昭和50年・関西の旅から(1) [1970年代の関西電車]
フジカラーのスライドが一本分出てきました。如何云う事情で関西に旅したのか、丸っきり忘れております。
昭和50年1975年の6月1日とスライドのプラスティックケースに書かれています。当日は日曜日ですので、会社の大阪出張を一日早く出かけたのかも知れません。当時、主に使っていたカメラはミノルタSR-1で、多分それで写したのでしょう。当時、プロミナーレンズに何故か惹かれ知人から譲ってもらったコーワSETRではなかったと思う。
その中からランダムに・・・・・・。
早朝の小田急で小田原に出て、新幹線で名古屋、近鉄特急で大阪、たぶん鶴橋下車、その後、どういうコースだかわかりませんが南海の阪堺線を写しております。当時、大阪で良く利用した難波のホテル南海というビジネスホテルに泊まったのだと思うので、一日の電車三昧の最後に行ったと言う可能性もありますが・・・・。(なにしろフジカラーのプラスティックのスライド枠には駒番号が無く、撮影の順序が全く判らないのです)
まあ、とにかく3枚のスライドがあります。昭和50年ですから、阪堺電軌軌道㈱・・・・昭和55年12月運行開始・・・・ではなく、まだ南海電軌鉄道の阪堺線ですね。
(1)モ501形の502。住吉鳥居前で撮影。方向幕に系統「い」が入っています。ブルーバードの後姿が懐かしい(ブルーバードは初代と、このタイプが好きで・・・・)。
(2)モ121形121。昭和4年製の大ベテランで、元大阪市電だそうです。車体が片側2扉に改造されています。上と同じく住吉鳥居前。
(3)場所は判りませんが日差しが低くなっていますので、夕方かもしれません。きっと難波から住吉公園駅に向かっているのでしょう。モ6100らしく思えますが、顔で6000と6100の区別が出来ない私です。○| ̄|_。
(参考文献:小林庄三著『阪堺電軌・和歌山軌道線』トンボ出版)
これから、一寸の間、このフィルムの中から、毎日、何枚かを展示したいと思っています。
何時も鉄道を撮影される若い方々にお願いなのですが、40年も経つと、実に見事に忘れます。最低限、日付と場所を控えましょうね。それがキーワードとなり少しずつ思い出せます。・・・・・・と、ジジイの繰言です。