雑談:駅の売店とか・・・ほんの少し [雑談(2)]
先般、昭和30年代の駅弁屋さんの写真を少々アップしたのですが、今日は、キオスクなんて呼ばなかった頃、鉄道弘済会売店と私は呼んでましたが、そんな写真がちょっぴりありましたので、他の写真とともにアップいたします。
■■■ 雑談:駅の売店とか・・・ほんの少し ■■■
先ずは売店・・・・・
(1)昭和35年1月・・・・発売されたばかり、買ったばかりのオリンパスペンを持って大学生最後の1月、東京駅まで出掛けました。14番・15番ホームの売店です。新聞雑誌、お菓子にパン、お土産に・・・・・等々、これはもう百貨店。いまならコンビニって言うんでしょうが、当時はコンビニエンスストアは無かったんで、デパート!!
(2)(1)の売店をアングルをちょっと変えて撮って居ます。旅する女性の着物姿が珍しくなかった時代です。
(3)昭和35年1月:名古屋行の普通列車。客車列車も沢山ありました。でっかいカートに山の様に商品を積んで「窓の開く電車客車」に売りに来てくれます。
(4)写真が少ないので、同じく昭和35年1月の東京駅の赤帽さんの活躍する姿です。私は、異人さんはみんな大金持ちと思っていた様です。
(5)これは、昭和35年3月の静岡駅。茶壺最中なんて如何にも静岡。
(6)昭和35年3月の静岡駅。お土産重点のカートの様です。丸いのは山葵漬けでしょうね。カートのサイドのマークは「鉄道弘済会」のものです。
写真がほんのちょっぴりしかありませんので、ホームの洗面所の写真でも如何でしょうか?
洗面所は乗客が顔を洗ったり、歯を磨いたりする施設で、大きな駅にはたいていありましたし、蛇口の数も半端ではありませんでした。夜行列車が朝、長時間停車すると大繁盛になりました・・・・と、いっても昭和30年代のが見当たりませんので、昭和55年7月の撮影。
(7) 東海道本線・熱海駅の洗面所。
(8)これは、たぶん、岐阜駅だと思うんですが、如何でしょう。
顔を洗い、歯を磨き、体操をしたりしている乗客が沢山写って居る写真があったら良いのですが、無いのですよ。残念無念。
ちょっと、貧しい写真展になりましたが、ご容赦ください。
では、また次回、何かご覧に入れましょう。
朝陽を浴びる夜行列車で目が覚めて駅で洗顔、庶民の長旅の一コマが懐かしいですね。当たり前だったことこそ本当に懐かしく、そして撮られた写真が少ないのです。私は父のオリンパスペンを使う身分でしたが、オリンパスペンがそんな記録を残すために生まれてきたということに気づいたのは、デジカメがではじめた頃ですね・・・
ちなみに私が始めてカメラのシャッターを押したのは、大井町線が単線となって二子玉川を渡っていた頃、橋の橋脚をバックに両親です。当時としては珍しくカラーでした。
by HHP8 (2014-12-12 00:22)
こんな販売員さん方の画像を見ますと、今のキオスクって本当に進化したのかな?…なんて思ってしまいます。
洗面所は、神戸駅の大阪・東京方面行きホームに、長距離列車の拠点らしい比較的規模の大きな洗面所がありました。その昔、トイレに行きたくって「洗面所」という表示に従って近づいてみると本当に『洗面所』だった…、なんて笑い話にもならない経験をしたことがあります。
鉄道が「長距離移動手段」としての主役だった頃の遺産ですね。あの神戸駅の洗面所、今でもあるのでしょうか…。
by のり (2014-12-12 06:55)
■■ HHP8様:
東京を夜出る九州方面行きの列車、京阪神が朝になりました。大阪駅でホームで皆さん顔を洗う風景が懐かしいです。
オリンパスペンは、一時期、私の唯一のカメラだったので、風景を含む鉄道写真が、切れの悪いものになっています。反面、ランニングコストが半額というのは「小ネタのメモどり」には絶対の強みを発揮してくれました。F3.5の安いバージョンだったので、シャッターも200分の1で、走りものには弱かったです。
一回目のコメントと、最後の一文は、削除しておきました。
■■ のり様:
商店街へ買い物に行くか、通販で届けてもらうかの差みたいですね。関西の事情は分かりませんが、東京では、キオスクの廃止・休業が目立っています。また、短時間営業なんてのもあります。
まだ、探せば「大型の洗面所」が残っていると思われます。蛇口の沢山ある、鏡の並んだ洗面所。記録しておいてほしいですね。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ サットン様:
■■♪♪ hajime様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-12-12 21:05)
ダブルルーフのスハフ32がアメリカのヘビーウエイト客車みたいですごいですね。この時代まで走っていたんですね。
by hideta-o (2014-12-12 23:05)
■■ hideta-o様:
ダブルルーフの客車は昭和30年代くらいまでは普通に走って居りました。横浜市電にも4輪単車でダブルルーフなんて400形なんて言うのがかなりの両数居ました。京王の2150もダブルでしたし、ほかにもゾロゾロいたのです。そういえば、電車も吊り掛けが多数派でしたね。カルダンの電車が来ると、今の逆で「万歳!」でした。
by む〜さん (2014-12-12 23:26)
今はキオスクを少し大きくしたようなコンビニが改札内で幅を利かせていますね。
京急の駅構内の売店はほとんどがセブンイレブンになっています。
ホームの洗面所・・・私も実際に見た記憶はありませんがトワイライトエクスプレスに続き、先ごろ北斗星の廃止が発表され、夜行列車はほぼ絶滅・・・ちょうどタイムリーな話題ですね。
by 利きゅう (2014-12-13 00:26)
熱海駅の伊東線、昭和55年でも非冷房だったのですね。
by G20 (2014-12-13 08:39)
東京駅にワゴン方式の売店を見た記憶もないですが、東北・上越新幹線開業前の上野駅で見かけましていました。夏になるとそのワゴンでも冷凍みかんを売っていたりしていました。ゆで卵とか、パンダの絵が入った包装のドーナツなんかもあった記憶があります。鉄道弘済会の売店がKioskとなったのは確か昭和47、8年の頃でしょうか。その頃南の島に居そうな鳥の絵が入った袋を貰った記憶もあるのです。
利きゅう様が仰られるように京急の売店はセブンイレブンになったり、東急でも中央林間はローソンになっていたりで、時代の流れなのでしょうね。JRの売店もレジ式になっていましたが、昔は売り子さんが暗算でいくらという売り方でした。
伊東線のスカ色を見て思い出しましたが、昔のハトヤCMにトンネルからで電車はスカ色だったと思います。いろいろ調べるとスカ線の電車にロザを1両含めた7両編成で運用していたようですね。写真のスカ色は多分113系1000番台初期車のように見えますが。
東京駅から名古屋行きの普通というのがあった時代の写真もありますが、沼津止まりも夕方しかありません。
浜松、島田、静岡行があった時代が遠い過去のものとなりました。分割民営化されてから変わりました。
by あさま55号 (2014-12-13 23:00)
大変ご無沙汰しております。
こんにちは。
私が、高校、大学時代に普通列車で出かけていた時にも、大きな駅では蛇口がたくさんついている手洗い所を見ているのですが、それも30年くらい前ですので、今はどのようになっているのでしょう。
東京口からの旧型客車列車はいつごろまであったかご存知でしょうか。
いつもつまらない質問ですみません。
では、失礼します。
by おおや (2014-12-14 22:07)
確かに、昔は物販の現場は「おじさん」が普通でしたね。駅弁とか重そうだし。
あったあった!駅に洗面所みたいな場所が。今や水飲み場すら無いのは寂しい気もしますが、まあ衛生上は仕方ないのでしょう。
by 水雷艇 (2014-12-16 17:02)
■■ 利きゅう様:
京浜急行さん、たしかにセブンイレブンになってますね。
本格的な洗面所、鉄道遺産として保存するようなのは残っているのでしょうか?
■■ G20様:
言われて気が付く非冷房。いまでは、エアコン付が普通になりました。酷暑の夏、やっと間に合った電車に乗った時の、ひんやり快感が思い出されます。
■■ あさま55号様:
東海道の普通列車が客車だった時代、懐かしいです。学校へ往復、品川~新橋間、客車のデッキで涼風を浴びながら流れる風景を眺めました。湘南電車になっても静岡浜松行はありましたね。いまでは、熱海から丹那トンネルへ行くのはJR東海に乗り換えが必要になってしまいましたね。
伊東線には昭和35年ごろ、クロ49が居ましたね。一度乗ってみたいなと思ったものです。
■■ おおや様:
お久しぶりです。駅の洗面所は子供時代から学生時代まで懐かしい思い出に残っています。みんな、歯を磨いたり、顔を洗ったり、体操したりして、眠気を吹き飛ばし、これからの長い旅に備えたものです。その後は駅弁で朝食。
■■ 水雷艇様:
小田急はまだ、整備された水飲み場がホームにありますが、他の鉄道はどうなのでしょう。ホームの自販機の売り上げにつながるので、やめちゃったところもありそうです。
駅弁の販売はオジサンでしたね。重いし、お金と弁当のやり取りで名人芸も見られたやに聞いています。
■■♪♪ ファジー様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-12-20 11:03)
岐阜駅ではありませんが、函館駅のホームではずいぶんお世話になりました。
by 素人写真 (2014-12-20 13:41)
■■ 素人写真様:
学生時代は洗面所だけでなく、トイレの水道や、駅の掃除用蛇口の水で体を洗ったり、選択したりして旅をつづけたものです。懐かしいな。学生時代に西日本ばかり行って、東北や北海道にゆかなかったのは少々惜しかったですね。
by む〜さん (2014-12-20 16:44)
素晴らしいカメラアイですね!
ラルティーグやブレッソンにも通じます、やはり対象に向ける愛と興味がポイントなのでしょうか。
by Cedar (2014-12-21 09:17)
むーさん皆様こんにちは。以前何回か投稿したことのあるものです。
いつも貴重な写真を見せていただいてありがとうございます。
鉄道弘済会は傷病で勤務困難になった国鉄職員や殉職した職員の家族の働き口を確保する組織だったので、売店のおじさんはおそらく職務中に公傷を負ったか病気をした方なのではないか、と思います。
また、洗面所は蒸気機関車時代は顔のススを停車時間に洗い流すのに必須だったかと思われます。昭和27年の映画で越路吹雪と池部良が電気機関車に変わる沼津あたりでススで真っ黒になった顔を井戸水で洗うシーンがありました。
また売店に山積みになっている分厚い雑誌類を見ると昭和35年時点ではすでに国内の物資不足は完全に解消されていたものと考えて良いのでしょうか。当時のアサヒカメラという雑誌は紙の質も印刷も良く今でも十分見るに耐えますね。
これからもよろしくお願いいたします。
by すもると (2015-01-05 11:49)
■■ Cedar様:
持ち上げられると直ぐに本気にして舞い上がってしまう私、こまったヤツですね。出来はともかく、77歳も近い私、好奇心だけは今でも旺盛でして・・・・今後も、頑張って行こうと思う日々です。よろしくお願い致します。
■■ すもると様:
鉄道弘済会のスタートはそのような目的だったようですね。大規模な組織となり、麹町に大きなビルがありました。東急弘潤会なんてのもあり、同じような目的だったようです。たぶん、私鉄各社にもあるのかもしれません。
洗面所・・・・そうですね、あの蒸気機関車の煤って奴は困ったもので、車両の表面にくっ付いて、電化区間に入っても、シャツが黒くなったりしました。
昭和35年は私が社会人となり、国鉄私鉄で会社通いを始めた年なんですが、給料をもっとくれれば、買えないモノは無いと思えましたね。
世間にモノが行き渡るようになったのは、私が高校時代でしたから、昭和30年頃だった気がします。ただ、オカネはそれに見合うほどはありませんでした(笑)。
今後も、当ブログをご覧くださり、コメントをお寄せ下さいますよう、お願い致します。
by む〜さん (2015-01-05 18:51)
お出かけ通信 執筆者さま
突然のご連絡失礼いたします。
私、書籍の編集製作をしております、ロム・インターナショナルの菅沼と申します。
現在、弊社にて懐かしの鉄道風景を紹介する一般書籍を制作しております。1970年代~80年代にかけての、現在の日本では見られないような鉄道風景(駅舎、車両など)を多数掲載する本です。
その本の中で、記事にあわせてご所蔵のお写真を掲載させていただきたく、ご連絡差し上げた次第です。
つきましては、まずは掲載に対して可・不可か、
お手数おかけして大変恐縮でございますが、下記メールアドレスへご連絡いただけませんでしょうか。
掲載にあたりましては、御ブログ名(または御氏名やURLなど)をクレジット表記させていただこうと考えております。
また、使用料が必要な場合は、金額等教えて頂けると幸いです。
お忙しいところ不躾なお願いを申し上げて大変恐縮でございますが、
何卒お取り計らいのほど、よろしくお願い申し上げます。
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by ロム・インターナショナル 菅沼 (2017-03-13 18:48)
■ ロム・インターナショナルさま
ご指定のメールアドレスへメールを差し上げましたので、よろしくお願い申し上げます。お役に立てますことを嬉しく思って居ります。
by む〜さん (2017-03-30 18:41)