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のどかな時代(2):静岡鉄道秋葉線・昭和35年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 「のどかな時代」シリーズの第二回は静岡鉄道秋葉線に致しました。実際のところ私はこの線には乗ったことが無いのです。大好きな静岡鉄道駿遠線を訪問した時に一寸、覗いたっきりなのですが、二者択一となると如何しても駿遠線見学と言う事になって仕舞うのでした。
 1960年・昭和35年3月に訪問した時の写真を一寸ですが並べてみましょう。

■■■ のどかな時代(2) ■■■

■■■ 静岡鉄道秋葉線・昭和35年 ■■■

pen-para.gif 昭和35年3月、国鉄東海道本線の袋井駅で下車するのは二度目でした。「静岡鉄道駿遠線」見学前に、ちょっと見ておこうと、袋井駅の改札を通りました。駅前に出ると、広場の向こうに、可愛い秋葉線の「新袋井」の駅舎が見えて居りました。
 秋葉線は、ここ新袋井から遠州森町までの12.1kmを結ぶ軌道なのです。全線単線。

(1)静岡鉄道秋葉線・新袋井駅です。駅舎の向こうにはブルーと黄色に塗り分けた電車が停まって居りました。
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(2)新袋井駅にはホームは無く、小さな踏み台みたいな、階段みたいなのがあるっきりでした。電車はモハ8です。50年以上も経つと事情は完璧に忘れていますが、(1)の車両とは違うようです。
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(3)「銀座通・一丁目」の通りから新袋井駅を見て居ます。左の商店の向こうにドーンと聳えるのは、駿河銀行(現・スルガ銀行)。モハ8が発車したようです
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(4)目の前を二軸ボギーのモハ8が吊り掛け音を響かせて通り過ぎて行きます。
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(5)銀座通・一丁目の商店街です。パチンコ三楽、豊田金物店、薬局、めがね、菓子舗、戸塚ミシン商会、スワン洋裁店、豆腐・早川商店・・・・・・絵にかいたような昭和中期の商店街でした。現在、ストリートビューで見てみても、この場所を見つける事は出来ませんでした。どうやら、道路の拡幅など、根底から街の格好が変わってしまったようです。
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(6)連結器はバッファーとリンクの古典的なもので、日本国内で、この目で見る事が出来るなんて、夢を見て居るのではないかと思いましたね。モハ8のものではありませんが、クロースアップで写して来ました。
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(7)四輪単車のモハ2が新袋井駅に停まっています。電車のアタマと重なって、駿河銀行の古典的な社屋がちょっぴり見えて居りますが、現在、一寸離れた場所に、銀行は移動、旧社屋も復元されているようです。
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pen-pc.gif 昭和35年の国鉄東海道本線・袋井駅前の「路面電車の走る街」の姿を一寸だけご覧頂きました。

pen-para.gif 私のホームページにこの時のことを、もう少し大きめの写真と、他の写真とともに書いて居ますので、お時間が御座いましたら、ご覧頂きたく存じます。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link17.html

coffee.gif では、また次回!!!!!


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コメント 7

のり

いい風景ですね。
愛らしいYゲルがなんとも言えません。バッファ・リンク式の連結器がものすごいアクセントになっていますね。
この写真、数あるむーさん様のお写真の中でも、とても好きなものです。

日本が一番元気だった頃ではないでしょうか。
「夢」という「なにか」を追い求めて、皆必死だった頃です。
できるなら私も、この時代に生きたかった…なんて思ったりしています。
by のり (2014-12-26 06:56) 

Cedar

秋葉線のお写真、拝見するたびに発見があります。最近は町並みや人の表情に惹かれます。
今年も1年間楽しませていただきありがとうございました。

by Cedar (2014-12-26 12:58) 

伊豆之国

静鉄「秋葉線」という路面電車があったことは、少年時代に鉄道雑誌を見て知った記憶がありますが、その現役時代の写真は、今回の記事にリンクされている「静鉄電車館」にある記事を数年前に見つけたことで知ることができたのでした。秋葉線は、「火伏せの神様」として名高い「秋葉神社」の総本家を目指したのでしょうが、実際の終点・遠州森町はそのはるか手前で、その先は結構な山道になるので、果たして本気でそこまで通す気があったのかとも思うのですが…。森の石松の墓には、18年前に見に行ったことがありますが、石松の墓は「ギャンブルにご利益あり」ということで削って持ち帰る人が後を絶たず、初代は原形をとどめぬほどにぼろぼろになり、2代目は盗難に遭ったとかで、今あるのは3代目とのことらしいのですが、私か見に行ったときには既に削られた跡があちこちに見えました。そのときの道中では、タクシーを飛ばし、秋葉線の沿線にも近い「遠州三山」を回ってお参りしてきて、その晩は浜名湖畔の舘山寺温泉に一泊、翌日は、これは以前にも書き込んだかもしれませんが、今度は奥山線の沿線にある寺社や史跡を見てきたのでした。

秋葉神社を祭ったことからその名がついた「秋葉原」には、4年ほど前のTV番組で、「新秋葉電鉄」という「鉄系」居酒屋が紹介されていたのですが、そこには「本家・秋葉電車」の模型はあるのでしょうか? …その「本家・秋葉電車」の写真、かの「AKB」のメンバーに見せたら果たして如何に反応するのでしょうか?
by 伊豆之国 (2014-12-27 10:33) 

あさま55号

いつも素晴らしい写真を拝見させていただきましてありがとうございます。
私が生まれる6年以上の前の写真ですが、日本の光景はこういうものだったのかと感じております。
昭和の中頃は、どことなく昭和20年代の風情が残っていたように思います。
マツダオート三輪が写っておりますね。
旧式の連結器とバッファーが付いた車両も走っていたとは知りませんでした。車両も木造だったりで。
京急もアンチクライマーも無くなりつつなってきました。
安全装置が表面に出なくなりつつある時代となりました。
考えてみれば、自動車のバンパーもそんな時代になっております。
伊豆之国様が仰られておりますが、森の石松の墓石の話しは、知りませんでした。私もあやかりに行ってみようかと思いました。




by あさま55号 (2014-12-28 19:28) 

む〜さん

■■ のり様:
 昭和35年・・・日本は元気でした。誰でも努力すれば報われる感じがしました。新幹線はなく、飛行機は一部の人の利用だったし、宅配便なんてなかったし、世の中に人々は「歩いて」いました。そして皆さん少しずつ行動が早くなり、現在はみんな全力疾走!息も切れます。もう少しゆっくり仕事をし、一日を楽しみたいものですが、そうもできないのが日本人の「性」なんでしょうね。
■■ Cedar様:
 何となく撮った電車汽車の傍や向こう側に、気が付かなかった「面白いもの」が写っているものですね。一時、ブログで多用した「部分伸ばし」をまた使おうかと思っています。
■■ 伊豆之国様:
 森にある石松の墓は一度は訪れてみたいと思いますね。ギャンブルはしませんが、幼い日に浪曲でずいぶん楽しみました。虎造さんによれば、川の流れも清い、お茶の産地だそうで。墓石を削るのは、両国の回向院でしたっけ?鼠小僧次郎吉の墓も同様らしいですね。
 じつは、秋葉山、可睡斎など、全然知らないのです。最近、あの頃行ってみるとよかったと思っています。「鉄道を見ても、その鉄道の目的地を見ていない私」、偏りすぎてました。今頃反省しています。なにしろ、駅前の風景しか知らないのです。
 「秋葉が原」は国鉄の駅命名で「あきはばら」になりましたが、「あきば」がよみがえったのは「AKBのお蔭」かもしれませんね。
■■ あさま55号様:
 昭和中期まではオート三輪が大活躍していましたね。棒ハンドルの三輪車の「補助席」に乗ってみたかった私です。三輪車は「マツダ」のほか「くろがね」、「みずしま」、「ダイハツ」なんてブランドがありましたね。
 バッファの連結器は、仙台の秋保電鉄や、九州の何処かの炭鉱の機関車にくっ付いてた記憶があります。
 この秋葉線の電車はもっと探求すべきでしたが、現地到着に時間がかかり、中小企業の安サラリーマンだった私、どうしても日曜日帰りになって現地時間が少なく、「静岡鉄道駿遠線重点」になっていました。
 京浜急行のシンブル的存在だったアンチクライマは現在は800形、1500形、2000形に残るのみでしょうか・・・・。先頭電動車の伝統は続いているようですが。
 遠州森は浪曲で中学時代、ラジオでおなじみでした。「流れも清き太田川、娘やりたやお茶摘みに」でしたっけ?
 森町駅での電動車とトレーラーの入れ替えは、機回り線がないY型配線なので、駅入り口の勾配を利用して、ハンプ(坂阜)作業みたいに、重力利用でやっていたと、森町を知る友人から聞きました。

■■♪♪ makimaki様:
■■♪♪ hideta-o様:
■■♪♪ フジトモ様:
■■♪♪ 素人写真様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2014-12-29 07:12) 

伊豆之国

今回の連休、4日の夜に浜松祭りの夜の屋台引き回し見物のあと、翌日に袋井で降り、近年になって目や足を傷めたことが続いたこともあったことから、まずタクシーで、遠州三山の一つで「目」と「足」の健康にご利益があるという「油山寺」に約20年ぶりにお参り。帰りに袋井駅に戻って少し駅前をぶらぶらしましたが、ここの写真に出ている店の中で、どうやら建て替えられても今も健在だったのは、東よりに移築されて保存されている駿河銀行のほかは、5番の写真にある薬局ぐらい。あと、駅から見て左側(西側)に「時計・めがね・宝石」の店があって、写真に出ている「めがね」の店が移転したのかも知れないのと、交差点の先にも呉服屋さんなどがあって、こちらも「秋葉線」があった頃から営業していたように思えるのですが。帰ってから地図で見比べてみると、「畳屋」(写真から見て、本当の畳屋さんではなく「畳屋」と言う屋号の旅館らしい)ビル(写真のとは別の薬屋さんが入っていました)と「豊田」ビルがあり、廃業してからもビルの名前にに受け継がれているようです。飲み屋の類は何軒もありましたが、ほとんどビル内にある全国チェーンの店ばかりになっていました。
袋井駅は橋上駅に建て替えられ、北口は「秋葉口」、南口は「駿遠口」と言う愛称がつけれられていました。「秋葉線」の面影は駅前通の拡張と駅前広場の整理で全く消え、「駿遠線」の駅の跡はバスターミナルになって、その一角に駅名板を模したモニュメントがあるくらいでしたが、どちらももう何十年の昔に消えた鉄路の名が生きている(蘇っている)ことに、地元の「鉄」の愛着は今でも心の中に強く残っているのでしょうか。
…蛇足ですか、「秋葉口」の名を見て、思わず「オジサン」でも知っている「AKB」のヒットナンバーが脳内をぐるぐる駆け回ったのには、自分でも笑っちゃいました…。

今回の道中では、袋井駅を後にして、次は掛川で降りて掛川城へ。こちらも20年ぶりでしたが、再建されてからまだ間もなかった当時と比べ、既に立派な「風格」がついてきたように見えました。それから藤枝で開かれている「軽便」と「元祖・こだま号」の写真と模型の展示会を目指したのですが、「金谷~菊川間で架線トラブルがありしばらくストップ」のアナウンスが…。しばらく粘ったのですが、いつ動くのかはっきりした情報がないまま、ついに痺れを切らし、動いている新幹線に飛び乗って静岡駅へ。ようやく運転再開しているとの表示があり、藤枝駅まで何とかたどり着き、展示会場の博物館までタクシーを飛ばし、閉館の30数分前に目的地にやっと到着。駿遠線の懐かしい映像や、展示されている模型を見ることができましたが、時間の余裕がなくて駆け足でした…。藤枝駅も橋上駅になっていて、「軽便」の面影はやはり全くありませんでした。
by 伊豆之国 (2018-05-06 13:40) 

む〜さん

■■ 伊豆之国様:
 袋井駅前の現況と昭和35年当時との比較、変化についてお知らせ下さって有難う御座います。駿河銀行のビルが移転されているのは知って居ましたが、その他については行って居ない事もあって全く知りませんでした。お教え下さって本当に有難う御座います。
 藤枝市郷土博物館になんとか間に合ってよかったですね。蓮花寺池の風景が思い浮かびます。そして、駿遠線の新藤枝駅や大手駅、工場の風景が思い浮かぶのでした。
 有難う御座いました。
by む〜さん (2018-05-07 21:11) 

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