想い出江ノ電1962年 [小田急・江ノ電・箱根登山]
私のパソコンのブラウザ・・・・Internet Explorer-8(IE-6をオンラインでバージョンアップしたもの)の設定が、何故か変わって仕舞った為、更新不能になって居りましたが、ブログの大家さん、「So-net」さんのサポートスタッフさんの親切な対応、アドバイスで、復旧~更新を再開できました。
とは言うものの、「お出かけが無ければ記事が書けない」わけで、懐かしい昔の画像を一寸並べて見ます。
■■■ 想い出江ノ電1962年9月 ■■■
1962年・昭和37年9月、社会人三年生の私は、大学時代の鉄道仲間とともに、江ノ電を撮りに出かけました。ここは、鵠沼駅に近い境川の鉄橋。
まだ、田圃が残り・・・・もっとも、この年にお米は作られなかったように見受けられましたが・・・・その広い風景の中、湘南海岸公園駅側から江ノ電電車が現れ、境川鉄橋を渡って、右に急カーブ、鵠沼駅に入って行きます。
(1) 私は境川の川辺に立っています。現在此処には、戸建の住宅が建ち並び、こんな風景を偲ぶ手がかりも無さそうですが、よ~く探せば、何か残るものもあるのでしょう。
大きなカーブを、電車が近づいてきます。1D10D2+2D10D1の窓配置は何型だったのでしょう。
(2) 小さな橋梁を渡る。
(3) 窓全開が9月を感じさせます。やっぱりポール集電は素晴らしい!
(4) 現在の境川橋梁とは違い華奢な作りですが素敵な鉄橋ですね。架線柱のアバウトな感じが堪りません。
(5) 鉄橋を渡ると右に急カーブ。鵠沼の家々の松ノ木がいい感じです。
(6) 徐行しながら鵠沼駅へ・・・・・・。
私は当時、横浜市に住んで居りましたが、次の年、昭和38年には、この境川の上流20数kmの町田市に引っ越す事になるのです。
(7) 鵠沼駅で交換したのでしょうか・・・・・鎌倉行の電車が鉄橋に掛かってきました。
(8) 境川を渡り終えて目の前を通過する。太陽の光を横から真っ直ぐに受けて、「大露出過度」。色々頑張ってやっとナンバーが「302」と読める程度にはなりました。
(9) 鵠沼駅側から写しています。藤沢行・・・・当時としては画期的デザインのポール電車500形(501+551)が鉄橋を渡って来ます。
今回は、昭和37年9月、オリンパスペンで撮影した江ノ電をご覧頂きました。画像の質が悪く、ホームページに載せないで居りました。かなりの半ボケですが、ご容赦下さい。
では、また次回にご期待を!!
うわ~!もはや歴史的資料というべき写真ですね☆
この鉄橋、いまはどうなってましたっけ~?
昔は電車の冷房など夢物語で、窓全開で走りましたよね。
その後、窓は開くようになってても、子供とか転げ落ちないように半壊までしか開かなくなったりして、今は窓の開かない電車が増えて、風を感じることは無くなりました。
by 水雷艇 (2013-12-02 14:51)
■■ 水雷艇様:
この鉄橋は架け替えられて幅の広い複線のものとなり、鵠沼駅を出た電車は、複線で橋を渡り終わってから単線となる様になって居ます。桁は鉄だったかコンクリートだったか、覚えていませんが、両脇の桁に視界を妨げられて川岸から橋を渡る電車を撮ると上半分しか見えないのではないでしょうか?
窓が全開する電車はたくさんありましたが、安全を見て段々減っていったようです。東急のデハ5000青蛙は怖いくらいでした。でも、その位広い開口部からの風が無いと暑くいてたまりませんでした。冷房は乗客には必須の装置となって居ますね。
■■♪♪ tchi様:
■■♪♪ はせお様:
■■♪♪ 素人写真様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-12-02 21:53)
こんにちは。
子供の頃、江ノ電沿線にくるだけでずいぶん遠くに来たような感覚になったことを覚えています。今では家だらけですものね。地震がきて大きな津波が来たら、大きな被害が出そうです。
藤沢市のハザード・マップによれば東海道線の海側はほとんど床上か床下浸水になっていました。
と、ちょっとマイナス思考になってしまいましたが、江ノ電はこういう景色がいいですねぇ。オリンパスペンということはハーフですね。この写り、とても素晴らしいです。
ところで、私ごとですが、秋保電鉄の車両にはまっています。
では失礼します。
by おおや (2013-12-02 21:54)
ちょうどこの頃、ジヤリ鉄だったCedarは父に連れられ、初江ノ電に行きました。
地平の藤沢駅を
出ると松林の住宅地を抜けて、お写真の鉄橋へ。
周辺環境や線路や架線は立派になっちゃいましたが、線形は変わってないのが、江ノ電。
by Cedar (2013-12-02 23:39)
■■ おおや様:
たいして距離の差は無いのですが、江ノ電は世田谷線よりも遠くへ来た感じが居たします。
オリンパスペンは5m程度より近い被写体の場合は中々いい絵になります。しかし、風景写真に範疇に入るようなものは苦しいですね。回折ボケと言うのでしょうか、絞るほどボケが出ました、なるたけ、絞り値を小さくした使っておりました。
ハーフ判の銀塩カメラは、デジカメで言えば2.3分の1インチクラスに相当するのでしょうか・・・・なんとなく切れが悪いです。
秋保電鉄・・・・廃止されて何年になるでしょう。バッファの付いた市電風の車体を持った電車でした。たしか、貨車牽引もやってたみたいですね。私は見て居りません。
■■ Cedar様:
江ノ電の線形は変わっていませんね~!そんな江ノ電が好き。往復1,000円程度で行けますので、時々訪問します。昭和30年代に較べて、電車が立派になって、いい事なんですが、何と無く物足りなく思っています。タブレットを交換していた頃の、華奢な木造車を思い出します。
by む〜さん (2013-12-03 00:10)
江の島を出て、鵠沼方向に向かうと、ローカル色が豊かになり、雰囲気が変わりましたね。この時代、500形は斬新なスタイルで注目を集めました。あまり、変わらない江ノ電の風景のなかで境川橋梁付近が最も変わりましたね。
もっとも、昔々、江ノ電は鶴岡八幡宮の参道近くから、出ていましたので、歴史的には鎌倉付近のほうが変化が大きいのかもしれません。
by はーさん (2013-12-03 11:00)
昭和37年頃の江ノ電って、こんな光景だったのですね。
初代500形は、この頃見ることができたのですね。
素晴らしいお写真、ありがとうございました。
by 京阪快急3000 (2013-12-03 16:32)
■■ はーさん様:
この写真の辺りはそろそろ農業はオシマイという感じでしたが、江ノ電沿線では異色でありました。鉄橋も向こう側は、松ノ木が目立つ戸建住宅や、企業の保養所などが多かったですね。
私は江ノ電が横須賀線をくぐって、八幡様の参道まで行っていたのを見て居りませんが、国鉄鎌倉駅に接したところに移動させたのは、いま考えると良かったのかもしれません。
■■ 京阪快急3000様:
昭和37年といいますと、江ノ電の線路は併用軌道でも無いのに(法規上は知りませんが)、人は歩くわ、線路からしか入れない家はあるわで、じつに、アバウトないい時代でした。いまでも、念入りに探しますと、そんな時代の面影を見つけることが出来そうです。
先代の500は二本あって、すこし車体デザインが変わっていました。私はこの写真の501+551が好きでした。
■■♪♪ makimaki様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-12-04 06:28)
鵠沼の鉄橋は今は確か高架橋のような感じの橋になりましたね。小さい頃、運転台の後ろで見ているとこの鉄橋が怖かったのですが、今は立派すぎて江ノ電らしくないなあと思ってしまいます(笑)
ポール集電はやっぱりたまには外れたんでしょうね。
by Ryo (2014-01-18 21:06)
■■ Ryo様:
新しい境川の橋は縁が高く、橋という感じがしませんね。ほとんど複線で行って、橋の終わりごろに単線になります。妙に頑丈に作ったのは、なにか理由があると思うのですが、私みたいな素人には判らないです。
ポールは京阪の京津線みたいに、スライダー式にすれば、結構、スピードを出せたと思うのですが。4両分まとめて一本では、電力容量が小さいし、編成の中ほどにポールがあったりしたら、扱いが大変です。それで、ビューゲル~シングルアームパンタ、または普通のパンタということなんでしょう。
by む〜さん (2014-01-18 21:48)