739:小田急~都電~東京メトロ(下巻) [お出かけ通信701-750]
2013年12月12日・木曜日、ちょっとした用件で、御茶ノ水駅近くまで行って来ました。池袋に近い、都電荒川線・「向原」電停で、撮影した後、地下鉄・丸の内線の電車に乗って、御茶ノ水駅で降りました。もう、夕暮れ時で、かなり暗くなっておりましたが、夕景もまたオツなものではないかと、聖橋の上に立ちました。
16:30・・・・用件先には17:30までに行けばいいので、まだまだ、一時間もあります。地下鉄丸の内線、中央線、総武線の電車、神田川、それに架る総武線の高架と鉄橋の特異な姿を撮ってゆこう・・・・・と、意気込みだけは充分でしたが、ハード、ソフトともに力及ばず敗退・・・・・と言う事になりました。
■■■ お出かけ通信(739) ■■■
■■■ 小田急~都電~東京メトロ(下巻) ■■■
医科歯科大学の脇から聖橋へ上がり、道路を横断します。湯島・聖堂の門は閉まっており、入ることは出来ません。道路から一寸の間、中を覗いただけで、聖橋上へ・・・・・辺りはかなり暗くなってきた。
(1) 16:36 神田川と地下鉄丸の内線鉄橋を撮ってみる。まあ、何とか写りそう。
(2) 地下鉄の電車が来ました。JRの御茶ノ水駅には、中央線、総武線の電車が停車中。
(3) (2)の電車の部分だけ拡大してみる。赤帯の中の白い二重のサインウエーブが、妙に歪んでいる。シャター速度25分の1秒でブレているのを、フォトショップでシャープネスを掛けた所為なのかもしれません。
(4) 地下鉄がトンネルに入って行く。
(5) 八の字橋脚の神田川橋梁、二重のアーチトラスの松住町橋梁。
(6) 中央線のE233電車が東京駅に向かって発車して行く。
(7) 池袋行きの地下鉄電車がトンネルから出てきました。
(8) 総武線の電車が神田川を越えて秋葉原へ。
寒いし、5分ももたずに16:40で切り上げたのですが、用件先は17:30の約束になって居ますので、時間を潰す場所を探す。中央線の線路を左に見ながら、坂を下り、外堀通りに右折、郵便局の前辺りのビルの一階に、コーヒー屋さんを発見、入りました。
(9) 上島珈琲店の店内は温かく、お客さんも適当に入っていて約30分、ゆっくり致しました。ご覧の通り、珈琲は340円でした。
17:20 いい頃合と珈琲店を出て、目的の場所へ行き、色々あって、22時30分頃、帰宅いたしました。電車も色々・・・・小田急~都電~地下鉄と乗ったり見たりすることが出来て、なかなかの収穫でありました。
次回は、何処へ行こうという計画があるわけでなく、突発的に出掛けたりする事になりますので、まあ、お楽しみという事で・・・・・。
こんにちは。
ここの風景は私も大好きです。丸の内線の車両はリニューアルされて車内も桃色にサイン・ウェーブも復活して乗っていて楽しいです。
そういえば、何年か前に行ったきりであることに気が付きました。本屋街にも行っていませんし、何とかしなければと思います。
では、失礼します。
by おおや (2013-12-19 22:02)
小さい時から、図鑑などで見慣れた、東京を代表する鉄道風景ですね。
30年以上も前のことですが、ここからの眺めを初めて実際に見た時の感動をよく覚えています。
by のり (2013-12-20 07:30)
わー!懐かしいです☆
今も行かないエリアではありませんが、40年ちょい前に、駿台に通っていた浪人時代を思い出します。
この辺の光景は、運河を穿った江戸時代の人々や、鉄道を敷き、トンネルを掘った明治大正の人々の艱難辛苦に思いを馳せますよね。驚くような高低差です。
by 水雷艇 (2013-12-20 13:59)
御茶ノ水界隈もJR駅の改築が始まりましたね。
それより驚くのは周辺に林立した高層ビルです。
周囲を圧倒していた松住町の架道橋もビルに埋れそうです。
by Cedar (2013-12-20 18:03)
■■ おおや様:
ダブルルーフの300形が好きだった丸の内線ですが、ステンレスの電車に替わりました。これも、好きなんですが、やはり300形。
間だの古書店といえば神保町で、都営三田線か新宿線。丸の内線は淡路町でちょっと歩かねばなりません。昔は都電だけでしたから、随分変わりました。たまには、歩きに行くのもいいかと思います。
■■ のり様:
図鑑・絵本といえば立体交差が採り上げられますね。お茶の水に、大昔だったら秋葉原でしょうか・・・・。秋葉原は、地下鉄~都電~山手線~総武線~そして飛行機で五階建てだと、観光バスのガイドさんが言っていたのを覚えています。
ここ御茶ノ水は、緑多い、公園みたいな場所で、じつに良い所です。
■■ 水雷艇様:
御茶ノ水の神田川は江戸時代に流路変更で、柳橋から隅田川に出るようになったんですね。大変な土木工事だったと思われます。複々線のJR線路は、危なっかしく急斜面に作られています。
お茶も水といえば、私の中学生時代でしたか、獅子文六の朝日新聞の連載小説、「自由学校」にとりあげられ、橋の下の住人が、有名になっていました。電車から見ても、よく判りませんでしたが。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ makimaki様:
■■♪♪ 素人写真様:
「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2013-12-20 18:08)
■■ Cedar様:
聖橋のたもとに、いまは代々木公園に行った岸体育館が木造で建っていた様な記憶がありますが、定かではありません。そこに、日立の超高層ビルが出来、専用の駅出口が出来ました。ところが、その日立のビルが、跡形も無いのです。あのでっかい物をよく消去したものだと吃驚しました。超高層ビルの林立で、ニコライ堂も、松住町のトラス橋も、湯島聖堂も、明神様も埋もれてゆきそうです。
あの松住町の架道橋と高架は、なんと言う映画か忘れましたが、平べったい町の、家の物干し台から写したシーンがあって、物凄く目立っていました。大都会を象徴するものだったのでしょうね。
by む〜さん (2013-12-20 18:16)
御茶ノ水のこの光景は、自分が子供の頃から鉄道の本で見たことがあります。
30年くらい前の丸ノ内線の電車は、真っ赤な車体にサインカーブの入った車両(300形~800形)でしたね。
当時の国鉄も中央線や総武線は、101系や103系がほとんどで、中央快速線に201系が出揃ってきた頃ですよね。
by 京阪快急3000 (2013-12-22 12:11)
■■ 京阪快急3000様:
ここは中々壮大な眺めですので割りと本に登場しますね。昭和29年だったか28年だったか忘れましたが、御茶ノ水~池袋間に丸の内線が開通し、ダブルルーフの300形が登場しました。真っ赤な車体、白い帯、クロームのサインウエーブ、そして両運で、素晴らしかった。後の、400、500よりも好きだったのですが・・・・。昭和29年頃は中央線はモハ40とか、モハ73の天下で、モハ90/101の登場は何年だったでしょうか。それが201になり、E233になり、随分、変わったものだと今更ながら感心したりしています。
by む〜さん (2013-12-24 00:13)