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小田急:丸い急行標識板 [小田急・江ノ電・箱根登山]

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■■■ 小田急:丸い急行標識板 ■■■

pen-pc.gif 昔、小田急の急行電車は、大きく急の字を書いた円盤を前面窓下に掲げて、走っておりまして、鉄道大好き少年の私の目には、それはそれは、格好よく映ったのです。その後、1964年でしたか、車体幅の広い2600系NHE車や、1969年の5000系の出現で、前部のオデコに小窓を造り、列車種別の表示をするようになりました。小窓の無かった2200などの電車たちにも、小窓が付けられ、何年だったか覚えて居りませんが、丸い急行標識板は、無くなってしまいました。

pen-para.gif 今回は、そんな急行標識を掲げて居た頃の、懐かしい写真を並べてみました。

(1) 1954年・昭和29年10月・新宿・デハ2000以下3連の急行箱根湯本行・・・・・この頃の車体の色はチョコレート色
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(2) 1954年・昭和29年、鉄道ファンの我が兄、む~に~さんが箱根登山鉄道風祭駅で撮影のクハ1450ほかの急行箱根湯本行
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(3) 1954年・昭和29年12月、クハ1650ほかの急行箱根湯本行、足柄~小田原間
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(4) 1954年・昭和29年12月、箱根登山鉄道箱根板橋を通過する新宿行急行のデハ2000ほかの3連
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(5) 1960年・昭和35年1月参宮橋駅を通過するデハ2200ほかの箱根湯本行急行・・・・・カルダンドライブのデハ2200は、ブルーと黄色の二色。この色はやがて他形式にも広がってゆくのでした。
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(6) 1960年・昭和35年1月、成城学園前駅を通過する箱根湯本行急行のデハ2200ほか
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(7) 1963年か64年・昭和38~9年ごろの新原町田駅(現・町田駅)に進入するデハ2200ほか6連の急行新宿行
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(8) 1963年・昭和38年1月新松田駅付近でクハ2450ほか4連の急行新宿行
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(9) 同日・同場所で箱根湯本行急行のクハ2450ほか
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(10) これまた、同日・同場所、箱根湯本行急行のクハ2450ほか
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(11) 1965年・昭和40年4月、相武台前で写したクハ2450ほか4連の小田原行ですが、「快速準急」
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(12) 1966年・昭和41年の春、新原町田駅付近で小田原行・快速準急、クハ2450ほか
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coffee.gif 今回は、丸い急行標識板を付けて走る小田急の姿を特集して見ました。
 では、また次回に・・・・・!!!!!


タグ:小田急
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のり

〇に「急」の標識、いいですねぇ。方向板・運行標識の時代が本当に懐かしいですね。以前にもお話させていただいたような気がするのですが、関西では急行・準急などの種別標識に行先が表示されているいわゆる一体型がほとんどですね。関東では、種別を別途掲出されるタイプが多いように感じます。もっとも、南海のように当該路線の始点から終点まで走行する電車には行先が表示されず〇に「急」の表示のみという電車もありましたが・・・。
by のり (2012-06-04 21:25) 

プント

昔の小田急は、青と黄色だったなんて、
今と比べると随分と派手だったのですね~
話は変わりますが、幕張の連接バスに乗ってきました。
随分と中途半端な内容になっていますが、
アップしておりますので、
よろしければご覧ください。
by プント (2012-06-04 23:22) 

モハメイドペーパー楠居

 私は昭和36年から通学に小田急を使っていたので、毛筆書体は一応見覚えがあります。
 横棒が突き抜けているのが、いかにもスピード感があって好きでした。
 快速準急は近寄らないと文字が読めません。強烈なのは赤地に白文字の通勤準急でした。
by モハメイドペーパー楠居 (2012-06-04 23:51) 

京阪快急3000

昔は小田急も「標識板」を付けていたのですね。

当時の通勤車両は終端駅で、この重たい標識板を手作業で交換していたかと思います。

自分は本で見た事がありますが、小田急の種別表示はおっしゃる通り、「幕」の写真しか見た事がないです。

よく探せばあるかもしれませんが・・・。

現在は「LED表示」が主流になっていますが、標識板って、何だか温かみがあると思いました。
by 京阪快急3000 (2012-06-05 07:06) 

maipenrai

いや~これだけ並ぶと壮観ですね。
 おそらく小田急もそうだと思うんですが、当時のターミナル駅のホームのはずれには「種別板置き場」があって、子供心に飽きず眺めていた記憶があります。2200の前面二枚窓にも萌えますが、連結両数がどんどん増えていく中で、貫通路のない二枚窓が廃れていったのも、やむを得ないことだったのでしょうね。
by maipenrai (2012-06-05 07:34) 

デトニ2300

 私が上京したのは東京オリンピックの年で、小田急は当時は戦後製の車両はオレンジにブルーの塗り分け塗装になっており、戦前製の車両が茶色塗装だったように記憶しています。円盤の急行マークはつけていたような記憶はありますが、その他のマークは見たことがありません。何しろ上京当時は西武新宿線沿線、その後都電荒川線沿線、京成沿線と移り住み、レール探訪意外に小田急に乗る機会は無かったので、残念ながらあまり覚えていません。大学卒業後も京急沿線に自宅を作ったこともあり、小田急沿線には縁がなく、試験のため研究所を訪問するときに乗車するぐらいです。今は仕事も変わり、今後も小田急に乗る機会は訪れないと思いますが、関東の長距離電車として、かつて一般用クロスシート車を運行していた(残念ながら乗車経験はありません)ということもあり、興味はあります。今や完全に通勤用一般車両の天下となり、その点での興味は薄れましたが(なぜか特急用車両にはあまり興味がありません)今後も見守っていきたい鉄道の一つです。 
by デトニ2300 (2012-06-05 10:20) 

利きゅう

円板に急の種別板は、結構各地で見られたタイプですね・・・と言っても私が各地の鉄道に足を伸ばすようになった頃にはもう種別板なんて絶滅危惧種でした。

現役で見たのは・・・南海高野線の2000と名鉄モ510くらいですかね。

お写真の撮影日を確認すると、急の書体が複数混在していたのですね!
by 利きゅう (2012-06-06 20:40) 

デトニ2300

 思い出しました。子供の頃、最初に買って貰った鉄道の本(名前は忘れました)の表紙がデハ1910形(説明ではそうなっていたと思います)のツートーンの(これは記憶があやふやです)ロマンスカーでした。小学生の頃ですから、60年ぐらい前の本ですね。早くに紛失してしまいましたが、どなたかご存じの方はいらっしゃいますか。
by デトニ2300 (2012-06-07 10:56) 

む〜さん

■■ のり様:
 南海電車もたしか「O急」だったと思うのですが写真がありません。難波の駅で見たような気がするだけなのですが・・・・。もし、撮影されて居られましたら、拝見いたしたいものです。
 阪急京都線の特急の二枚標識も、思い出に残っています。あれはカッコよかったですね!たしか、2800時代までは使っていたようですが・・・・。
■■ プント様:
 そうなんですよ!ブルーとかなり濃い目の黄色でした。カルダンドライブのデハ2200がデビューしたときは、この色でした。特急ロマンスカーの1700とどっちが先立ったか記憶がありませんが・・・・。
 連接バス、お乗りになりましたか・・・・・。シート、従来の神奈中バスよりも硬めですね。でも、ヨーロッパの都市に旅しているみたいで、悪くないですね。
■■ モハメイドペーパー楠居様:
 毛筆書体のO急が一番格好良いですね。横棒の突き出しは旧字だと三省堂版の漢和辞典に出て居りましたが、毛筆体は、突き出しタイプの方が似合いますね。私は10年ほど前まで、突き出しで書いており、突き出していない字を知りませんでした。(笑)
 これも、O急標識のお陰かもしれません。
■■ 京阪快急3000様:
 昔は何処でも四角や丸のプレートをつけたり、数枚のプレートをめくって表示替えをする京成みたいな会社もありました。重いし、面倒だし、巻き取り式方向幕になり、その後、LED方式になって行きました。
■■ maipenrai様:
 小田急の新宿駅にプレート置場があったかどうかの記憶が全くありません。無かった筈はないのですけどね。幾つかの駅のプレート置場の写真は撮ってあるんですが、なかなか味のあるものです。無地の板にチョークで書くなんてのもありましたね。いま、思い出すと微笑ましいのですが・・・・。
 2200の前面二枚窓はロマンスカー2300みたいな湘南タイプでなく、前面は垂直のカーブでしたね。長大編成には向いていないので、中間電動車ができたり、2220みたいな貫通ドア付が出たりして、だんだん、変化して行きました。
 上の写真も「行き先板」が、「方向幕方式」に変化してゆくのが見えますね。
■■ デトニ2300様:
 (1)と(4)の2000は、2ドアセミクロスシートで、箱根急行って感じの、いい電車でしたね。初めて乗ったのが高校の遠足で本厚木から新宿まで乗りました。混んでいて座れなかったのですが、中間のサハに便所があったので吃驚した記憶があります。
 デトニ2300様の仰るデハ1910の後の姿がデハ2000です。
 ロマンスカーの歴史を知らないのですが、特急専用車デハ1700の出現で格下げされたのでしょうか?1700といえば日東紅茶娘による紅茶のサービス・・・・昭和28年ごろの写真雑誌に秋山青磁さん撮影の、でっかい写真がでていましたっけ。
 小田急の1910が表紙に出ている雑誌の記憶はありませんが、1950年ごろというと、鉄道ピクトリアルに鉄道模型趣味、電気車の科学でしょうか・・・・・。「鉄道」という坂本一平さん編集の雑誌もありましたが3号で終わりましたが、電車の表紙のはありませんでした。
■■ 利きゅう様:
 (8)~(10)の三枚のクハ2450は、同じ日、同じ場所で撮ったものですが、(8)だけ毛筆体で、「横棒飛び出しの旧字体」です。ちょうど、変わる時期だったんですね。
 大きなO急標識は、今思い出しても、気持ちが高揚します。イベント化なんかで無いと、復活はしないでしょうが・・・・。

■■♪♪ やまびこ3様:
■■♪♪ Cedar様:
■■♪♪ モボ様:
■■♪♪ 湘南ライナー様:
■■♪♪ あおたけ様:
■■♪♪ まーーー様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-06-07 17:46) 

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