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のどかな時代(21):京阪大津線1980年 [むかし噺(2)]

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pen-pc.gif 歳をとって「80という数字」が、彼方に見えてきた今日この頃、あんまりお出かけも頻繁にしなくなって参りました。月曜から始まった「週」が、瞬く間に日曜日になってしまい、そんな感じですから、一か月なんて、あっという間です。
 ブログの更新が月に一回~数回と言う悲惨な事になって居る。気力も落ちて、挽回できそうもないなあ!なんて弱気になっていますが、このあたりで、気合を入れねばとも、思うのです。

pen-para.gif 先日、Facebookに、1980年・昭和55年の京阪電車・大津線の写真を出しましたが、反応が良かったので、ブログの読者さんにも見て頂きたく、記事にすることにいたしました。
 今回の写真は、「昔、一度見たよ!」と思われた方も居らっしゃるかもしれません。それもその筈、この話題は、当ブログ「お出かけ通信」で、いまから10年前、2007年4月に発表しています。今回は、前回同様、アルバムに貼ってあった、サービスサイズ「Lサイズ」のプリントをスキャンしたものから、改めてリタッチしたものです。そんな訳で、前回同様、画質も相当悪いです。

pen-para.gif 1980年・昭和55年の8月26日(土曜日)~27日(日曜日)の二日間、当時10歳の次男と一緒の「関西電車巡りの旅」。
 1980年8月26日(土曜日)、早朝に東京を出て、各停・新幹線・名鉄など、いろいろ取り混ぜの利用で、米原。更に各停電車で、石山駅で下車しました。京阪大津線で京都入りしようという計画です。

pen-pc.gif 以下、2007年のブログの記事を、コピー、編集ました。

■■■ のどかな時代(21) ■■■

■■■ 京阪大津線1980年 ■■■

pen-para.gif 国鉄の石山駅で下車、駅前に京阪電車の石山坂本線、京阪石山駅があります。これに乗って京都まで行きます。京阪石山駅のホームに入りました。
 なお、当時と現在では、京阪石山駅の位置は移動し、ホーム形状も対向式から島式に変わりました。

(1) ホームの時計は、13時46分。石山寺行きの準急電車が来ました。300形の306+307との二両編成。
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(2) 台車は、ブリルのMCB。
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(3) 電車は石山寺に向けて、走り去ります。
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(4) 坂本行きの電車が来ました。当時の運転方式を知りませんので、まさか、三条行きではないと思いますが準急、たぶん坂本行きです。さっきの307+306の編成です。この電車に乗りました。
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(5) 如何やら三条行き直通の準急に乗ったらしい私たちです。途中の浜大津の駅も、逢坂山越えも、写真無しでいきなり京都三条から路面対応電車の折り返し駅、四宮駅です。車庫には80形がずらりと留置してあります。私たちは、何か撮ろうと、一旦下車しました。三条行きの準急電車が三条へ向って行きます。
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(6) 四宮駅の浜大津側を眺めれば、折返しの80形が引き上げ線に居りました。たいした写真も撮れず、この80形に乗ったのか乗らなかったのか・・・・・。
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(7) 蹴上げを過ぎた電車は坂を下り、京都の街中に入って来ました。雨は、まだ降っておりフロントグラスが濡れて景色が歪んでいます。まあ、それもまたご愛嬌とご勘弁下さい。交叉点には滋賀銀行があり、その先が僅かなSカーブ。東山三条の電停でしょう。交叉点の向こうで300形(たぶん・・・)が信号待ちをしています。
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(8) 三条に着きました。三条駅の構内です。当時から在った、今で言う『駅ナカ商店街』の向こうには丸く作られた階段。特急のホームでしょうか・・・・・。この時ではありませんが、左側の京阪パーラーには入った記憶があります。
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(9)ベンチのお客さんは、準急待ちなのでしょうか。現代だったら、殆どの方がスマートホンいじりに熱中しておられる事でしょう。赤電話も複数台置いてありますね。
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pen-pc.gif このあと、3000の特急を七條まで楽しんで、各停の電車で稲荷まで行き、さらに奈良方面に向かったのです。
 今回は、ここまででお終いです。復刻モノで済みません。このブログもスタートの2006年以来、10年が経っています。目次検索がしにくい構造にしてしまったので、検索はしにくいし、複数の項目での検索もできません。考えてみれば、つい昨日みたいだった2006年・・・・もう、「昔」なんですね。

 では、また次回の更新でお目にかかりましょう。


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Cedar

やはり、京津線は良いですね!
石山から乗車されたのは三条行きですね。
石坂線内の準急はありませんから。
いよいよ京津線のOゲージに着手!ポール時代を再現します、お写真にあるブリル台車をアメリカに発注しました。
by Cedar (2016-08-29 13:51) 

巽 昭正

 地上時代の京阪三条駅構内には飲食店がありました。天満橋行の特急発車の時刻を気にしながら、カウンターで一杯引っ掛けた思い出があります。
 
by 巽 昭正 (2016-08-29 14:15) 

巽 昭正

 三条駅のホームの下を鴨川か、疎水が流れていたようにおもうのですが、、、
 吉井勇の、かにかくに祇園は恋し、寝るときも枕の下を水のながるる、、、という歌を連想して、情緒があったなァと懐かしいです。水が流れていたのは記憶ちがいかもですが。
by 巽 昭正 (2016-08-29 14:26) 

巽 昭正

 ただいまネットで当時の構内配線図を見たら一号線の下を琵琶湖疎水が流れていました。
by 巽 昭正 (2016-08-29 16:13) 

のり

私が京津線を訪問したのが昭和54年5月のことでしたから、まさにこのお写真の頃ですね。

懐かしく拝見させていただきました。

by のり (2016-08-29 19:53) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 コメント、有難う御座います。言われてみれば、なる程、準急は三条直通ですね。
 ブリルMCBと言うと思いだすのは高校生の時、カワイモデルで一番安いという理由だけでMCBを買いました。ホイールベースの関係で、モーターが乗せられず、載せるアイディアも出て来ず、そのままになりました。
 USから取り寄せ・・・もう、国内産は無いのですね。時代ですね!
 MCBは関東では少なかったですね。
■■ 巽様:
 用地の所為でしょうか、三条の線路は扇子の骨のように末広がりに配置されておりましたね。駅ナカのお店は珍しく、この時ではありませんが確か、京阪パーラーで、珈琲飲んだような気がします。
 三条駅は用地が少ないので確かに琵琶湖疎水を跨ぐように建設されて居ました。京阪の線路は片側が疎水、片側が鴨川でした。ホームの手すりにもたれて、足元を滔々と流れる疎水の水を見て居ると怖いくらいでした。昭和30年の三条駅のアルバムが私のホームページにありますので、ご覧下さい。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link170-3-03-keihansanjo.html
■■ のり様:
 昭和30年の高校修学旅行以来、三条駅はたびたび訪れて居りますが、好きな駅の一つです。ホント言うと地上時代の方がずっと京都らしい感じがしました。
by む〜さん (2016-08-29 21:28) 

Cedar

2度コメスミマセン。
MCBやボ‐ルドウィンなどの古典台車は16番なら日本製があります、価格はそれなりですが~最近はOゲージなどという絶滅危惧種に嵌ってますので・・・
by Cedar (2016-08-31 02:42) 

む〜さん

■■ Cedar様:
 わっ!Oゲージですか!中学生時代、兄がOゲージをやって居り、魚籃坂下にあったカツミまで、池上線~五反田~4系統都電で連れて行ってもらいましてEB50を買いました。高校に入るとHOになりましたので、Oゲージと聞くと、超精細模型のイメージです。凄いんですね!昭和35年、大学卒と同時に模型から手を引いて、実物オンリーとなってしまった意気地なしの私です。
by む〜さん (2016-08-31 08:20) 

凡夫

この線は本当に特徴のある線ですよね。
勾配がきつい登山鉄道だったり、地下鉄だったり、4両もつながってるのに路面走ったり。
親の出身が滋賀県なので、とても親しみあるけど、まだ乗ったことがありません。
次に延暦寺に行くときは、坂本回って行きたいと思ってますが…。
by 凡夫 (2016-09-01 15:56) 

はーさん

京津線の日ノ岡電停近くに両親が住んでいたことがあり、1970年の大阪万博をここをベースに見に行きました。
日ノ岡電停は併用軌道に細い安全地帯があるだけで、普通電車の80形もポール集電で、単コロで走っていました。鉄道線タイプ高床式の300形、浜大津行、急行が通過していくのは、奇妙な感じでした。
1973年に再訪した時は80形も2連になり、パンタ集電になっておりました。今や、この風景もまぼろしになって仕舞いました。
by はーさん (2016-09-02 12:16) 

む〜さん

■■ 凡夫様:
 急勾配に急カーブ、路面も昔は結構長かったのですが、いまはそうでもありません。最初に乗ったのは高校の修学旅行で、三条~浜大津~坂本からケーブルカーで比叡山でした。
 ぜいひ、一度、ご乗車をお勧めいたします。
■■ はーさん様:
 日ノ岡といいますと、現在は地下化され往時の路面電車が走って居たころの面影は残って居なさそうです。
 ポール集電だったころの、のんびりした感じはなくなって、800形4両編成の高性能車が行く風景に変わりました。石山坂本線には、600形と700形2両編成が併用軌道を行く区間があるらしく、ちょっと前にやっていたNHKのTVドラマに映って居ました。ぜひとも、今度の関西旅行では立ち寄りたいものと思って居ります。
by む〜さん (2016-09-02 21:20) 

京阪快急3000

300形は京阪線(旧)3000系と同じ「特急色」ですね。

晩年は、石山坂本線で活躍したのは、自分が持っている京阪の本で見たことがあります。

蹴上と京津三条駅、懐かしいです。

自分が20年ほど前に、通勤で利用していました。

当時は仕事がハード過ぎて、あの「山岳線」には乗れずじまいだったのが、今でも後悔しています・・・。
by 京阪快急3000 (2016-09-04 10:01) 

京葉帝都

京津石坂線に初めて乗車した時(ポール時代)は、膳所~浜大津付近に3線軌道があって驚いたものでした。マンダリンオレンジとカーマインレッドのツートンは元気にさせてくれる色だと思います。

by 京葉帝都 (2016-09-05 13:52) 

む〜さん

■■ 京阪快急3000様:
 京津線の準急は昭和20年代末にはいわゆる特急色でした。ポール集電でぶっ飛ばすので、少年む~さんは驚き、感激しました。今度の京都行きはいつのことかわかりませんが、石山坂本線、京津線訪問は外せないなと思っています。たしか、十数年のご無沙汰の筈です。
■■ 京葉帝都様:
 昔、TMSだったかで写真を見ました。国鉄の膳所から浜大津の江若鉄道へ貨物連絡していたと記憶しますが、確信はありません。京阪の特急カラーは少年時代からの馴染みなので好きなんですが、最近の新しい京阪のカラーは・・・・そのうちに馴染んで来るんでしょうが。
by む〜さん (2016-09-08 22:33) 

風旅記

こんにちは。
お写真楽しく拝見させて頂きました。
一度しか乗ったことはないのですが、浜大津辺りの路面を走る様子には、実に興味を惹かれます。そして、石山坂本線を走る2両編成の列車は、お写真の頃の車両の面影を残しているようで、穏やかな車窓も相まって素敵な路線でした。
古い車両の機器を流用して作られた車両なのだと思いますが、吊りかけ駆動の音を響かせて走る様子、路線の雰囲気にぴったりです。
また旅したい路線です。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
by 風旅記 (2019-07-24 13:57) 

む〜さん

■■ 風旅記様:
コメント有難う御座います。初めて京津に乗ったのは昭和30年でした。ポール電車が急行運用で飛ばして居たり、勾配区間を走ったりで好きになりました。2000以降乗って居ませんが、浜大津あたりの石山坂本線が浜大津を出て併用軌道区間を坂本に向かうあたり鳥に行きたいものと思って居ますが、歳だし・・無理かなあと思ったり。
by む〜さん (2019-07-30 18:08) 

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