今日の一枚(18)昭和30年:京阪三条駅風景 [今日の一枚001-100]
「今日の一枚」第18回は、京阪・三条駅の風景です。京阪1100形(天満橋行・急行)と奈良電1000形(奈良行・急行)の並びです。
昭和30年の3月末、高校の2年から3年になる時期の修学旅行。宿から抜け出して近くの京阪電車の三条駅に電車見にでかけました。当時の三条は、ホームの足元に疎水が滔々と流れて居る、おっかない場所があったりしました。写真の向かって左が鴨川、右の木の柵の下が琵琶湖疎水です。さらに右の方に特急のホームや京津線のホームがあったのです。
昭和30年の3月末、高校の2年から3年になる時期の修学旅行。宿から抜け出して近くの京阪電車の三条駅に電車見にでかけました。当時の三条は、ホームの足元に疎水が滔々と流れて居る、おっかない場所があったりしました。写真の向かって左が鴨川、右の木の柵の下が琵琶湖疎水です。さらに右の方に特急のホームや京津線のホームがあったのです。
では、また次回!!!!!
左は奈良電の電車ですよね?当時は奈良電が京阪三条まで乗り入れていましたね?
by はーさん (2017-12-17 11:27)
奈良電(近鉄)と京阪の相互乗り入れ懐かしいです。
近鉄京都から宇治行きの京阪車に乗ったことあります。京阪車が奈良まで行ってたら面白かったのに。
by Cedar (2017-12-17 14:33)
エッ、知りませんでした。初めて京阪線に乗ったのはEXPO'70の時です。足元に疎水が流れる駅に驚きましたが、その頃も走っていたのでしょうか。それはともかく、左の近鉄電車は東急電鉄のデハ3200形に似ているような。地元以外の勉強不足を反省です。
by HHP8 (2017-12-17 19:00)
またまた三条京阪の懐かしい画像をありがとうございます。奈良電のクリームとグリーンの塗り分けを思い出します。京都に行くときは、ほぼ京阪を利用していました。たまに西大寺経由で奈良電を利用することがありましたが、それは趣味的な小トリップでした。三条京阪の画像の光景を実際に見たことがあります。ロングシート流線型の1100形が来るとがっかりしたのを思い出します。かつての天満橋も川の畔、三条京阪も川の畔で、当時の京阪は川が好きだったのですかね。
デトニ2300
by デトニ2300 (2017-12-17 20:49)
私が京阪三条に行ったのはもう5年ほどあとです。夜だったのでホームの隙間から見える疎水の流れが不気味でした。テレビカーも初めて見たし、朝には道路に面した旅館の2階から「びわこ号」も眺められました。
by モハメイドペーパー (2017-12-19 19:56)
■■ はーさん様:
この頃は丹波橋で奈良電と相互乗り入れできるようになって居ましたね。いま、近鉄京都線のホームがあるあたりは、雑草茂る掘割になって居ました。
■■ Cedar様:
近鉄の京都から宇治行電車なんてのもあったんですね!宇治橋へ行くのなら京阪が便利かも知れません。同一ゲージ、電気関係の強みで色々な方式の乗り入れがあったようで、鉄道ファンとしては、楽しいエリアですね。昭和の前半ならではですね。
■■ HHP8様:
何時のころかわかりませんが丹波橋の連絡線は無くなり近鉄・京阪の駅は独立して居ました。奈良電のデハボ1000は、所謂川崎タイプで、東急、阪急、西武などに兄弟分が居ました。東急で言えばデハ3150とかデハ3200です。
■■ デトニ2300様:
奈良電はスピードが出そうなところを走って居る割には、走りがのんびりして居た印象です。そんな奈良電が、特急用の電車1200だったかな・・・を作ったというので乗りに行きましたが、残念ながら車庫で寝て居るのが見えただけでがっかりでした。昭和30年代初めごろだったと思います。京阪の1000と1100は昭和29年、単馬橋で初見参。守口市行の1000の転換クロスシートが珍しく、ガラ空きの車内で転換クロスシート座ったり転換したりして居ました。あのお顔にもド胆を抜かれました。
■■ モハメイドペーパー様:
三條の疎水は夜はさぞ怖かったと思います。N電の堀川端の停留所とは「水の凄さ」がちがいました。トレインビューの旅館からびわこ号・・・さぞいい眺めだった事でしょう。
■■♪♪ middrinn様
■■♪♪ hanamura様:
■■♪♪ しおつ様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2017-12-21 17:34)