小田急5000形のアルバム(2・終) [小田急・江ノ電・箱根登山]
こんばんわ、今夜は急な土砂降りで大変でした。オマケに雷は鳴るわ光るわで、しばらくTVとPCを外界と隔離していました。
ネタ切れ対策の、前回の続き「小田急デハ5000の続き」で、今回は「走行の場面」です。2005年から2010年までの写真で、一応年代順になってますが、場所などはランダムです。
■■■ 小田急5000形のアルバム(2・終) ■■■
(1)2007年7月3日 町田駅の新宿側、踏切隣接の引き上げ線で5551
(2)1972年6月 玉川学園前~新原町田 5000の4連、小田原行各停
(3)2005年9月5日 湘南台駅 急行・片瀬江ノ島行 5564
(4)2005年10月31日 鶴川~玉川学園前 快速急行・藤沢行
(5)2005年12月5日 湘南台駅付近 各停・片瀬江ノ島行 5565
(6)2006年4月3日 鶴川~玉川学園前 急行・藤沢行 5560
(7)2006年6月17日 柿生駅 急行・新宿行
(8)2007年7月23日 町田駅 各停・町田行
(9)2008年2月22日 町田~玉川学園前 急行・新宿行 5258
(10)2008年6月23日 町田駅 急行・片瀬江ノ島行 5258
(11)2009年1月5日 片瀬江ノ島駅 急行・新宿行 5054
(12)2009年1月26日 百合ヶ丘駅 快速急行・新宿行 5060
(13)2009年3月16日 小田原~足柄 各停・新松田行 5165
(14)2009年3月30日 小田急相模原駅 急行・小田原行 5568
(15)2009年8月29日 鶴川駅 各停・本厚木行 5566
(16)2010年4月9日 玉川学園前~鶴川 快速急行・新宿行 5064
(17)2010年4月10日 町田~玉川学園前 急行・藤沢行 5054
(18)2010年5月10日 相模大野駅 左:快速急行・新宿行 5062、右:急行・新宿行 ナンバーは判読不能(5200)
(19)2010年8月9日 百合ヶ丘駅 急行・片瀬江ノ島行 5061
(20)2010年11月1日 玉川学園前~鶴川 急行・新宿行 5064
デハ5000は他形式と比べて、より多くの画像データがありました。その中から、比較的マシな画像を、20枚、選びました。
では、また次回!!!!!
沿線あちこちの5000の姿、さすが沿線在住ならではのバリエーションですね。
柿生の踏切のカットが好きなのと、片瀬江ノ島の様子が激変しているのに、びっくりしています。
by Cedar (2014-07-21 21:09)
大変ご無沙汰しております。
あれだけ沢山あった、この顔も今ではどこに行っても走っている姿を見ることが出来ないのですよね。写真の重要性を感じる一瞬です。
(2)の写真、柵がないですね。のんびりしていたのですね。
では、失礼します。
by おおや (2014-07-21 23:25)
はじめて投稿させていただきます。
小田急5000形は、大和市に引っ越した2006年の頃編成数も多かったので乗る機会が多かったです。2008年から1年ほど
南林間~王子まで電車通勤していた時新宿までお世話になっていた電車でした。2年前まで当たり前のように走っていましたが、今となっては小田急らしい電車が無くなりさびしい感じもします。2年前の3月に海老名でさよなら展示会があり、5000形の登場時の復刻パンフレットを購入しました。
この展示会のとき5063Fが展示されていました。
思い出として写真を撮って帰ってきました。
登場時は、スカートが無いのと、72年頃のお写真では、まだスカート未取り付けのようですね。5200形が登場してからスカートが取付けられたのでしょうか。
一つ分からないことがございます。過去の雑誌写真を見ると非冷房時代の5000形の運転台すぐの戸袋窓がギャラリみたいなようになっていたみたいですが、旧4000形もそんなようになっていましたが、あれはギャラリだったのでしょうか。
変な質問をして申し訳ございません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
by あさま55号 (2014-07-22 02:34)
素晴らしい写真の数々、ありがとうございました。
純正な小田急顔の継承者だったという感じで拝見させていただきました。
一段下降窓の近代的な側面スタイルも素敵ですね。
最近は、鉄道各社の個性が乏しくなっていますので、さみしい限りです。
by のり (2014-07-22 07:06)
■■ Cedar様:
今、見直してみると、如何にも私鉄らしい感じの門型高圧線のある風景が一枚くらいは言ってもよかったと思っています。
小田急の「駅前商店街」は、探せばまだ良いところがあるのですが、写真にするとなると、それなりの技術とセンスが必要で・・・果たせないで居ります。
■■ おおや様:
小田急の5000、出来るだけ見て、乗って、写しておいてよかったと思っています。最近は、好きではない形式の電車も、進んで撮るようにしています。
昔は、線路の柵は、国鉄私鉄を問わず、街中でも、良く見られたものです。その頃は、柵がなくとも子供たちは線路に入ったら、危険だと知っておりました。そんな記憶があります。
大田区内を走る国鉄品鶴線は新幹線工事が始まる前まで、柵なしのところが多く見られました。
■■ あさま55号様:
コメント、有難う御座います。5000が引退して寂しい思いをしましたが、残る普通鋼車8000や、リニューアル予定の1000など、良く見ると、中々良い電車だなあと思うようになりました。
5000はデビュー時にはスカートが無く、のちに取り付けられましたが、詳しいことは分りません。
運転室後部の戸袋窓はギャラリーでした。とは言うものの、あまり涼し思いはしませんでしたが・・・。ご存じのとおり、結局はエアコンによって解決されたのですね。
私は、小田急と京浜急行のファンでありますが、「アバウトにして、テキトーなファン」なのです。詳しいことは、あまり知らないので、明日研究しようと思っているうちに、なんと、76歳になってしまいました。(爆笑)
■■ のり様:
私は、昭和28年だったか、29年だったかのデハ2100という、ノーシルノーヘッダー車が、小田急形のはじめだと思っています。60年も続いてと言うのは、凄い事だと思います。消える事はやっぱり寂しいのですが、残る形式も可愛がってやろうと思っています。
下降窓の5000・・・・通称5200は6連がありまして、後に4連も出来ました。この4+6の10連は、見モノでありました。じつにスマート。
鉄道車両会社も段々減って、片手で数えられそうです。そして、バスの様に、既製品の手直しで、納入されるようになるのでしょう。寂しい事ですね。
■■♪♪ フジトモ様:
■■♪♪ サットン様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-07-24 10:55)
おはようございます。
小田急5000形の件でご教示いただきましてありがとうございます。あの戸袋窓はギャラリだったのですか。旧4000形もついていたみたいですね。
小田急とか京急は、私もテキトーなファンでただ単純に電車が好きなだけです。両社の電車って魅力がありますよね。
暑いのでお身体にお気をつけてください。
by あさま55号 (2014-07-26 08:33)
■■ あさま55号様:
詳細は分りませんがギャラリーだったようですね。ギャラリーは2400、2600、5000など取り付けられていたようです。4000については記憶がありませんがたぶん付いて居たのでしょう。
小田急と京浜急行が好きな私ですが、もう一つ、・・・私を鉄道ファンにしてくれた、育ての母、東急池上線の昔の姿が好きです。他線のお下がりが揃っており、日の当たらないような線でしたが、雪が谷大塚の車庫で遊びつつ育った私ですので、どうしたもファンになってしまいます。
by む〜さん (2014-07-26 08:44)