今日の一枚(25):東急玉川線デハ200形・昭和35年 [今日の一枚001-100]
こんばんわ!「今日の一枚」、今夜の更新は「東急・玉川線のデハ200形」です。昭和35年の6月、渋谷での撮影でフィルムはコニカラーネガだったと思います。
一番前の窓際まで座席が伸びて居て何回か座ったことがあります。路面からの乗降の際、ステップが複雑な動きで出て来たような・・・。
前後の台車は内台枠、連接部の台車が一軸で、車輪の直径が小さく、車体はご覧の通り。非常にユニークな電車でありました。
では、また次回!!!!
2018-01-15 21:01
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コメント(9)
たまたま所有するメーカーカタログの表紙の写真とそっくりですね。非常に懐かしい景色です。写真では、パンタグラフが渋谷側ですが、いつの頃からかすべて二子玉川側になりました。その辺りご存知の方はおられませんでしょうか。
by HHP8 (2018-01-15 22:37)
私は玉電というとこの200形が真っ先にに思い浮かびます。現役時代は知らないのですが今のLRTのはしりと言えるかもしれませんね。先進的過ぎてあまり活躍できなかったと聞いていますが東急の電車とバスの博物館で今も見ることができるのは嬉しい限りです。
私の方はGSEの試運転を見てきました。ブログにアップしたのでよろしければ見てやってください。
by 利きゅう (2018-01-15 23:34)
■■ HHP8様:
渋谷駅は周囲から隔離された空間で中々良い感じでした。東横百貨店屋上の右の方に丸い赤い東横のマークがついて居ますね。TYKなのかなあ?
パンタ位置は見てみましたが、確かにそういう傾向ありますね。何処でひっくり返したんでしょうか・・・・。
■■ 利きゅう様:
構造も先進的でしたね。トレーラーで引いてきたのでしょうか、二子玉川園の駅で組み立て中に遭遇し、長時間眺めて居たことがありましたっけ・・・。
ブログ拝見しました、ダイヤもわからないのに遠くまで行く・・・・昔の私ならともかく、体力的に今はトテモ出来ません。凄いことだなあと感心してしまいました。GSEは第二編成はちょっと先のことになると聞きました。LSE、EXE、EXEα、VSE、MSE、GSEとならベルトちょっと壮観ですね。
■■♪♪ middrinn様:
■■♪♪ hanamura様:
■■♪♪ Cedar様:
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2018-01-16 12:08)
■■■管理人からのお願い■■■
上のHHP8様からのコメントにあります、「玉電の集電装置の位置が逆転」したという件に付き、成り行きをご存知の方、いらっしゃいましたら、コメント下さると嬉しいです。
by む〜さん (2018-01-16 12:11)
軽電車の歴史に残る車両だと思います。
実際に見てみたかったです。
登場した時代が早すぎたのでしょうか、本領を発揮することが少ないまま終わってしまった感じですね。
登場時期や新機軸の採用、そして鉄道線車両との関連性から、南海大阪軌道線のモ501形を思い浮かべます。501形は還暦を迎えまだまだ元気です。
写真は三軒茶屋から世田谷線に入る下高井戸行きですね。もし、この電車が使い出のよい改造を受けていたら、専用軌道の世田谷線に活躍の場があったかもしれないと思います。
また、「あべの」のように渋谷まで芝生軌道が整備されていたら、下高井戸・渋谷間が存在していたかもしれませんね。実際には交通量から考えると無謀かもしれませんが……。
by のり (2018-01-16 19:39)
200形は新製当時、すぐ乗りに行きました。当時の玉川線の車両は全て高床車でしたから、超底床車のハシリとも言える200形は異色の存在となりました。連接部の台車は1輪だったので、独特の乗り心地が味わえました。一言で述べれば不安定で、特に高井戸線に入ると大いに揺れました。この形式の増備を願っていましたが、やや低床化された150形が最後の新製車になったのは、惜しまれましたが、150形も良く出来た車両だったので、ひとまず慶賀したのを憶えています。
by こがね丸 (2018-01-17 17:29)
「玉電」200型と銀座線の黄色い電車が出会う渋谷駅の光景、もう半世紀近くも昔になってしまったのですね…。運転台が左側半分だけで、右側最前部の「特等席」はいつも餓鬼どもの争奪戦になっていたのをつい先日のことのように脳裏に蘇ってきます。204号が宮崎台に移った「電バス」で大切に保存されているのは嬉しいのですが、広電とか北九州で活躍できなかったのかが惜しまれます。1372mmから1435mmに台車を広げるのは構造上難しかったのでしょうか。
by 伊豆之国 (2018-01-17 23:00)
デハ200は母親が高津の保存車をみて「あら、なつかしいわね」と非常に喜んでいたのを思い出します。
後方の角ばったデハ60が写り込んでいるおかげで、張殻車体の丸さが際立っている良い絵だと思います。
by 高二 (2018-01-20 03:20)
■■ のり様:
玉電のデハ200は実に画期的な電車でした。初めて見たときは、本当に吃驚してしまいました。何と言ってもストリートカーですから高速が出せる訳は無く、早そうな雰囲気だったのだと思います。それだけ、人目を引き、沿線の人々の記憶に残りました。特殊な一軸連接車の保守も何か問題があったのかも知れません。ただ、一両、動態保存して居たら、イベントなどに人気者になったと思います。まあ、その辺と保守に手間と費用を考えると、結局全車廃車(一両静態保存)の線が出たのでしょう。国道246の自動車の量も半端ではありませんでしたし。
■■ こがね丸様:
私も同じく乗りに行ったことを覚えて居ます。思ったより遅く、なんでこんな流線型にしたんだろうと思いました。ホントに人目を引く効果は抜群で、電車に興味のない方でも印象に残ったことと思います。
150形は丁度私の鉄道趣味の度合いが低かった時期に活躍した電車で、じつは、写真が一枚もありません。惜しい事をしたものだと今になって悔やんでおります。
■■ 伊豆之国様:
この玉電の渋谷駅も後にバスターミナルとなり、東名高速バスが使ったり、一般の乗り合いバスが使ったりして居ましたね。一番奥にターンテーブルがありました。
■■ 高二様:
玉電の好きだった形式は、(1)デハ31、(2)デハ80、そして(3)デハ200でした。一寸へそ曲がりかも知れませんね。デハ80は勿論、原型です。
撮った写真の枚数は知れて居ますが、ホームページにまとめてありますので、ご覧頂きたく思います。
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link150a.html
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link146.html
http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link111-tamaden.html
■■♪♪ hideta-o様
「nice!」有難う御座います。
by む〜さん (2018-01-20 23:58)