町田市の風景1966年(Ⅱ) [むかし噺(2)]
7月5日付のブログで「廉価版のコダックインスタマチックカメラ」で写した、小田急新原町田駅周辺と国鉄原町田駅前のカラー写真をご紹介いたしました。
同じ年・・・・1966年・昭和41年の、あれは5月頃でしょうか、白黒で小田急・新原町田駅付近を写しています。カメラは多分、ミノルタSR-1ではなかったかと思います。
以前、当ブログで発表済みの画像ですが・・・・・。
■■■ 町田市の風景1966年(Ⅱ) ■■■
小田急・新原町田駅の相模大野駅寄り、だいぶ駅から離れた場所から新原町田駅方向を写して居ります。
(1-1) まだ、8車体連接だったデハ3000・SE車「えのしま号」が新宿に向います。
(1-2) SE車の右の方を拡大してみましょう。小田急ストアが割りと鮮明に写っています。こっち側が「裏」なのでしょうか、「小田急ストアの大看板」も裏が見えています。右側のカマボコ屋根はスーパーの静岡屋さんで、この土地は、後に大丸百貨店が建つ事になります。大丸の撤退後は丸井のビルになって、現在は「MODI(モディ)」を名乗って居ます。
(1-3) SE車を拡大してみましょう。オリジナルのSEは思い切った流線型で、旅客機みたいで、今見てもステキだなあと思います。このあと2年、1968年には御殿場線乗り入れに合わせて、5車体の連接車に改造され、SSEと呼ばれるようになります。顔もだいぶ変わりました。
右側の架線柱の影に電車が居るみたいです。
(2) フィルムの次の駒に写っていた、デハ2200の2連。たぶん、これが(3)の電車でしょう。オリジナルの2200は方向板方式でしたが、すでに方向幕に改良されています。
(3-1) 当時は未だ元気だった「むかし風の電車」、クハ1450+デハ1200+デハ1200の江ノ島行きが来ました。
(3-2) 新原町田駅のホームが写っています。駅は、2ホーム4線で駅本屋・・・・小田急ストアのビル・・・・とは地下道で結ばれていました。大東京火災の大広告塔は結構、目立っていまして、よく覚えています。信号機の背面の板が現在の信号機のそれよりも大きい気がします。
(3-3) 写真(1-2)よりもシャープに写っていますし、下のほうが良く見えます。交通標識が写っており、その右の方に柵がありますが、たしか、この辺りを国鉄横浜線が通っていた気がします。もちろん、単線。
(3-4) 1452の顔をクロースアップ。好きだったなあ、デハ1400にクハ1400、デハ1200も・・・・。2ドアの下降窓、車内はニス塗り。土曜なんか、会社の帰りには、新宿で何本か見送って、こんな電車を選び、のんびり帰宅したものです。
以前に当ブログで使った画像ではありますが、今回も改めて加工しました。いま、考えると、1960年代の小田急って、じつに面白い、個性的な電車が大活躍しておりました。
私が上京した2年後の原町田付近の風景ですね。当時は小田急はもちろん、京王、東武、西武、京成、京急、東急すべての私鉄で、新旧混在で、いろいろな凸凹編成も見ることが出来、楽しい鉄道ファン時代でした。小田急もまだ旧形車両が健在でしたが、特に東武は、バラエティに富んだ車両が多く、あちこち乗り回った記憶があります。私の育った近鉄沿線でも、個性的な旧形車両が健在で(と言っても奇っ怪な近代化?改造が始まっていましたが)、毎日の通学が楽しかった時代でした。今やほとんどの鉄道が、戦後すぐの63系規格車両を思い出すような、軽量廉価版車両ばかりで、ファンの楽しみが激減しました。こんんな時代に良質な鉄道ファンが育つのかと心配です。それでも、鉄道博物館など、施設も充実してきているので、それはそれで良いのかも知れません。ただ、活躍した旧形車両を保存する会社もありますが、惜しげも無く破砕してしまう大会社もあり、折角の文化遺産が消え去ってしまうのは残念至極です。
by デトニ2300 (2012-07-20 09:09)
HB車からSE車まで、本当にバリエーション豊富な時代でしたね。
この頃はまだ相模大野から先は、一般車でも煙草が吸えた時代でしょうか?
by Cedar (2012-07-20 20:05)
こんにちは。
1400と2200、1400のほうが車幅が狭く見えますが、阪神の「喫茶店」のようにステップがついているわけでもありませんし、きっと同じ幅なのですよね。
SE車はいつみても格好がいいです。新幹線へルーツだけありますね。
小田急ストア、「ストア」というよりは百貨店といってもいいほど立派な建物ですね。
失礼します。
by おおや (2012-07-20 21:13)
この当時は、もうHB車は各停専用だったのでしょうか・・・さすがに急行や準急は30年代までだったのでしょうね。
昔の小田急の準急は種別板は無く行先板のデザインが〇の中に行先が書かれている物が使われていたと聞きました。
今はもうこのアングルでは撮影できないでしょうね・・・。
そうそう!新聞で知りましたがF-TrainⅡが今日から運転されているそうですね。今度はキャラクターのイラストを小さくしてラッピングの占有面積を少なくしたようです。
by 利きゅう (2012-07-20 21:57)
■■ デトニ2300様:
何処の鉄道会社でも似たような、20m4ドアのステンレスかアルミ車ばかりになってきました。コストダウンにはこの手が一番なのでしょうが。もう、バスの手法ですね。山のような通勤通学客を捌くにはやむを得ないとも思いますが、ファン的には詰まんないですね。
昭和30年だから40年代に掛けて、電車の技術的進展が大きく、旧型車両の淘汰が進みました。その新旧混在の状態が、趣味人としては、堪らなく魅力的でした。
小田急さんは教習車として、経堂の構内に1400がかなり長い間、置いてありましたが、残念ながら、何時の間にか見えなくなりました。
■■ Cedar様:
私は小田急で新宿に出て、中央線で四谷まで通勤してましたが、大混雑の通勤も、いろいろな車両に出会えて、楽しみがあり、苦痛ではありませんでした。
そうか、Cedar様に言われて思い出しました、そうだ、区間によって煙草が吸えましたね。灰皿は如何やっていたのでしょうか?ご記憶でしたらお教え下さい。
■■ おおや様:
デハ2200以降と、旧型HB車、図面が無く車体幅が正確にはわかりません。2200が2,800mm、1600が2,720mm近辺、1200、1400は如何だったんでしょう?ホームと電車の間の距離は、100mm程度の違いだと、当時は結構アバウトだったのでしょうか・・・・?
町田の小田急ストアは、名店街もあり、おしゃれなスイーツも、美味しいお寿司もありました。土曜日などは、会社帰りに、ここで、ケーキなんか買って帰ったものです。
■■ 利きゅう様:
HB車・・・・準急は無かったと思いますが、記憶がかなり怪しくなって居ます。
現在は、このアングルでの撮影は無理でしょう。当時の空気としては普通でしてけれど、安全意識も、保安施設も変わりました。まあ、長閑な時代だったんですね。そんな時代、今思い出すといい時代だったなあと思います。こうなっちゃうのは、年老いたって事なのかもしれませんが。
ドラえもんの電車:F-トレインの二代目、昨日20日より運行開始です。天気が悪いから行かない気で居ましたが、結局、曇天の夕方の悪条件で出撃して、見事玉砕の大失敗でした。これから先、頑張ってみようと思っています。キャラが小さくなったので、難しい被写体になった気がします。なお、今日21日更新のブログに、恥を偲んで失敗作を出してあります。ああ、恥ずかしい~っ!!
■■♪♪ quatre-l様:
■■♪♪ プント様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2012-07-21 06:11)
SE車は本当に素敵な電車ですね。この電車のデザインは、私の記憶では他では類を見ないと思うのですがいかがでしょう。鉄道史に燦然と輝く特急車両だと思います。
by のり (2012-07-21 20:28)