踏切のある風景(2) [踏切のある風景]
あんまり反響があるとは言えないのですが、Facebook記事をまとめた「踏切のある風景」第二回をやります。
そんなに遠くない日にお出かけも数件控えて居りますので、それまでの「つなぎ」ってわけです。気楽にご覧下さい。たぶん、「以前、見たぞ!」という画像だと思いますが・・・・。
■■■ 踏切のある風景(2) ■■■
では、2016年5月6日から5月15日までのFacebookからのまとめの第二回、どうぞ!!
■■ 踏切13 ■■5月6日(Facebook投稿月日・以下同じ)
今朝の踏切写真は去年、2015年2月2日、京浜急行・鶴見市場駅のカントの大きな踏切。そんなカーブを快特やAP急行がぶっ飛ばしてゆきます。これは、普通・品川行の1500。
■■ 踏切14 ■■5月6日
踏切写真は、2006年3月12日、小雨の阪堺電軌・松田町駅です。電車は711の恵美須町ゆき。冷たい小雨が降って、撮る気をそがれた日でした。
■■ 踏切15 ■■5月7日
さて、今朝の踏切写真は都電荒川線・向原電停からの写真。区画整理中でしたので現在どうなっているか、これから如何なるかさっぱりわかりません。それはともかく、「踏切銀座の趣」です。2013年12月12日撮影です。
■■ 踏切16 ■■5月8日
写真は昭和29年8月の阪神電車打出駅の三宮側にある踏切「打出若宮町踏切」です。警報機だけで遮断機もありませんが中々良い感じでした。
57年経って2011年11月27日、ここを訪れました。走る電車も周囲の景色もまるっきり変わってしまいましたが、踏切脇の仏様は、変わることなく近所の方々に愛されて居るようでした。近くには「打出小槌町」もありました。
■■ 踏切17 ■■5月9日
写真は、国鉄相模線の原当麻駅~下溝駅間の可愛らしい踏切。キハ17の二連と、C11牽引の貨物列車。昭和39年1月には、首都圏で、こんな列車が見られました。
■■ 踏切18 ■■5月10日
今夜の踏切写真は、東急池上線御嶽山駅の駅前商店街の賑わい。2011年8月1日の撮影です。
■■ 踏切19 ■■5月11日
2005年12月、熊本市電9700。場所は洗馬橋~新町間にある踏切です。
■■ 踏切20 ■■5月11日
今夜の「踏切写真」は、国鉄品鶴線・・・貨物専用線でした・・・の都立雪谷高校わきの踏切を行く8620牽引の貨物列車です。昭和34年にはこんな素敵な列車も走って居たのです。蒸気機関車牽引は僅かで、他は電気機関車EF12、EF13、EF15、EH10などが牽引して居ました。現在はここを新幹線、横須賀線、湘南新宿ラインなどが走って居ます。もちろん踏切は無くなり、線路のガードも堅牢になって居ます。こんな光景があったなんて夢の様です。
■■ 踏切21 ■■5月11日
「踏切20」と同じ場所、同じ昭和34年9月の撮影です。
EF12の牽引する貨物列車の通過する都立雪谷高校脇の踏切。タイミングよく日傘のご婦人が通りかかって下さってラッキーでした。
大田区のこの場所・・・流石に警報機はありましたが、この少し前までは警報機すらありませんでした。
■■ 踏切22 ■■5月12日
今朝の踏切写真は阪堺電車の天神ノ森駅。ここへ行ったのは2000年1月24日で、オリンパスC830Lという初期の130万画素のデジカメでの撮影でした。
■■ 踏切23 ■■5月14日
さて、今朝の踏切写真は、D52。昭和29年3月の国鉄品鶴線。東京都大田区の雪谷高校脇の踏切。先日のEF12の写真(踏切21)はこの場所でしたが、警報機がとりつけられて居ましたね。この頃は、「ふみきりちゅうい」の標識(画面左端)のみ。
場所も年月も違うけれど「常磐線取手~藤代間」で「ふみきりちゅうい」の標識。昭和35年6月。
■■ 踏切24 ■■5月14日
さて、踏切ネタです。今回は昭和44年3月、廃止直前の東急玉川線。玉電中里駅の200形です。最前部まで座席があって楽しかったですね。
■■ 踏切25 ■■5月15日
今夜の踏切写真は、2014年4月13日、秩父鉄道・和銅黒谷駅そばの可愛らしい、歩行者専用の踏切です。築堤の細い坂道を登ると手製みたいなソーラーバッテリー駆動の警報機のついた踏切がありました。
電車は4000系の4008・・・・・たしかこれは西武の電車で、抵抗制御なんですね。
■■ 踏切26 ■■5月15日
写真は、昭和34年11月の国鉄藤沢駅わきの踏切です。江ノ電の駅から出てきたらちょうど、上りの「こだま」が通りました。
今回はこれでお終いです。Facebookの「踏切写真シリーズ」が続くようであれば、その数がまとまったとき、ブログでアップしようかと思うのです。
では、また!!!!!!
新旧踏切写真、電車よりも待っている人や車、街並みや空の広さまで、みどころ満載、素晴らしい!
by Cedar (2016-05-16 16:05)
■■ Cedar様:
お褒め下さって、もう、単純に舞い上がってしまう、単純な私です。ただ、踏切が好きということだけは間違いない事なのです。5~6歳のころからデンシャダイスキで、78歳の今まで、鉄道ファン・・・・ただし、かなりアバウトなファンですが・・・を続けているのですから、余程好きなんでしょう。そんな気持ちで映しています。最近はカメラの視野に入った人物を邪魔だと思ってことがほとんどありません。人物も景色のうちですから・・・・。
■■♪♪ tochi様:
■■♪♪ 意馬心猿様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2016-05-16 18:26)
踏切の風景、人の生活があって、いいですねぇ。
私も踏切が好きです。昔の音、聞きに行きたいなぁ。
by hanamura (2016-05-17 06:31)
まるで時代を切り取ったようですね。
昔の踏切の姿が素晴らしいです。
そういえば交通量がそう多くない踏切では、「遮断機」なんてないのが普通だったんですね。
長閑な時代、もう一度戻りたい……、なんて思い始めると加齢の証しなのかもしれません……。
by のり (2016-05-17 07:01)
■■ hanamura様:
私の幼い頃の遊び場は、もっぱら近所の踏切でした。ここで、電車や汽車を待ち手を振り歓声を上げるのでした。たまに、機関士が手を振ってくれることがあり、その時の嬉しさといったら、もう例えようも無かったのです。私が小学生でしたから昭和20年前後のお話です。
■■ のり様:
交通量の少ない踏切は、警報機、遮断機の無いところが結構ありました。それでも、通用したのです。これは、東京都内でも同様でした。何しろ23区内でも田圃があった時代です。
京浜間の東急東横線や、阪神間の阪神電車や阪急電車神戸線も田圃の中を走るところがありました。いまの若い方には信じられないかもしれません。
■■♪♪ フジトモ様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2016-05-23 21:34)