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町田市の風景1966年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は、リクエストも御座いましたので、以前に発表した写真集ですが、原版から改めて加工してご覧頂きます。
 1966年・昭和41年の、東京都町田市、街の風景。ローカルネタですが・・・・・当時をご存知の方には懐かしい風景かと思います。私も、久しぶりに、この写真を見て、懐かしさに、少しキュンとなりました。そんな訳で、老人の思い出話風に書いてゆきます。

 カメラは、コダックのインスタマチック20というプラスティック製の・・・・レンズも・・・・5千円くらいのシンプルカメラです。エクタクロームを使いました。エクタクロームでも、晴天で順光なら露出計連動で無くっても、なんとか写るものです。エクタクローム、偉大なり!

■■■ 町田市の風景1966年 ■■■

(1-1) 新原町田駅の新宿寄りすぐの踏切、正式には玉川学園前X号踏切って言うのでしょうが、何号か分かりません。新原町田駅を出て、交番の脇から、その踏切を渡ったところで、線路を背中にしています。
 今でもそうですが、バスの停留所ポールが並んでおりました。緑屋の先には、オートマチックのお饅頭屋さんがありまして、面白いので見たいのですが、一応、大人だし、見ていないようなポーズで見ていました。「都まんじゅう」という名の、円筒を切ったようなカステラ饅頭で、何回か買ったけれど、安くて美味しかったのですが、駅の反対側にバスセンターが出来、かなりのバス停がそちらに移動してしまった所為でしょうか、何時の間にか、無くなってしまいました。
 道の両側にはでっかいビルが建ち並び、この写真の感じは無くなって居ります。
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(1-2) (1-1)の真ん中あたりを拡大してみました。これ以上は無理ですが、細かいところまで、なんとか写るものです。パブリカにスバル360、そしてクラウンが懐かしい姿で写っています。
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(2-1) 小田急ストアの南側、鈴木楽器の脇を入ってゆき、いまでもある丸共布団店の前から小田急ストア方向を見ています。
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(2-2) (2-1)の部分拡大。小田急ストア屋上の観覧車です。こんな色だったんですね。
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(3-1) 踏み切りの北側から、新宿方向を見ています。2600形NHE車の新宿行各停が新宿へ向います。現在の小田急電車の、8000みたいな色になる前の、ブルーと黄色の二色の時代です。
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(3-2) (3-1)の電車と踏切警手の小屋・・・・このころ、警手は居たのだろうか?警報機はあったのだろうか?バスの国鉄原町田駅へのルートはなくなっていたのだろうか?全然覚えていません。
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(3-3) 線路の向こう側の風景。この不動産会社の右側には自転車の預り所があったのですが写っていません。もっと右の角には荒物屋さんがあって、いまでもビルの一階にあります。
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(4-1) 国鉄・原町田駅前に勢揃いした神奈川中央交通・・・・神奈中のバスたち。原町田駅の跨線橋の屋根が二連の面白い形をしています。国鉄原町田駅は小田急側に移動し、南口の新しいビルが出来、この頃を偲ぶものは残っていません。
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(4-2) (4-1)の右側のバスです。
 これは、ワンマン仕様ですね。現在も神奈中バスは基本的にはこんな色使いです。当時は「早そうな車輪周りの波型の塗装」や、湘南形の前面の塗り方が他社でもよく見られたような気がします。お臍のところにある神奈中の社章は、いまでは、殆ど無くなって居ますが、運が良ければ、まだ見られます。
 左端の円筒形のポストは、探せばまだ現役のものがあるようです。
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(4-3) (4-1)の左側のバスです。方向幕が歪んでいますが、ほぼ間違いなく「相模原病院」でしょう。右のバスよりも古いタイプのように思います。車掌さんの乗務しているバスなので、一番前まで座席があります。子供は、一番前が大好き。私も同じですが・・・・・。
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(5-1) 小田急・新原町田駅・駅ビル前です。左側、ビルに向かって右側が新原町田駅への入り口、左側に小田急ストアの一階部分、三階までエスカレータがあったような気がしますが、記憶、怪しい・・・・。
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(5-2) (5-1)の真っ正面の看板をクロースアップしてみましょう。
 丸井チハラは現在は無く、たしか親戚関係のマルイ町田店のでっかいビルがJR町田駅脇にあります、自社ビルなのかどうかは知りません。
 病院医院は殆どあるようですが、これまた、調査はしていません。
 映画の看板群・・・・・映画館は、町田には沢山あったんだなあと思います。町田グリーンというのもあったようです。この看板に描かれた映画、みんな判れば、かなりの映画ツウと言っていいんでしょうね。エトアールは、薄暗い坂を下ってゆくと右側?にあって、その先に家具の大正堂、そのさきに横浜線の踏切がありました。それを渡ると、都南自動車教習所?
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(5-3) (5-1)右端部の拡大です。小田急観光は今日は休業みたいですね。画面右端の下のほうに写っている、ここのポストは角型ですね。画面の→端っこに写っている建物の壁は、駅前交番の筈です。
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coffee.gif 今日は、ローカル風景ネタになりました。次回は、電車ネタに戻ります。
 ではまた、次回に!!!!!


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Cedar

街角の看板、行きかうクルマ~ホントに何でもないショットが昔を偲ぶよすがになりますね。
私が痺れたのは映画の看板です!左から、日活映画、東宝(+大映)、ピンク映画(懐かしい!)、そして洋画と、町田にはほぼすべての系列の映画館があったのですね(松竹のみが見当たらない?)。この中のどこかに行ったような気もします。
by Cedar (2012-07-05 19:10) 

亀甲デザイン研究所

64年に親戚が木曽団地に引っ越したので、新原町田駅はよく利用しました。たまに横浜線で帰るときも原町田駅はローカルな感じでした。とても懐かしいです。
by 亀甲デザイン研究所 (2012-07-05 19:31) 

maipenrai

地元では電車はそこそこ撮っているのに、駅前の風景や街並みの写真はまったく撮っていません。こういう写真がぱっ、と出てくるところが、むーさんブログの奥行きの深さなんだようなぁ…としみじみ思います。
 写真のタクシーのクラウン、私が免許をとった時の教習車と同タイプです(笑)。確かウインカースイッチが、ハンドルと同軸で内側についていたような…。
by maipenrai (2012-07-05 19:56) 

Tosi

非常に貴重で資料的価値の高いお写真だと思います。それほど遠い過去とは思えない光景ですが、駅前や商店街などの景観を構成する要素は現在ではほとんど残っていないのでしょうね。前回の(6)のお写真について、一部の架線柱などは以前からのものかもしれないと思ったのですが、梅が丘の北口でなんとか生き延びることができた数本の欅の木と同様の「痛々しさ」のようなものを感じました。今回のお写真の景観要素のなかでかろうじて現存するものが仮にあるとしたら、やはり「痛々しさ」を感じてしまうかもしれません。何年まえでしたか、2600の復活塗装もありましたが、「現在の小田急電車の8000みたいな色」に塗装が変わったのは1970年前後だったでしょうか。たしか一気に塗装変更が完了したのではなく、「ブルーと黄色の二色」がみられなくなるまで数ヶ月か一年くらいを要したような気がするのですが、よく思いだせません。
by Tosi (2012-07-05 21:27) 

たらこっち

たまには、電車の無い昔の風景も良いですね。神奈中バスの波型塗装懐かしいです。

by たらこっち (2012-07-05 22:06) 

伊豆之国

私が町田市に引っ越してきた頃には、国鉄原町田駅はまだ現役で、つくし野など市内南部へ向かうバスはこの原町田駅前から発車していました。その翌年に現在のJR町田駅に移転し、原町田駅の西側にあった雑然とした町並みは跡形も無く消えています。小田急の東側、布団屋や靴屋などがある横丁は今も健在で、飲食店などの入れ替わりはあるものの、まだ結構人通りは多く繁盛しているような気がします。緑屋は、現在のりそな銀行の場所にあって(建て替えで移転した?)、昭和58年ごろに店じまいしたと記憶しています。「本店」に当たっていた三軒茶屋の緑屋は、ams西武となって、建て替えられましたが今も健在です。
小田急デパートが「小田急ストア」だった頃、そして観覧車もあった、ということは知る由も無かったことでしたが、デパートの屋上遊園、観覧車はもちろん、遊園自体がいつの間にか消えたところが多くなって、今では貴重な存在になっているのではないでしょうか。町田市の中心街にあった映画館は、ついに全滅となってしまい、現在町田市で映画を見るには、南町田のグランベリーモールのシネコンに行くしかないようです。

by 伊豆之国 (2012-07-05 22:46) 

BlackSheep

幼少の頃すごした町田の町並み、懐かしく拝見しています。といっても1964年はまだ4才でしたが・・
神奈中のバスはかすかに記憶があります。丁度ワンマンカーが出始めの頃ではないでしょうか。
いまだ良く記憶にのこっているのは車体の側面に収納されていてぴょこんと起き上がるタイプの、まさに方向指示器といった感じのウインカーです。貴ブログを拝見しているうちに幼少の頃の記憶がいろいろ蘇ってきました。昭和41年まで当時の地番で木曽町82-331(よく思い出したもんです)に住んでいました。いまだ木曽という地名は残っているとのこと・・いつか訪ねてみたいと思います。
by BlackSheep (2012-07-06 00:08) 

KQ

きゃー、懐かしいです
(1-2)のクラウンとスバルの向かって右にある洋服屋さんの軒先で、小田急で帰ってきた父親とよく待ち合わせをしました
(2-1)はマラソン通り(当時こうは呼ばなかったですよね)ですね、あのどぶ板の上を歩いているみたいなプアな舗装の様子が実感できます
原町田駅前はバスロータリーも車道も歩行者通路も区別のない混とんとした雰囲気で、新原町田駅まではその日の気分でマラソン通りか吉川百貨店通りか選びました
新原町田駅前も最高です、小田急ストアはたしか3階のおもちゃ売り場と食堂までエスカレータがあったと思います
丸井チハラのあのロゴを生きているうちにまた見られるとは思いませんでした!!
映画館があった坂道の(微妙に小便くさい)当時の空気が本当に懐かしいです
むー様、本当にありがとうございます

by KQ (2012-07-06 11:25) 

naganaga

ご無沙汰しております。
連続で見させていただきましたが
やはり自分の中での「町田」はこれです!
調べてみたところS55年に
今の駅舎位置になったそうで・・・。
前回コメントさせていただいた時より
相当行ってなかったんだな~と思いました。
最後に何用で行ったのかは覚えてないのですが
夜9時頃に国鉄から小田急に乗り換えたのを
途中で迷ってしまい、
怪しげな所を歩いたのを強烈に覚えてます。
当時、高校生の自分には刺激的でした(笑)
今度ゆっくり見て回ろうかなと思いました。
by naganaga (2012-07-06 18:23) 

けんいち

懐かしい原町田駅の風景ですね。この時代、保土ヶ谷から原町田・相模大野や厚木まで自転車で行ってました。
神奈川中央交通は富士重工のバスが多かったですね。この写真のバスはどちらも富士重工のバスです。
私が大学生だった昭和40年代の厚木も走っていました。特に車掌さんの乗ったツーマン車。
運転手と車掌は必ず同じペアになっていて乗務する車も限定されているようでした。厚木駅~古沢の路線。
昔は1時間に1本の路線で必ず車掌の乗務する路線。ツーマン仕様の限定路線でした。運転士さんや車掌
さんと仲良くなりましたよ!ツーマン車が元気だった頃の神奈川中央交通。40年前の一こまでしたね。
by けんいち (2012-07-06 18:58) 

G20

月賦販売と言えば、丸井より緑屋でしたね。
by G20 (2012-07-06 22:27) 

モハメイドペーパー楠居

 デパート風の長崎屋と静岡屋がありました。踏切のそばにあった本屋が済美堂だったかな。
by モハメイドペーパー楠居 (2012-07-08 00:13) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 町田の映画館はこの当時で5館、その後、国鉄駅移転後の南口に1館できました。TV、ビデオテープレンタルの所為でしょうか、あっという間に消滅してしまいました。今では南町田か新百合ヶ丘のシネコンに行かねばなりません。TVも走査線が倍増しBDなんてHDの記録媒体も出て来たので、今後はどうなるのでしょうね?
■■ 亀甲デザイン研究所様:
 1964年の木曽団地といえば、まだ、周囲は畑に桑畑、昼間のバスは、一時間に2~3本のローカル風景でした。終バスも21時台でしたから、町田や鶴川の団地自治会は、バス増発に終バス延長運動、結局、24時過ぎまでバスが走るようになりました。
■■ maipenrai様:
 なんでもない街の風物が写りこんでいる写真は10年過ぎたら、想い出のキーワードだらけになりますね。現代のデジカメであれば、ギガバイトオーダーの記録メディアがタダ同然ですので、撮り放題ですね。もっとも、私みたいに撮ったら撮りっぱなしでは、あとで使えません。
 トヨタの昭和30年代の車は、ハンドルの中心部に付いたリングが、方向指示器とホーンを兼ねてましたね。会社で乗っていた、マスターラインがそうでした。パブリカは違ったみたいでしたが。
■■ Tosi様:
 アングルで組んだ架線柱は昭和初期の開業時のものがが、現役のものも多いと、関係者から聞いたことがあります。ちゃんと防錆処理を続けていれば、長持ちするのだそうです。テーパーの無いド太いコンクリートポールは味気ないと思っています。最近流行のスチール製の円柱も如何かと・・・・。
 2200に始まるブルーに黄色のロマンスカーカラーの通勤車塗装は、茶色だった吊り掛け車を飲み込んで行きました。5000のデビューした頃から、アイボリーに空色の帯に変わって行きました。私はカルダンはブルーに黄色、吊り掛けは茶色が、キチンとけじめが付いて好きでした。
■■ たらこっち様:
 神奈中バスのマルーンの波型塗装、何時の間にか無くなってしまいましたね。最近、気付いたのですが、前頭部についていた、神奈中の社章、町田営業所所属車には特に減少、見ない日もある気がします。
■■ 伊豆之国様:
 三軒茶屋の緑屋さんは現役・営業職時代に仕事で行ったことがあります。中野のマルイも同様でした。月賦なんて先があるのかなあと思っているうちに、支店は増えるわ、TV-CMはどんどんやるわで、益々隆盛。月賦なんてコトバは、カッコいいクレジットとなりました。
 屋上の遊園地は、小田急のみではなく、西友の屋上にもありました。幼かった子供を連れて行ったことがあります。
■■ BlackSheep様:
 木曽町の町名は、木曽西とかの「近代的」呼称にかわりX-X-Xのような表示になりました。市内の町名はどんどん変わって行っています。合理的で良いのですが、想い出のキーワードが消えてゆきます。
 「飛び出す方向指示器」・・・・俗に「アポロ」っていわっれて居ましたね。目黒区の碑文谷に工場があった気がします。手動式と、電気式がありました。懐かしいなあ。
■■ KQ様:
 懐かしいと思ってくださって嬉しいです。
 小田急ストアの屋上にはペット売り場もありましたね。一階の名店街では、日の出寿司のお寿司と、文明動のカステラを良く買いました。デパートのミニ版でした。
 (2-1)はマラソン通りではなく、南口側の商店の中の道で、入口に鈴木楽器店、入ってゆくと、後にお蕎麦屋さんになった釣り道具店がありました。
■■ naganaga様:
 確かにあの頃は、アヤしいエリアがあったようですね。私は夜は余りあるかないので詳しく無いのですが、耳にははいってきました。現在は、もう、殆ど夜のお出掛けはなくなりましたので、良くわからないというのが、本当のところです。
 まだ、遠いと思いますが、一応、小田急とJRがマルイ前のデッキ経由でつながったのは良かったと思います。完全統一が良かったと思いますが、色々と難問もあるのでしょう。確かに、統一の前後で、街の賑わいの程度の分布が変わった気がします。
■■ けんいち様:
 このバスは「富士重工」ですか・・・・。有難う御座います。ツーマンカーばかりだった時代、いまの市民病院前バス停あたり、神奈中の営業所がありました。いまは野津田へ移動して跡地はボーリング場になりその後、三和スーパーですが。いまは場所が特定できませんが、神奈中の車掌さんの寮もあったくいらい、ツーマンカーの両数もおおかったんでしょう。あの車掌さん独特の発声法で停留所名を連呼したのを思い出します。「中央病院前」なんて「チョビマー」って聞こえましたっけ。(笑)
■■ G20様:
 月賦販売なんて、どうせ駄目だよっておもってましたが、とんでもない、いまやクレジットの時代ですね。私はクレジットは借金!と言いつつ殆ど利用しませんけど。『緑屋のMカード、いいじゃありませんか』ってCMやってましたね。
■■ モハメイドペーパー楠居様:
 静岡屋・・・・ありましたね。カマボコドーム形のスーパーでした。大丸が出来て地下に入りましたが、その後の動向はわかりません。本屋さんは地元の『久美堂』と思います。踏切傍の本店、小田急百貨店8階に出店、ほかに何軒か4店か支店があります。

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ ほりけん様:
■■♪♪ プント様:
■■♪♪ モボ様:
 「nice!」 有難う御座います。

by む〜さん (2012-07-08 06:23) 

黒羽 君成

日光の件では大変お世話になりありがとうございました。
それにしても、昭和41年というのに本州というところは、中堅都市にして、喧騒、雑踏が聞こえてきそうな賑やかさはどこから来るのでしょう?立ち並ぶ病院や映画館の看板・・・札幌で見たことがないとは言いませんが、その写真を撮っておられる間中、何台か車が写っているのがすごいなー、と思いました。

自分は小学3年の終わりまでえらい田舎で育ちまして、小樽や札幌に出てきては「こんな印象だったんだろーなー」と、ついなつかしく書かせていただきました。

蛇足ながら博識の「む~さん」はご存知と思いますが、名鉄のパノラマカーの前面窓は当時の技術で、あれだけ大きな局面ガラスを作るのは難しかったので、平面ガラスを大小20数枚重ねてまるくみせたのですって。ぜんぜん違和感ないですね!昔?の人の創意工夫ってすごいですね!!!

「バスはお子さんが前向きに座っているほうが後ろの形よりもやや古いようで」から・・・・センターピラーが太すぎる:前のバスはひょっとして平面ガラスかもしれない・・・名鉄電車と連想が勝手に暴走しました。すいません。
    黒羽 君成肺
by 黒羽 君成 (2012-07-09 13:36) 

Ryo

町田は変わりましたね。私も国鉄~小田急駅間の長い乗換をかすかに覚えていますが、近年になってJRの正面を出たところに大通りがぶち抜いたのを見たときには大変驚きました。駅正面の既成市街地にあれだけの土地を確保するあたり、バスは「神奈川」でもやっぱり東京かな、と思います。

(1-1)は北口っていいましたか、本町田循環などが出てるバス停ですね。一つ前の記事に写真がありますが、以前む~さんさまからこの手前の踏切をバスが渡っていたと教えていただきました。道路の様子はあまり変わっていないけれど、あの狭い商店街をバスが通っていたと思うとやっぱり時代の隔たりを感じます。
(4-1)に写っている原町田駅の跨線橋、懐かしいです。二連とは知りませんでしたが、確かにあんなのがありました。一番手前が確か折り返し用の行き止まり線だったような…。バスも懐かしいですね。1つ目ライトの車体は、ちょうど私が小学生の頃まであったタイプ、もう一つのほうは後々までお馴染みの車体でした。
by Ryo (2012-07-10 00:05) 

Ryo

(追伸)1つ目ライトのバス、よく見ると中扉しかないツーマン専用車みたいな感じですね。ナンバーも「多摩」でなくて「多」でしょうか。1つドアの車体は私は写真集でしかお目にかかったことがありませんが、ちょうど私の記憶の古い限界あたりに、2つドアで1つ目ライトの車体がかすかに残っております。
失礼いたしました。
by Ryo (2012-07-10 00:23) 

む〜さん

■■ 黒羽君成様:
 何年か前に北海道旅行、そのときバスガイドが、北海道は小さな町の場合、道が広く、「人が歩いていない」と言った事を思い出します。
 曲面硝子の件、名鉄パノラマスーパーの事でしょうか・・・・たしかに、前面硝子の総面積は広いし、費用の問題もあるし、割れちゃったときの保守の問題もあるし、まあ、「一枚」は難しいでしょうね。
 写真のバス、前面4枚になって居ますが、わりと、一般的に見られた「つくり」だった気がします。中の二枚、完全な平面ではなかったような気もしますが、最近の私、もう、記憶が危なくなって居ます。
■■ Ryo様:
 町田市の場合、他の市と同様、「駅前広場らしい駅前広場」がありません。バスが一回りできる曲線道路見たいに感じます。その上に、歩道橋で、周囲を高層ビルが固めています。なんだか、空が狭く、暗いです。確かに土地は高価だし、勿体無いかもしれません。でも、それでいいのか?とも思います。上手く表現できませんが・・・・。

 二両のバスは、いずれも、張殻構造、モノコック構造っていうのでしょうか、丸っこく、リベットがビッシリ付いていました。今のバスとは工法が違いますね。
 左側のバスは車掌さんが乗務するタイプです。踏切を渡るとき、終点で転向するとき、車掌さんの誘導の笛の音が懐かしく思い出されます。森野にある「フードワン」は神奈中のボーリング場で、そこは、神奈中バスの営業所でした。そのバス営業所の桜の木は、いまも残っているような気がします。
 町田駅周辺のバスの走行ルートも、昭和30年代から現在まで、吃驚するほど変わりました。
by む〜さん (2012-07-10 15:40) 

yutakami

「撮り鉄」の諸兄、諸先輩から見れば、端っこ(風上?)の方で「車内広告」や「駅貼りポスター」を撮っている私などには、むしろ、今回のこのむ~さんの「鉄道」周辺の街情報の記録記事の方が、なるほど、と感じるところが、皆様のコメント同様に、大でした。
妄言多謝。
by yutakami (2012-07-15 15:12) 

む〜さん

■■ yutakami様:
 私も好きな電車のポートレートも撮りますが、周辺のヘンなものも好んで撮ったり致します。年月が経つと、そんな周辺の小さなことから当時の全体像が思い浮かんできたり致します。
by む〜さん (2012-07-16 20:15) 

きらら天狗

初めまして、新原町田駅を検索していてこちらにたどり着きました。私は昭和36年町田生まれ相模原育ちで、昭和59年まで相模原におりました。
新原町田駅の駅舎の写真を探しております。
こちらで町田の古い写真を拝見させていただき、なつかしく思います。
お尋ねしたいことがあるのですが、もしおわかりでしたら教えてください。
新原町田駅のすぐの踏切の脇あたりに「コマヤ」というそば屋がありました。その先の道路を左折してその次の踏切に向かった中間あたりにプラモデルなどを販売している模型店があったと思うのですが、その店の名前をご存知でしょうか?
それからもう一点、三枚目の写真の通路を反対方向に歩いていった突き当たりの付近に揚げもの専門店があったと思うのです。魚肉を揚げた「揚げボール」がおいしかった記憶があります。その店の名前をご存知でしょうか?
もしおわかりでしたら教えてください。
これからも、たくさんのなつかしい写真で楽しませてください。
では失礼いたします。
by きらら天狗 (2013-02-17 18:07) 

む〜さん

■■ きらら天狗様:
 コメント、有難う御座います。ご質問、三つ御座いますが。お応えできず申し訳けありません。
 (1)コマヤ(蕎麦店):記憶がありません。
 (2)模型店:これも記憶が無いのです。
 (3)揚げ物店:お店自体はよく覚えています。何度も買った事もあったようですが、お店の名は覚えていないのです。たしか、かなり前に廃業されました。
by む〜さん (2013-02-17 19:07) 

S.Y

初めまして。産まれてから町田在住で、父が小田急ストアに勤めていたもので、とても懐かしい思いにさせてもらいました。ありがとうございます。よろしければツイッター、フェイスブックでシェアいたしたいと思いますがよろしいでしょうか?時間があります時にでも回答いただければと思います。
by S.Y (2013-03-28 11:58) 

S.Y

あと差し出がましいようですみませんが、きらら天狗様の三つの質問のうちの三つ目の回答ですが、恐らく玉の家(たまのや)かと思われます。練り物、特におでん種を扱っていて、今でも界隈ではおいしいおでん種だったと語り草になってますね。もう10年程前に職人さんの高齢化と後継者不在の為、お店をしまわれたと存じております。横からしゃしゃり出てすみませんでした。
by S.Y (2013-03-28 15:15) 

む〜さん

■■ SY様:
 いろいろありまして、レスが遅くなり申し訳ありません。シェアはOKですのでどうぞ。
 揚げ物屋さんの件。そうそう玉の家さんでした。如何しても思い出せませんでした。何時も活気に満ちた店頭で、揚げ物がおいしそうでした。教えてくださって有難う御座いました。
by む〜さん (2013-04-02 14:48) 

S.Y

ありがとうございます!
by S.Y (2013-04-03 10:43) 

む〜さん

■■ SY様:
 町田もどんどん変わってますね。日曜日、町田駅辺りを徘徊したのですが、鈴木楽器が二階に上がり一階がコンビニになるそうです。久美堂の先に、かなり先にあったサンマルクカフェが移って来てましてビックリでした。もっとも、珈琲はドトール、それも商店街中ほどの『柾屋』の店が見えるドトールが好きでしたが、柾屋は改築され看板だけになりましたので、がっくりです。

 では、またお暇な折にでも、当ブログを覗きに来て下さいね。
by む〜さん (2013-04-03 13:47) 

S.Y

本当にめまぐるしいですね。私は集合看板の写真にもある尾崎産婦人科で取り上げられたそうです。そちらも今は無くなってしまったようで。家は旧国鉄原町田の近くにありまして、当時のダイエーによく行ったものです。その旧ダイエーの建物も先日営業を終え取り壊されます。父と母と兄が都内より町田に住まいを移し50年が経ちましたが、その加速度的な変化にただただ驚くばかりです。
by S.Y (2013-04-03 17:01) 

S.

そしてむ~さんのブログをお気に入りに登録いたしましたので、楽しい写真や記事を楽しみにしております。本当にありがとうございました。
by S. (2013-04-03 17:03) 

む〜さん

■■ SY様:
 ダイエーも閉店し解体されるようですね。あそこの釣り道具売り場によく通ったものです。私は昭和38年に移り住んで、今年で50年になります。昔の写真は殆ど撮っていませんので、今になった悔やんでいます。
 私のブログをお気に入りに登録された由、嬉しき限りでありますが、あんまり町田市の記述は出てこないと思います。もっぱら電車・汽車のマニアックなお話ばっかりですので、驚かれる事と思います。
 町田といえば、私の2012-09-07付けのブログで『お出かけ通信:第655回』として、『神奈川中央交通バス「大泉寺」停留所待合室』というのがあります。これは、是非ともご覧いただきたい貴重な民俗遺産です。市立博物館辺りに残したいくらいなものですが、まあ、無理でしょう。バスの待合室があり、昭和中頃の町田市、相模原市の商店の広告がビッシリ付いています。ブログで興味をもたれたら、ぜひとも、ホンモノをご覧頂きたく思います。当時の商店が現在幾つ残っているか興味あるところです。URLは下記ですので、ご覧頂くよう重ねてお願い致します。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2012-09-07
道路の拡幅工事がどんどん進行しています。あの待合室は、もう風前の灯です!!!
by む〜さん (2013-04-03 22:39) 

S.Y

大泉寺バス亭の記事と写真、拝見いたしました。実は私もあの待合所のファンでして(笑)つい先週訪問してきました。待合所横には桜の木があり、その時は満開。春の雰囲気と昭和レトロを満喫してきました。数年前より図師大橋方と、小山田バス停方の道路がどんどん整備拡張され、大泉寺バス停の周りも拡張予定地と思われる空き地が目だってきましたね。吉川百貨店の広告なんて貴重ですしね。最悪でも移築になってほしいものです。話変わりますが、私の父は谷中出身なのでたくさん遊んだ思いでもあり、京成線のトンネルの入り口の記事を拝見しわくわく。奈良方に居た事もあり、昔の近鉄電車が実に懐かしく。東急の沿線には学生時代のよい思い出がいっぱいで。鉄道車両はあまり詳しくありませんが、それも含めむ~さんのブログを楽しませてもらっています。なので町田に関わらず楽しいブログがアップされるのをまた楽しみにしております。長文、大変失礼いたしました。
by S.Y (2013-04-04 10:42) 

む〜さん

■■ SY様:
 大泉寺バス停の待合室・・・・ご存知でしたか。よかった~!
 あれは実に素晴らしい民俗遺産ですよね。しかし、もう風前の灯、あっと言う間に消されてしまうのでしょう。
 京成といえば、「寛永寺坂駅の遺跡」は「太平洋戦争終戦秘話」に出て来たりします。1067mmのレールをひいて、国鉄車両を入れるものだったようですね。寛永寺坂駅の駅舎は未だあると思いますが、所有している会社の協力で、中が見られたら、京成電車のファンは喜びそうだなあと思ったりします。ついでに、博物館動物園駅の遺跡見学会も兼ねるのです。
 脱線しました・・・・そんなわけで、今後ともよろしくお願い致します。
by む〜さん (2013-04-05 17:04) 

masa

自分は80年12月生まれですが1966年は物凄く憧れの時代であります。自動車情景は凄く素晴らしいからです
by masa (2018-12-16 10:09) 

む〜さん

■■ masa様:
 50年以上も昔の自動車、懐かしいですね。日本製自動車がどんどん成長して世界と勝負できるようになった頃です。(1-2)に写っているスバル360は1964年ごろ中古で買って乗っていました。いい車でした。それ以来、スバル一辺倒ですが、最近ちょっとミソをつけてしまいました。払拭するのは大変でしょうが頑張ってほしいものです。
by む〜さん (2018-12-16 16:19) 

agu

凄く懐かしいです!子供の頃、買物といえば母に連れられ
町田へ行きました、緑屋も懐かしいです、バスも懐かしい
まだ舗装されてなくて、きな粉が舞うみたいな土でした
映画館も懐かしい、最後に観たのは、山口百恵さんの
伊豆の踊り子でした。
買物帰りは今も駅前にある、グリルママで
ハンバーグを食べました、昔は2階もあったんだよな〜
向かいにエトセトラという雑貨があって、よく寄りました
釜飯屋も側にあった、家族と食べたな、角にある靴屋さんは
なくなってしまいましたね?緑屋や十字屋、長崎屋も
あって、懐かしばかりです、貴重なお写真
ありがとうございます。

by agu (2019-05-19 18:09) 

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