のどかな時代(6):川崎市電 [むかし噺(2)]
先月、2月は三回しか更新できず残念な思いをしました。この先、お出かけの予定が立たずに居ります故、昔のお話なんかでお茶を濁そうと・・・・・。
そんなわけで、今回は「のどかな時代」シリーズの第6回として、「川崎市電」を採り上げました。
川崎市電の活躍した期間は、昭和19年(1944年)開業、昭和44年(1969年)廃止という25年の短い期間でありました。
■■■ のどかな時代(6) ■■■
■■■ 昭和34~5年ごろの川崎市電 ■■■
川崎市の市電は下の6コマの写真を撮影したころ・・・昭和34年8月・・・は、京浜急行の京浜川崎駅に近い「市電川崎」から 京浜急行・大師線の終点・「塩浜」までの7kmほどの区間を運行しておりました。京浜急行大師線とループになって居りました。
その後、東京オリンピックの年、昭和39年に川崎駅前~池上新田の5km弱に短縮され、昭和44年(1969年)3月に廃止されてしまいました。
(1)200形207・・・元・東京都電1500形・・・・ダブルルーフ・木造の古典車です。
(2)300形302・・・元・東京都電(王子電車)の154
(3)600形607
(4)700形702
このころは、上記のほか500形というのが2両、居た筈なんですが写して居りません。
それから1年後の昭和35年4月、オリンパスペンにフジのリバーサルカラーフィルムを入れて、ぶらりと出かけて行った時の二駒です。大事に大事に写したようで、川崎市電はこの二駒だけしかありません。
(5)300形302
(6)600形602・・・このころ、「お色なおし」があったらしく、「新色」のようです。
川崎市電は3~4回ほど、撮影に行ったことがあります。その割に写真の点数は少なく、ここに掲げた6枚くらいしか無いのです。
この記事を書くにあたってNEKO PUBLISHING刊 RMライブラリ No43「川崎市電」(関田克孝・宮田道一)を参考にいたしました。
では、また次号、お目にかかりましょう!!!!
どんどんお茶濁して下さい!昔話と昔写真大好きです。川崎市電は終点寄りは国鉄貨物線とデュアルゲージだったりしてユニークでした。
by Cedar (2015-03-02 13:44)
市電のターミナルでしょうか。のどかでとてもいい雰囲気ですね。
木造車がなかなかいい味を出していると思います。
都市のほとんどから姿を消してしまった路面電車。便利な乗り物だっただけに残念でなりません。
by のり (2015-03-03 07:08)
川崎市電は塩浜で京急大師線と接続しており、両線で環状になっておりました。川崎市は大師線を買収しようという意図があったのでしょうか、川崎市電は1435mmゲージでした。
塩浜~池上新田間、廃止前、塩浜駅で川崎市電と京急230が並んでいるシーンと廃止区間の川崎市電の風景が
弊ホームページ「京急大師線と川崎市電(1964年)」
http://6.fan-site.net/~haasan55/KeihinDaishi.htm
でご覧頂けます。
by はーさん (2015-03-03 11:05)
■■ Cedar様:
励ましのお言葉!嬉しいです。最近、ボルテージが落ちて居りまして、何事もシャキッと行きません。お陰様でやる気が出ます!
大師線の三線軌道の終点は味の素でした。味液の二軸タンク車でも居たのでしょうか?いまでも、味の素社の線路向きの塀には、引き込み線の名残があります。
■■ のり様:
これらの写真は、みな、市電のターミナルの「市電川崎」で撮ったものですが、京浜急行の「京浜川崎駅」と小美屋百貨店と市役所通りの幅くらいの距離がありました。国鉄・川崎駅へは京浜急行の踏切を渡りさらに歩く必要がありました。
今でこそ京浜急行は高架化されていますが、当時は、国鉄駅前の広場にドーンと京浜急行が走って居りました。
■■ はーさん様:
RMライブラリ No43「川崎市電」によりますと、ループ化の計画はあったようです。なにしろ、京浜急行の川崎駅の中に市電の「0kmポスト」があったそうです。
はーさんのホームページ、拝見しました。京急大師線の電車、川崎市電の線路と電車の素晴らしいアルバムです。出来るだけ沢山の方々にご覧頂きたいものです。
この写真を撮ったころ、私は緑川洋一先生の瀬戸内海写真に傾倒するあまり、ミニコピーフィルムをメインカメラに入れて行きました。結果は露出を間違えて大失敗、そのフィルムに更にビネガーシンドロームが追い打ちをかけました。嗚呼!!
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ フジトモ様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-03-03 14:20)
写真を拝見させていただきましたが、50年前の川崎駅前と
今の川崎駅前を比べると変わってしまったなあと思いました。
自分は、京急が高架化されてからしか知らないのですが、
京急と並走していた川崎市電を見たかったです。
駅前の三和銀行やナショナルの看板のお店も今はなく、
MORE’Sになってしまったり、小美屋も今はないです。
東口の大日日本電線も丸井や西武となり、ヨドバシとなり、
西口側も明治製菓も無くなり、東芝堀川町工場もラゾーナ
となりました。
アゼリアが出来て30年くらいになりますが、川崎駅前の
風景が記憶の中に無くなりつつなってきました。
川崎の武蔵小杉、いや小杉も変貌してしまいました。
東横線のちっぽけなホームが懐かしいです。
by あさま55号 (2015-03-04 21:03)
とても貴重なお写真をありがとうございます。大好きな木造+ダブルルーフ車両の現役時代を拝見できて感激です。当時のカラーフイルムはとても高価だったと思いますが、おかげで三和銀行の三つ葉マークが「赤い色」だったとは本日発見しました。歴史に埋もれた過去ありですね!
by ファジー (2015-03-06 00:29)
■■ あさま55号様:
川崎駅前は変わりましたね~!50年前というと私が社会人になったあたりですから、ずいぶん昔です。国鉄川崎駅前は駅ビルに前がバス広場で、その向こうに生垣に囲まれた京浜急行がありました。そしてその向こうに右から「さいかや」、「岡田屋」そして「小美屋」が並んで見えました。
市電沿線も工業地がほとんどで、無機質な眺めが連なっていたような気がします。もっと沿線の写真を撮っておくべきだったと、今ごろ反省しています。
小杉は変わりましたね、工場が並んでいたところが、超高層マンション林立となり、すっかり風景が変わりました。二子玉川駅から見ても、はっきりわかります。
「東横線のちっぽけなホーム」ってひょっとしたら木張りの仮ホームみたいなので、「産業戦士輸送用に無理やり作って乗換駅」って感じでした。昭和20年代前半、次の「工業都市駅」まで、ザリガニを捕りに行ったことを思い出しました。ザリガニは、茹でて、干して、砕いてたくさん(と、いっても20羽もいません)飼っていたニワトリの餌にするのです。卵に黄身が鮮やかなオレンジ色になりました。
■■ ファジー様:
お小遣いが少なかったものですから、もっぱら白黒、フルサイズよりもハーフサイズのカメラで撮ったりしましたが、画質が悪くなり、せっかくの資料もダメになっています。やっぱりブローニーですね。
三和銀行のマークの色が確認できてよかったです、私もいくらかはお役に立ったようで嬉しいです。
by む〜さん (2015-03-08 13:59)