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のどかな時代(12):昭和34年・神戸・長田の電車たち(再録) [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 今回は、「昭和34年7月の神戸市長田の街かど風景」です。
以前、2008年4月に、当ブログに「1959年・夏・関西~高知」として連載した記事の中から、4月9日付と10日付の二日分をまとめた再録記事です。言ってしまえば、「コピー&ペーストで作った記事」ですが、結構、手間暇掛かるもんですね。
 昭和中期の街かど風景、ご覧下さい。

■■■ のどかな時代(12) ■■■

■■■ 昭和34年・神戸・長田の電車たち(再録) ■■■

pen-para.gif 1959年・昭和34年、私が大学の4年生の頃・・・・21歳だよ、若かったなあ・・・・「7月10日から7月19日までの9日間、東京~四日市~京阪神~高知~大阪~東京」の旅の三日目は、7月12日の兵庫県神戸市長田区の長田から始まります。

 さて、長田の親戚の家にご厄介になって一泊。7月12日は、能勢電と叡電を回ろうというのです。朝の長田、兵庫駅から併用軌道でやって来た山陽電鉄と、神戸市電との平面クロス、長田の交差点あたりの風景です。
 ・・・・と、書きましたが、平面クロスの場面の写真は撮って居ないのです。ごめんなさい。

pen-para.gif 朝は何時ごろだったでしょうか・・・・親戚の家を出まして長田の電車通りに出ました。山陽電鉄との平面交差は、市電で言えば、停留所の名前は何だったでしょうか・・・・そんな事まで忘れてしまっています。参考書も探せばあるでしょうが、まあ、今回のところはご容赦ください・・・・まあ、そんな辺りでの写真です。

(1) No.590、「1系統」。方向幕は小さい上に汚れ気味で読み取れません。東京都電の5000を思い出します。
 下の写真の全ての電車についてますが、系統板の上に棒状に見えるのは照明ランプのようです。レトリーバでビューゲルの紐をきちんと処理しています。
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(2) No.335、「8系統」、方向幕はXX町。大きな窓の軽快な単車。
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(3) No.602、「13系統」。方向幕は中之島・吉田町廻り。
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(4) これまた単車のNo.401、全面窓が335よりも大きく軽快さを増しています。「7系統」中之島・吉田町廻りで、「13系統」と同じで???です。
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(5) (4)のNo.401の右側が気になって部分拡大。小さなタクシーはトヨペット・コロナでしょうが、こんなに小さかったのかなあ?記憶がぼやけて居ます。向こうにはダットサン。オート三輪は何処のものでしょう。街角の人々、遊ぶ子供たち(夏休み前なのにと思ったら今日は日曜日)が生き生きとしています。
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(6) 最後は、神戸市電のQUEEN・・・700形No.714、「14系統」鷹取行。いや、全く、スマートな電車です。
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(7) 救助網が現役の様なので、メカを拡大してみました。
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pen-para.gif この5枚のネガ、7枚の画像で神戸市電は終わっています。たぶん、ほんの短い時間だったんでしょうが、来た電車は結構、バラエティに富んでいました。先年の大震災でこの辺りも随分変わったことでしょう。
 ・・・・と、GoogleのStreet Viewを見てみましたら、震災よりも遥か以前に市電は廃止、山陽は地下化されたのはご承知の通りですが、長田の商店街入り口の大鳥居は、書かれた文字は違うようですが、昭和34年当時と同じように建っておりました。

pen-para.gif 次は山陽電鉄。路面電車と郊外電車との平面交差があったわけですが、何故か写して居ないのです。我ながら「バカだね~!」と思います。

(8) 電車は820形??で・・・・特急です。830+831という事になるのでしょうか。電車の進行方向が兵庫らしく、架線の込入った構造が見えます。最初はクロスシート車だったようですが、ロングシート化されたものもあったようです。ネガを見ても、クロスシートかどうか判別できませんでした。
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(9) (8)の右のほうを拡大してみました。日曜日だった所為かトヨタさん、閉まってますね。右端の架線柱は鉄骨で、『青写真』の文字も懐かしく感じます。アンモニアかなんかで現像するプループリントは、昭和30年代まで現役でしたが、あの真っ青な図面は、夢を感じたものです。トヨタさんの前の黒い箱は『ゴミ箱』でしょうか・・・だとすると、現在、絶滅してしまった物件ですね。
 この自転車の小父さんのお仕事は何なのでしょうか?氷屋さん?牛乳屋さん?ちょっと違う気もする・・・・。
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(10) 200形、何度見ても、愉快な電車です。
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(11) さて、撮影を終え、写真に写っている「神戸市バスの急行」で三宮に向かいました。三宮から長田へは何時もこのバスを使って居りました。当時の道は空いていたし、まあ、少々コワイくらい飛ばしました。
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(12) (11)のバスの右側辺りを拡大してみました。写っている三人のうち、二人が和服、そして、全員が下駄履き。お店の様子、スクーター、手作りの歩道の屋根、見事に「昭和」中期のイメージですね。
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(13) ・・・・・で、急行バスで阪急の三宮に向かいました。向こうから市電が来ますが、カメラはセミ判のミノルタセミPで,最高200分の1秒のシャッターとあって、見事にブレました。市電のナンバーは100Xで、読みとり不能。1006かもしれません。
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pen-pc.gif このあと、三宮から阪急電車に乗って、能勢電鉄~京都・叡電に向かったのです。

では、また!!!!!


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のり

私が生まれた頃と大差ない時代の神戸西部の市街地、堪能させていただきました。

ずいぶん前の話ですが、ある仕事で、長田神社の鳥居の近くにある得意先を訪問するため、この辺りをしばしば車で通っていた時期があります。
もちろん市電なぞとっくの昔になくなっていたのですが、それでも電車道だった雰囲気は同じだなぁ…と思いながら、あの辺りを走っていたのを懐かしく思い出しました。吉田歯科という歯医者さんもここにあったのを覚えています。

板宿の商店街、アーケードの中を市バスが走るのにも驚いたものでした。

あの大震災でずいぶん街並みが変わったのだろうと思います。
震災以前から山陽電車は地下化工事を進められていましたが、震災で板宿駅の崩落など大被害を受け、地平区間の復旧を断念して地下化を前倒ししたそうですね。

他都市を抜きんでいたスマートな神戸市電。
かなり幼い時に三宮のガード下で、あの独特の警笛が鳴り響き、それが驚くほど大きい音だったのでとても怖い思いをしたことを、ふと思い出しました。どこへ何をしに行った道中だったのかは、全く覚えていませんが、その警笛の異常な大きさだけが記憶に残っています。
by のり (2015-09-20 06:17) 

Cedar

いや~すばらしい素晴らしい!
神戸市電の素晴らしさ=300形600形はアメリカのバーニイカーそのものです(600みたいのはDouble Truck Birneyと呼ばれています)し、700形は文字通り東洋1かっこいい路面電車ですね。
む~さん様の秘伝(=Cedarも真似させていただいてます)街並み拡大も素晴らしいです。
ありがとうございます、これからも宜しくお願いいたします。
by Cedar (2015-09-20 11:48) 

はーさん

昭和34年は安保闘争が盛んで、とても、のどかな時代とは言えないと思いますが、神戸の街はのどかですね。
山陽電車の併用軌道を走る姿はいいですね。特に、いもむしと言われていたと思いますが200形が併用軌道を走る姿は初めて見ました。
by はーさん (2015-09-20 17:24) 

モハメイドペーパー

神戸市電で系統板を照らすライトがあったのは気がつきませんでした。芸が細かいですね。5の写真のオート三輪はジャイアントです。
by モハメイドペーパー (2015-09-21 00:22) 

micchama

市電の運転手、乗客を見ると開襟シャツがほとんどですね。
昨近のクールビズとやらで、開襟シャツを買い求めに行った友人の話では、どこもおいていないということでした。
だらしのない襟をあけて着くずれしたような姿でいる国会議員を見ていると、昔、国会でも開襟シャツを着ていた議員が多くいたのになあ、結構、さっそうと見えたのですが、今の時代はすべてがくたびれているようです。
胸襟を開いてという言葉もあるように開襟シャツが復活してほしいですね。
電車の乗務員も乗客もさっそうとしているように見えます。
by micchama (2015-09-21 05:28) 

あさま55号

神戸市電を見たことがなく、貴重なお写真だと思いました。
横浜市電の車両とどことなく似ていますね。
昭和30年代というのは全く知らない世界ですが、和服というか浴衣を着た人が闊歩していた時代でもあったんですね。
40年代までは、靴屋に行くと下駄や雪駄が売られていたころを懐かしく感じました。
亡くなった父親の若いころの写真を見ると、浴衣を着て草履履いていた写真が結構あった記憶があります。
by あさま55号 (2015-09-23 20:05) 

む〜さん

■■ のり様:
 神戸市電の車体色は良かったですね。派手でなく、上品でした。初めて目にしたのは高校生時代でしたが、美しさに感動したものです。
 長田の商店街の奥に長田神社がありますが、その上の方に親戚の家があり、大学時代の夏休みの3回分は泊めて頂きました。親切にして下さって、関西の電車を堪能したものです。ただ、このころ『写真は撮らない病』に罹って居り写真の数が少ないのです。誰だったか、エライ作家の方の旅の心得に同感して「目で見るだけ」にしたのです。お蔭で、10年も経てば、みんな忘れてしまいました。
■■ Cedar様:
 バーニィカーは前方窓の下端が段違いになって居るのですね。600形と300形が該当します。単車だけかと思って居たのですが、ボギーバージョンもあったのですね。
 そうです!700形、最高ですね。保存車はあるのでしょうか?
■■ はーさん様:
 山陽電車の200形は奇抜なスタイルに仰天しました。オデコの通風孔は、ついて居るのと、無いのと二通りありました。兵庫から長田までの併用軌道も珍しい眺めでした。悔しいけれど撮ってないのですけれど。
■■ モハメイドペーパー様:
 系統番号の照明装置は芸が細かいですね、デパートのショーウインドウについて居たような、パイプ型のタングステンランプを使って居たのでしょうか・・・・。未だ、蛍光灯の時代ではなかったし。
■■ micchama様:
 まあ、流行のものですから、また復活してくると思います。今は、ワイシャツの一番上のボタン外しでノーネクタイあたりでしょうか。私は、ファッションやお洒落の事はよく分らないので、かなりいい加減な着方をして、よく、笑われてしまいます。
■■ あさま55号:
 よくよく考えてみると、朝から浴衣もおかしなものかもしれません。ひょっとしたら、お祭りの関係者だったのかなあと思ったりします。
 我が家では、親父の夏のファッションはいい加減でしたが、母親は律儀にブラウス+スカートとか、「着物」をちゃんと着て居ました。真夏に、着物をちゃんと着て、東京から四国まで冷房なしの夜行列車で旅しておりました。辛かったと思うのですが、感想を聞いた記憶がありません。辛抱強かったのでしょうか・・・。

■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ hanamura様:
■■♪♪ HIDEand爺様:
■■♪♪ ゆきママ様:
■■♪♪ 芝浦鉄親父様:
 「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2015-09-26 16:15) 

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