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のどかな時代(7):横浜市電の風景 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 前回は昭和30年代中ごろの川崎市電の写真をお目に掛けましたが、今回は横浜市電です。

 横浜市の市電は1904年・明治37年の開業で、最盛期の昭和35年5月付の運転系統図には15の系統が記されております。東京都電と比べて、単車が4形式もあったり、8形式のボギー車とともに、なんとなくのんびり走っておりました。
 昭和36年、結婚して市内神奈川区六角橋に住むようになり、東神奈川駅、横浜駅、桜木町駅、野毛、関内、伊勢佐木町、大桟橋、本牧三渓園・・・・・市内の何処へ出も行けたような気がします。
 自動車が増えて行き、道路の渋滞が始まると、やがて昭和41年から路線の縮小が始まり、1972年・昭和47年、市電はトロリーバスとともに全廃ということになってしまいました。
 そんな横浜市電のアルバムです。系統だてての展示でなく、ランダムに引き出してきた写真を並べただけですので、「一本、スジガ通って居る」なんて事が無いので、その点、ご容赦ください。

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■■■ のどかな時代(7) ■■■

■■■ 横浜市電の風景 ■■■

(1)昭和30年2月、国鉄横浜機関区脇を走る1500形。
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(2)昭和34年7月、尾上町~馬車道間の1600形1605。左は単車の500形。
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(3)昭和36年7月、馬車道~桜木町駅前間の400形。二軸単車にしてダブルルーフ、しかも半鋼。
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(4)(3)の423ではありませんが、400形の車内風景。二重屋根車の天井の様子が分りますね。中吊り広告のホルダーなど、凝っています。
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(5)昭和36年7月 弘明寺電停にずらりと並んだ市電たち。手前から1000形~1000形~600形。
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(6)昭和37年12月 神奈川会館前~中央市場間の単線区間を行く500形511。
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pen-para.gif  市電で印象に残っているのは、「麦田の隧道」、「杉田付近の海沿い区間」、「打越のアーチ橋」、「久保山の大正遺産」、「桜木町駅前~日本大通県庁前・ビジネス街の銀杏並木」などでありましたが、いつもの悪い癖で、明日、あしたと、言ってる間に市電は無くなってしまいました。
 この中で、山元町の打越橋を撮りに行ったのが、昭和37年11月でした。妙に力んだ感じの写真ばっかり。

(7)昭和37年11月打越橋
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(8)同上: 打越橋上から市中心部のビル街を望む切通を1300の山本町行が上がってきます。
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(9)同上: 打越橋から反対側を見る。右に曲がると山元町終点でした。
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pen-para.gif(10)昭和44年6月: 山元町の電車の反対側の終点は洲崎神社前になっていました。青木橋の勾配を下ったところで、もうこの頃には、この先、中央市場、生麦方面には、電車は行かなくなっており、3系統山元町行も7系統八幡橋も、ここで折り返しました。
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pen-para.gif  7系統の電車は浜松町から山越えをするのですが、その頂上部が久保山電停です。

(11)昭和44年6月の久保山電停です。頭上にかかる霞橋から撮っています。
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(12)久保山電停脇の大正3年の門柱と赤レンガの壁。今でもここにあります。
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(13)これが霞橋で、昭和3年の建造
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pen-para.gif 昭和44年6月29日、翌日には廃止されてしまう洪福寺前へ行きました。

(14)トロバスとトラムそしてバスが並びました。電車の線路は向こうから来て、この交差点を左折してさらに続いて居たのですが、何年か前に廃止となり、レールはアスファルトで埋められたのですが、架線だけが空しく残って居りました。
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(15)ここの市電はこの写真を撮影した翌日、昭和44年6月30日をもって廃止なのです。トロリーバスも例外ではなく昭和47年に廃止。
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pen-para.gif 二年間、横浜に住んで居た割には、撮影した横浜市電の写真は少なく、さらに、ネガの傷みや大変形で使えるものは、ごく僅かになってしまっています。カラー写真となりますと、更に少ないのです。今回は二枚、ご覧ください。

(16) 昭和36~8年の撮影と思われる1500形1514。たぶん羽衣町のあたりかと・・・・。
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(17)これまた昭和36~8年。問題は場所で私は浦舟町と思って居るのですが確証がない。新旧の二色が並んだのも良いもんだと思います。
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coffee.gif 17枚の写真で綴った横浜の市電でした。昭和36年からの二年間のヨコハマ四畳半暮らし、思い出多きヨコハマの市電の路線は完全になくなってしまいましたが、滝頭に立派な保存館もあり、種々の形式の電車に会いに行けます。東京都電と比べると数歩先を行ってるなあと思いますね。


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Cedar

滝頭の保存館、アクセスに難ありですが展示は充実していて素晴らしいです。それに引き替え東京都電は…、オリンピック予算の1%以下で保存館を!
by Cedar (2015-03-08 21:37) 

モハメイドペーパー

 1500形はなんといってもオリジナル塗色が似合います。2色だけど結構手が混んでいて、模型にすると苦労しそうです。
 1600形は前面のデザインのせいか、えらく幅が広く見えました。単車は一度乗りましたが、とにかくよく揺れました。
 黄色に青帯の塗色はどこか間が抜けた感じで、馴染めなかったですね。
by モハメイドペーパー (2015-03-09 00:11) 

のり

いつも貴重な写真をありがとうございます。
驚くほど車の量が少ないですね。(8)の見通しの良さの中にほとんど車が写っていないのには衝撃と言っても過言ではないと思います。
各大都市から路面電車後姿を消して、もう永くなりましたね。
郷愁だけではない「何か」を感じるのは私だけではないと思います。
by のり (2015-03-09 08:28) 

水雷艇

今は横浜市民ですが、当時は東京都民の子供でしたので、遠い遠い横浜の市街地には行った記憶がありませんが、こんな市電が走っていたのですね☆
自動車の少なさが驚きです。
by 水雷艇 (2015-03-09 15:54) 

あさま55号

横浜生まれの横浜育ちの自分ですが、生まれは弘明寺手前の通町1丁目、2才過ぎから六角橋の近くで育ちました。
生まれるときはおふくろが北永田の電停から通町の病院まで市電で行ったそうです。六角橋の近くに越した頃市電が廃止になった前後で、物心ついた頃桜木町の辺りを走っている姿しか知りません。
トロリーバスは横浜駅西口でよく見かけたものでした。横浜かまぼことか丸十家具のこうこく看板を付けたバスが思い出深いです。
拝見しました写真の中に洪福寺の写真がありましたが、昔の相鉄バスとか懐かしいカラーリングですね。洪福寺といえば洪福寺松原商店街の魚幸という魚屋が有名ですが、写真の頃は今のような感じではなかったと聞いております。
市電が活発だった頃、横浜の商店街も活気がありました。北から六角橋、洪福寺松原、藤棚、伊勢佐木町、横浜橋、元町、弘明寺、杉田などです。市電が走っていたところが本当の横浜なのだと思います。
もう43年経ちますね、廃止されてから。
by あさま55号 (2015-03-10 22:17) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 滝頭の保存館の保存資料はなかなかで立派なものです。季節がいいときならJR根岸駅かが歩くという選択肢もありますが、やっぱり横浜駅から市バス利用でしょうか。
 東京都電は荒川車庫にちょっぴり保存車両があるくらいで、全然、やる気がないように見えます。もう、資料収集も不可能かと・・・・。困ったものです。
■■ モハメイドペーパー様:
 1500のオリジナル塗装は素敵ですね。ローマ字併用の方向幕はいかにも、ミナトヨコハマで好きだったんですが。たった二年のヨコハマ市民でしたが、すっかいrハマ市電ファンになっていました。
 クリームの車体にスカイブルーの帯、都電と比べると軽快な感じが好きでした。
■■ のり様:
 昭和30年代中ごろは車ラッシュは未だでした。どこへでも止めて昼飯くらいは食べても罰金て事はなかったような気がします。
 それはともかく、私の現役時代の撮影ですから、当然「日曜日」です。その所為があるかもしれません。
 東京あたりには、路面電車はほぼ消えました。都電と江ノ電にその匂いは残っていますが、関西の比ではありません。関西にお住まいの方、羨ましく思えます。
■■ 水雷艇様:
 そうなのです、横浜の市電、素敵でしたよ。自動車の少ないのは、日曜日撮影の所為もあります。
 横浜市の市電保存館、ぜひお訪ねください。いいところですよ。私の5年ほど前のブログですが、訪問記がありますのでご覧ください。
http://mu3rail.blog.so-net.ne.jp/2010-10-05
■■ あさま55号様:
 通町一丁目も六角橋も私には馴染のところです。特に六角橋は結婚してすぐに小さな部屋を借りて住んだところで、思い出多き場所です。住んで居て、人情細やかな土地だなあと思った事が何度もありました。二年住んで、町田へ引っ越しましたが、先日行ってみたら、初めて住んだ長屋は無くなって居りました。
 おっしゃる通り、市電華やかなころは、各所に賑やかな商店街があり、賑わって居ました。大通りの歩道には、商店が各自で作った屋根が掛けられ、アーケードになって居ました。これは、東京では見られなかった風景でした。
 伊勢佐木町通りも先日行きましたら、昔の面影はほとんど無くなって居ました。
 あさま55号様のコメントで、新婚時代の頃を思い出しています。

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ フジトモ様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-03-10 22:43) 

Ryo

 昭和30年代…最盛期の写真ですね。それなのに10年もしないうちに全廃論が出てしまうのですからなんという変化でしょうか。1600はこの時まだほぼ新車でしょう。もし存続していたなら1600は平成の世まで走ったかもしれないと思います。きっと冷房化もしてますね。
 400形の車内写真も印象的です。車掌のいる狭い車内、落とした窓、顔の高さにぶら下がっているチラシ、外は高島町の知っている景色なのに、なんとも不思議です。
 最後の写真は、あるいは、浦舟町交差点の阪東橋方かも…と考えています。阪東橋から来て交差点の少し手前の左側に交通局の詰所がありませんでしたか?

 滝頭の保存館は近年再リニューアルしました。しばらく前に知らずに訪れましたら、照明は明るくなり、電車は車内外ともきれいに磨かれ、車内掲示物や、傷んで模造した方向幕などもよりそれらしく作り直されていました。500形の車内でボギー車の走行音と芝居仕立ての音声を流していたのも改められて、代わりに記録フィルムを座って見られるコーナーができていました。塗色が変わったのが2両、1300は製造時の、1500は1150の製造時の試験塗装の再現だそうです。再訪おすすめ致します。
by Ryo (2015-03-11 22:42) 

む〜さん

■■ Ryo様:
 昭和30年代中ごろ、遅ればせながら横浜市電を撮影して居ます。昭和20年代末あたりから、鉄道趣味は病膏肓でしたが、横浜へ乗りに行く、写しに行く事はありませんでした。そのくらい、行動範囲が狭かった。それだけに、35年以降、写真を撮りに横浜へ行く、昭和36年から横浜に住むようになって、こんなに色々な形の電車が居る!とびっくりしたのです。スマートなボギー、野暮ったいが味のあるボギー、山ほど居た様様なスタイルの2軸単車、もう路面電車天国って感じでした。
 滝頭へ行ったのが5年前の2010年ですので、また、行ってみたいものです。
by む〜さん (2015-03-13 23:33) 

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