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1960年の東京駅で:小ネタですが [小ネタ集]

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pen-ojigi2.gif 6月17日・日曜日の「前回の更新」から、はや5日目。ここのところ電車見物のお出掛けが無かったので、「お出かけ通信」のネタが切れている。で、中央線の1963年と、お古いところの再録写真でご容赦いただいたのですが、まだ、新ネタがないのです。そろそろ、お出掛け予定はあるのですが、中5日、穴をあける訳には参りません。マニフェストに反する!(笑)
 ・・・・・
って訳で、無理やり一枚の、これまた多分、公開済みの写真でお茶を濁す事にしました。

■■■ 1960年の東京駅で: 一齣のカラースライド ■■■

pen-pc.gif 1960年・昭和35年夏、オリンパスペンで写した一枚のフジカラースライド。東京駅の13番線と14番線のようです。

(1) 横須賀線のクハ76と、形式のはっきり分からない下駄電がヘッドマークをつけて発車を待っています。
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(2) 横須賀線のクハ76は前面窓とドア、戸袋窓がH護謨支持になって居ます。
003-1960a-yokosukasen.jpg

(3) こちらは14番線に停車中の電車。鎌倉・逗子への海水浴客を運ぶ、臨時電車の「しらほ号」
 通風器はグローブ形に改造されています。フォトショップで拡大し、色調の調整など、いろいろやってみたのですが、前照灯は、如何やら「砲弾型」らしく思われます。たぶん松戸区あたりのモハ41が、お助けに来ているのかなあと思ったり致しますが、私の知識では、断定は出来ません。
 この、電車の形式や所属など、お判りの方がいらっしゃいましたら、是非、コメント頂きたく存じます。
002-1960a-yokosukasen.jpg

coffee.gif 一齣のスライドから、部分拡大で、三枚の画像にしてみました。昭和30年代中期の東京駅でのスナップでした。

 では、また次回!!!!!


タグ:横須賀線
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コメント 12

のり

いい雰囲気の写真ですね。
旧国の形式同定は、本当に難しいですね。私も、昭和53年夏に飯田線にて撮影した車両たちの形式を調べるのに難儀をした記憶がございます。む~さん様をはじめ皆様に助けていただきまして、何とか記事にさせていただきました。
by のり (2012-06-22 21:59) 

Ryo

定期電車が70系なのに愛称付きの臨時電車が下駄電だなんて、まるで東海道線に103系が入ったようじゃありませんか。
それにしてもこの方向板の書体、見事ですね。すごいインパクトです。
ところで私なんかはこのスタイルはクモハ40くらいしか見たことがないので、40系?くらいしか同定(到底)わかりません(笑)
by Ryo (2012-06-23 00:04) 

モハメイドペーパー楠居

 夏の海水浴臨電はいろいろな線区からの直通がありましたが、東京駅の14番線に入っていることから、常磐線からの直通ではないでしょうか。

 この時代の松戸区なら、モハ60が主力だけど、砲弾型の前照灯だとモハ41ですね。
by モハメイドペーパー楠居 (2012-06-23 01:04) 

Cedar

海水浴臨時電車そのものが今や懐かしいですね。・・お金は無いけど良く働きよく遊んでいた時代の日本ですね(大げさ~)。
今や夏になっても臨時電車は殆ど無く、精々ヘッドマークが付くくらいで・・あの京急ですらそんな感じですから、時代は変わったものです。
by Cedar (2012-06-23 10:34) 

maipenrai

昭和35年だと、まだ湘南&スカ線に111系も投入前で、ツリカケ電車が盛大な音を立てて疾駆していた頃ですね。逗子の海、私も連れて行ってもらいました。写真の半流電車、運行番号はスカ線の「S」になってますが、やはり常磐線のor取手からの直通臨でしょうか。東北縦貫線が出来ると、また取手発逗子行き、なんて電車が見られるようになるんでしょうね。
by maipenrai (2012-06-23 12:58) 

ぽんた

電車も素晴らしいですが
端っこに写っている
白い帽子と白いワンピースの乙女が
素晴らしいと思いました。
とても清楚な感じです。
シブイ茶色のイケメンとのコントラストもniceです!
by ぽんた (2012-06-23 19:49) 

京阪快急3000

当時の東京駅の雰囲気って、こんな感じだったのですね。

横須賀線では、まだ70系電車が活躍していたのですね。

隣の茶色い旧国に派手な標識板の臨時列車・・・。

インパクトを感じました・・・。
by 京阪快急3000 (2012-06-23 19:57) 

む〜さん

■■ のり様:
 旧型国電の形式同定は難しいですね。東京近辺はともかく関西圏となるとさっぱり判りません。
 何と無く写したスナップ写真ですが、当時の東京駅の雰囲気は感じられます。両端の人物の所為かもしれません。
■■ Ryo様:
 私が二十歳になる前でしたか・・・・国電の形式が変わりました。いまだに、私にはクモハ11400ではなくモハ50・・・以下同様、なのです。
 海水浴臨時電車がロングシートの通勤電車・・・まあ、それほど車両が少なかったのでしょう。もっとも、中央線の高尾以遠にE233が入ったりするのも同じ様なものなのでしょう。
■■ モハメイドペーパー楠居様:
 常磐線の下駄電が有楽町まで乗り入れていた時期があります。山手線と京浜東北が分離する前、田町に短いトンネルがあったころを思い出しますね。新橋どまりの蒸気機関車牽引の客車列車があったりしました。懐かしいなあ。
■■ Cedar様:
 海水浴といえば、内房・外房にも臨時の海水浴列車がありました気がします。両国辺りからでていたようですが、思い違いかもしれません。
 京浜急行といえば、三浦海岸あたりまで延びた頃、でっかい水着美人のポスターが毎年出ましたね。欲しいなあと思ったこともありましたっけ・・・・。
■■ maipenrai様:
 当時の国電は、カルダン車は中央線の101くらいで、あとは吊り掛けばかり・・・今考えると、なかなかステキじゃあないかと思われそうですが、やっぱり早く高性能車になって欲しかったです。
 たまに楽しみで乗るなら吊り掛け車、毎日、通勤で乗るのならカルダン車でしょうね。
 東北縦貫線の工事は大工事になって居ますね。完成したら、どんな運行がなされるか、いまから楽しみです。
■■ ぽんた様:
 白いワンピースの彼女は、きっと素敵な彼氏(今みたいに語尾を持ち上げず、すとんと落として発声)とご一緒なんでしょうね。
 電車と一緒に、多くの人物が写りこんでいる写真は、そのファッションや持ち物から、時代が見えて、なかなか興味深いです。
■■ 京阪快急3000様:
 そうなんですよ!1960年といいますと、スカ線はモハ70系、東海道はモハ80系で準急・急行が153系・・・・だったかな?間違ってるかもしれませんが・・・・。
 日本の鉄道車両がどんどんグレードアップしてゆく時代でありました。あと4年で新幹線が開業するのですから・・・・・。

■■♪♪ ほりけん様
■■♪♪ まーーー様:
■■♪♪ プント様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-06-24 00:12) 

モハメイドペーパー楠居

 よくよく考えたら半流モハ41はすべて上り向きなんで、写真の車両はクハ55だと思います。
by モハメイドペーパー楠居 (2012-06-24 00:40) 

maipenrai

記事とは直接関係ない再コメ、失礼します。
 常磐線のゲタ電が有楽町まで乗り入れていた、というのは聞いているんですが(もちろん見ていない)、どの線路でどうやって折り返していたのでしょう? 東海道線の線路にはホームがないし、東京駅で京浜東北南行線に乗り入れるというのも、ムリがありそうです。
 電機が牽く高崎線の「新橋行き」は、そのまま品川入庫だろうな、と想像できるのですが…。
 もうひとつ、東京始発の常磐線C62の普通列車も、尾久-東京を推進回送したのか、品川仕立てなのか? その場合機関車は? 東京駅をスルー運転する列車はわからないことだらけです。もしご存知でしたら、ご教示いただければ幸いです。
by maipenrai (2012-06-24 08:50) 

む〜さん

■■ モハメイドペーパー楠居様:
 ・・・・とすれば、モハ41でなく同系キハ55でしょう。Wikiに拠れば昭和11年・12年製のモハ41が砲弾型前照灯だそうで、その系列のクハ55なのでしょう。そういえば、かなり前の『当ブログ』で『モハ41の走る場所不明の鉄橋』をとり上げましたが、写っていたモハ41は常磐線の下り向きでした。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2009-01-08
■■ maipenrai様:
 有楽町駅のホーム2本のうち海側ホームの山側が「山手・京浜東北共用」で、海側は空いていました。そこへ東京駅から一本引き込んで、行き止まりの常磐乗り入れ専用線としていました。私が高校生の頃でしたから昭和30年よりも前だったかもしれません。
 常磐線の蒸気機関車牽引の新橋行き列車は、品川に回送されましたが、蒸気機関車の転向は何処でやったんでしょうね?あの辺りにターンテーブルあったかなあ?汐留にあったのかもしれませんが、実用になりそうもないし・・・。
 『新橋止まりの列車』につきましては、
http://www006.upp.so-net.ne.jp/mu3rail/link804shunkan.html
・・・・に、『新橋の時刻表』(当時の写真)がありますのでご参照下さい。
by む〜さん (2012-06-24 09:31) 

maipenrai

たびたび失礼します。
 詳しいご教示、ありがとうございました。山手・京浜東北の分離運転以前はそういうことができたのですね。長年の疑問が解けました。
 常磐線直通はやはり品川仕立てだったのですね。品川には海寄りの貨物ヤードの先に、品川機関区がありましたが、東海道線の下り本線を跨いで、大型の蒸機がわざわざ転向していたのか…? 機関車だけを尾久に逆単機回送…ならばあまりトレーンアワーを塞ぐこともなさそうです。
 新橋駅の時刻表も素晴らしいです。新橋始発の氏家行き、泉行き…見てみたかったですね(私はその頃5歳…か)。
by maipenrai (2012-06-24 14:24) 

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