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701:東急池上線と京浜急行(6-2)石川台駅(下) [お出かけ通信701-750]

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2013年・平成25年5月18日・土曜日、京浜急行の雑色駅に近い某店で友人たちと会うことになって居ます。16時前に到着するつもりなので、思い切って早く家を出て、色々寄り道、道草を食いながら、移動して居ります。

■■■ お出かけ通信(701) ■■■

■■■ 東急池上線と京浜急行(6-2)石川台駅(下) ■■■

 石川台駅で下車した私・・・・改札機を抜けて、踏切を渡る。

(1) 11:07 五反田方面を見ています。手前の橋が「永久橋(ひさながばし)」、彼方に見えるアーチ状の橋が「笹丸橋(ささまるばし)」。笹丸橋は2004年に来たときに橋名のプレートの写真を撮ってあるのですが、永久橋は、地図にも無いので、ネットで調べ、やっと見付かったという、曰くつきです。今度からちゃんと写真を撮ろう。
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(2) 11:10 線路に沿って坂を登る。(1)の左側の坂です。坂の頂上に永久橋があるので、その上から何枚か撮影。
 石川台駅に停車している蒲田行電車は7914で、全ステンレス車・初代7000の姿をとどめています。
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(3) 11:11 蒲田方面から1021を先頭に1000系の3連が来ました。
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(4) 11:12 (3)の1000系が発車してゆきます。
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(5) 11:12 (4)の1000系電車が笹丸橋にかかるところです。
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(6) 11:15 五反田方面から新7000の3連・・・・No.3編成です。
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(7) 11:15 (6)の新7000系。
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(8) 11:16 石川台駅を発車した(6)(7)の新7000系電車。最後尾は7103。
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(9) 11:17 五反田行の7600系(先頭車7601)が石川台駅に到着。
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(10) 11:17 (9)の電車が発車しました。
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(11) 11:18 (10)が永久橋をくぐって笹丸橋に掛かります。
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(12) 見上げれば、送電線鉄塔・・・・分岐点のようです。
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(13) そろそろ引き上げる事にして、線路沿いの坂道を下っていると、こんなものを二つも発見しました。坂を登るときに、草臥れたら、腰をかけたり、荷物を置いたりするのでしょう。私も、こういうものの有り難味が分かるようになりました。
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(14) 11:22 もう少しで石川台駅と言うところで蒲田行き電車が到着。1000系の1024。
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(15) 11:23 新7000系のNo.5編成の五反田行。
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(16) 11:27 蒲田行の7600系7662が到着。
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(17) 11:28 五反田行きホームに入ったら、(16)の電車が発車して行くところでしたので撮影。カーブの辺り、草が一面に生えています。どうしたのでしょう?
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coffee.gif 30分足らずの短い時間でしたが、色々な形式の電車の、沢山の写真を撮る事が出来ました。

 池上線の五反田行に乗り、次の目的地、京浜急行に向います。
 では、次号で!!!!!


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水雷艇

この辺、左右の崖と長い坂は変わりませんね~。
本当に懐かしいです。ここを下りて、中原街道を渡り、当時、ちょっと危ないエリアを歩いて呑川を渡ると石中でした。
by 水雷艇 (2013-05-23 10:43) 

む〜さん

■■ 水雷艇様:
 昭和30年代前半の中原街道は整備が充分でなく、まるで工事中といった感じでした。「X風園」と書かれた看板があるところを入ってゆくと東工大への近道で、中学時代、全学祭見物時によく通りました。
 改めて地図を見てみると水雷艇様のおっしゃる、昭和30年代の、あのあたりの風景が、脳裏に甦りました。

■■♪♪ tochi様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-05-23 13:43) 

Cedar

石川台の掘割は「郊外電車」らしさが残っていて大好きな場所です~というか、東京の私鉄の中で、池上線は昭和私鉄ムードが一番残っていると思います。宮崎台の3450(=510ですね)を復活運転して欲しいものです。
by Cedar (2013-05-23 21:06) 

おおや

こんにちは。
多摩川線は毎月のように乗っているのですが、池上線は乗る機会がありません。いい感じが残っていますね。
元7200の7600、高校時代にデハクハ2連X4の東横線の急行でよく利用していました。好きな車両です。インバータ化されてしまっていますが、外観はいい感じで残っていますね。
今週末も多摩川線を利用しますので、会えるといいです。
では、失礼します。
by おおや (2013-05-23 22:13) 

京葉帝都

今回のお写真では高圧線の鉄柱が一段と大きく見えます。上京する鉄道好きの人たちに真っ先に勧めているのは池上線です。最近訪れた本門寺では背景に高層建築がなく空が広がっていたのでちょっと感動しました。洗足池も癒されます。
by 京葉帝都 (2013-05-23 23:51) 

水雷艇

全然関係ない話しですが、子供の頃は中原街道はとっても広い道というイメージがありました。何の時だったか、天皇皇后両陛下が黒いクルマで通過されるのを、日の丸持って沿道で手を振ったことを思い出します。
でも、今行くと、それほど広くも感じません。六間道路とかも、もっと広いと思ってましたが、子供の頃の感覚と今とでは、ずいぶん違うものですね。
by 水雷艇 (2013-05-24 10:32) 

京阪快急3000

東急池上線、「見どころが盛りだくさん」と言った感じですね。

p.s.自分のブログにも書きましたが、体調管理などの諸事情で、ブログの更新を休む事に致しました。

更新再開の際は、また自分のブログでお知らせします。
by 京阪快急3000 (2013-05-25 05:03) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 池上線は、沿線に住んでいた私を鉄道ファンに育ててくれた、「育ての母」なので特別に親しみを感じています。高圧線鉄塔も他の線と較べて大きく逞しく、高圧線の王様だと思っていました。そんなこともあり、鉄塔フェチみたいに、高圧線が好きです。この高圧線は、「郊外電車の必需品」みたいに感じて居ります。
 昭和ムードと言えば、京成の立石とか、京成八幡辺りとかでも、感じます。
■■ おおや様:
 7000(初代)も7200も、近代化のさきがけでした。米国のステンレス車製造技術を導入し、新感覚の電車になりました。特に初代7000はソノ感が強かったです。多摩川線も池上線も、おなじ雪谷の管轄ですが、沿線の雰囲気も似ています。たまには、池上線にもお出で下さい。電車に乗り、電車を見て、駅前商店街を歩くなんて「旅」を楽しまれては如何でしょうか?
■■ 京葉帝都様:
 京浜急行の東京都内地区に、いわゆる京浜急行らしさが無くなりましたね。でも、まだ、八丁畷~横浜~南太田あたり、一日使う勝ち有るエリアだと思っています。そして、池上線と多摩川線・・・・私の幼かった頃の面影が未だ残っています。だんだん減少傾向の門形高圧線が残っている(洗足池~千鳥町)のも特記の価値があります。本門寺もたまには行ってみたいものです。じつは、池上駅に近い自動車学校で免許をとったのです。昭和35年ですが。洗足池は小中学校の頃、クチボソを釣りエビをすくいました。ボートにも乗ったような気もします。
■■ 水雷艇様:
 中原街道は広かったですね。車は少ないしコドモが自転車で走ってもヘッチャラでした。地区によっては道路幅の半分しか舗装してませんでした。今の環8あたりから多摩川の坂上までのセンダンの並木が素敵でした。ウチの前の小路でなかまと三角ベースをやりましたが、充分広く感じたその道も、今見てみると、2,000CC級の乗用車がやっとは入れるくらいしかありません。
 六間道路なんて懐かしい響きです。電柱じゃあない田中(でんちゅう)=田園調布中学でしたから学校帰りは六間道路の何軒ものラジオ屋さんを覗きながら帰りました。おじさんと仲良くなり、ラジオの修理や、アンプ製作などを眺めているうちに、私の進路は「電気通信」に決まりました。もっとも就職は商社でしたが。
■■ 京阪快急3000様:
 池上線は関西で言えば何処になるのでしょうね?
 体調を壊されてブログをお休みされるとか、心配致して居ります。無理せず、治療に専念してください。そして、たまに、回復への様子などメール頂けると嬉しいです。お大事にしてください。
by む〜さん (2013-05-25 08:18) 

りっこ

石川台と池上線のお写真の数々、とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。ところで永久橋ですが、大田区の図書館に「笹丸」という笹丸自治会史が置いてあり、この橋の由来、かなり詳しく書いてあります。ちょっと引用させていただきますネ
「八幡橋(現永久橋)は、池上線線路敷設のため笹丸地区の大地を掘ってできた切り通しの上に昭和2年に架設されました。(中略)八幡橋は木橋のまま昭和20年代半ばまで使われていましたが、老朽化が著しくなり(一時不使用となり)昭和32年1月現在の鉄筋コンクリート橋に造り替えられ、名前も永久橋と変わりました。八幡橋からの西方の眺めは素晴らしく、晴れていれば丹沢山塊の上に真っ白な富士山がいつも見えていました。(後略)」
今でもこの辺りは桜の名所ですが、一時期よりは、かなりその数を少なくしています。なお余談ながら、この永久橋の文教小学校側を少し洗足池に進んだところに、内側に向かってコンクリートのでっぱりがあり。これが一体何の跡なのか、結構論議したものでした。
by りっこ (2013-05-25 17:21) 

む〜さん

■■ りっこ様:
 永久橋の建設経過情報、有難う御座いました。この橋の上から見る丹沢に富士は素晴らしい景観と思われますが、高層建築林立の現在、見えるかどうか少々心配になりました。前々号の『お出かけ通信』の最初の昭和34年の白黒写真には全く高層建築は無く、八幡橋・永久橋が出来た頃は問題なく富士の姿が拝めたと思います。富士と言えば、私の通っていた調布大塚町の小学校は木造二階建てでしたが、二階の窓から丹沢と富士山が見事に眺められました。現在は恐らくダメでしょう。皆が競って上へ上へと背伸びするのですから・・・・。
 「永久橋の洗足池よりのコンクリート塊」は私も「???」とおもいました。まるで、舞台のようです。あれは何なんでしょうね?

 今後とも、応援、よろしくお願い致します。
by む〜さん (2013-05-25 21:13) 

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