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のどかな時代(11):東武日光駅前-貨物列車の到着 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 昭和36年・1961年春日光での写真を少々。じつはこの写真、当ブログにて今から7年前の2008年3月20日にアップロードして居りますので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。
 まあ、ネタが少ないこともあるし、なにしろ80歳に手が届きそうな所まで来ておりますので、丸ごとのコピー&ペーストではないし、画像も新規に加工、文も新しく書いたし、「む~も、ボケたみたいだなあ!」程度でご容赦くださることを期待致します。(笑)

■■■ のどかな時代(11) ■■■

■■■ 東武日光駅前-貨物列車の到着 ■■■

pen-para.gif 1960年・昭和35年春、中小企業の某商社に入社、二年目の昭和36年5月13日~14日、社員旅行で鬼怒川・日光一泊二日の旅。往復とも東武電車。社員の皆さんと、日光軌道線の馬返駅で別れ、東武日光軌道線を見物・撮影しながら、東武日光駅まで来ました。ここで、会社の人たちと合流して、東京へ帰る予定なのです。

pen-para.gif 東武・日光軌道線は昭和28年製造の100形10両と、昭和29年製造の200形連接車6両のラインナップで観光客と地元の人たちを運んでおりました。

(1)東武日光駅のすぐ近くの杉並木を行く100形(当時10両ありました)です。この先を左折すれば国鉄の日光駅です。
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(2)東武日光駅前で連接車200形(当時、6両あった)
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pen-para.gif 東武日光軌道線には路面電車としては珍しい貨物列車がありました。清滝駅付近の古河電工、古河アルミの工場からの製品搬出や原材料搬入などのためのものの様です。軌道線専用に製造されたED610形という小振りの電気機関車が貨車を引いて居りました。ちょうど、うまい具合に貨物列車の到着です。

(3) 向こうが日光のお山で、馬返方面から来た電車は、この写真の左へ続く線路を直進し、国鉄の日光駅に向かいます。そして、ループ線上を反時計回りをして、東武日光駅前に戻って来るのです。
 通常、電車は直進するので、このポイントは、スプリング式で正位が直進で、何時もは、何もしない。貨物列車のときだけ、職員がポイント操作をする・・・・と、思われる画像なのです。あくまでも、これは私の想像で・・・・あまり信用しないで下さいね。
 ED611の牽引する貨物列車は、写真の右方へ続く線路に入ってゆきます。このまま走れば国鉄の日光駅構内に入って行く事が出来る配線でした。
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(4)貨物列車の部分を拡大しました。貨物列車の構成は「ED611~ワム127042~ワ27232~ワム39379」でした。
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(5)電気機関車周辺のを拡大写真です。してみて発見したのですが、左の光っている屋根の黒っぽい家。銘茶・海苔屋さんの看板の左に東武鉄道の文字。その前にポイントのレバーを握る職員さんが居ます。脱線しますが、職員さんの左側には、助産婦の看板も見えて時代を感じます。中華料理店の店先の白いケースは牛乳の冷蔵ケースで、瓶の牛乳、珈琲牛乳が入っているのでしょう。お店の人がケースにもたれて外をぼんやり見ています。転轍手の前を通る割烹着のオバサンは貨物列車など、眼もくれません。私にしてみれば、『おっ!』と思うんですが、彼女にとっては、日常的風景なんですね。
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(6)東武の職員さんのクロースアップです。バックの家には「永井園茶X」と「助産婦」の看板、それに挟まれた「東武鉄道」の看板がとりつけられています。東武の職員さんの詰所になっていたのかもしれません。
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(7)(3)の写真・・・・貨物列車の右側にはお土産店とかがあって、手作り風のアーケードが見えて居ます。Street Viewで、見てみたのですがこれらのお店、現在の姿は分りません。
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(8)(3)の写真の左端・・・・日光味噌・早見商店とありますが、Street Viewで見ましたら、間口の広い大きく綺麗な建物になり、味噌、日光ゆば、たまり漬けなど、扱って居ます。
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coffee.gif 更にStreet Viewで見てみましたが、もちろん、道路を横断する「東京近道東武電車のりば」の大看板は、現在は見えません。54年前の東武日光駅前の風景でした、


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コメント 11

tochi

貴重な写真ですね
私の記憶にはありませんが・・・
いろは坂にあったケーブルカーには乗りましたが・・
by tochi (2015-08-03 07:18) 

hanamura

先日、東武博物館で200形203号をたのしみました。
この写真を見て妄想を膨らませて博物館に行きたいです。
そして、日光にもまた行きたいものです。
そうだ!この貴重な写真こそ東武博物館で見たいですね!
by hanamura (2015-08-03 18:52) 

Cedar

まさにお宝写真ですね!
小学校の修学旅行の宿舎が電車道沿いで、この貨物列車見たさに早起きして道に出ていて先生に叱られたのをよく憶えています。
by Cedar (2015-08-03 21:30) 

Ryo

日光軌道線に貨物列車が走っていたなんて驚きました。少し検索しましたら路面軌道の貨物列車は全国でも珍しかったようですね。道幅は江ノ電の腰越よりは少し広いでしょうか・・・。江ノ電でこんな光景を見てみたい気がします。
by Ryo (2015-08-04 00:32) 

のり

日光は、数ある観光地の中でも、とりわけお客様が多かったのでしょうね。
「あの頃」の活力ある日本を感じさせてくださる、とても貴重な写真をありがとうございます。
by のり (2015-08-04 06:52) 

KEY坊

うーむ .. この頃の軌道線電車に乗務員用ドアが付いてるなんて、お洒落ですねぇ〜♪
by KEY坊 (2015-08-04 20:49) 

あさま55号

東武日光軌道線に電気機関車が走っていたとは知りませんでした。いろは坂のスタート場所の馬返まで走っていたと聞いたことがあります。日光は小学校の修学旅行で行ったのが最初でした。横浜と日光を往復して乗った車両は、今でも覚えています。サハ155-2でした。ひので号のカラーリングではなく、湘南色に化けていましたが。確か3+2でなく2+2になっていたと思います。
日光の古河電工に親戚が勤めていましたが、その親戚は、横浜平沼橋の古河電工研究所で、サッカーの岡田監督が若いころですが、ビールを買いに使いぱしりしてくれたそうです。古河電工サッカーチームが横浜にあったころの話ですが。偉くなったとぼやいていました。
by あさま55号 (2015-08-05 21:05) 

HHP8

日光市街の路面を往く電車があったことは知りませんでした。もし今残っていたらどのような発展を遂げていたか興味深いです。
by HHP8 (2015-08-07 12:45) 

はーさん

貨物列車が東武日光駅に接近するところ、よく撮られましたね。正にお宝画像です。
電車は直進して、先ず、国鉄日光駅前にゆき、その後、東武日光駅の側面に行き、馬返に向うループ線でしたが、貨物列車は直進せず、東武日光駅の側面を通り、国鉄日光駅に入ったようです。
弊ホームページ「東武鉄道日光軌道線」
 http://6.fan-site.net/~haasan55/TobuNikko.htm
にこのループ線の略図を載せております。
どうも、貨物列車の通る線路と東武日光を出発して馬返に
行く電車の線路は違うようです。
by はーさん (2015-08-09 11:34) 

HHP8

どんな色だったのだろうと思ってたら折よくカラー写真登場、はーさんありがとうございます。それにしても連接車が2両ともビューゲル(と言いましたっけ?)上げて往く姿なんて、図面や文字だけでは信じられませんね。
by HHP8 (2015-08-09 17:15) 

む〜さん

■■ tochi様:
 馬返~明知平のケーブルカーに乗られたことをご記憶なんですね。ケーブルカーには私もはっきりした記憶が無いのです。明知平から華厳の滝は見えたんだろうか?中禅寺湖までは如何やって行ったんだろうか?と思いだそうとするのですが、メモリにはガードが固く思い出せません。軌道線だけは、二十歳過ぎですので記憶はちゃんとして居る・・・部分もあります(笑)。
■■ hanamura様:
 軌道線は結構、撮影されている方も多いと思われます。なんてったって、天下の名勝、日光ですから。博物館もそれをどうやって集めるかが問題ですね。今のうちなら、乗車体験を持った方も多い筈ですからね。他の鉄道でも同様ですね。
■■ Cedar様:
 流石ですね!栴檀は双葉より芳し、早起きして線路際に行っちゃう生徒には先生も考えてしまったでしょうね。ワルイ事やってるわけでなし、みだりに止められないし。
■■ Ryo様:
 江ノ電の貨物列車・・・・面白い発想ですね。機関車は史実に合わないと思われますので、東急から行った電動無蓋車にバラスト砂利を積んだ無蓋車を付けてのんびり走らせる。砂利の上には、保線の方が座って・・・・てな、のんびり風景は如何でしょう?
■■ のり様:
 いろは坂を整備し、さらにもう一本並行して作っちゃったお蔭で、路面電車+ケーブルカーは完敗でしたね。外国の観光地にあるように、自動車禁止にするしかないと思われますが、日本では一寸無理でしょう。
■■ KEY坊様:
 連接車200の乗務員ドア、単線だし必要なんでしょうね。良いアクセントになって居ますね。200が博物館保管となった事は快挙だと思われます。他の形式もかなり保管展示となり、東武さん、なかなかヤリますね!
■■ あさま55号様:
 貨物列車・・・あったんですよ。この度の時、機関車は一両しか無かったわけで、その割に貨物列車には事前調査なしで、二回遭遇して居ます。割と本数があったんでしょうか・・・。
 岡田監督のエピソードは微笑ましいですね。
 そうか、古河電工のサッカー部は横浜だったんですね。横浜から保土ヶ谷方面に電車で右側を見て居ると、古河が開発して居たと聞く「永久磁石利用のベルト駆動」の新交通システムのテストコースがありましたね。実用化は出来なかったようで、中央線・猿橋駅前の山上の宅地開発で使って居りましたが、割と短期間で廃止になって居るようです。運よく、私は乗れましたが。
■■ HHP8様:
 高性能長大編成の路面電車とケーブルカー、ロープウエイ、電気駆動の連接バスで、日光駅と中禅寺湖~奥日光の総合的システムが作れ・・・・るかどうか私にはよく分りませんが。
■■ はーさん様:
 東武日光駅前~国鉄日光駅の配線図、有難う御座います。軽便鉄道探訪の時は廃線略図をかなり書きましたが、ここはうっかりしました。今考えても歯ぎしりモノです(笑)。も少し早く訪問して、日光の街路を行くED40を見てみたかったです。昭和30年頃の話の様ですが。
■■ HHP8様、はーさん様:
 実は私、カラー写真を撮って居ないのです。昭和33年が最初のカラーで国鉄の特急こだまでした。8枚撮りのコニカラーネガで、一本のフィルムに国鉄、京急、東急、京成、そして人物が一駒、写って居ます。そのくらい、吟味しながら撮って居たのですね。

■■♪♪ まめうさ様:
■■♪♪ フジトモ様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-08-10 09:38) 

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