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744:JR横浜線古淵駅付近の205系電車 [お出かけ通信701-750]

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pen-pc.gif 家の近所を走る「JR横浜線」の永年親しんできた205系電車が、最新の通勤電車E233に替わるとの報道を以前見たのですが、いよいよ第一号が工場を出たの、2月には営業運転が始まるの・・・・なんて報道も入ってきます。このまま、放って置いたら、「気が付いたら何時の間にか全部E233」なんて事になりかねません。

pen-para.gif 2014年・平成26年1月20日・月曜日・・・ふと、古淵駅に近い陸橋上から、205系電車を撮ろうと思い立ちました。
 昔々、1966年の春に、単線・モハ60/・73時代の横浜線を写しに行った事があったのです。そのスタートが、当時は存在しなかった古淵駅に近い「古淵陸橋」でした。いまも、幅も長さ(複線化で)も大きくなりましたが、あの時の場所に存在します。

 其処へ行ってみよう!!!と、云う事で古淵駅に近い駐車場に車を入れて、13:00古淵陸橋にやって来ました。それから、14:00までの約一時間、205系の撮影です。

■■■ お出かけ通信(744) ■■■

■■■ JR横浜線古淵駅付近の205系電車 ■■■

pen-para.gif そういう訳で、時計を逆回し。1966年・昭和41年の春・・・たぶん5月ごろに飛びます。

(1) 古淵陸橋上からの八王子方面の眺めです。線路の両側は林に畑、相模小原の台地の上面で、原町田駅~淵野辺駅の中間辺り左右の林の途切れる辺りに、古淵駅が出来ました。電車は磯子行きのクハ55を先頭に4連で単線をやってきます。左側のハエタタキも、いい感じです。
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(2) その電車が、橋をくぐって東神奈川方面に去って行きます。最後尾はクモハ73現在は、掘割が終わる辺りに橋が架かって居ります。もう、完璧なローカル風景。この先、2.5kmほどの辺りに小田急との立体交差があり、それをくぐると原町田駅です。
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pen-para.gif 時計を現代に戻します。いま、「古淵陸橋」上に立っています。

(3) 205系の8連が東神奈川方面に走り抜けてゆきます。写真(2)と較べてみてください。単線は両側をコンクリートに固められた複線となり、両側の木々は無くなり、住宅がビッシリと建ち並びました。「蝿たたき」は勿論無くなり、先の方には大きく高いビルが建ちました。それから、もうひとつ、掘割の終わる辺りに、陸橋が架っています。もう、こうなったら、私は、果たして同じ場所に立っているんだろうか?と疑問に思ってしまうくらい・・・・・。
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pen-para.gif で、その新しい陸橋に行って見ました。

(4) 「ひのき陸橋」・・・・歩行者・自転車・バイク用の陸橋で、車止めがあり、自動車は通れません。たしか、「昭和五十何年」と書いてあった気がします。立派な橋ですが、両側の標高がかなり違うのでしょう、傾斜をつけた形で架っています。写真(3)でも傾斜はわかりますね。
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(5) 「ひのき陸橋」から古淵駅方面を見る。架っている橋は、古淵陸橋。その向こうに、大きな幅広の橋があって、その向こうが古淵駅です。駅の周りには大きなビルが沢山建ち、さらに戸建住宅に、アパート、マンションで、林に畑なんて騒ぎではありません。
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(6) 望遠で引き付けて見ると、緑色の古淵駅の屋根が見えます。橋の下のほうには、駅に停車中の205のスカートが見えています。
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pen-para.gif 「ひのき陸橋」から東神奈川方面(次駅の町田方面)を見てみましょう。

(7) 電車は、境川の橋梁を渡っているところで、神奈川県相模原市から東京都町田市に入るところです。
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(8) 八王子方面に行く電車が来ました。左側のブルーと茶色のでかいビルは一昨年の夏に竣工の町田市役所。線路の突き当たり辺りには町田駅周辺のビル群が見えますね。
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pen-para.gif 二つの橋を巡って、約一時間、205系電車を写しておりましたが、この辺で切り上げます。

(9) 帰り道、約30分、コメダ珈琲でアメリカンコーヒー@400で一息。
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coffee.gif 205が元気なうち、そして、それに混じるE233・・・・そんな電車たちを、時々写しに来ようと思っています。
 帰宅は16時になりました。やっぱり、立ちっぱなしは疲れます。

icon_hp_senden01.gif 私のホームページの「単線時代の国鉄横浜線・1966年」は、こちらからご覧下さい。クモハ60、クモハ73などの4連が活躍していたローカル線でした。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link157.html

 では、また・・・!!!!


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水雷艇

66年というと僕は14歳です。当時「雪ケ谷大塚」が地元だった僕らにとって、南武線が地の果ての境目で、横浜線は太陽系の外くらいのイメージでした。
東京という都会が、果てしなく拡大、侵食していった感じですね…。
かくいう私も今はブルーラインの沿線に住んでいて、南町田に買い物に行ったり、十日市場の寿司屋に行ったりしていますが☆
by 水雷艇 (2014-01-21 15:23) 

おおや

こんにちは。
最近はお古を使うという考えはなくなってしまったのでしょうか。
209系ですと、設計寿命も短かったはずなので、使えないのかもしれませんけれど。どこもかしこも233系、231系ではちょっとさみしい感じがします。
仕方がないのでしょうね…。
すみません、こぼしてしまいました。
失礼します。
by おおや (2014-01-21 22:18) 

京阪快急3000

1966(昭和41)年頃のJR横浜線って、こんな感じだったのですね。

モハ60や73系に「ハエタタキ」、(自慢ではないですが)自分はかなりの量の鉄道関係の雑誌や本を持っているのですが、やはり「時代の変化」を感じさせますね。

自分ですがここ最近、手持ちの雑誌のバックナンバーを目を通すことにハマっているのですが、その記事の写真や本文に目を通すと、「当時の時代背景」がよく分かるのです。

というわけで、最近はいわゆる「最新号」は、気にはなりますが、家計の関係で、発売してからすぐに買わなくなりましたよ。
by 京阪快急3000 (2014-01-22 06:54) 

Cedar

昭和41年の横浜線、この頃はまだC58の貨物も走ってましたね。205系もいつまで見られるやら。
by Cedar (2014-01-22 07:47) 

のり

定点観測のはずなのに、昔の風景が全くわからなくなっているところって、以外に多いのかもしれません。
ここの昔の光景は長閑ですね。都市近郊の路線から、ツリカケの音が消えて久しいですね。あの轟音が懐かしくなってきました。
by のり (2014-01-22 23:08) 

Ryo

横浜線の新旧対比写真、お待ちしておりました。
(1)(2)の写真の頃の横浜線に乗ってみたいものです。ここの長い長い直線を飛ばしていく吊掛電車、いいですね!単線に蠅たたきも、いいなあ。これこそが横浜線の情景です。
この駅ができる頃は、「新しくてもフルブチ」なんて言って喜んでましたが、できてみたら「コブチ」でした(笑)。最近では古い地名をそのまま駅名にすることが少なくなりましたね。(「八王子みなみ野」なんて・・・あれは私の中では「宇津貫」です)
今の古淵陸橋から八王子方の写真が(6)の遠望なのは、すっかり展望が利かなくなってしまったわけですね。
26年間、205系で良かった、というところです。次のE233も、特に某形式みたいに貧相でもないので、歓迎です。
by Ryo (2014-01-23 00:56) 

水雷艇

個人的には、ひらがなの地名は嫌いです。昔は「むつ」と「コザ」がひらがなカタカナ唯一の市名でしたが、なんで「埼玉市」じゃないのか!?…と、埼玉大出身者としては憤っております。
みなみ野も、なんで南野じゃないのか、以前から謎でしたが…。
やっぱり「武蔵なんとか」「相模なんとか」っていいなぁ…。
駅名からカタカナを廃するのも嫌いです。溝ノ口が、いつのまにか溝口になったり(JRは武蔵溝ノ口です(^^)v)、子供の頃に住んでた雪ヶ谷のケが抜けたりするのは、歴史の冒涜では!?と思ってます。あ、関係ない書き込みでした。スミマセン…。
by 水雷艇 (2014-01-23 16:57) 

む〜さん

■■ 水雷艇様:
 私も最寄り駅が「御嶽山」・「雪ケ谷大塚」・「沼部」・「多摩川園前」でしたから、南武線の小杉辺りまでは、小学生時代のザリガニ採りの縄張りでしたが、横浜線は二十歳になる辺りが初見参でした。その頃、モハ60やモハ73が単線の田舎風景の中をのんびり走っておりました。
 都筑丘陵・・・・中原街道が多摩川を渡って最初にかかる丘陵です・・・・は完全な農村風景でした。いまでは、もう住宅建ち並ぶエリアになりました。侵食という言葉がぴったりですね。
 その横浜線、どんどん車両も新しくなり、いまでは205の8連、しかも6ドア車が入っています。こんどは、E233になるというのです。変われば変わるものですね。
 地名表記の方法はかなり変わり、子供時代から馴染んだ町名地名がなくなってゆきます。おまけに、中央とかXX台、XXが丘見たいに変えられたりします。伝統ある地名は簡単に変えるべきではありません。そう思っています。
■■ おおや様:
 省エネ、エコなんてコトバが幅を利かせて、古い電車をどんどん潰してVVVFとかいう方式に入れ替えています。お話を聞けば確かにその通りなんですが、なんだか勿体無いような・・・・。ホントに計算、合うんでしょうか?
 JRも私鉄もみんな同じ電車になって行きます。特に、関東では顕著ですね。確かに安く上がるのかもしれません。「電車のバス化」は本格化しましたね。
■■ 京阪快急3000様:
 通信系の電柱が一番変わりましたね。先ずケーブル化し、その後は光ケーブルですか・・・・。電力も高圧化しているようです。昔みたいに、線路を跨ぐ門形の鉄柱に3万ボルトの高圧電線なんた図式がなくなりましたね。いかにも私鉄風の景観でしたが。
■■ Cedar様:
 C58・・・・八王子から菊名まで入っておりましたね。国鉄から東急のED3021が引き取って、地平の東急の菊名駅に貨物扱いホームがありました。ED3021は田園調布までワムを2両ほど牽いて走って居たりしました。やがて、原町田~菊名間の貨物は廃止され、原町田で蒸気機関車の汽笛を聞くこともなくなりました。
 205のE233化は26年度中の早い時期に終えるようですね。
■■ のり様:
 小田急にしても、横浜線にしても、昭和30年代末から、どんどん人口が増えて、家並みが丘陵や平地の農地、森林を食いつぶして行きました。考えてみれば私だって、侵略者の立場なんですね。
 10年、20年経ったら、何処が何処やらサッパリ分からなくなって居ます。
■■ Ryo様:
 横浜線は駅間が長かったですね。特に中山~長津田~原町田~淵野辺が長く、しかもずっと登り勾配の連続でした。相原~片倉間も長かったですね。車両も含めて横浜線は昭和40年くらいまでが良かったかなあ。複線化、駅新設で、がらりと変わりました。
 何にもなかった古淵駅周辺にはあっという間にショッピング施設、娯楽施設が出来、畑の森のエリアはあっという間に、建物だらけになりました。たしかに、便利にはなりました。

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ 素人写真様:
■■♪♪ シュウチャン様:
 「nice!」 有難う御座います。
by む〜さん (2014-01-25 21:17) 

K♂chan

うわぁ〜、なつかしいです。
車内の柱や、
匂いを思い出します。
by K♂chan (2014-01-29 09:36) 

む〜さん

■■ K♂chan様:
 ホントに懐かしいですね。木の床に油が引いてありましたが、昔読んだ本に、桐の木の油だと書いてあったような気がしますが、かなり怪しいです。バスの床も木でしたね。転倒したら、ベタベタで・・・・。
 柱もありました。ドアを入ると真ん中に立っていて、天井と床を結んでいました。これが無いと電車が「はしらない」な~んて、今で言うオヤジギャグがありましたっけ。
by む〜さん (2014-01-29 13:19) 

K♂chan

あはは!!
by K♂chan (2014-02-01 10:10) 

む〜さん

■■ K♂chan様:
 ウケましたか・・・・昭和30年代のラジオの演芸番組からの引用です。
 「木」といえば、トラックのフレームに昔は木を使ってましたね。
by む〜さん (2014-02-01 10:22) 

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