まあ、色々あるんですが、それは、まあ、書かなくてもいいや・・・・。
 そのアルバムに、もう10年来、探していたモノが、コーナーで貼り付けてあるではありませんか!!!

 帰り道で、乗った、宇野駅発、東京行の151系電車の特急「富士」の食堂車で貰ってきた、メニューが載っているパンフレットです。東京~宇野間の特急富士は第一と第二があり、運行開始が1961年・昭和36年10月1日で、もう、出来たて、ほやほやの特急電車でした・
 ところが、そんな旅行なので、件の「富士」の「151系電車」の写真はありません。申し訳ありません。

■■■ 古いアルバムから:電車特急富士 ■■■

 私たちは、たぶん、山陽本線に入ってから、食堂車に行ったのでしょう・・・・その時に記念にと貰ってきた「第二富士」の食堂車を担当していた「新大阪ホテル」の「パンフレット」です。

(1) ARSのB5大のアルバムは、台紙が酸化現象でしょうか、茶色に変色して居ります。第一ページ目には、四国周遊券の表紙と、瀬戸内海の「甘食」みたいな大槌島。このアルバムの最後に近いページに、新大阪ホテルのパンフレットが貼り付けてありました。
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(2) これが、私が10年以上に亘って探していた、新大阪ホテルのパンフレットの表紙・・・・って言うか判りませんが、トップは132mm×132mmの正方形で、三つ折になって居ます。パンフレットの特急名は「ふじ」、イラストも「ふじ」です。
 特急富士の詳しい経歴を知りませんので、「ふじ」と「富士」の表示についてはよく分かりません。
 新大阪ホテルは、色々あったのでしょう、現在、大阪・中之島にあるリーガロイヤルホテルです。
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(3) 三つ折を拡げると・・・・・・時刻表と車販案内。
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(4) 時刻表を拡大してみましょう。赤で表示された特急の食堂車を、新大阪ホテルが担当していると言うのでしょう。私たちの乗ったのは、右下の宇野発12:40の「第二ふじ」。
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(5) 車内販売ご案内。
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(6) 当時の従業員のファッションは、こんなタイプだったのでしょうか・・・・そんな気もします。
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(7) 拡げたときの裏面。食堂・ビュッフェのメニューが載っています。下端に特急電車151系の編成のイラストが入っています。11両編成ですが、このイラスト、全面的に正確かどうかは、検証して居りません。
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(8) メニューを左から拡大してみます。私たちが注文したのは、チキンカツレツ@150+ご飯@25でした。食堂車メニューにコーヒーの記載はありませんが、たぶん飲んだのでしょう。
 お客さんは少なかったような記憶があり、隣の席で、かなりお酒を召されたオジサンが、ビーフステーキを切ってくれと、ウエイトレスさんに迫って居たのを思い出しました。
 このページの特急名表示は「第1富士」、「第2富士」となって居ります。
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(9) 真ん中の部分です。「ご定食」の右端が切れちゃいましたが、(10)をご参照下さい。テンダーロイン定食が600円です。当時、ラーメンは40円くらいだったようですし、私の勤務先・・・日本橋室町・・・の近くの食堂のサービスランチは、50円~100円くらいでした。
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(10) ビュッフェのメニュー。
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(11) (8)~(10)で新大阪ホテルの名前が切れちゃってますので、ちゃんとトリミング。
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 そんなこんなで、美味しくお食事。このあと、いろいろエピソードもありますが、全部省略、無事に横浜駅に帰着いたしました。駅から家まで、無理してタクシーを奮発(笑)。 

pen-pc.gif これで、オシマイなんですが、それではあんまりです。電車時代の特急富士の写真が無いものかと、首をひねってましたら、そういえば、静岡鉄道駿遠線に行ったとき、何処かの駅で抜かれたっけ・・・・と、画像データをひっくり返していましたら、出てきました。
 1962年・昭和37年10月の画像が一つあったので、関連のフィルムを探しましたら、さらに2つ出てきました。その三駒を並べましょう。

pen-para.gif 1962年・昭和37年10月・・・・上の新婚旅行から一年経っています。雨の降る日でしたが、行きたいと言う気持ち抑え切れず、「雨の駿遠線も、又、いいものかも・・・・」と、横浜駅から準急東海一号に乗って東海道を下ります。
 途中、富士駅で特急に抜かれたのですが、この特急が「第一富士」でありました。

(12) 東京方面から近づいてくる特急第一富士!!用語を知りませんが、オデコのライトのみ点灯しています。
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(13) クロ151を先頭に颯爽とした姿。
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(14) 先頭車両の拡大・・・・クロ151の大窓がよく判ります。
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(15) 目の前を、さあ~っと通過して行きました。新幹線無き時代、東海道本線の特急電車はトップクラスの列車で、憧れの目で見ておりました。後部前照灯に嵌め込まれた赤色硝子がよく判ります。
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 昭和37年と言えば、まだ鉄道が輸送の華であった時代でした。

 (12)~(15)の駅が「富士駅」と同定して下さった、友人MO様に、ここで、御礼申し上げます。じつは、私は清水駅だと思って居たのです。 

coffee.gif では、今回はこれでお終いと致します。また次回!!!


タグ:151系
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なにわ

このメニューだけでもスゴイじゃないですか。戦後食堂車復活時のメニューはよく雑誌に載っていますが。この時代は初めて見ました。

サシ151がモシになっているのがご愛嬌ですが、ドイツやスイスではパンタ付き客車食堂車もありましたし。

車内販売のお菓子の中で現在有名なのに、この当時存在していないものもあります。
浜松名産、夜のお菓子「うなぎパイ」の発売開始は1963年ですし、京都名産生八ツ橋は、賞味期限が短くて、この当時は焼いた八つ橋しか無かったのでしょうか。

情報量が多すぎるので、一旦切ります。
by なにわ (2012-01-14 11:43) 

サットン

おー!これは、これは! ホテル屋としては見逃せません!!
新大阪ホテルが食堂車の運営を受託していたとは聞いていましたが、ずいぶん前に撤退しておりその実態は判然としませんでした。富士も担当してたんですね。
現在、ホテル名称はリーガロイヤルと名乗っているようですが、経営母体は当時と変わってないはずです。確かにいろいろはありましたが。

いやー、貴重な品を見せていただきました!
by サットン (2012-01-14 12:23) 

む〜さん

■■ なにわ様:
 乗車券、メニュー、施設のチケットなど、記念になりそうなものは、みんな頂いて来たんですが、以来、50年、みんな散逸してしまい、残った僅かなものの一つです。
 中学生時代、昭和26年だか27年に京都奈良に修学旅行、新京極で買ったお土産が、五色豆に、八橋でした。溝のある焼き板で、丸棒で押し付けながら成型していました。そんな所為では無いでしょうが、焼き物の八橋のほうが、未だに好きです。
 クロ151は憧れの電車でした。乗ったことが無いのは当然として、触った事も一回きりでした(笑)。
■■ サットン様:
 リーガロイヤルの京都の最上階でしたか・・・回転レストランがありますね。あそこで、鉄道ファンの友人と、景色を眺めて一回転したのは、2000年でした。

 このメニューをPDFファイルにして私のホームページに、データを置きました。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/special_image/hotel-new-osaka_fuji-menu_196110.pdf
 これをクリックすればご覧になれるはずですが、このメニュー、B4並みの横幅があるので、コンビニで、A4サイズに縮小カラーコピーしたものから、スキャンしましたので、鮮鋭さは少々・・・・て感じです。如何でしょうか?
by む〜さん (2012-01-14 13:54) 

サットン

ありがとうございます! さっそくプリントしてじっくりと眺めてみました。食堂車とは思えない豊富なラインナップは意外です。ホテル博物館があれば展示したいですね。

リーガ京都の回転レストラン、私も利用したことがありますが、実際に回転してる施設は国内で数ヶ所しかなく、ここも故障すれば交換部品がないってことでした。サイトを見ると今も回っているようです。
by サットン (2012-01-14 14:38) 

はーさん

珍しいものを拝見致しました。
東海道山陽線電車特急の食堂車にも新大阪ホテルが入っていたのですね。新幹線の食堂車にも新大阪ホテルが運営している列車がありました。日本食堂が多かったと思いますが、帝国ホテルの担当もありました。後発と思いますが、都ホテルも入りましたね。グランドひかりの2階の食堂車が都ホテルで、他より、美味しいとの評判で、大阪への出張の帰りにこの列車を選び、豪華?なディナーを摂ったことがあります。この食堂車の新大阪寄りに半個室のような席があり、出張した同僚と酒盛りをいたことがありました。
奇しくも、むーさんと同時期の1961年10月1日に信越線特急「白鳥」の開業1番列車に乗りました。キハ82系6連でしたが、全車の食堂車が連結されておりました。サンロクトオのダイヤ改正で全国の幹線に特急が走った時です。当時の特急は豪華列車で食堂車は必ず連結されていました。
担当は日本食堂ですが、メニューを弊HPに載せてあります。
http://6.fan-site.net/~haasan55/HakuchoMenu.htm
新大阪ホテルのメニューと比べてみますと
(日食)ビーフステーキ定食A 480円に対し、
(新大阪ホテル)テンダーロイン特別定食 600円
とさすが、一流ホテルのお料理ですね。それに、ブドー酒もあります。デザートワインというのもありますが、これは赤玉ポートワインでしょうか?
by はーさん (2012-01-14 16:13) 

のり

これは、大変貴重なものを拝見させていただきました。
素晴らしいですね。
そういえば、かつて時刻表にはうしろの方に食堂車のメニューも記載されていましたね。一番安い「タンサン」でもいいから食堂車に入りたいなぁ・・・と時刻表を見ながら旅を夢見ていた少年のりさんです。
この編成の特急、新幹線開通後西下した「うずしお」に乗ったことがあります。このパンフレットの時刻ではなく、大阪駅8時50分発でした。停車駅は同じで、神戸・姫路・岡山でした。パーラーカーの次の車両の一等車に乗りました。
by のり (2012-01-14 21:08) 

manamana

私の生まれた年です!
by manamana (2012-01-14 22:04) 

Cedar

いや~こういうお話は大好きです。車両の外観は鉄道好きなので頭に入っていますが、こういうのは見たことがありませんから。
私の食堂車初体験は、小3の時に名古屋の親戚に行くときの客車急行「なにわ」の食堂車でした。チキンライスを食べたような記憶がありますが怪しいかも~。
特急の食堂は高校と大学の間の春休み、九州の撮影旅行の帰りに「あさかぜ」が初体験でしたね。
by Cedar (2012-01-14 23:16) 

Cedar

追伸。メニューのアートディクションが時代を感じて素敵です。151系の車体色でモダンアートしていていいですね!
by Cedar (2012-01-14 23:19) 

gop

Cedarさん仰る様に洒落たデザインのメニューですね。
チューウィンガムってのも良いなぁ、何故コーラはペプシ?

>いろいろエピソードもありますが、全部省略
そんな事を仰らず、写真含めて拝見させて出来ればと(^^
遅ればせながら本年も宜しくお願い致します。

by gop (2012-01-15 07:40) 

津沢

む~さん様、おはようございます、津沢です
2012年初めての書き込みです。本年もよろしくお願いいたします。

 『特急ふじ・うずしお号食堂車ごあんない』、これはすごく貴重な資料ですね。鉄道史だけでなく、歴史学・民俗学の観点からも十分な価値がありそうです。個々のメニューでは「セロリー 50円」が興味をひきます。現在では500円くらいの感じでしょうか。また、ジンやカクテル各種まで揃えているのも凄いです。
 食堂車とビュフェ車との背中合わせの営業は、新幹線0系で後年再現され、福岡に住んできた1986年頃「ひかり」の全区間に乗車して、両方味わいました。

 はーさん様が紹介された特急「白鳥」の食堂車メニューにも、個人的な想い出があります。1962年冬に上野-金沢間に乗ったとき、親にねだって「シチュービーフ洋麺添え」を頼んだのですが、興奮のためか、あるいは子供のぶんざいには量があり過ぎたのか、間食した記憶がありません(勿体ない!)。
by 津沢 (2012-01-15 12:16) 

maipenrai

 メニュー表紙のイラストを拝見して、なんかヘンだな、と思ってたら、ヘッドサインがひらがなの「ふじ」になってるんですね。まぁそんな重箱の隅はともかく、楽しく…というか羨ましく拝見させていただきました。36年10月1日から走りだした「富士」、眩しかったですねぇ。特急列車に乗って、食堂車でゴハン…憧れるけど、遙か遠い世界の出来事のような気がしておりました。
by maipenrai (2012-01-15 18:27) 

む〜さん

■■ サットン様:
 PDFファイル、お役に立てた様で嬉しいです。スキャナがB4に対応してたら良いんですが、一応、見れる感じに出来ました。
 回転レストランって、昔は随分あった気がしますが、いまは、流行じゃあないんですね。有楽町の交通会館は動いているんだろうか・・・・?
■■ はーさん様:
 白鳥と言えば電車時代に、上野~上田間、乗車しました。大宮から小諸を過ぎるまで食堂車でお昼ご飯と、長っ尻して居りました。食堂車が廃止寸前の事でした。勿論行先は上田丸子でした。
 食堂のメニューは、時代が見えて楽しいですね。昭和30年代中期と言いますと、ポートワインも可能性、大ですね。
 都ホテルの食堂車はついに入ることが無く残念に思っています。
■■ のり様:
 パーラーカーの後の一等車・・・う~ん!羨ましい。
 学生時代は、お金が無いのに、時として食堂車に入りました。食事は「ハムエッグ+ライス」・・・・朝食でなく、昼か夜・・・・、そして「カレーライス」です。冷房の無い、スシなんとかで、窓から流れ込む涼風を楽しみつつカレーを食べました。前の車両から、あんまり考えたくないものが、風とともに入ってくると、とある大学の先生が学生さんと共同で、調べたと言う話を、新聞で読んで、吃驚しました。その後は、エアコン化、施設の貯蔵タンク化、が進んで、そんな話もなくなりました。
■■ manamana様:
 おお、1960年代のお生まれなんですね。若いって良いですね!70半ばになった今、よく分かります。段々、行動範囲が狭くなった気がします。
■■ Cedar様:
 初めての九州は急行筑紫・・・夜、東京を出て翌日の夕方、博多に着きました。九州特急は、出張の時に「さくら」で博多まで行ったのです。マジで、飛行機が怖い、む~さんでした。退職後、何度か、飛行機を利用しているうちに、かなり慣れましたが、酷い揺れの体験がない所為もあるようです。
 食堂車って、別次元の食事って感じで、良いですね。昔、昭和32年4月に、内田百閒さんが、東京新聞に、食堂車に関して「列車食堂のために弁ず」という随筆が上・下、二日間にわたってでていましたが、随筆集に入っているんでしょうか・・・・。当時は、コンビニのコピーなんて、SFの世界なので、必死になってノートにペンで書き写しました。
■■ gop様:
 メニューの「ゆで玉子」って如何いう形で供されるんでしょうね。コメダコーヒーさんみたいに、小皿の上にコロンと載っているんでしょうかしら・・・・。
 ホントだ!ペプシですね。日本食堂は如何だったんでしょうね。

 やっぱり旅行が旅行ですから、殆どが記念写真ばっかり、20代前半のわが顔にモザイク掛けるの如何かと・・・・。上六の2200は、人物がいないので、ブログで出しましたが。
 それから、土佐電鉄は、早起きして撮ったりしまして、ホームページで公開しています。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link130.html
 以前作ったページなので、画像が綺麗とはいえないので、リニューアルしたいと思ってはいる・・・・のですが、そう思った時点から二年ほど経過してしまいました。

■■♪♪ 素人写真様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-01-15 10:58)


by む〜さん (2012-01-15 21:01) 

む〜さん

■■ 津沢様:
 本年もどうぞよろしくお願い致します。
 食堂車のあった時代には、新幹線に乗ると、大体、食事は食堂車でした。世間には不味いと言わねば、味の判らないヤツ、みたいな空気がありましたが、私には結構なお味に思えました。食事が出来て、食後のお茶、車窓を流れる風景。云う事はありませんでした。もう、あの時代は帰ってきませんね。
■■ maipenrai様:
 メニューのイラスト、時刻表は「ふじ」、本文は「富士」になって居ますね。昭和36年10月1日、「富士」がスタートしたときは、どっちなんでしょうか?私が、運行開始後一年目に撮影した写真は「富士」です。一年で、標記を変えることも無さそうなので、メニューをデザインした方の、思い違い、新大阪ホテルさんのミス、いろいろ考えられますね。そんな推理も楽しいですね。
 最初に食堂車に入ったときは、十代・・・・大学1年生でしたが、ハムエッグに、ご飯、ジンジャーエールを注文したんですが、ドキドキしちゃいました。ジンジャーエールは初体験で、いまでも、ファミレスなんかで、飲むと若かった頃を思い出します。
 
by む〜さん (2012-01-15 21:16) 

伊豆之国

食堂車には、ある種の憧れを持ちながらも、中に入って食事をした記憶があるのは、新幹線のビュッフェと、山陰からの帰りに乗った「出雲」のそれぞれ1回ずつぐらい。実際に乗っていると揺れが結構あって、うまく食べたり飲んだりできず食器が床に落ちたり割れたりしないかと心配になったものです。日本の鉄道から食堂車が急速に消えていったのは、昭和47年だったかに起きた、北陸トンネルでの食堂車の火災事故が遠因といわれているそうです。新幹線からも食堂車が消えた今となっては、残っているのは多分「北斗星・カシオペア」と「トワイライトEX」ぐらいでしょうか。
by 伊豆之国 (2012-01-15 21:29) 

ぽんた

あこがれの食堂車です。
エレガントですね。
意外と豊富なメニュー展開で驚いてます。
一品料理も定食もあったんですね!

 ↓ やだ~~涙出ちゃいました。
ステキすぎる写真ばかり!
永久保存したいです。
by ぽんた (2012-01-16 16:06) 

なにわ

大阪市内のショットバーでギネスを飲むと800円、
リーガロイヤルホテルのバーだと、1500円にサービス料と税金が15.5%かかって1722円と倍以上のお値段です。けっこう場所代とりますよ~。

一流ホテルのレストランなんで、それぐらいあって当然、酒のほうは戦前の食堂車も結構揃えていましたが、それなりのバーなみには揃えてますね。
しかし、ギムレットなんて生ライムを用意していたんでしょうか。あるいはシロップだったのでしょうか。

新大阪ホテルが食堂車営業に参入したのは1956年11月、「なにわ」の運転開始時です。1953年に帝国ホテルが参入していますが、この時に都ホテルと一緒に参入していますが、後に東京~九州の寝台特急の担当をしていますが、1973年に新大阪ホテルは閉鎖しているので、ロイヤルホテルが営業継続したわけでなく、それ以前に撤退したのでしょう。
なお、「阿房列車」の後ろの方になると、新大阪ホテルで食事をする記載があります。1952年の進駐軍士官宿舎の接収解除以降でしょう。

by なにわ (2012-01-16 18:06) 

む〜さん

■■ 伊豆之国様:
 北陸トンネル火災は確かオシ17がらみみたいですね。調理の火は石炭でしたが、今だったら、IH式になりましょうか。
 結局、食堂車は乗客の好みではなかったのでしょう。座席で、車販のお弁当を食べる方式で皆さん満足みたいです。わざわざ、揺れる車内を歩いて遠くの食堂車まで行くのは面倒なのでしょう。それも判る気がしますが、私は、面倒でも食堂車が好きでした。
■■ ぽんた様:
 新幹線時代の食堂車のメニューを思い出すと、もっと、お料理の種類が少ないですね。
 特急つばめ、富士・・・・151系総出演で、輝いておりました。それも、新幹線の登場で、消えてゆかざるを得ませんでした。その新幹線も、100系が私には華の時代に思えるのです。ダブルデッカー4両組み込みの100系・グランドひかり、でしたっけ?素晴らしかったですね。
■■ なにわ様:
 お酒、カクテルについては全く無知の私。メニューを眺めて、『わ~、スゲーなあ!』と言うばかりです。
 都ホテルの食堂車は遂に入らずじまいでした。惜しいことをしたものです。
 昔、乗った特急さくらの食堂車は何処の経営だったのでしょうか・・・忘れてしまいましたが、東京・博多間で、夕食・朝食をとったことを思い出しています。1990年代だったはずですが、メニューも寂しかったような・・・・・。

■■♪♪ oinki様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-01-16 21:35) 

京阪快急3000

こんばんは。

これはまた、「すごいもの」が出てまいりましたね。

当時の食堂車の様子がよく分かりました。

151系の「富士」のお写真も貴重なものだと思います。

余談になりますが、先日自分のPCを「ウィンドウズ7」のものに乗り換えました。

まだ操作は慣れていませんが、画面表示は快適です。

そんなわけで、よろしくお願い致します。
by 京阪快急3000 (2012-01-16 22:40) 

たーサン

 食堂車で皆様盛り上がってますね。
 
 私が初めて食堂車に入ったのは昭和35年頃、岡山から大阪に
向かって走る特急みどりだったかと思いますが、「随行さん」の役目での時でした。
 視察旅行も終盤、あとは大阪に着くのを待つだけ、、エライさんもシートでウトウト。

 この間にちょっと役目を放棄して食堂車に、、、。で、ビールを飲みつつ良い気分で景色を眺めて、おつまみに果物を注文。
 目の前に現れたのが小皿に乗った柿とナイフのみ。さァー弱りました。
 家では皮を剥いて、小さく切ってくれたのを食べてまして自分で剥いたことなど無かったのです。

 昼下がり、ガラガラの食堂車、ウェイトレスが見守る中、途方にくれましたが、なんとか処理してホッとしました。
 柿はどこに入ったか判らないような気持で食堂車を後にした思い出です。
 
by たーサン (2012-01-17 08:34) 

micchama

私の一番おいしかったのは、都落ちした山陽線の特急はとでたべたビーフシチューでした。
都ホテルの担当であれから他のものをたべてもあの時のものに会うことはないです。昭和42年ごろでした。
青函連絡船で食べた海峡ラーメンは800円ですが、具材がそれは、北海道らしいカニに始まり鮭、ほたてとこれも素晴らしかったです。
この2か月後に青函連絡船は廃止になりました。
後年、函館で係留されている羊蹄丸に行ったのですが、ラーメンはあるのですが、それらしくないのでやめました。
by micchama (2012-01-17 09:32) 

む〜さん

■■ 京阪快急3000様:
 昭和30年代後半となると、皆さんいいカメラをお持ちで、しかも、全国各地へ撮りに行っていましたので、全国的に探せば、もう無数の写真記録があるはずです。私の、オリンパスペンの写真なんか、下位レベルなんです。
 年配の方の写真の公開を、ブログでもホームページでも、やって欲しいと思います。
 定年退職になる、1998年、考えました。
 私の撮った写真も、『私が死んだらタダのゴミ』ななっちゃうわけで、『多少の手間で、ローコストの発表の場』ということで、ホームページ・ブログを始めたのです。

 パソコン、入れ替えられましたか!Windows7・・・・・良いなあ!私のPCは5年目のデスクトップですが、XPです。2014年まで、騙しダマシ使ってゆこうと思っています。
 老眼なので、スマートフォンとか、使い難いし、ランニングコストも、現状よりもかなりアップしそうだし、検討もしていません。
 なんだか、置いてゆかれそうな気もしますが(笑)。
■■ たーサン様:
 食堂車のエピソード・・・・このシチュエーションは、耐えられませんね。お気持ちは分かります!
 当時、白い布のかかった食卓に、フルーツ山盛り。如何やって注文し、如何やって食べるのか考えていました。
 このブログとは別の旅行のときでしたが、お食事中に主要駅に停車すると、ホームの人たちの支線が集まるような気がして、ちょっと恥ずかしかったです。
■■ micchama様:
 都ホテルのビーフシチューですか・・・・美味しかったでしょうね。私も食べてみたかったです。サラダをつけて、ご飯に、コーヒーで、一時間くらい掛けて・・・・。私の夢でした!!!
 子供と一緒に旅した昭和50年ごろには、メニューも寂しくなっていましたが、それでも、よく利用したものです。
 当時は、今みたいに『食事写真』を撮りませんでしたので、記録は残っていません。
 食事写真を撮り始めたのは、たしか、1999年あたりの韓国旅行からで、出発するときから『全食事の画像記録(間食含む)』を目指しました。デジカメも使いましたので、目標達成。以来、この食事記録は続けています。
 私は青函連絡船を知らないのですが、宇高連絡船の、「うどん」は食べた事があります。もちろん、美味かったです。
by む〜さん (2012-01-17 09:59) 

おおや

こんにちは。
週末は所用があり仙台に行っておりました。
寝不足と寒さのせいか熱が出てしまい、月火とお休みを頂き、やっと本調子に戻ってきました。
遅ればせながら、食堂車メニュー凄いですね。色使いもクリーム色と赤の特急色。気合が入っています。最後の151の写真、「速度記録プレート」付ですね。いつになっても151は格好がいいです。
では失礼します。
by おおや (2012-01-17 16:49) 

む〜さん

■■ おおや様:
 仙台は新幹線「はやぶさ」でしたか?上の辺りはよく行ってる割に、新幹線はご無沙汰なのです。
 風邪を召されていた由ですが、復調されたとの事、安堵いたして居ります。
 メニュうーと言うか、おそらく、上級客室へは食堂の従業員さんが配布したかもしれません。当時は、食事記録の習慣が無く、接写も苦手でしたから、お料理の写真もありません。何でもない日常の事物の記録を気軽に出来るのは、デジカメの大きな成果の一つかもしれません。
 こだま形電車の速度記録プレート・・・・全く気が付かない私でした。やっと探した、他所のサイトで見たら、書かれた文字は『狭軌高速度記録 RECORD 163km/h 1959-7-31』ですね。
 151は当時としては実に格好よかったんですが、完成前の想像図はもっと格好よかったと思っています。屋根上のライトと警笛、連結器カバーの無い、初期の姿はもっと好きです。
by む〜さん (2012-01-18 08:27) 

みやのこ

はじめまして。
大阪に於ける老舗ホテル・大阪ホテルの後進として昭和10年(1935)に竣工し、大阪ロイヤルホテル(リーガロイヤルホテル大阪)に後を託して昭和48年(1973)に閉鎖される迄、およそ38年に亘って営業してましたけど、閉鎖後に解体・撤去されたのち現在は住友中之島ビルが建ってます。
波乱に満ちた新大阪ホテルの存在は忘れてならないと思います。
では、失礼します。
by みやのこ (2013-01-06 11:52) 

む〜さん

■■ みやのこ様:
 コメント有難う御座います。50年以上も昔の新婚旅行の帰りに乗った上り特急「第二富士」の食堂車のことはよく覚えています。ビンボーサラリーマンの私たちは、チキンカツにライスという夕食でしたが、充分に美味しかったです。隣の、テーブルの酔ったおっさんみたいに、ビーフステーキを食べなかったのは、そのようなものは、次元が違っていて、食べると言う事も考えなかったようです(笑)。
 こだま型特急・・・・・快適で早くて、その感激は、初めて新幹線に乗ったとき、飛行機にのったっときに感じたものと同じでした。
 新大阪ホテルの建物は、現在は無くなって、住友中之島ビルになっているのですね。情報、有難う御座います。
by む〜さん (2013-01-06 22:03) 

MITSUYUKI HATTORI

学生時代に山陽線で、電車特急はとに乗りました。確か、電車寝台の食堂車ですが、昼行運用で食堂車に行って、生まれて初めて、ビーフシチュウーを食べました。本当においしかったです。京都都ホテルの運用でした。あれから、あちこちで食しますが、二度と味わえないのが残念です。

by MITSUYUKI HATTORI (2020-04-11 11:43) 

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