鹿島参宮鉄道・常陸小川駅 [関東の私鉄と公営鉄道]
前回、巻頭に少々、ボヤキを書いてしまいました。皆様からお励ましのコメントを頂戴いたし、多少はやる気が出たようです。気持ちが楽になり「気軽に義務感なく続ける」という路線で行こうと思うようになりました。
今回は、昔ばなしを致しましょうか・・・・・。昔と言っても、昭和38年と39年ですから、東京オリンピックの頃の事ですね。このとき、二年続けて「鹿島参宮鉄道鉾田線」(常磐線連絡の石岡駅~鉾田駅間:26.9km/のちの関東鉄道~鹿島鉄道→2007年に廃止)を訪れて居ます。
実は、この時の事は、かなり以前、ホームページにもアップしてあるのですが、最近になって、一寸気になる事が出てきました。なんて言ってもたいしたお話ではありません。
ただ、気になって仕方がないので、お教え頂きたいことがあるのです。
今回のブログをご覧くださって、ご存じの事が御座いましたら、是非ともコメント欄にお書き込み下さいますよう、お願い致します。
■■■ 鹿島参宮鉄道鉾田線・常陸小川駅 ■■■
1963年・昭和38年3月、茨城県行方方面に旅した私は、帰りのルートに、鹿島参宮鉄道鉾田線経由を選びました。玉造町駅から乗車し、国鉄常磐線連絡の石岡駅まで。
(1)玉造町駅に石岡雪が入線しました。期待通りの元・東横線鉄キハ1形42201。ここで、交換になりまして、入ってきた鉾田行きの列車が何と同じ形式のキハ42202だったのです。偶然とはいえ、じつにラッキーな事でした。
キハ42201に乗りまして幾つか駅を数えたのですが、側線の多い、交換駅で貨物列車と交換。 これが、「常陸小川駅」。
(2)石岡行のホームから鉾田方面を見て居ます。気動車はもちろんキハ42201。
(3)貨物列車は、なんと!蒸気機関車牽引でした。
(4)機関車部分を拡大してみましたら、おお!重連ではないか!
・・・・・以上が昭和38年の「常陸小川駅」の写真です。
場面は変わって、その翌年は東京オリンピック。その1964年・昭和39年10月、こんどは、学生時代からのお付き合い、部活の鉄道仲間と一緒に訪問、石岡駅~鉾田駅間を往復。
その復路でのお話です。
(5)気動車の先頭からカメラを構えて、「常陸小川駅」に進入する場面を先ず一枚。
(6)構内の車両たちを全部入れてトリミングしてみます。
(7)さらに拡大します。交換相手の気動車は国鉄タイプ。
(8)フィルムの駒が変わって・・・・気動車はキハ41301。
この「二組の写真」を眺めて居ましたら、「片方は常陸小川駅では、ないのではないか!?」と言う疑問が湧き上がって来たのです。
たった一年で、こうも変わってしまうものだろうか?
配線、カーブの具合、踏切、線路をまたぐ門型のクレーン(というか、チェーンブロックの架台というか)・・・・等々、この二つが違う駅に見えてきたのです。
お気づきと言うか、この駅について、ご存じの事が御座いましたら、是非とも、コメント欄にご記入いただきたく、よろしくお願い致します。
久々の昔話ですね。
(2)のお写真で元東急のキハの上窓は固定のように見えるのが発見でした。主題と関係なくて申し訳ありません。
by Cedar (2014-08-13 23:21)
■■ Cedar様:
Windows-XPが使えなくなって、Windows8.1のパソコンを入れたはいいのですが、お蔭で、スキャナも、ホームページ製作ソフトも使えなくなりました。もう、とほほ・・・・と言うしかないという状態です。もっとも、スキャナが使えても、肝心のフィルムがビネガーシンドロームとかで、アウトです。もう、泣くしかありません。いままで、スキャンしたデータを大事に使っています。そんな訳で、久々の昔ばなしです。
東横電鉄のキハ1形は昭和11年だそうですから、戦前の電車が殆どそうだったように、上半分は固定だったと思います。・・・・と言うか、そのあたりの知識がありません。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ サットン様:
■■♪♪ makimaki様:
■■♪♪ フジトモ様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-08-14 00:22)
いつもお世話になっております。
鹿島鉄道の50年前を見させていただき、こんな光景だったのかと驚いております。
廃線になって間もない頃に玉造へ仕事で行くことがありました。
現場が玉造駅の近くだったのですが、石岡駅からレンタカー借りて現地に行きました。そのころはまだレールもあったりいていましたが。過疎化とマイカー使用による通勤が主体となってしまい、鹿島鉄道は廃線となってしまったと聞きました。
50年前の光景では、人が多く列車を待っていた感じですね。
ちょっと不便なところと言うのは、人が離れてしまう今の日本の
問題でもありますが。過疎化というのは恐ろしさもあるように思います。先々週は、龍ヶ崎に仕事に行っていましたが、龍ヶ崎の駅の付近の商店街もシャッター通りと化していました。
街道沿いに大きなショッピングセンターが出来て、車で買い物というスタイルに変わってしまったことも要因です。
地方は、鉄道から車で移動と言うのが当たり前となりましたが、
高齢化で核々家族になってしまうと、車を運転できなくなり、移動手段がなくなった時、鉄道やバスの需要があればいいのですが、これから抱える問題となってくるように思います。
茨城や栃木、群馬あたりは、小川や玉造のような感じの町が多くなってきているようです。
昨年4月から5月にかけて、別件の仕事で玉造に行っておりました。この時は、石岡に泊まり現場へ通っていました。
変わっていたのは、鹿島鉄道の廃線跡をバス専用道路としてバスが運行されていました。本数も1時間に1~2本程度のようです。行っていた頃の時期は、メロンの収穫時期だったらしく、アンデスメロンとか箱単位で安く買えました。鉾田はメロンの生産量日本一という看板が道端にありました。のどかな田園風景な場所であるのは、昔も今も変わらないかもしれませんが。
元東横線のキハはこの頃もガソリンカーだったのでしょうか。
長文で申し訳ございません。
by あさま55号 (2014-08-14 10:08)
■■ あさま55号様:
航空自衛隊百里基地の燃料輸送をやっていたころは、貨物列車も賑やかだったことでしょう。燃料輸送がなくなり、一般貨物は自動車、そして肝心の、もともと多くはなかった乗客は高校生以外はみんな自家用車になってしまいました。これでは、私鉄事業が継続できるはずがありません。惜しくも廃止。残念ですが、仕方がないのでしょう。
私の鹿島鉄道訪問は2005年3月が最後になり、もう一度!なんて思っているうちに廃止となりました。チープなデジカメで撮った画像が最後の画像になりました。
鉾田のメロンは有名ですね。鉾田の街は何回か行った事があります。
元・東横電鉄のキハ1は、何時の頃かわかりませんが、ディーゼル機関に載せ替えられたようです。私が乗ったとき、たぶんエンジン部なのでしょう、床が盛り上がって居たような記憶もありますが、定かではありません。
by む〜さん (2014-08-15 18:21)
鹿島鉄道は、晩年も雰囲気はあまり変わりませんでしたね。
1963年のお写真も、鉾田方面の本線が勾配になっていないので玉造町ではないですね。線路沿いの樹木からも常陸小川だと思いますけど...晩年の鹿島鉄道時代しか知らないので推測です(汗)
私も、XPから8.1に乗り換えて使い勝手の変わりぶりに未だに慣れず使いこなせておりません。
PS:横浜線の205系もあと1週間ほどで引退ですね。
by 利きゅう (2014-08-15 22:36)
■■ 利きゅう様:
このブログを書く前までは、常陸小川駅と思って居り、ホームページにもそのように書いているのですが、線路周辺の小物が、どうも違うのではないかと思ったのです。やはり、常陸小川駅であればよろしいのですが。
Windows8.1には如何にか慣れてきたのですが、如何考えても、メーカーさんの都合で、大金を使わねばならないと言う事は、納得できませんね(笑)。
横浜線のE233化はほぼ完成したようですね。205は何本残っているのだろうか?先日も写しに行ったのですが、205のダイヤを知って居る訳もなく、15分ほどで、諦めて帰って来ました。(爆笑)205も長い間、頑張ってくれました。現在でも乗っていて違和感を感じることもなく、ただ、未だ使えるのに勿体ないなあと思うのでした。
by む〜さん (2014-08-15 23:19)
同じ駅だと思います。それよりも廃線直前と変わってませんね...
by お名前(必須) (2017-01-21 23:27)
■■ 2017-01-21の投稿された方へ:
やっぱり、両方とも常陸小川駅ですか・・・。有難う御座います。鉾田線は車両、沿線風景、駅施設ともに、素晴らしい非電化私鉄でした。
by む〜さん (2017-01-23 00:12)